中庭を支配する柔い音

俺と彼女の出会いは、本当に偶然だった。

急に練習が休みになった日、俺たち3人は少し体を動かして帰ろうと
ボールを持って簡易ゴールのあるグラウンドの方へ向かっていた。
ふざけてパスを回しながら歩いていると、高くあがりすぎたパスを取り損ね
ボールはてんてんとバウンドしながら中庭の方へ転がっていった。

「あ、わり」
「いい、取ってくるわ。」

追いかけようとした森山を手で制し、それを追いかける。
思いのほか長い距離を転がって行ったそれをやっとこさ拾い上げ、戻ろうと踵を返した時だった。
中庭の奥の方、高い木々が茂る植え込みの向こうから柔らかい音が響いた。

齧る程度ではあるが自分も音楽が好きだったため、何が鳴っているのか気になって足をそちらへ向けた。
ビリビリと金属が震える音が微かにする。
金管楽器のようだ。
トロンボーンか、ホルンか。
それにしては音域が少し高い気がするが。

「(トランペット、か?)」

トランペットには少し低い、中途半端な音域を奏でるその楽器を一目見ようと一番高く立派な木の後ろを覗き込むと、思っていたよりもすぐ近くに音源はいた。
俺の足音に気付いて振り返った彼女は、ひどく驚いた表情で楽器から口を離した。

やけにビリビリと響いていたのは、どうやらミュートが入っていたかららしい。
右手にちょうど抜かれたそれが握られていた。

いや、そんなことは正直どうでもよかった。
意識を楽器の方へもっていかれていた俺は、完全にその持ち主の事を失念していた。
楽器が鳴るという事は、演奏者がいるということで。
うちの吹奏楽部は、殆どが女子で構成されているわけで。
至近距離で合ってしまった目線を、俺たちはそれぞれはがすことができないまま
同じように目を見開いて固まった。

「……え、?」

ややあって発した声は彼女のもので。
驚くのも無理はない。
ここは特別棟のすぐそばで、授業も終わったこの時間にここを通る奴は殆どいないからだ。
ころり、と鈴をころがしたような高めの女子らしい声に、俺はやっと正気を取り戻した。
バッと効果音が付きそうな勢いで5歩ほどとりあえず距離を取る。

「え、あ…」
「か、さまつくん…?」

相手は、どうやら俺を知っているようだ。
だが、生憎俺は女子の知り合いは片手で足りる程度しかいないし、その中に彼女は含まれなかった。

ボールを体の前で抱き込んで、できるだけ彼女と距離をはかろうとしたとき。
戻ってこない俺を追って小堀と森山が後ろからやってきた。

「おい、何してんだよ笠松ー」
「ボール、見つからなかったのか?」

二人は俺の目線の先に同じように彼女を見つけるとそれぞれ反応を返した。

「あれ、葛葉さん。」
「あ、こんにちは、小堀くん…」

にこり、と人当りのいい笑顔で挨拶を交わす小堀と彼女。
なんだ、知り合いかと思った瞬間。
俺の横を森山がすり抜けて、次の瞬間には植え込みに座る彼女の前に立膝をついて手を差し出していた。

「美しいお嬢さん、運命って信じますか。」
「え、」
「ここで俺たちが出会ったのも、運命だと思うんだ。これから俺とお茶でもどうかな。」
「い、いえ…練習があります、から…」

しどろもどろに言いながら、庇うように銀色に光る楽器を抱きしめる。
動かない俺の代わりに、小堀が森山を回収した。

「ごめんな、葛葉さん。」
「ううん、大丈夫。」

ほ、と小さく息を吐き出した彼女は腕の力を抜いた。
鳴れた手つきでピストンに指をかけるように持ち直した。

「トランペット?」

小堀が首を傾げると、彼女は苦笑いを返した。

「似てるけどね。違う楽器だよ。」
「そうなのか?」
「よく言われるんだけどね。これはフリューゲルだよ。」

カチャカチャとピストンを滑らかに行き来する指は、彼女がそれを長い間愛用し、大切にしていることを知らせた。

「トランペットとかコルネットよりも音域が低いんだ。中音楽器だよ。」

説明してくれるが、中音、というのがどこまでを表すのかもイマイチ分からない俺には
コルネット、という別の何かの存在を拾うことしかできなかった。
コルネットって何だ。

「これのほうが柔らかい音がするんだ。メロディラインが回ってくる回数はトランペットよりも少ないけど、その分和音は得意だよ。」

ふわり、と笑う彼女が纏う雰囲気は、先ほどまで鳴っていたそれの音とよく似ていた。

「音、聞きたいな。」
「え、」

小堀の言葉に、急に彼女の表情に緊張が走る。

「だめかな。」
「え、と…」

小堀はこう見えて頑固だ。
一度言い始めたら、曲げない。
今回も引く気はないようで、少し首を傾げたまま彼女の言葉を待っている。
明らかに困っているのを見て、仕方なく助け舟を出すことにした。

「やめろ、小堀。森山も、行くぞ。」
「え、おい笠松」
「いでででで引っ張るなよ!」

向けた背中に、小さく「ありがとう」と聞こえた気がした。

△▼△▼△▼△▼△▼

それからというもの、なんとなく彼女が目につくようになった。
今まではできるだけ女子から目を背けてきたが、見ようと思えば思いのほかすぐ傍にいた。
3年生の吹奏楽部で、小堀と同じクラスだった。
部では唯一、フリューゲルを担当しているらしい。
クラシックはあまり得意ではないが、管楽器の音も悪くないなと思うようになった。

小堀に用事があってクラスへ行った時、ちょうどクラスの真ん中あたりに彼女は座っていた。
よく一緒にいる女子は、同じ吹奏楽部のトランペット奏者らしい。
いつも楽しそうに楽譜を持って話をしている。

が、今日はどうやら少しもめているらしい。
小堀の席が比較的近いのもあって、話が聞こえてくる。

「ねえ、心お願いだよ〜…」
「申し訳ないけど…それは無理だよ。」
「そういわないでよ、これ吹ききれるのなんか心くらいなんだよぉ…」
「のんちゃんだって吹けるでしょ?のんちゃんが吹くべきだよ。」
「私はこの回次の曲の準備で抜けなきゃいけないのわかってるでしょ?」
「うう…」

のんちゃん、と呼ばれた友人は必死に何かを頼み込んでいる。
葛葉は酷く渋っていて、どうしても避けたいらしい。

「あんたが一番の適任なのよ、お願いだから!」
「約束と違うよ。」
「今回だけでいいの!これ以外はまたいつもみたいに私が吹くから!お願い…!」

何度断っても食らいついてくる友人に、葛葉が目を伏せた。

「…すこしだけ、考えさせて。」

弱弱しく言った言葉は、彼女の負けを助長していた。


[*start] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -