バイクから軽やかに降りた情報屋の女は、栄口を見てにこりと笑んだ。深紅のロングドレスに黒のライダースジャケットという奇抜なその服装に、栄口は気付かれない程度に眉を寄せた。ドレスには深いスリットが入っていたが、バイクにまたがるにはあまりに不適切に見える。
ヘルメットを外した彼女はふわりと一度頭を振った。長い黒髪が流れるように風になびく。


「今日は随分不思議な格好ですね、百枝さん」
「これからまた仕事なの。盛装じゃなきゃいけないらしくて。久し振りね、栄口くん」
「じゃあ手短に済ませましょうか」
「そうしてくれると助かるな」


今日は何が知りたいの?と彼女は再びにっこりと笑った。細められた目は何もかもを見透かしているように思えた。
食えない人だな、と栄口は内心で白旗を上げる。


「百枝さんの思っている通りですよ」
「三橋くんのことを知りたいんでしょ?」


軽くバイクに寄りかかったまま、彼女はにこやかに正答を導き出してみせた。
どこから情報を仕入れているのか、一体どこからどこまで知られているのか。謎の多い彼女のことを密かに調べさせたこともあったが、結局謎は謎のままだ。
栄口がひとつ頷くと、彼女は少し考えるような間を置いて、それからゆっくりと口を開いた。











「田島はボロネーゼ、泉がカルボナーラでいいんだよな?」
「……これ、パスタか?」


泉の目の前に置かれた皿には「お粥のように見える何か」が乗っていた。少なくとも、これはパスタには見えない。向かいのソファーに腰掛けた田島は「赤いもやもやした何か」を気にすることもなく口に運んでいる。勇者だ。


「泉、食わねぇの?」
「……いや、これ何だよ」
「味はフツーだぜ」


田島は気にした様子もなくもぐもぐと頬を動かす。フォークに絡まない物体を、器用にすくっては口へと運ぶ。
泉は再びまじまじと目の前の「何か」を眺めた。久し振りにこってりしたものが食べたいとカルボナーラを選んだのだった。これは何だ。
エプロンを着けた阿部が皿を手に部屋へと戻ってくる。


「まぁ泉も遠慮せずに食えよ」
「お前、料理したことねーだろ」
「当たり前だろ」


エプロンが壮絶なまでに似合わない阿部はさらりと肯定して部屋を見渡す。


阿部が三橋に拉致されたあの日、事務所に帰ってきた浜田は目玉が落ちそうなほど目を見開いてから、ごしごしと激しく目元を擦った。幾度かそんな動作を繰り返し、床の上で正座する阿部が幻ではないと思い知ってから、浜田も泉と同じく頭を抱えていた。阿部が、「ここに置いてくれ」と涼しい顔で当然のように述べたせいだ。


「……どーしよう?」
「俺に聞くなよ」


縋るような目で見る浜田を一蹴し、泉はひとつ息を吐いた。確かに阿部は役に立つだろう。しかし、今や敵対するグループとなったNに所属していた男を「はいそうですか」と歓迎するわけにはいかない。スパイである可能性も捨てきれない。浜田もその辺りを考慮して珍しく困惑しているようだった。


「家事手伝いでもさせれば?」


冗談のつもりだった泉の台詞に、浜田はぱっと表情を明るくした。「ナイスアイデア!」と額に書いてある。しまった、と泉は心の底から思ったが、時既に遅し。浜田はエプロンを買いに再び表へと飛び出していってしまった。バカ浜田……とげんなり呟く泉を、阿部はさも面白そうに笑いながら見ていた。


そんな適当な経緯を経て、今、泉は阿部の作った謎の物体をフォークでつついている。見た目は妖怪のようだったが、味はきちんとカルボナーラ。レトルト食品は素晴らしいな、と考えながら口に運ぶ。むしろ、レトルトをこんな風にしてしまえる阿部の料理の腕に脱帽だ。
阿部は皿を手に部屋へ入ってきたまま、まだ周囲を見回していた。探しているのだろう。


「三橋は?」


案の定、阿部が無表情で尋ねる。三橋はやはり随分と気に入られているらしい。泉の向かいで食事を続けていた田島がぴたりと手を止めた。瞳孔が開きかけている。
田島はいつも三橋にべったりだった。気に入っている、なんて生半可な言葉では足りない程に三橋に執着している田島からすれば、阿部の存在は酷く面白くないに違いない。だからといって事務所で刃傷沙汰は御免だ。


「食わねーの」


泉がそう促すと田島は思い出したようにボロネーゼ(のようなもの)を咀嚼した。開いた瞳孔が元に戻る。

阿部は趣味の悪いエプロンを着けたまま仕方なさそうに肩をすくめていた。三橋は隣室で銃器の手入れ中だということを泉は知っていたが、言わなかった。まるでガキみたいな対抗心だ。

阿部は諦めたように持っていた皿を田島の隣、三橋の定位置にあたる場所へと置く。湯気の立つその皿に何となく目をやれば、そこにはまるで喫茶店のディスプレイのように綺麗な、食欲をそそるボロネーゼが乗っていた。田島の食べていたあれとは似ても似つかない、美味しそうな出来栄えで。


「……阿部」
「何?」
「この差は何だよ」
「いや、三橋の分だけ気合いが入ったのか、妙に上手く出来た」
「俺らのにももっと気合い入れろ!」


泉は「カルボナーラのようなスライム」をすくって阿部の眼前に突き付けた。既に食べ終わった田島は食後の酒に移っている。


「無理」


胡散臭い笑顔で阿部が答えた瞬間、部屋の扉が控えめに開く。頬のオイルを拭いながら部屋に入って来た三橋は、テーブルの上のパスタを見てキラキラと目を輝かせた。阿部くん、すごい、だとかなんとか三橋が言うのを聞きながら、泉は口の中のパスタもどきを飲み込んだ。全く、面白く無いったらありゃしない、と頭の隅で考えながら。三橋はパスタをフォークに巻きつけて、心底嬉しそうに笑っている。











「それだけ、ですか?」


呆気にとられた表情で栄口は呟いた。ぽかん、と口が開いてしまう。
栄口の反応を見ながら百枝は申し訳なさそうに苦笑した。彼女のそんな表情を目にしたのは初めてだった。いつも、どんな仕事でも完璧にこなしてみせる彼女だったから。


「ごめんね、これだけ。隠してるわけじゃなくて、本当に、三橋くんに関して調べられたのはたったそれだけなの」
「出生地まで分からない、なんて」


栄口はカリカリとこめかみを掻いた。出生地どころでは無い。「三橋廉」に関することは何もかも、虫に食われたように穴だらけだった。何処であの射撃の腕を身につけたのかも、誕生日や血液型などの基本的なパーソナルデータすらもが謎だった。
唯一はっきりしているのは、二年前田島とともに今のファミリーのボスに忠誠を誓って以来、目覚ましい働きをしていることだけ。


「せっかく依頼してくれたのに悪かったね。私以外にも頼んでみる?」
「いえ、百枝さんが駄目だったなら他に頼んでも無駄でしょうから」
「そう。じゃあまたね、栄口くん」


ヘルメットを軽く持ち上げ、シートにまたがった百枝がふと振り向く。その目元は何か面白いものを見つけたかのように弛緩していた。


「あんまり強引にすると嫌われちゃうわよ」
「分かってます」


にっこりと、最後に再び百枝は鮮やかに笑った。排気ガスを残し走り去って行くバイクを目で追いながら、栄口はぼんやりと考える。
武力行使は果たして「強引」な手段にあたるだろうか。この社会で当然のように行われているそれは。


「あんまり得意じゃないんだけどなぁ」


薄く拡散していく排気ガスを吸いながら、呟く。栄口の口元には密やかな笑みが浮かんでいた。




























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10.0309

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