旧友との話

いつもと同じ場所に隠れるように座って、今しがた貰ったばかりの楽譜を見ていた。
足元の楽器スタンドには、相棒ともう1つ長らく吹いていなかったトランペットが並んでいた。
先ほどの心の発言に、他のメンバーはきょとん顔だったが
リーダーは笑って何の迷いもなく私に1stの楽譜を譲ってくれた。

吹くのは、比較的ポピュラーな「sing sing sing」
ジャズなので楽譜もざっくりしたものだが、だからこそ意味がある。
トランペットにソロが回ってくるそれは、自分にとって一世一代の賭けのようなものだった。
クラシックやJ-POPのように元々のテンポやメロディが決まっているものよりも、
ジャズのソロは難易度が高い。
向き不向きもあるが、スイングが入る独特の雰囲気を自分で作り出さなければならない。
楽譜通りのジャズほど、味気なくつまらないものはない。

譜面立てに楽譜を置いて鉛筆を取る。
少し吹いては楽譜を書き換えていく。
ソロの所を納得がいくメロディーに書き換え終わった時には、あたりは真っ暗になっていた。
頭上で光る照明がついたり消えたりすることでやっと顔をあげた心は譜面をファイルに仕舞った。
フリューゲルを持って立ち上がると、ちょうどバスケ部の面々が通った。

「よお。」
「お疲れ、笠松くん。」

笠松だけが近寄ってくる。
他のメンバーは彼を待っているらしく、少し離れた所で談笑している。

「また遅くまで練習してんだな。」
「気が付いたらこの時間だよ。」
「気をつけろよ。」
「大丈夫だよ。」

にこりと笑う心に、笠松も仕方なさそうに笑った。

「…あのさ、笠松くん。」
「ん?」
「来月の9日って、何か用あるかな。土曜日なんだけど…」
「9日?…多分、いつもと同じように部活に来てると思うけど。」

頭を傾げた笠松に、心はファイルから1枚の紙を取り出して渡した。

「うちの定期演奏会があるの。昼と夜2公演だから、もし、時間があれば。」
「…お前も出るのか。」
「勿論。」

心はそっと足元のトランペットを隠す。
今知られるわけにはいかなかった。
それには笠松は気付かなかったようで、とても丁寧にチラシを折りたたんで小さく笑った。

「必ず行く。」
「ありがとう。」
「頑張れよ。」
「うん。」

そこで痺れを切らした黄瀬が笠松を呼ぶ声がした。
途端に笑顔を隠して顔をしかめる彼に、心は笑った。

「ごめん、引き留めちゃったね。」
「いや。じゃあ、俺行くな。あいつらがうるせぇし。」
「うん、また明日ね。」
「ああ。」

去っていく背中を見送って、きっちり見えなくなってからトランペットを手に
音楽室への道を戻り始めた。

△▼△▼△▼△▼△▼

Kasamatsu side-

「センパイ遅いッスよぉ」
「うるせぇ。」
「酷ッ!!」

ぎゃんぎゃん喚く黄瀬をいつものように軽くあしらってから、また6人で歩き出す。

「最近よく一緒にいるよな、笠松と葛葉さん。」
「そうか…?」
「前から考えたら大成長だよなぁ。女子との会話はできるだけ避けて通ってきたのに。」

森山の言う通りだが、なんとなくここで頷くのも癪なので無言を返しておく。
あ!と何かを思い出したように黄瀬が話し出す。

「そいえば、今日あの人体育館来てたッスよ。」
「は?!」
「ほら、小堀センパイの携帯届けに来た時ッス。」
「あ、礼言うの忘れた。」

うっかり、と頭をかく小堀に森山が明日でいいだろと返しているが、そんなことはどうでもいい。

「あいつ、来てたのか」
「バッチリ笠松センパイの事も紹介しといたッス!」

シャラい黄瀬の笑顔に、思わず右手が拳を作る。
いらんことをしやがって。

「ほら、今日ゲームやったじゃないッスか。その時にきてて、丁度笠松センパイがシュート決めるの見てましたよ!」

話を聞きながら、今日の練習を振り返る。
ゲーム、ということは2戦目の事をいっているのだろう。
全3戦したが、1戦目は黄瀬も一緒に出ていたし、3戦目は俺が出ていない。
今日はPGとしての仕事に徹していたため、シュートを打った数は少ない。
幸か不幸か、今日は一度も外していないがどれも納得のいくものではなかったように思う。
いつもなら、もっと格好良く決めることだって、そう考えた自分に驚いた。

「葛葉さん、吃驚してましたよ!「笠松くん、かっこいい」って!」

黄瀬の言葉に、俺は更に驚いた。

△▼△▼△▼△▼△▼

She side-

基礎練をいつもの場所でこなしていた時。
メトロノームのねじが切れたため巻きに行こうと腰をあげると、
横から私じゃない手がそれを巻いてくれた。

「のんちゃん。」
「ちょっとだけ、いい?」
「うん、珍しいね、いつもは屋上が好きだからって降りてこないのに。」

若干鬱蒼とした影になるここがお気に入りの私とは反対に、
のんちゃんは屋上から何も邪魔するものがない空を見上げてのびやかに音を響かせるのが好きなのであまり個人練で一緒になることはない。
横へずれて花壇を少し開けると、のんちゃんは笑顔でそこへ座った。

「どうしたの?」
「心、次ソロ吹くでしょ?」
「え、うん…」

首を傾げると、のんちゃんは苦笑いを向けた。

「ずっと、うやむやにしてきたけど…きちんとけじめつけておかないとと思って。」
「けじめ?」
「昨年の、冬のこと。」

これは、昨年のアンサンブルコンクールの時の事を言っているのだろう。
フリューゲルをそっと抱きなおして、のんちゃんの次の言葉を待った。

「あの時の私、どうかしてた。」
「え、」
「ずっと、謝らないとって、思ってたの。」
「のんちゃん…」
「心は、自分が退くことで全ての責任を負ったけど…その理由を作ったのは、私だったから。」

今でこそこうやって仲良くやっているけれど、昨年私へ不満の言葉を向けたのは
他でもない彼女だ。
確かに悲しかったしショックも大きかったけど、でも彼女のいう事も間違いないと思った自分がいたから。
だから、別にのんちゃんの事を嫌いになるとかそういう事はなかった。
私が自分の後釜に彼女を選んだのも、別にあてつけとかじゃなくて、純粋に他のメンバーのなかからリーダーを選べと言われて
自分が着いていこうと思える人で一番に出て来たのが、彼女だっただけだ。

「準備室の前で心が聞いてるの知ってたの。」
「…」
「あの時の私は、やけに自信家で、いままでずっとトップを任されてきたそこを心に取られて少なからずイライラしてた。アンサンブルでソロを吹くのは、私の目標でもあったから。」
「のんちゃん…」

手に持ったままだったメトロノームを、ゆっくりと鳴らす。

「正直、メロディを外した心を、いい気味だって、思った。自分なら絶対うまくできたのにって、「たられば」の自信をひけらかしてた。」
「…うん。」
「リーダーだって自分の方がうまくやれるって思ってたから、心が降りて、次が私に決まった時はやっとかって思った。」
「…」
「でも、違ったの。」
「?」

首を傾げると、のんちゃんは泣きそうな顔をむけて笑った。

「トランペットのリーダーは、やっぱり心じゃなきゃダメだった。」
「え、」
「ソロも、心だから選ばれた。今なら、それもよくわかるの。」

一体どうしたのかと目を見開いたままのんちゃんの話を聞く。

「この間のソロも、私のただの自己満足だった。これで成功して、やっぱりリーダーは心じゃなきゃいけないって、なるはずだったのに」
「ごめんね、失敗して。」
「本当だよ…」

私が笑っているのを見て少し安心したようにのんちゃんが笑った。

「今度のソロは、絶対失敗しない…ううん、大成功をおさめてみせる。」

珍しく自信に満ち溢れる私に、今度はのんちゃんが驚いた顔をした。

「でも、次成功したとしても、リーダーはのんちゃんだよ。」
「え、」
「私、のんちゃんの音大好きなの。ここにいるのも、別に気まずいから屋上を出て来たってわけじゃない。」

私は、空を仰いだ。
背中にそびえる大きな木が影をつくる向こう側に、教室棟の屋上が見える。

「のんちゃん、いつも屋上の端っこで吹いてるでしょ。」
「うん…」
「ここにいると、すっごくよく聞こえるの。自信に満ち溢れた音に勇気をもらって、私もフリューゲルを吹いてた。」

にっと笑って、足元に立てかけたトランペットと手の中のフリューゲルを入れ替える。

「私の目標は、のんちゃんだよ。のびやかで、自信をそのまま音にしたみたいな。」
「なんか、バカにされてる気がする…」
「そんなことないよ。…でも、今回は私も負けないよ。」

元々ジャズが好きでトランペットを吹き始めた気がある私の音は、突き刺さるような抜ける音が特徴的だ。
だからこそ、やわらかい包み込むような音がするフリューゲルに惹かれたという事もある。

「今回は、心の独壇場になるかもね。」
「はは、ハードルあげないでよ。」

のんちゃんは、いつもと同じ笑顔で笑ってくれた。


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