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昭和が終わる瞬間に私は死んでしまいたい。

常月まといは教卓の下でそう囁いて、ふんわりと幼い唇を綻ばせた。
実際には普段と変わらぬ敬語で言われたのだが、内容は随分と突飛なものであったので、大半が耳から滑り落ちて大意だけが彼の耳に残る。


「私と心中してはくれないんですか」
「先生は長生きしそうですから」


教卓の上で日誌を開いている糸色からその表情は伺えなかったが、彼女が笑んでいることは声音で分かった。
心外だと眉根を寄せながら彼は片隅の枠内に朱印を押す。
滞りなく本日の勤務も終了。
あとは神のみぞ知る、明日のこと。空の端では烏が鳴いている。


足の位置をずらして促すと、彼女は糸色の影にするりと滑り込んで来た。身体の片側に添う常月を歓迎するでも厭うでもなく、ごく自然に受け流して糸色は視線を落とす。狼狽するには慣れすぎてしまった、やわらかな体温。
彼女の可愛らしい桃色の着物生地は薄闇に染まり、口元は想像に違わない弧を描いていた。


昭和が終わる瞬間に死んでしまいたいんです。

常月の暗い唇がひらりと閃き、赤い舌を覗かせて謳う。心底楽しげで、滑らかに美しい声音だった。
再三度、雲間で烏が鳴いている。
早く帰らなくては、夜道を歩かせるのは可哀想だ。
薄らとそう考えながら糸色は踵を返し、彼女はまた影を踏んでその後を追う。教室の外は刃先のごとく鋭い宵の気配に満ちている。ひらり、常月が再び澄んだ声で謳いだす。


そうすれば先生にとっての昭和はきっと私の時代になります。同じ時代に生きる、なんて下らない繋がりは要りません。先生はただ傷を抱えて生きていけばいいんです。


二重の足音に彼女の声が降り掛かり、床上でゆるりと混ざって淡くなる。綺麗な墨割り模様が胸中にも広がった。


「自分の為に死んだ教え子のことなんて、決して忘れられないでしょう?」


くい、と糸色の袖に彼女の指が絡み付く。弱く、しかし受け流すには足りない強さで。
歩みを止めたら芯ごと絡め取られてしまいそうで、仕方なく「そうですね」と小さく呟いた。
常月の指先が未だに布地を捕らえているからか、酷く居心地の悪さを感じる。擽ったいような、真綿で首を絞められるような。中途半端に進路も退路も阻まれて、上手く身動きが取れない。

振り払えない脆弱さはやがて息の根を止めるだろう、と、そう思えた。
烏の声はもう聞こえない。





























(塩辛い血を舐めながら新しい時代を生きればいい)




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19巻表紙のまといちゃんが可愛かった記念。



091120


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