盗まれたものは何だったのか

演奏会当日。
いつもと同じように朝練一番乗りの心はすぐにフリューゲルとトランペットを組み立てて基礎練を始めた。
2回同じメニューを吹き終えた心は、満足そうにひとつ頷いた。

「うん、いい調子。」

独り言をつぶやいた彼女に、呼び出しがかかる。

「心ー、最終確認するからアンサンブル室入ってー!」
「あ、うん、今行くー」

心はフリューゲルを持って音楽室を出た。


チューニングをして、全員で最終の合わせを行って。
指揮者の先生から激励の言葉を貰ったメンバーは、すぐに楽器の運搬へと移った。
会場は3駅向こうのホールなので、そこまでトラックで楽器を運ばなければならない。

打楽器やバス系の重い楽器を乗せて、バスは出発した。
心はいつものフリューゲルのケースを手に、今日は別にエナメルのケースを肩にかける。
電車に乗って、ドアのすぐ横に立ってポケットを探った。
この1カ月、彼女の背中を押し続けてくれたそれを見て、そっと微笑んだ。
笠松は来てくれるだろうか。
彼が来ると言ってくれたのだから、くるだろう。

そんなことを考えていると、横から手元を覗かれた。

「何?それ。」
「ピッチパイプっていうんだって。チューナーみたいなもんだって。」
「ふうん…笛?」
「うん。」
「…なんで管楽器のあんたがそれを持ってんの?」

ピッチパイプを吹いていては楽器が吹けない。
あまりにもミスマッチなそれに首を傾げられた。

「借り物なの。」
「へぇ…」

かして、と手を出されたのでそっとそれを手渡す。
ふうん、ともらしながらそれをくるりとひっくり返した彼女は、少しだけ目を丸めて、
今度は面白い事を発見したとばかりににんまりと笑った。

「ははぁん…」
「え、何。」
「あんたが急にソロ吹きたいとかトランペットへ戻りたいとか言いだすから何かと思ってたけど、なるほど笠松のせいだったわけね。」
「は?!」

急にパイプの持ち主を当てられて、当惑する心。

「な、なんで急に笠松くん、」
「いやぁ、春だねぇ、青いねぇ。」
「ちょ、のんちゃん…」
「でも、心の彼氏候補が笠松かぁ。…ま、及第点かなぁ。」
「や、やめてよ〜…」

にまにまが止まらない彼女に、心はただただ翻弄され続けた。
何度止めようとしてもただ楽しそうにするだけなので、仕方なく弁解はやめて
そっと目を流れる景色へと移した。

△▼△▼△▼△▼△▼

練習が終わってすぐに帰る用意を始めた笠松に、黄瀬は目ざとく気が付いた。

「笠松センパイ、もう帰るんスか?」
「なんだ、今日は残って行かないのか?」
「…今日は用事がある。」

そそくさと出て行こうとするのを、入り口を森山が塞いで止めた。

「デートか?」
「は…?」
「お前がバスケよりも優先するものといったら、それくらいしか思い浮かばん!」

なんという言い草だ。
笠松は呆れたように顔を歪めたが、そこで良くも悪くも小堀のアシストが入ってしまった。

「定期演奏会なんだよな、今日。」
「あ、あぁ…」
「演奏会?」
「吹奏楽部の。夜の部へ行くんだろ?」
「吹奏楽部…葛葉さんか!!」

一人で行かせてたまるか、とごね始めた森山を筆頭に芋づる式にどんどんと話が広がっていく。
最終的に、レギュラーメンバーで出ることになって、笠松は盛大に溜息をついた。
仕方ないか、と気持ちを切り替えて腕時計を確認したところで、ようやく時間が迫っていることに気が付いた。

「やべ、急ぐぞ!」
「おう!」

ばたばたと学校を出て、丁度最寄り駅に来ていた電車に滑り込むように乗った。
再度時間を確認して、浅く息をつく。
どうやらぎりぎり間に合いそうだ。

ホールへつくと、入り口でパンフレットを受け取ってから客席の一番後ろの席へ座る。
すぐに開演のブザーが鳴り、客席の照明が落とされた。

ライトアップされた檀上に、楽器を持ったメンバーたちが上がってきた。
それぞれ用意された椅子に座り、ピストンやキーの様子を確認している。

ややあってから指揮者が袖から登場して、うやうやしく客席へ向けて一礼した。
拍手が起こり、彼は指揮台へ上ってタクトを取った。
確認するようにぐるりと舞台の上を見渡してひとつ頷いた後、すっと構える。
きれいにそろえられたように構えられる楽器たち。
4拍の空振りのあと聞こえて来たのは、直管楽器のファンファーレだった。

△▼△▼△▼△▼△▼

1部は、クラシックばかりが続いた。
練習が激しく、疲れ切っていた黄瀬や早川には完全に子守唄でしかなかったようで
ぐっすりと眠りについていた。
それはそれは幸せそうに。

2部は、劇調の構成になっていた。
色々な時間や場所を行き来しながら現代へ戻ってくる、という内容のそれは
数人が楽器から離れて演者の方へ回っている。
間で演奏されるのは、ハリウッドや邦画の中で使われたメジャーなBGMやテーマ曲。
1部をまるごと寝て過ごした2人は、やっと知っている曲が流れてきて楽しそうにしていた。
心は、一番上の雛壇向かって右端で、フリューゲルを吹き続けた。

3部は、全体的にノリのいいアップテンポな曲で構成されていた。
J-popも多く、2時間物のアニメシリーズのメドレーも入っていた。
どれもよく知られている曲だからこそ、気は抜けないだろう。

最後の曲が終わった時、彼女は少しだけ微笑んだ。
指揮者が下から掬い上げるように腕を動かすと、そろえたように全員が立ち上がる。
彼女は、何故か緊張した面持ちでフリューゲルを抱いていた。

不思議に思いながらも、他の観客と同様に拍手を向ける。
止まない拍手に、一度はけた指揮者が戻ってきて深く礼をし、台へ上がった指揮者が座るよう促した。

雛壇の一番上のトロンボーンとトランペットのメンバーは、椅子と譜面台をはけて水抜きをした。

スネアドラムのディムショットが鳴り響き、曲がスタートする。
誰もが一度は聞いたことがあるであろうその曲に、わあ、と観客席が湧く。

パフォーマンスも含まれたそれは、視覚的にもとても楽しめた。
吹いているメンバーもそれぞれで目を合わせたりと、とても自由だった。
それでも音や拍子がずれることはないのだから、すごいと思う。
途中から手拍子まで入って、盛り上がりは最高潮だった。

メロディーラインが切れたところで、クラリネットの1人が立ち上がる。
抑えたドラムの上で鳴るそれは、連符の続くソロだった。
一通り吹き終えると、ゆっくりと一礼して席へ座る。
観客席からは大きな拍手。

荒々しいトランペットとトロンボーンの音が続き、
それをホルンやユーフォニウム、バス楽器がが支える。

と、途中で心が楽器から口を離した。
まだ他のトランペットメンバーは吹いているのに、だ。
そして、フリューゲルを置いたかと思うと、足元に置いてあった楽器と場所を入れ替えた。
その足で雛壇を降りて舞台の一番前へやって来た彼女は、すこし目を閉じて胸ポケットのあたりに手を当てた。

笠松が唖然として彼女を見ていると、ちょうど目があったような気がした。
心は、ふ、と少し微笑むと表情を引き締めて煽るように楽器を構えた。

今まであの密会のように会っていた場所で聞いていたのとは、似ても似つかない音。
柔らかい、全体を包み込むような音ではない。
突き刺さるような、恐ろしいほどの存在感を放つ音。
あれだけ避けていたソロで、しかも先ほどのクラリネットより連符が長く、早い。
スイングまできっちりこなして、それでも観客に不安を与えない、絶対的な安心感。
最後の一番高い音を吹ききって、引きはがすように楽器を下ろした彼女は
少し汗をにじませながらも、深く一礼を残して雛壇へ戻って行った。

心のソロは、その日一番の喝采を浴びた。

△▼△▼△▼△▼△▼

演奏を終えて誰もいなくなった舞台を、笠松はぼんやりと見ていた。
鳥肌が戻らない。
心のソロが、こんなにも響くものだったなんて。

「笠松、行くぞ。」

森山の声に、やっと腰を上げた笠松はエントランスでトランペットを抱いた彼女を見つけた。
出ていく観客たちに笑顔で礼を述べる彼女たち。
知り合いがいるのだろう、手を振ったりして少し談笑していたりする姿も見受けられる。
思わず足を止めた笠松に先に気が付いたのは、心の隣にいるパートリーダーだった。
横から肩を叩かれて笠松の存在に気付き、小さく笑顔を向ける。
そこを動く気がない彼女を、焦れたように横からせっつく。
背中を押され、邪魔だとでもいうように追い払われるようにして心は笠松たちのもとへやってきた。

「来てくれたんだね、ありがとう。」
「あ、あぁ…」
「ほら、笠松。」

小堀にこちらも背を押され、少し言いよどんでから言葉を出す。
他のバスケ部の面々は、気をつかって先に会場の外へ出て行った。

「ソロ、すげぇよかった。」
「本当?ありがとう。」
「その、鳥肌立ったっつうか…意識全部持ってかれた。」

いい言葉が浮かばないままに、思ったことをそのままストレートに伝える彼に、心は至極幸せそうな顔をした。
笠松の言葉は、プレイヤーにとってとても嬉しいものだったからだ。

「お前のトランペットの音、初めて聞いた。」
「そだね、今年は初めてこれで舞台乗ったから。」
「突き刺さるみたいで、かっこよかった。一番後ろの席だったけど、よく通る音で、ホール全体に反響して。」
「ふふ、褒めすぎだよ。」

くすぐったそうに首を竦める彼女は、あぁ、と思い出したように胸ポケットを探った。

「これ。」
「あ、」

差し出したのは、いつぞやに貸したピッチパイプ。
あの時触っていたのはこれだったのか、とつい先ほどの事を思い出す。

「たくさん背中を押してもらった。本当に、ありがとう。」
「いや…」

それを受け取って、そっと握る。
彼女の力になったのなら、よかった。
笠松は純粋にそう思った。

「ね、まだ時間少しだけ大丈夫?」
「え、ああ。」

ちらりと仲間たちの方を二人で見る。
双方少しあきれた表情で、ひらひらと手を振っている。
心は小さく謝る仕草をしながら笠松についてくるように言った。

少し歩いた先にあったのは、どうやら控室のようだ。
他のメンバーは皆エントランスにいるため、中には人はいなかった。

「すわって。」

椅子へ笠松を促して、自分も隣へ少し間をあけて座った。
彼女なりの、笠松への配慮だ。

「それって、一応まだ鳴るんだよね?」
「あ、あぁ。」
「B♭って鳴る?」

今度は彼女はフリューゲルへ持ち変えて、楽器を構えた。
笠松は言われた通り音を鳴らすと、少しそれを聞いてから追うように同じ音が柔らかく鳴り響く。
少し管をいじってから、ありがとう、と声をかける。

「前に笠松くんが弾いてくれた曲あったじゃない?練習曲にしてたって言ってたやつ。」
「あぁ。」
「あれ、私が一番最初にフリューゲルを吹いたときに貰った楽譜でもあるの。」

笠松が驚いて目を見開いた。
やけに慣れたように音を追うとは思っていたが、まさか同じ楽譜を持っていたとは思わなかった。

「一番へたくそだった私が吹いた曲。今ならきっと、もっと満足のいく吹き方ができる。」

そっと構えた彼女に、笠松はかかとをリズムをとるように4回鳴らした。
のびやかに続くその曲は、初心者用ということもあって、ゆったりとしたテンポで進む。
包み込むような音色のそれを吹くのが、先ほどのソロを吹いていたのと同じ人間だとは到底思えないほどの優しい音。

しっかり楽譜を吹ききって、楽器を離した彼女はゆっくりと深呼吸をして。
それから、決意したように口を開いた。

「笠松くんがすきだよ。」

隣で目を瞑って聞いていた笠松は、ゆっくりと彼女の方を見る。
照れる様子もなく、ただただ笑顔で心はフリューゲルを撫でていた。

「あの日、隣でギターを弾いてくれた笠松くんを好きになって、この間覗きに行った体育館で、二度目の恋をした。今日のソロを決めたのだって、笠松くんがいてくれたから。」
「…」
「ソロが満足のいく出来に仕上がって、帰りに会えたら言おうと思ってたの。」

それ以上は何も言うつもりはないのか、心はそっと目を閉じた。
彼女の様子をみて、今度は笠松が口を開いた。

「…俺は、ボールが転がって行った日に、多分、お前に恋をした。」
「え、?」
「柔らかい音を好きになって、お前の人となりに恋をして、小堀と親しそうにしているのに嫉妬したりも、した。と思う。」

少し歯切れの悪い言葉だが、それが笠松の気持ちなのだと思うと途中で話を折ることはできなかった。

「楽器が吹けないと怯えるお前を、その、かわいいと思ったり、助けてやりたいってそう思ったりもした。」
「笠松くん…」
「何よりも、今日のお前の決意のこもったソロに、惚れ直した。」

目を見開いた心に、笠松が苦笑いを返す。

「言っただろ、「全部持っていかれた」って。」

まさかあの時の言葉にそんな意味が込められているとは思ってもみなかった心は、
ただただ唖然としていた。

「最後くらいは、俺から言わなきゃな。」
「え?」

もう随分と恥ずかしい事を言った笠松は、どうにでもなれとばかりに彼女の肩を抱き込んだ。
少し離れた場所に会った椅子はがたりと蹴られて、派手な音をたててその場に倒れた。

「好きだ。俺と、付き合ってほしい。」

率直で飾りっ気のない言葉は、至極笠松らしくて。
心はじんわりと涙の滲んだ目で柔らかく微笑んだ。

△▼△▼△▼△▼△▼

「…で?」
「で、って…それだけだよ。」

あまりにもしつこく聞かれるから答えたのに、目の前でストローをかじる森山は酷く不機嫌そうだ。

「は?!キスのひとつもなかったのかよ!?そのシチュエーションで!?」
「ば、バカ声がでけぇ!」
「何女子みたいな事言ってんだ!」

完全にお説教モードに入ってしまった森山に、笠松はこまったように頬杖をついた。
ぎゃいぎゃいとそこはこうするべきだっただろ、と模範解答を語る彼の言葉を
最初こそ黙って聞いていたが、横から滑り込んできた別の音に、笠松の意識は逸れた。

「(心だ…)」

昼練も欠かさず続けている彼女は、昼休みの真ん中あたりになるとちょうど笠松たちのいる教室棟のすぐ傍で基礎練を始める。
ゆったりと響くフリューゲルの音に3階の教室から耳を傾けるのが日課になっていた。

毎日昼休みが残り10分になると、心は仕上げに必ずあの練習曲を吹いて、昼練を終える。
心を癒してくれるその音は、自分を好きだと言っているように聞こえて。

「(俺もだ。)」

心の中で小さく返しながら、口元に小さく笑みを浮かべた。

―――fin.


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