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停留所にバスが停まる。人を飲み込んで去って行く。足早に通り過ぎていく誰もが、重たげに傘を腕に提げている。
黒い制服の集団が騒めきながら横を過ぎて、再び停まったバスに飲み込まれて騒めきごと消えた。停留所の脇、校門にもたれたまま所在なく僕は立っている。本を開くでもなくぶらりと両手を下げたまま。
校舎を眺め、やはり戻ろうと決めて門から背中を引き剥がした。彼はきっとまだ教室に居る。
取り返しのつかないことをした。心中を象徴するようにたっぷりと水気を含んだ雲が夕空を黒々と覆っていた。





校舎の中も陰鬱に湿った空気で満ちている。歩く都度に上履きの裏が耳障りに擦れて鳴いた。
例えば笑っていた人が泣き出す時。例えば他人が友人に変わる時。それらの感情の機微の、変化の境目は果たして何処にあるのだろうか。例えば、好意が悪意に変わる時。そして、その逆。

ぐるりと思考を巡らすも答えは出ぬまま爪先は自らの教室の前で歩みを止める。
指先をドアに掛けてなるべく静かにと横に引いた。錆付いたレールが軋み、次第に開ける隙間からぼうと直立した担任の姿が見える。垣間見た瞬間にどうして戻ってきてしまったのだろうと思った。あれから一歩と動かぬまま彼は教卓に両手を着いていた。眼窩を虚空に彷徨わせて。


掛けようとした声は喉の奥で詰まる。窓外の空は暗い。さらり、流れた彼の長い前髪が頬を縁取る。どうして、僕は。
扉の桟を踏み、板張りの床を爪先が押す。微かに床が軋み、彼はするりと振り向いた。照明を点さぬ教室で眼鏡の硝子が僅かに煌めく。


距離を測るような沈黙。強さを増した雨風が窓を震わせ、這うように重たい雲が流れていく。


「久藤くん」


それだけ、ぽつりと呟いて彼は口をつぐんだ。薄暗がりに白い頬が映える。だらり下げられた彼の手には今だに縄が握られていた。


「貴方は、どうして」


雷鳴が轟く。彼の言葉が掻き消える。
どうして絞首を止めたのか。どうして縄を切ったのか。どうして。疑問符に続く言葉を幾つも幾つも推察する。どうして。

雷鳴が静まると同時に激しい雨音が耳を刺した。ざあざあと惜し気もなく雨は降る。天候の変化にはいつも兆しがあるように、感情の機微の変化にも恐らく兆しはあるものなのだ。一歩、僕は彼に近付く。再びぎしりと床が鳴く。


「どうして私に、キスしたんですか」


怯えるように彼は囁いた。強い雨音に掻き消えそうな声音で。
縄をきつく握る手をそっと取る。少しずつ柔らかに指を解けば、木の葉が落ちるような微かな音を残し縄は床へと落下する。


放課後、何気なく足を向けた教室で彼は首を吊ろうとしていた。いつものように本気か遊びか定かでは無い様子で。それに慌てたのが何故なのかは分からぬまま縄を切った。ふらりと傾いた彼の上体を支え、口付けた。


外はさながら嵐のような激しさで雨粒が窓をぱしりぱしりと叩いていく。
天候の変化がいつも兆しを持つように、この感情の変化にも兆しはあったのだと思う。厚い雨雲が空に刷かれるような兆しが。
どうして。いつから。沢山の疑問符を並べたいのは僕も同じだった。
縄を落とした彼の指に自分の指先を絡める。至近距離で合った瞳はどこまでも黒々と深く穴を穿っていた。


「好きだからです」


先生が。
胸中に渦巻く雨雲をそのままに告げると、彼は安堵とも悲哀ともつかない色を滲ませてくしゃりと顔を歪める。
泣くのだろうかとも思えた彼の眼孔から雨粒は零れず、代わりに黒々とした瞳がゆるり、僅かに緩んだ。変化の兆しを間近に感じ、胸に満ちる暗雲が流れていく。


激しく降り続く雨が止めば、そこには恐らく溶けるような陽射しが待っているのだ。




























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ぐるぐるする久藤…になっていれば嬉しいです…すみません!

千代さま、素敵なリクエストありがとうございました!


10.0223


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