身軽にはためいたカーテンが三橋の姿を易々と隠した。正面に居るはずなのに、見えない。
俺を、三橋の手を濡らした昨日の雨が嘘のように空は軽やかに晴れていた。鮮やかな夕陽が視界を染めて。

俺の腕にも風に膨らんだ布が触れる。ふわり、皮膚を撫でるやわらかな布地。
腕の先は三橋と繋がっていた。揃えた指はしっかりと三橋の手首を捕えていて、添えた親指に穏やかな脈拍を感じる。

腕を掴んで、それから。
どうしたい、などと、明確な意図をもっていた訳ではなかった。ただ触れたいという純然たる動機。それゆえに、捕まえた手を放せばいいのか引き寄せればいいのか、それすらも分からなかった。既視感に脳がじくりと疼く。


風が弱まり、教室の窓辺に吊られたカーテンがゆるやかに下りていく。幕を下ろすように、ふうわりと。

琥珀の瞳は未だに見えそうで見えない。口元だけが、わずかに薄幕の下から現れる。三橋の唇は何か言葉を紡ぐように動いて。

聞き取ろうと反射的に身体を寄せる。眩しい夕陽が俺を苛むように照り、三橋の唇は「阿部くん」と俺の名前を形取った。











傘を差しだす三橋の手を放り投げるように離して、息が切れるまで走った。
家にたどり着いた時にはもう身体の芯まで濡れていて、乾いたタオルで頭を拭きながら思わず独りで笑った。俺は馬鹿だ。
阿部くん、と俺を呼び止めようとする三橋の声が耳にこびりついて離れない。鳴るか鳴らないか分からない携帯電話が怖くて、じっとり濡れたカバンから取り出すことすらしなかった。結局、携帯は夜になってもただ沈黙を保っていた。

繭にこもる蚕のように布団に埋まり、まぶたの裏の暗闇で三橋のことを考える。三橋は追いかけて来なかった。カバンの底にあるはずの携帯はやはり鳴らない。

きっと俺は、何かを酷く傷つけたのだ。
じわりと目の奥が痛む。俺は馬鹿だ、ともう一度思った。











ふわり、膨らんだカーテンが再び三橋の表情を隠す。放課後の教室には既に誰もいない。

部活の始まる時刻が刻々と近付いているのに、それでも。四本の指と手のひらは三橋の手首を覆い、添えた親指で淡い脈拍を感じたまま、俺は。
振りほどかれないがためにその腕を放せず、右腕の不自由は続いていた。掴んでいるのは俺なのに、まるで掴まれているようだった。
羽音に似たかすかな音をたててカーテンがはためく。ゆっくりと、幕のように下りていく。


「阿部くん」


薄布の向こうで三橋が呟く。不安げに揺れる声音で。
三橋の腕を掴む手のひらが熱をもち、親指に柔らかな脈を感じていた。穏やかでゆるやかな脈拍。


「風邪、ひいてない?」
「……え?」
「昨日、傘なかったのに」


走って帰っちゃったから、と三橋は続けた。
思わず、握る手のひらに力がこもる。逃げた俺を責めればいいのに、きっと傷ついただろうに、またそうやってこいつはただ無責任な優しさを向ける。俺がどんな気持ちで、腕を掴んだままでいるのかも知らずに。穏やかなその脈拍に苛立っているとも、知らずに。

静かに風が止む。ふわり、幕が下りて三橋の瞳が現れる。薄茶の目はただ純粋に俺への気遣いをたたえて澄んでいた。
澄んだ瞳に後ろめたさがつのる。その肌に触れているだけで跳ねる心臓を、俺は今も大事に抱えて。


「三橋」


腕を捕らえたままの手のひらが熱い。再び、既視感が脳裏を過る。このまま引き寄せて想いを告げたら、三橋はどんな顔をするのだろうかと思った。穏やかな脈拍は速度を変えるだろうか。
夢物語にも近い思考を繰り返し、結局は腕を放せないまま、自嘲気味に小さく笑う。俺は馬鹿だ。


「阿部、くん?」
「大丈夫だよ」


大丈夫だなんて、思ったこともない。いつも表面張力ギリギリでこぼれそうな何かを抱えてあがいていた。

風が軽やかにカーテンを膨らませていく。歪な笑顔を浮かべると、薄い布の向こうで安心したように三橋が笑う。俺は酷く泣きたかった。けれど、この想いは告げるべきじゃない。少なくとも今は、まだ。


夕陽が眩しい。何もかも、鮮やかな茜色に溶けてしまえと思った。
落下する陽に世界が染まる。





























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相変わらずじりじりした感じの、一方通行な阿部になりました…すみません!
素敵なリクエストありがとうございましたー!^^


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