触発された勇気

次の日。
誰よりも早く朝練へ到着した心は、逸る気持ちを抑えながらフリューゲルを用意していた。
メトロノームと楽器、それに笠松から借りたピッチパイプだけを持って、いつもの場所へ向かう。

基礎練を朝のうちに終わらせて、午後からは曲の練習に入りたい。
今日は、1か月後の定期演奏会の新譜が配られるはずだ。
選曲は、3年生の特権として知っていた。
いつもは迷いなくフリューゲルの楽譜を探す彼女だが、今回は心に決めていることがあった。

1つは、トランペットへ戻ること。
勿論、1本しかないフリューゲルが抜けるのは曲によっては大きな痛手になるのは分かっている。
心も、何もすべての曲トランペットを吹く気はない。
1曲だけ、トランペットへ戻れればそれでいいのだ。
笠松との約束、もう一度初心に戻って頑張ってみると頷いた自分には、その責務がある。

2つ目は――、

「おはよう。」

びくり。

ちょうど音が切れた時、急に頭上から聞こえた声に顔をあげる。
特別棟の2階から、件の彼が顔をのぞかせていた。

「か、笠松くん…おはよう、早いね。」
「俺より早いお前に言われてもな。」
「何で、特別棟に…?」
「日直で授業の用意。朝練の後だと、忘れてるかもしれねぇから。」

しっかり者の彼に限ってそんなことは、と思ったが、念には念を入れているのだろう。

「今から朝練?」
「ああ。」

くあ、とあくびをする笠松に、心は小さく笑った。

「頑張ってね。」
「ああ。」

小さく手を振って窓際を離れた笠松は、すぐに見えなくなった。
交わした言葉は少なかったが、それでも心のやる気を押し上げるには十分だった。

△▼△▼△▼△▼△▼

「あれ、?」

忘れ物をしたことに気が付いた心は、放課後の教室へ歩いていた。
自分の机を探って忘れ物を取って、来た道を戻ろうと足をドアの方へ向けた時。
机の上に無造作に置かれたそれに気が付いた。

バスケットボールのモチーフの青いストラップがついた携帯。
机の持ち主は、もう鞄がないことから当たり前だが部活へ向かったのだろう。
このまま放置してもいいが、流石に彼女の良心が痛んだ。

彼なら、有難迷惑だと顔をしかめたりすることもないだろう。
また、困った顔で笑いながら礼を述べて受け取ってくれるはずだ。

携帯を手に、目的地を音楽室から体育館へ変更した。



そっと体育館を覗く。
前に友達が同じように自分の忘れ物を届けてくれた時、音楽室に入りにくかったと愚痴っていたのを思い出した。
確かに、入りにくい。

困ったなぁ、彼がいるのは見えているのに。

スキール音と怒鳴り声に似た指示が飛ぶ体育館は、彼女の人生でも上位を占めるほどに居辛かった。

ここへ置いていってもいいかな、ああでもそれだと持ってきた意味が…

悶々と考えていると、後ろから声をかけられた。

「うちに、何か用ッスか?」
「!」

ぱっと振り返ると、自分よりもずっと大きな後輩がこっちを見下ろしていた。
モデルなんだと友人が言っていたのを思い出す。
なるほど、確かに整っている。
きょとん、とした顔で首を傾げた黄瀬に、慌てて自分の要件を伝える。

「えと、小堀くんに、用があって、」
「小堀センパイ?」
「あ、よければこれ渡しといてくれないかな。教室に忘れてたよって。」

そっと携帯を差し出すと、黄瀬は納得したようにそれを受け取った。

「分かったッス。名前、聞いてもいいっスか?」
「葛葉です。じゃあ、よろしくね。」

やっと用事が済んだと、また足を音楽室へ向けた時。
がしりと腕を掴まれた。

「え、」
「葛葉さん…?」
「あ、はい、え?」
「葛葉さんって、「あの」?」

あの、とは何なのか。
今度は彼女が首を傾げる番だった。

「ええと、何だっけ、吹奏楽で、」
「…フリューゲル?」
「そう!それを吹いてる女の子!」

確かにフリューゲルは1本だけだし自分で間違いないのだろうが、そんなに噂になるような事はあっただろうか?
彼女は更に首を傾げた。

「聞きましたよ!笠松センパイが、部員以外で唯一話のできる女子!」
「え、」
「わざわざ昨日も自主練切り上げてギターと一緒に出ていくから何かと思ったら、あんたの所へ行ってたんスね!」
「え、えぇ…」

少し押され気味に返事をする。
どうしようかと思案していると、掴まれた腕を引かれた。

「折角なんだし、バスケやってる笠松センパイ見て行ったらどうっスか?」
「え!?」
「あ、でも、先輩がきてること知ったら笠松センパイ多分がちがちになるな…」

黄瀬に呼ばれて、仕方なく心は先ほどと同じように体育館の中をそっと覗いた。
自分の上から黄瀬も同じように顔を覗かせる。

コートの中を駆ける10人の中に、彼はいた。

一人だけ足にサポーターをつけた彼は、目で追いやすかった。
前線へ出る、というよりはコートの中ほどから指示を出すことの方が多いようだ。
へえ、と思わず見ていると、ちょうど彼にボールが回ってきた。
ゴール下へパスを回そうにも、他のメンバーにはマークがきっちりついている。

「ほら、打つッスよ!」

ドリブルをやめて、彼は軽やかに地面を蹴った。
跳んだ分あがった打点から、シュートが打たれる。
それは、入ることが当たり前だというようにゴールへおさまった。

すごい

思わず口をついて出た言葉だったが、彼は何ともなさそうな表情で試合を続けていた。

「ね、ね?!すごいでしょ!?」
「うん…」
「うちの主将はすごい人なんスよ!」

にこにこと笑顔を向ける黄瀬の頭には、犬の耳が見えた。
身内を褒められて、とても嬉しそうだ。
後輩にも、とても懐かれているんだなぁと漠然と思った心は、2つ目の決意を更に固めた。

「ありがとう、黄瀬くん。」
「え?」
「私も、頑張る。」
「え、は、はぁ」

訳が分からないといったように生返事を返す彼に、心は笑顔を向けた。

「携帯、よろしくね。」
「はい、」
「それじゃあ、お邪魔しました。」

ぱたぱた

音をたてて足は音楽室へ向かう。
一秒でも早く、楽器を吹きたかった。

△▼△▼△▼△▼△▼

「おーそーいー!」
「ごめん。」

音楽室へ着くと、パートリーダーである彼女が仁王立ちして心を待っていた。
苦笑いでこっちを見ている後輩たちに謝罪をいれながら、トランペットパートの輪の中へ入る。

人数の多い吹奏楽の中でも際立って本数の多いトランペットパートは、
いつもパート決めは自己申請で行う。
何番が吹きたい、と手を上げて、被りがなければそのまま決定。
あまりにも被るようなら、オーディション制となっている。

「それじゃあ、楽譜決めてくね。」

リーダーが希望を取ると、各々自分が得意とするパートに手を上げていく。
心はいつもはそれをただ眺めて、最後に毎回残るフリューゲルの楽譜を手に練習へ戻るのだが、今回は違った。

「じゃあ、アンコールね。1st−「のんちゃん。」え?」

初めて声をあげた心に、リーダーは勿論、他のメンバーも目を丸くした。

「それ、私に1stのトップ、譲ってくれないかな。勿論、トランペットの。」


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