「巣山、泉に会ったんだってね」


栄口は満面の笑みを浮かべて至極嬉しそうにそう言った。これはヤバい、と花井は思う。栄口は機嫌が悪ければ悪いほど、逆に酷く上機嫌な表情になるのだ。さながら今の機嫌は最低最悪、といったところか。
ソファーに座っていた巣山の動きが一瞬止まり、栄口は巣山の背後にふわりと立ったままにこにこと笑っている。巣山の向かいに座っていた花井は、その全てを視界に収めてしまっていた。こっそり、手元の書類を持ち上げてその陰に隠れたい気分だ。


「それで?泉から何か楽しい話でも聞けた?」
「いや、特には」
「そう。それはとっても残念だね」


栄口の舌にはトゲが生えているに違いない、と花井は無意識に胃を押さえた。怖い。ポーカーフェイスを貫く巣山を心の底から尊敬する。
どこかへ逃げたいところだったが、ドアは栄口の背後だった。Nの、この事務所の一室は地下一階にあるから窓すら無い。閉塞された空間に栄口の歌うような声が響く。
巣山は気付かれない程度に目線を上げ、花井に目配せをしてみせた。いつものように皺ひとつ無いスーツの襟を指先で直し、薄く苦笑いを浮かべながら。

巣山が泉に会ったことを花井は知っていた。というか、それを指示したのは自分だ。だからこそ余計に気が重い。


「勝手なことしないでよ。三橋のことは俺が調べてるんだからさ」
「拉致する手筈を整えてる、の間違いだろ?悪いが、向こうとは穏便に済ませたいんだ。戦力差があるのは栄口だって分かってるだろ」


言いながら、巣山が栄口を振り向く。戦力差、と言われて、頭脳派の栄口は不満気に少しだけ口を尖らせた。そのまま、苛々とした動作でネクタイを弛める。


「花井だって三橋が欲しいでしょ?」


いきなり話を振られ、花井はバサバサと派手に書類をぶちまけた。ローテーブルの上が一面に白と黒の海になる。我が意を得たり、とばかりに笑う栄口の顔が目の端に映った。


「ほらね。まぁあげないけど」
「ほらね、じゃねーよ!いきなり変なこと言うな。あと、お前はチームプレーって言葉を学べ」


ソファーの後ろをゆっくりと回って、栄口が巣山の横に腰を下ろす。怖いくらいの満面の笑みは消えていた。少しは頭が冷えたらしい。機嫌が直った、と言うべきか。

散らばった書類を掻き集め、花井はひとつ溜息を吐いた。ソファーに深く背を埋める栄口を見ながら、重い口を開く。


「何で、栄口はそんなに『三橋』を手に入れたいんだ?」
「気になるから。戦力的にもうちにとってはプラスでしょ?」
「まぁ、そうだけどな……」


歯切れの悪い花井の返事に、栄口の唇が再び笑みを形取る。隣の巣山が宥めるように栄口の肩をポンと叩く。が、栄口はその手を鋭い眼で睨んできた。


「チームプレーとか言いながら、そっちは何なの?花井と巣山も最近コソコソ調べてるよね。三橋のこと」


バレてたのか、と花井はちらりと巣山を見る。巣山は少し肩をすくめて見せた。


「理由は何?」


にっこりと上機嫌に笑う栄口の追求を逃れる術などあるはずもなく。











「さて、作るか」
「俺だけでいいっつってんのに」
「またスライム食わされてたまるか」


キッチンは俺の守備範囲だ!とばかりに立ちはだかる阿部を泉が押し退ける。変な光景だなぁ、と浜田はダイニングテーブルに肘をついたまましみじみと思った。
狭くはないキッチンも、大の男四人が並ぶとさすがに窮屈そうだ。
変なエプロンをつけた阿部と泉。それから、同じくエプロンをつけた三橋は田島にそそのかされて魚肉ソーセージをつまみ食いしている。

家事一般は阿部に一任してみたはずだったのだが、一度食べさせられた阿部の料理はよっぽど酷いものだったらしい。生憎、浜田はあの日外で食事をしたので内容までは知らないが。
あの日は、帰って来るなり「エプロン三枚追加で買ってこい!」と泉に事務所から叩き出されるという、ずいぶん災難な日だった。


「何作るんだよ泉ー!」
「田島はこれ。鶏肉を一口大に切れ」
「おう!」
「言ったそばから何で手のひら大に切ってんだよ!煮えねーよ!」
「えー、俺のひとくちはこれくらいなのに」

「泉くん、俺、は」
「ああ、三橋はこっちな。ニンジンの皮むき。指切らないように気を付けろよ」
「うんっ」


仕事を与えられた三橋は嬉しそうに皮むき器を手に取り、にっこりと笑う。泉も心無しか楽しそうだ。背後で阿部が火にかけている鍋からすごい音がしているんだけれど、それはいいんだろうか。

勝手に入れたお茶を飲みながら、浜田は「平和だなぁ」と呟いた。牛乳と鶏肉、余っていたニンジンと冷やご飯、それからコンソメやその他少々。今日の昼食はクリームリゾットらしい。『スライム』を食わされたらしい泉なりの皮肉なのだろう。ぐつぐつと、牛乳の焦げていく臭いがする。

クリームリゾットは別の鍋で野菜や肉にいったん火を通してから、それを牛乳に加えて火に掛けたほうがキレイに仕上がるんだけどなぁ、と思いつつ、浜田はお茶をすする。ついでに、冷蔵庫にあるチーズも入れると味が良くなるのに。そういえば、このメンバーで料理が出来るのは自分だけだ。
泉は外で食べることが多いから料理はしないし、三橋や田島は放っておくと缶詰めやらソーセージやらそのまま食べられるものばかり食べる。手軽だからだろう。成長期の二人がこれじゃあ栄養が偏る、と、浜田が料理をするようになった。
もちろん仕事があるから時間のある時だけだったけれど、三橋も田島もこちらが驚くほど喜んでくれるから、なんだか酷く幸せな気分で。
でも、自分が作ったのだとは言わなかった。言えば、「ボス」である浜田に料理をさせてしまった、と必ず三橋は気にするから、ただその笑顔を眺めていた。
十年前、一緒に過ごしたころの三橋みたいだ、と思いながら。

二年前に思いがけず再会した頃の三橋は、本当にぴくりとも笑わなかった。たまに見せるのは、どこか酷く傷ついた笑顔で。



キッチンに立つ三橋は、危なっかしい手つきで一生懸命にニンジンの皮をむいている。阿部の鍋からはプスプスと煙が立ち上っている。ようやく阿部の状況に気付いた泉が、エプロンを翻して声を荒げた。


「阿部は手出すなっつってんだろ、このスライム製造機!」
「三橋の食うもんは俺が作ることになってんだよ」
「泉ー、スライムでも何でもいーから腹減ったよー」


うめく田島が生の鶏肉にまで手を伸ばすのを見て、慌てて浜田は立ち上がった。四人で作るとは言われていたものの、この調子じゃいつ食べられるか分かったもんじゃない。まるででかい兄弟みたいな四人を眺めているのは楽しいけれど、手を出せばきっと三橋は気にするだろうけれど、田島に生肉を食べさせるわけにはいかない。腹が減っては戦も出来ぬ。阿部と泉も、とりあえず昼食後に存分に戦えばいい。


「ニンジン、むけた、よっ」


嬉しそうに三橋が皮むき器を掲げる。仕事中とは違う、年相応に無邪気な仕草。
うんと美味しいクリームリゾットを作ってやろう、と思った。











『N』というグループに、マフィアのファミリーのような『忠誠』は存在しない。ここはいわば、一種の巨大な会社のような組織だった。各々の得意分野のみを活用する、完全分業制だ。
よって、細かく分けられた各部署に誰が属しているのか、他の部署はどんな仕事をしているのか、『N』というグループに属している当人にすら知らないことは沢山あった。

だからこそ個人プレーがまかり通るのだ、という理由で、栄口はこの組織が気に入っていた。会社で言えば『取締役』に当たる花井にはよく小言を言われるが。
その花井と巣山の不穏な動きに気付かないほど、栄口は鈍くはなかった。

三橋廉。
自分が目を付けた獲物を勝手に追われていることくらい、すぐに気付く。弛めたネクタイが煩わしくなって、片手でするりと引き抜いた。


「理由は何?」


斜め前に座る花井と隣の巣山に問い掛ける。意図せず、頬はにっこりと笑んでしまう。花井と巣山がコソコソと目配せを交わしているのも気に入らなかった。自分の知らないことがある、というのが栄口は酷く嫌いだった。情報屋をよく利用する理由もそこにある。


「依頼があったんだ」


口火を切ったのは巣山のほうだった。依頼?と栄口は訝しげに反復する。
沈黙。エアコンの稼働する微かな音だけが空気を掻き回していく。
渋々といった表情で、続けて花井が薄く口を開いた。


「依頼っつーか、命令だ。三橋廉を連れてこい、って」
「誰から?」
「うちの内部の、誰か」


歯切れの悪い返事に、栄口の表情が歪む。Nの内部。蟻の巣のように四方八方に伸びている組織図の全てを把握しているわけではない。しかし、花井や巣山を顎で使えるほどに力のある依頼主。それが、そのどこかに存在している。


「三橋廉には関わるな。これは、俺からの善意の忠告だ」


再び、巣山が呟いた。


「ここの部署の中にはえげつないことをやってる部署が沢山ある。俺たちにすら隠匿されているような部署が、な」
「何が言いたいの?」
「今回の依頼主は、相当面倒なやつだってことだよ。俺が言えるのはここまでだ」


無意味に腕時計をはめ直しながらきっぱりとそう言い切り、巣山は口をつぐんだ。巣山らしくないその仕草を見ながら、栄口は思う。まだ何か、巣山は最も重要なことを隠している。勘だけれど、恐らく外れてはいないだろう。


「ねぇ、ゲームをしない?」


栄口の唐突な発言に、花井と巣山はきょとんと目を丸くした。栄口は解いたネクタイをナイフのように振ってみせる。にこやかに。
柔らかなネクタイが空気を切って鋭い音を立てた。


「俺、花井と巣山、それから例の依頼主。誰が一番先に三橋に辿り着くか、賭けをしようよ」
「依頼主もメンツに入ってんのか?」
「当たり前。花井も依頼主に使われてるだけで、詳しい事情は知らないんでしょ?」
「まぁ、そうだけど。ゲームって、何を賭けるんだ?」


花井の問いに、栄口は冗談とも本気とも判別のつかない声音で一言、「命」と答えて笑った。




















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