先日の中村と黄瀬の謎の器用さが露呈してから(勝てるわけもないのに)面白がって
自分もと早川が湊の髪をいじるようになった。
決して上手な訳ではないし、最近やっとポニーテールであげられるようになったくらいで
湊が自分でやった方が断然早いしうまくいくのだが、
彼女は後ろから鼻歌交じりに髪を触る早川を好きにさせていた。

10分の休憩時間では終わりきらないことがやっとわかってきたのか
昼食をいつも以上の時間で掻き込んで、湊の後ろを陣取る。
湊も正座を崩して触りやすいように高さを整え、後ろ手に櫛とヘアゴムを渡す。

至極楽しそうに終始にこにこする早川に、湊も薄く笑って目を閉じた。

「最初から比べれば大分うまくなったな、早川。」
「本当ですか!!」
「ああ、見られるようになった。」

小堀と笠松の声に、ぱあ、と嬉しそうに笑う。

「湊!うまくなったって!」
「そうだね、いつもありがとう。」

小さい子供の手伝いを褒めるようにくすくす笑いながら湊が言う。
早川は湊の言葉に更に嬉しそうに手を動かした。
今日も湊は少しくしゃくしゃのポニーテールを揺らして1日を過ごすのだろう。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

湊のタイムキーパーにより、きっかり予鈴10分前に揃って歩き出す。
そろそろお別れ、という渡り廊下で後ろから声がかかる。

「湊!」

呼んだのは、女子の声。
呼ばれた彼女以外も、その声の主の事は知っていた。
女子バスケ部の、2年部長だ。
少し眉を寄せて、彼女に向かって歩き始めた湊。

「湊?」
「すみません、先行ってください。」
「あ、ああ…」
「遅刻すんなよ。」
「分かってます。」

振り返り際に見えた光景に、早川は懐かしさを覚えた。

「(湊がイヤリング触るの見るの、久しぶりだな…)」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

いつものように授業が終わってすぐに中村と共に湊を迎えに出た早川。
教室を覗くと、昼に会ったばかりの彼女と何やらもめているらしい。

「どうした、早川?」
「や、ほ(ら)。」
「?」

自分の少し下から同じように頭をのぞかせた中村が、湊を捉える。

「どうしたんだ、あいつ?」
「さあ?」

湊と比べると少し低いが、女子平均からすれば高い方だろう。
確か、PGだったな、と記憶を引っ張り出していると、湊が二人に気が付いた。
机に置いたままだった鞄を肩にひっかけて彼女の横を通り抜ける。

「ごめん、行こ。」
「いいのか?」
「いいよ。」
「よくないよ!待ってってば!」
「しつっこい!!!」

久しぶりに聞く湊の怒鳴り声に、中村と早川の方がビクリと背を正す。

「1試合!次の試合だけでいいから!」
「私は男バスのマネージャー!」
「選手で出てた事もあるって言ってたじゃない!」
「昔の話だってば!」

湊の腕にひっついたまま離れない。
無理やりはがすことも出来ず、中村と早川は目を見合わせる。

「お願い、次は負けられないの!最近不調で負け続きで…っ、チームの士気が落ちてるのよ!」
「そこに余所者を入れようと思う気持ちが私には分かんないわ。」
「で、でも…っ」
「分かってんの?私を入れるってことは、誰かを外すって事なんだよ。」

尤もな言葉で、相手をねじ伏せる。
やはり、口では彼女には勝てないと踏んだのか、悔しそうに顔をしかめてそっと手を離した。
湊は溜息をついて、そのまま教室を後にした。
慌てて二人も後を追った。

「……かくなる上は、仕方ない。」

彼女が後ろで覚悟を決めたのを、3人は知らない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

次の日の朝練。
ちょうど諸々の用意で席をはずしていた湊が体育館へ戻ると、昨日つっぱねた彼女が笠松に迫っている。
森山と小堀が止めようと奮闘しているが、近すぎる女子との距離に目を回す一歩手前の笠松に限界がくるのが先だったようだ。

「分かった!!分かったから!!!」
「ま、待て!!早まるな!」
「笠松!!!」
「やったああああ!!!」

笠松の承諾の声に、彼女はぴょこんと跳ねて喜んでいる。
距離が出来て笠松がその場に崩れ落ち、黄瀬が心配そうに寄って行った。
嫌な予感しかしない湊は、タオルを抱いたまま足を止めた。

「あ、湊!」

湊の姿を見つけた彼女は、寄ってきて手を引いて笠松の前へ押し出した。
とりあえずタオルを置いて、笠松の肩に手を置く。

「大丈夫ですか、笠松さん。」
「あ、ああ…」
「湊…」

早川が泣きそうに顔を歪めた。
それを下から覗いて目を見張ったが、次に聞こえた笠松の声に現状をやっと把握した。

「すまない、湊…」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「…」
「早川。」
「………」
「早川くん。」

15センチ上にある顔をそっと覗き込んで湊が名前を呼ぶ。
完全に拗ねてしまった早川は「いかないで」とばかりに湊のブレザーの裾を離さない。
あまりの強情さに中村も溜息を吐いた。
早川と黄瀬は度々こうやって湊たちを困らせることもあるが、今回は今までのなかでも酷い。

元凶は、もちろん女バスの彼女で。
次の練習試合に湊にピンチヒッターとして出てほしいとのことだった。
前々から言われ続けていたのだが、その度にそれをつっぱねて来たのに
痺れを切らした部長は、男バスのキャプテンである笠松の所へ直談判に行ったのだ。
女子恐怖症が祟って、攻めよられた笠松に打つ手はなかった。
至近距離から離れようとしない彼女に、思わず承諾の意を伝えてしまった。
森山や小堀が慌てて止めたものの、出てしまった言葉はもうひっこまない。
湊は、期限付きで女バスに貸し出される事になってしまった。
鈴ヶ丘のメンバー以外とは絶対に組まないと決めていた彼女も、笠松の言葉には逆らえなかった。

「1週間だけだよ。」
「…1週間も、湊の居ないまま(練)習す(る)のか。」
「教室にはいるし、ね?」
「(昼)は、来(る)、よな?」
「ええと…昼も、練習があっていだだだだだだ」
「嫌だああああ」

ぎゅうううう、と力任せに湊を抱きしめて離さない早川。
最早手がつけられない。
中村に助けを求めるが、肩を竦められただけだった。

練習開始ギリギリに迎えにやってきた笠松と黄瀬に引きはがされるまで、
早川は湊にひっついたままだった。

申し訳なさそうな笠松に苦笑いを返してから、
いつもなら一緒に歩き出す道を逆に歩き出す。
向かうのはいつもの太い声が響く体育館ではなく、甘い制汗剤のにおいが漂う女子更衣室。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「待ってたよ!!」
「待ってたよじゃないわ。笠松さんにまで話しに行きやがって。」
「だってそうしないと湊取り合ってくれないから。」
「当たり前でしょ。」

アップをし終えて軽く柔軟をする湊に、部長が近づく。

「じゃあ、1軍のコート入ってね。湊入れて調整しなきゃ「嫌だ。」…え?」

立ち上がった湊が向かうのは、3軍のメンバーが練習するコート。
慌ててそれを止めに入る。

「ちょ、どこ行くのよ!」
「ぱっと出のやつが急にスタメンに入ったら、他のメンバーはどう思うのよ。」

湊の言い分に、言葉を失った。

「あんたは自分が頼んだ相手だからいいかもしれないけど、他は違うでしょ。」

目線を1軍のメンバーに向けると、品定めするような目を向けられているのが分かる。
男バスのマネージャー、として有名ではあるかもしれないが、
選手として招き入れるかと言われればそれはまた別の話だ。

「3日で1軍へ上がるよ。昇格試験、悪いけど今日と明日で頼むわ。」

軽く肩を回してから、そばを通った3軍選手のジャグ持ちを変わって歩き出す。
ぽかん、と見ていた部長はややあってから吹き出すように笑って、1軍の練習へ加わった。



急にやってきて3日で1軍入りを進言した湊に一時は騒然としたが、
意外にも女バスでの彼女の人気は高かった。

バスケの腕もいいし、自分だけで点を取りに行くようなことはせず、他のメンバーを立てるような試合運びをする。
休憩時間も、本来入ったばかりの1年生たちがする仕事を率先して手伝っている。
慌てて断る彼女たちに、湊は「今は自分が一番下っ端だから」と譲らなかった。

涼やかな目線で回りを観察し、さりげない気配りを怠らない。
あまり笑顔は見られないが、それもまた彼女のクールな印象を助長した。

つまるところ、彼女の女バスでの人気はうなぎのぼりだった。

全体練習が終わって、全員が図ったかのように体育館の真ん中を開ける。
湊の2軍入りのテストのためだ。
技術はもう全員が見ているので、即1軍入りでもいいというメンバーが大半だったが
それは彼女自身が許さなかった。

「ボールもらえるかな。」

籠の所にいた部員に声をかけてパスを貰う。
片手でかるく受け取ってドリブルしながら礼を言う。
「すてき…」と声が聞こえたのは、なかった事にした。

「お願いします。」
「こちらこそ。もう勝敗は分かってるようなもんだけどね。」

2軍のキャプテンとの1on1が昇格試験になっている。
勿論、いつもならキャプテンが負けることはなく、合否の判断を下すだけなのだが。
湊は易々と彼女を抜いてダンクまで決めて見せた。
困ったように笑ったキャプテンに、湊は振り返って律儀に頭を下げた。

「こうも簡単にやられると自信なくしちゃうわ。」
「えぇと、」

何といったらいいものか分からず言葉を濁す彼女に、「いいのよ」と声をかける。

「2軍へようこそ。きっと明日1日だけだろうけどね。」
「よろしくお願いします。」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

朝練も女バスの方に出ているらしい湊。
いつもならよく通る声が、今日は聞こえない。
早川と黄瀬は完全に湊失調症だ。
ソワソワとイライラの狭間を行ったり来たりしている。

中村も無意識になのだろうが、入り口の方へ目を向けては緩く首を振っていた。
笠松は気まずそうに目線を落としている。
小堀は仕方なさそうに苦笑いを浮かべてから、足元に座っている森山に目を向ける。
黄瀬と早川とはまた別の意味で凹むであろうと踏んでいたのだが、
案外いつもと変わらない表情とプレースタイルを維持している事に少し驚きだった。

「なんだ?」
「や、案外冷静だなと思って。」

小堀の言葉に、森山は目を伏せた。

「そうでもないって。」
「森山?」
「…中村じゃないけど、無意識に湊の姿探してるよ。何回見たって、ベンチに湊はいないのわかってんのに。」

溜息をついた森山。
どうやら、気付かなかっただけでむしろ大打撃を受けていたようだ。
もう少しの間隠しておこうと思っていたが、仕方ない。
小堀は他の5人に声をかけた。

「こんなんじゃ湊が帰ってきた時にお叱りを受けるぞ。」
「小堀さん…」
「でも、湊がいない…」
「早川、弱弱しい声やめろよ…」
「1週間頑張ろう、な?」

そういって自分のタオルの下から数枚の紙を引っ張り出した。
なんだなんだと頭を突き合わせてそれを覗き込むメンバーたち。
小堀はにこり、と笑顔を浮かべる。

「今度の日曜の、女バスの試合の入場券。」
「え!」
「今度の試合、練習って言ってたけどデカい試合らしくってな。入場規制入るらしいんだ。」
「な、なんで小堀がそんな試合のチケットを、?」

笠松がどもりながら尋ねると、先ほどとは違うにんまりとした笑みに変える。

「1週間の期限付きとはいえ、俺がタダで湊を手放す訳ないだろ?」

強かな小堀に、5人はやる気を取り戻した。

mae ato
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