イメージするのはそう、薄暗い部屋。絡まりあう黒いドレスと白いシャツ。

床を突き刺すピンヒール。しなやかに伸びる脚が艶めかしく誘う。白い肌に流れるサテン。細い腰を包む、みっしりとした男の腕。脈打つリズムに絡み合う脚先。

情感はたっぷりと。
ステップを踏んでは、囁くように愛を請う。


平淡に歌わせては台無しだ。指先に全神経を集中させる。一度薄く目を閉じて、上手く歌ってくれよ、とチェロに弓を走らせた。






「随分いい音が出るようになったね、花井」


西日の射す音楽室。
俺が一人で奏でるリベルタンゴを黙って最後まで聴いていた志賀先生が、そう言って満足そうに笑った。
判決を言い渡される罪人のように息を詰めていた俺は、ほう、と溜めていた息を吐き出す。やっと、肩から力が抜けた。


「ほんとっすか」
「本当本当。これなら年始のコンサートは大丈夫だろう」


志賀先生はもう一度にっこりと笑って、問題は誰とやるかだね、とさらりと続けた。三橋と二人でやろうと、すっかりその気で練習していた俺はわずかに首を傾げて相手を見る。影で「シガポ」と呼ばれる謎の多い音楽教員の表情からは生憎と何も読み取れない。


「誰とって、やっぱチェロとピアノ以外の楽器も加えたほうがいいですか?」
「そうだね。せっかくだからコントラバスとギター、出来ればヴァイオリンも。あと管楽器を入れようか。ピアノってことは、三橋と弾くつもりだったのかな、花井は?」
「そうっすけど」
「三橋は、この曲に合わないよ」
「え?この間弾いてもらったけど、十分上手いですよ」
「うん、知ってる。三橋は凄く上手い。でも、今回は合わない」
「…なんで、ですか?」
「色っぽさが足りない」


志賀先生は不気味なほど爽やかに笑って、すぱんとそう言い切った。











「『三橋がこれを弾くんならもっと色気を出せなくちゃ駄目だね』って、昨日言われた。色気って?どーやって出せばいいんだ?」
「知らねーよ」


話半分も聞いていなかっただろう阿部は全く他人事のような表情で、細かくペグを調節しながら放り投げるようにそう言った。まるで壁打ちをしているような気分だ。

珍しく真面目に相談しているというのに、チューニングを始めた阿部は既に別世界にいる。目線すら上げようとしない阿部を見つつ小さく溜め息を吐いた。その熱意を欠片でもいいからこちらに向けて欲しい。

相変わらずコントラバスを甲斐甲斐しく世話し続ける相手に痺れを切らし、俺はべたりと机に頬をくっつける。シガポはいつも肝心なところは言ってくれない。自分で考えろ、という指導方針なのだ。


「ちっとは何か考えてくれよ。阿部だって無関係じゃないだろ」
「なんで」
「シガポが『コントラバスは阿部に頼みなよ』っつってた。これ楽譜な」
「ああ、いーよ別に。でも三橋の色気までは面倒見れねぇな」


ようやく満足がいったらしく、最後にポロンと軽く弦を弾いてから阿部はやっとこっちを向いた。俺が差し出した楽譜に視線を落とし、紙面に印字された音符をなぞる。小さく「ふーん」とかなんとか呟きながら。


「エロ本でも見せてみりゃいいんじゃねーか?」


適当すぎる助言を残し、阿部は心底楽しそうにニヤリと笑った。相談相手を間違えたらしい、と思いつつ俺はまたひとつ溜め息を吐く。エロ本を捲る三橋を想像し、なんとなく後ろめたい気分になってしまって頭を抱えた。











「花井、くん?」
「えっ?あ、悪い!」


眉尻を下げた三橋に恐々と声を掛けられて、慌てて止まっていた弓を握り直す。

昼休みの阿部への相談は不発に終わり、結局、これという案も浮かばないまま放課後になってしまった。かといって、「色気が足りないらしいぜ」と本人に言えるわけもない。俺以上に悩んで、結果、落ち込むのは目に見えている。


「ちょっと俺チューニングし直すから、その間弾いててくれよ」
「うん、わかった」


チューニングし直すふりをしながら、何が悪いんだろーなぁ、とチェロを抱えて首をひねる。練習室に備え付けのピアノで三橋はリベルタンゴを弾いている。正確なリズムに、申し分ない音の強弱。

鍵盤を長い指が器用に跳ねる。薬指がポンと白鍵を弾き、メロディに合わせて時折、交差した指がしなやかに絡む。まるで踊るように。


「綺麗だな」


呟いた瞬間に、ぷつり、旋律が途切れた。
驚いたふうに目を丸めた三橋がじっと俺の目を覗き込む。澄んだ琥珀色に見つめられて、変に心臓が高鳴った。

エロ本。こんな時に阿部の馬鹿な助言が頭の隅をよぎって余計に落ち着かない。
思わず目をそらし、ゆっくりと楽器を床に預けた。

カタンとイスを引く音とともに、うつむいた俺の視界に三橋の爪先が現れる。


「……花井くん、俺の演奏、なにか悪いとこ、あった?」


途切れ途切れに、心底不安げな声で呟かれて「しまった」と思った。挙動不審すぎる俺の様子がいらぬ疑心を招いたらしい。
うつむいたまま、言い訳をひねり出そうと高速で頭を回転させる。三橋の指だとかエロ本発言に気を取られてました、なんて、口が裂けても言えない。


「俺、ごめ」
「いや、三橋が悪いんじゃねーんだよ!」


三橋が謝ろうとするもんだから、俺は焦ってぱっと顔を上げた。

俺のすぐ目の前に、三橋は所在なさそうな様子で立っていて。
窓から射す淡いオレンジ。それを背景に、甘い色の瞳が溶けるみたいに潤んで。

誤解させて悪かったなと思うより先に、手を伸ばして三橋の頭を引き寄せた。そのまま、潤んだ目尻に口付けを落とす。


「ピアノ弾いてる三橋の指が、綺麗だなって思ってただけなんだよ」


肌に触れたままの唇でそう囁くと、三橋はふるりと肩を震わせた。大丈夫、ウソは言ってない。
腰に手を回して抱き寄せながら、俺はリベルタンゴのメロディを思い出していた。絡み合う腕や脚のイメージ。戸惑うようにゆっくりと、三橋の腕も俺の背中に回される。


早まる自分の鼓動をどうしようもなく意識しながら、踊るようなメロディを思う。弾きながらイメージした艶めかしさや緊張感。それは、今の心境にとても似ている。


「な、三橋」
「なに?」


耳元で囁くと、くっついた胸から伝わる三橋の鼓動もとくとくと早まった。大丈夫、きっと上手くいくだろう。


「今みたいな気持ちで、もう一回弾いてみてくれよ」


こくりと頷いた三橋が奏でたリベルタンゴは、機械的な正確さを無くしてしっとりと、艶やかに夕方の空気に溶けた。























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思春期花井!
このシリーズはどうもシガポを書きたくなる。シガポが大好きだからです!


以前「リベルタンゴはどうですか」とアイデアくださったかた、ありがとうございました!ものすごく遅くなってしまってすみません!見てくださっていればいいな…と思いつつ!


10.0204

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