花火大会は盛況だった。
空には次々と色鮮やかな光が開花する。手を伸ばせば触れられそうに近く、しかし触れた途端に消えてしまうだろうと思わせる儚さで。
花火がひとつ、ふたつと弾け、光と光の合間には、ふっと視界が暗くなる。
地上では屋台と屋台の隙間を埋めるように人々がひしめきあい、様々な匂いが渦を巻くように流れてくる。人波にまぎれて、時折野球部のユニフォームがちらほらと見え隠れした。練習後に服を着替えるのももどかしく全員で花火大会に出向き、さっそく三々五々に屋台を見て回っているところだった。
栄口、沖、それから花井の坊主頭。垣間見える後ろ姿を数えながら、田島は右手に持ったリンゴ飴を大きくかじりとった。がりり、と予想外に大きな音が響き、田島の前で花火を見上げていた三橋が振り向く。
「リンゴ、飴」
「おう。三橋も食う?」
三橋は自分の手元にあるタコ焼きと田島のリンゴ飴を見比べてしばらく迷い、あとで、と呟いた。食事に専念したい気持ちとデザートに惹かれる気持ちとの板挟みなのか、ずいぶんと複雑な表情をする三橋が可笑しくて、田島は思わず吹き出した。
「あとで、一緒に買いに行こーぜ。かき氷も!」
「お、れ、イチゴ!」
「オレはレモンにする!」
顔を見合わせ、今度は三橋と二人して笑う。タコ焼きのソースとリンゴ飴の甘い匂い。それから、練習後の汗の匂いが少しだけ混じっている。
低い音と共に打ち上げられた花火を追って、三橋の目は再び空に向く。田島は気づかれないように小さく鼻を動かした。自分の匂いとは違って、三橋の匂いはなんだかとても甘く感じる。制汗剤や香水なんかの人工的な甘さとは全く異なる、不思議な匂いだと思った。
「三橋、三橋」
呼び掛けると、三橋の目は再びこちらへ向けられた。田島は自分のユニフォームの胸元を指差して、「汗くさい?」と真顔で尋ねる。唐突な質問に、三橋はきょとんと目を丸くしながら大きく首を横に振った。
「くさく、ないよ」
「そっか」
「あ、でも」
す、と寄せられた三橋の頬が、田島の胸元をかすめて。甘いにおいがする、と途切れ途切れに呟かれた言葉が、ユニフォームの胸元に落ちた。
周囲はざわざわと食べ物の焼ける音や楽しげな笑い声に満ちているのに、まるでここだけは別世界のように静かだ。だって、あんなに小さな三橋の声が、まるで耳元にささやかれたかのようにはっきりと聞こえるのだから。
「俺、三橋のにおいも甘いと思う」
田島がそう告げると、三橋は疑問符を表情に浮かばせながらも一応こくりと頷いた。不思議だと言わんばかりのその様子に、田島も笑って頷いた。
三橋が不思議がるのも当然だ。自分だって、不思議だと思っているのだから。
ひとつ、ふたつ。再び夜空に花が咲く。三橋は花火を追わずにまだこちらを見つめているから、田島もそのまま動かなかった。空を見上げずとも、三橋の目の中にきれいな光が弾けるのが見える。
夜風に乗って、甘い匂いが田島の鼻先をくすぐった。これが何かは分からない。だけど、甘く感じる理由だけは知っているような気がした。
「三橋にも、気づかせてやるよ」
静かに一声宣言し、三橋の唇をひとくちかじる。リンゴ飴の甘さが煩わしくなるくらい、それはひどく甘かった。
三橋は心底驚いた表情で固まったまま、頬だけをじわじわと染めていく。田島はわずかに目を伏せた。きっと今、自分の顔は三橋に負けず劣らず真っ赤になっているだろうから。
ひとつ、ふたつ。色とりどりの花が夜空を染めていく。合図をしたわけでもないのに、二人同時に鮮やかな花火を見上げた。弾けては消える花々も、もう儚いとは思わない。
なんだか、とても幸せだった。思わず走り出してしまいそうな高揚感が、嬉しくて楽しくて仕方がない。
夏はまだ始まったばかりで、望むならきっとどこまでだって行けるだろう、と思えた。
たじまー、みはしー、と、遠くで誰かが呼ぶ声がする。祭りの喧騒は切れ間ない波のようにこちらへと寄せて、三橋の頬はいまだに火が灯ったように赤い。
一緒に行こう、と田島は左手を差し出した。三橋の右手がしっかりと自分の手を掴んでくれる、たったそれだけのことで、魔法のように何でもできてしまいそうな気分になる。三橋もそんなふうに思ってくれていたらいい。
知らないのなら気づかせてあげよう。
俺は、三橋のためなら無敵になれるんだってことを。
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130708