水鏡の境界 | ナノ
「なにやってんだよ」
「ちょ泉、痛い痛いストップ!」
ヤバい、と水谷がベッドの下から首を引っ込めるよりも早く、後頭部に鈍痛。
二撃目は身体をひねって躱したため、鈍器と化していたペットボトルは泉の手から離れる。
せめて500ミリリットルだったらよかったのに、と頭をさすりながら思う水谷の目先で1.5リットルの炭酸飲料が揺れていた。
「人の部屋でなに探してんの」
「エロ本隠すならやっぱベッドの下かなって思ってさ」
「んな分かり易いとこに隠すかよ。よし、お前の分は三橋にやることにする」
少し泡立ったサイダーが泉のコップのみを満たしていく。
空のままの自分の容器をシャーペンで弾き、水谷は口を尖らせた。狂暴なこの部屋の主は、相変わらず涼しい顔で独裁政権を握っている。
「三橋は?」
「もうすぐ着くって。っつーわけで、お前は帰れ」
携帯をいじり始めた泉に睨まれて、水谷がへらりと笑う。
開いたディスプレイにはおそらく三橋からのメールが表示されているのだろうと思ったから、帰れと言われてそう易々と引き下がるわけにもいかない。
ペンを投げ出してごろりと寝転がる水谷の眼前に、どすんと重たいペットボトルが置かれた。底からはまたふつふつと泡が立っている。
夏日を思い起こさせる二酸化炭素の泡粒。喉を焼く痛みは、夏を越した今も鮮明に水谷の痛覚に残っていた。
指先で硬いプラスチック容器を叩き、サイダーを泡立てながら水谷は泉を下から眺める。
携帯のキーを押す指と、間抜けにゆるんだ口元。表情は恋する乙女も裸足で逃げだすほどに締まりがない。
指を滑らせてうっかり罵詈雑言を打ってしまえと念じるが、当然ながら願いは届かず小さな機械は閉じられる。
携帯を置いてシャーペンを取り、宿題に向き合い始める黒髪のチームメイトのことを、水谷は嫌っているわけではなかった。
適度に不真面目で遊び心のあるところは似ているのではないかと、むしろ親近感すら覚えていたのだ。
肌寒い部屋の中でもペットボトルの表面は結露していて、爪の先を濡らす。好みまでもが似ていたのは水谷にとって予想外だった。
「俺と泉って似てるよね」
「どこが?全然似てねぇよ」
「内面の話。好きなのとかさ」
最も大きな共通項に関しては言外にぼかして、曖昧に歩み寄りを図る。今更なに言ってんだと呆れたような目が水谷を捉えた。
合成繊維のカーペットに押し付けた頬に僅かな刺激が伝わる。ちくちく。茶色がかった柔らかな髪をそこに広げ、水谷は共通項について考える。
自分よりも更に色素の薄そうな、ここに存在しない彼について。
今頃、彼はおそらく自転車でここまでの道をたどっているだろう。薄っぺらいカバンの中のノートやプリント、筆記用具が揺すられてたてる音まで聞こえそうなほどリアルに、水谷は三橋を思い描く。リアルだけれど、蜃気楼よりも遠くてとても掴めない。
ぼんやりしている水谷から視線を外し、泉は自分のコップに口をつけた。
新鮮な泡が弾けて、唇と喉をぷつりぷつりと刺していく。自室のローテーブルに広げられた水谷のノートはまだ目が覚めるように白い。
意識を宙に飛ばしている相手が今なにを考えているのか、泉には容易にうかがい知れた。
三橋と自分の約束を聞きつけてふらりと現れた相手のことだ。彼の言葉をなぞるなら『好きなの』のことを、水谷は考えているのだろう。それは自分も同様だったから、泉は黙って嚥下しづらい液体を半ば無理矢理に飲み下す。いつも飲み込む言葉よろしく、一息に。
想いを口に出来ないのはどちらも同じだと知っている。
二酸化炭素の泡はやはり鋭く喉の奥を焼いた。
「上手くいかないもんだね」
「仕方ないだろ、こればっかりは」
ペットボトルがゆっくりと水谷の視界から消える。
持ち上げた泉は、ばつの悪い表情を作ってみせて、それからひっそりと笑った。どこか酷く親しげに。
水谷のコップに透明な液体が注がれていく。
「ま、言えないけどね」
「言えねーよなぁ」
むくりと起き上がった水谷の右手がコップを包んだ。そのまま一気に中身をあおって眉をしかめる。冷たいサイダーが胸の内を焦がして痛い。
余程おかしな顔になっていたのだろう、泉にけらけらと笑われながらコップを下ろし、水谷は首筋をこすった。
口を開きかけた矢先、壁越しにぼやけた機械音が来訪者を告げる。ピンポン、と平和な音が一度。
透視できるわけもないのに揃ってそちらに首を回した泉と水谷は、それからお互いに目を見合わせた。
「三橋かな」
「三橋だろ」
「なにその自信」
「愛だよ、愛」
「泉キモい!」
腰を上げたのも同時だった。他愛ない軽口を叩き、忙しなく小突き合いながら。玄関の向こうできっと落ち着きなく待っている友人を迎えるために。
今度恋バナでもしようよという水谷の誘いを軽く鼻で笑い、情報交換の間違いだろうと訂正してから泉は部屋のドアを開けた。今日のところはひとまず休戦。想いが届くことなんて夢のまた夢なのだけれど。
告白の言葉はいつだって飲み込まれ、身体の奥底で痛みとともに弾けている。
ほのぼのなんだか暗めなんだか曖昧な友情。
四万打リクの「水谷vs泉→三橋」の別パターンとして書いたものだったんですが、ふたりともまるで別人+三橋が出てこないまま終わってしまった ので、こっそりとこっちに収納!
091020