「歌仙、少しいいですか。」
「ああ、いいよ。」
読んでいた書物から目を離して廊下へ目を向けると、すらりと襖が開いた。
綺麗な所作で一連の動作を終えて中へ入ってきた彼女に、思わず笑みがこぼれた。
最初はこういった事は苦手なようで、よくやり直しをさせていたものだ。
「すみません、お邪魔でしたか。」
「僕が構わないと言ったんだ、気にすることはない。」
遠慮がちに眉を下げるのを見て、書物へ栞を挟む。
「何の用かな?」
「ああ、えと、明日の遠征部隊に入っていただきたくて。」
「…構わないけれど、」
小さく溜息をつくと、途端に困ったような申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「嫌なら他の方へ声をかけにいきますから、無理にとは言いません。」
「いや、行くのは本当に構わないよ。遠征は、嫌いじゃない。」
「…なら、「けど」とは?」
彼女の言葉に体ごと向き直った僕に、どうやらお説教モードを感じたらしい。
元より崩れてはいない姿勢を、更にぴっしりと伸ばして僕を見た。
「僕らは刀だ。」
「…?ええ、存じております。」
「僕らの持ち主は、誰だい?」
きょとりと目を丸めた彼女は少し目線を揺らしたあと、小さく答えた。
「……細川殿、でしたでしょうか。」
「……あのねえ。」
「すみません、人間の歴史は複雑すぎて覚えきれなくて。」
「そういう事を言ってるんじゃない。」
はあ、と溜息をつくと彼女はまた正解を探して思考を巡らせているらしい。
手を頬にあてて、目を伏せた。
「僕が聞いているのは、「僕の」持ち主じゃない。「僕ら」の持ち主だ。」
「…はあ」
「君は主と呼ばれる事を極端に嫌うけれど、僕らの今の持ち主は君だろう。」
「…私は、貴方たちに命令をしたいわけではないのです。平等であるために、主と呼ぶことを禁じている。持ち主とその所有物という関係が成り立ってしまうと、平等が崩れます。」
「君は本当にこの手の話になると江雪と並ぶほどに扱いにくいね。」
「え。」
和睦だなんだと戦場へ行きたがらない彼を思って溜息をつくと、彼女は分かりやすく顔を顰めた。
「私、あんなにごねてる様に見えてるんですか。」
「君は彼が「そんなに」ごねているように見えているんだね。」
「…歌仙。」
どんどん話が逸れて行っていることに気が付いて、一呼吸置いて議題を戻した。
「君が何と言おうと、僕らの持ち主、主は君だ。君が嫌がるから、そうは呼ばないけれどね。」
「…。」
「そんな不満そうな顔しても無駄だよ。」
少しむくれた彼女は気にせず、話を続ける。
「君だって執務やら雑務に追われているんだ。無理に僕ら全員の所を回って了解を得なくてもいいんだよ。」
「?」
「君の言葉に、僕らは従う。食堂の所の掲示板にでも紙に書いて貼り付けておけばいいんだ。」
「それだと、皆の不満が聞けません。」
「聞かなくていいんだと言っているんだよ。」
納得がいかないと更に首を傾げた彼女に、僕はまた溜息をついた。
「私が主だと認識されているとしても、それはただの肩書の話です。私が、自分勝手に貴方たちを使役する理由にはならない。」
「矛盾していることを分かっているのか?主とは、上下関係を示す言葉だ。」
「私からすれば、あだ名と変わりません。」
現に私は貴方たちに本気で刀を抜かれては勝てません、ときっぱり言い切った。
…一体何といえば僕が言いたい事が彼女に伝わるのだろうか。
「私がこうやって皆の所を回るのは、私が皆と話をしたいからです。」
「はあ…」
「歌仙や今剣は比較的私といる時間が長いからいいですけど、中には私から行かないと一日顔を合わせずに終わるひともいますから。」
彼女の言う事もよくわかる。
現に、未だ彼女へ値踏みの視線を向けるものがいるのも確かだ。
「この際上下はどうでもいいです。私が、皆に会いに歩いているだけです。」
「…」
「歌仙の言うように、執務に追われていては気が滅入ってしまいます。」
「まあ、それはそうかもしれないけれど。」
「私の息抜きを取らないでください。」
にへ、と笑った彼女に、僕はとうとう白旗を上げた。
「分かったよ。」
「よかった。」
それじゃあ、と腰を上げかけた彼女をひきとめる。
「まだどこか回るのかい?」
「いえ、歌仙が最後なのでこの後は畑を見に行こうかなと。今剣たちがいるはずですから。」
「なら、もう少しここに居るといい。」
かたり、とすぐ傍にあった漆塗りの箱を開けて茶を淹れる準備をする。
「でも、」
「僕の我儘だ。…それとも、君は僕よりも今剣の方を選ぶのかい?」
勝利を確信した顔で笑みを向けると、今度は彼女が浅く溜息をついてまた腰を落ち着かせた。
「狡いひと。」
「何のことか分からないな。」
いつも忙しなく色んな所を出歩いている彼女との時間は、確かに毎日あるけれど長くない。
なんだかんだとじゃれつく短刀たちに取られては、当分の間空かないだろう。
「最近は、どうだい?他の刀たちとは。」
結局、話題はここの仲間たちなのだけれど。
最初の頃よりも増える仲間に比例して減っていく彼女との時間を確保する餌にする事くらいは、許してほしい。
緩く微笑んで話をする彼女に、僕も笑みを返した。