アングラ・シンデレラ
▼ブルーの言い訳
フィオラが帰ったあと、残された4人の会話は先程のバトルで持ちきりだった。
「しかし、正直カズマサが負けるとは思いませんでした。」
「ぼくもビックリ。結果的にフワライドが食らったの、やどりぎだけ。あとは全部防ぎ切った。」
「まさかあそこまで強いと思いませんでした。いやぁ、鍛え直しだな。」
ぽりぽりと頭をかくカズマサに、愉快そうにクラウドが続ける。
「しかし、ナットレイが相手なんがわかってたのに、敢えてフワライドで来るとは…肝が座っとるんか、無謀なんか。」
「ポケモンとしては、ぶっちゃけスピードも火力もイマイチ。バトルには向かないよね。」
「こんな廃人だらけの場所にいてたら、殆どお目にかかる事もないポケモンやしなぁ…」
「たまーにいても、補助かバトンタッチ要員。火力じゃないですね。」
「しかし、それを覆す力が、彼女とフワライドにはあったのでしょう。」
「そうだね。」
書類をとんとん、と角を揃えて、ノボリは言う。
「タイプ相性や、種族値だけが強さではありません。うちにはあまり、ああいう勝ち方をする方はいらっしゃいませんが…」
「そうですね。」
「それじゃ、トレインは守れないしね。」
椅子に反対向きに座って背もたれに肘をつくクダリが、目を瞑って肩をすくめた。
「あの方の戦い方が、気になるところではございますね。」
「そうだね。」
「そういえば、手持ちは他に4体いるって言ってましたよ。今度紹介してもらうんです。」
「そのうち1体は、ヒトモシやろ?こう言っちゃ悪いけど、進化してへんポケモン連れてここの駅員なる奴なかなかおらんわな。」
「確かに、そうですね。…………あれ?」
「どうした?」
「え、あ、いえ…」
3人がポケモン話に花を咲かせる中、カズマサは一人視線を泳がせて考えこんだ。
「(みんな、イッシュじゃない所のうまれって言ってたけど…ヒトモシは別の地方の子ってこと…?)」
その頃、フィオラはギアステーションからそのままの足で劇団へとやって来ていた。
入り口で劇団の建物を眺める。
そんなに長くはないものの、ここでの生活は楽しかったし、気に入っていた。
「こんな形で、ここを去ることになるなんて…」
ギアステーションの合格を貰ってしまった以上、もう逃げることはできないが、劇団の仕事に後ろ髪をひかれるのも本当だった。
「あれっフィオラ。」
「団長…」
丁度出てきた劇団の団長に明るく声をかけられ、更にフィオラの気持ちは沈んでいく。
「どうしたんだい、まだ公演の時間には早いよ?」
「……その、団長。」
言い淀むフィオラに何かを悟ったのか、団長は笑顔で自分の執務室へと誘った。
「いつも通りミルクティーでいいかな?」
「はい…ありがとうございます。」
穏やかな団長との会話は、いつもとてもゆったりとした気持ちにさせてくれる。
たまにもう一人の主役の彼女と3人で、団長の淹れてくれた紅茶と共にアフタヌーンティーを楽しむのがフィオラは好きだった。
今は、何と切り出したらいいか分からず、視線は出されたティーカップから外れない。
「何の用だったかな?」
至極穏やかに尋ねる団長に、フィオラは更に俯く。
団長には、拾ってもらった恩がある。
演技のことを何も知らない自分に、1からその術を叩き込んでくれたのは他でもない彼だ。
故郷に戻れないフィオラにとって、彼は師であり、兄であり、そして父であった。
こんな一時のノリで、しかも既に採用が決まってしまった転職を何と説明すればいいのか。
カミツレが言っていた給料の事も、受けた恩を考えれば口が裂けても言えないし、自分と手持ちのポケモンたちだけなら不自由だと感じるほど少なくもなかった。
何を言っても、団長の期待を裏切ることになるーー
フィオラの頭の中はぐるぐると巡り、そしてその重さに耐えきれずに気持ち悪くなってきた。
「…フィオラ?どうした、大丈夫か?」
「団長…」
振り絞った声は、自分で思ったよりも小さく震えていた。
とうとう我慢できなかったようで、ボールから勝手にメタモンが飛び出した。
「メタモン…」
「ンモー…」
ぺと、と手をフィオラの顔にあてる。
もうサブウェイから逃げることはできない…意を決して、団長へと向きなおった。
「突然で申し訳ないのですが…劇団を辞めようと思います。」
「辞める!?ど、どうして…やっぱり、給料がよくないから、」
「そんな事ありません!お給料なんかより、もっと大切な物が、ここにはありました。」
「じゃあ、一体どうして…」
少し考え込んだあと、フィオラはすべてを話した。
団長には言っていなかったが、舞台に立つようになってから変な輩に追いかけ回される事が増えたこと。
ストーカー紛いの事をされることもあったこと。
カミツレと話。
そして、サブウェイを既に受かってしまったこと。
「……」
「…本当に、申し訳ありません。本来なら、ちゃんと劇団の方をケジメをつけてからにするべきだったのに…」
「いや…私の方こそ、気がつけなくてすまなかった。」
最初は引き留めようと前のめりだった団長も、話を聞くうちに諦めたように肩を落とした。
「劇団は、あの子がいるから大丈夫です。私じゃなくても、やっていけます。」
「君についたファンも、たくさんいたんだけど…そういう人たちの中から、君を脅かす奴らが出てしまったんだよね。」
「……すみません。」
「君が悪いわけじゃないよ。」
力なく笑って、団長は続けた。
「今の演目が終わるのが、今月末だ。それが分かっていたから、サブウェイの方にもそういう風に掛け合ってくれたんだろう?」
「……はい。」
「なら、最後までやり切ろうじゃないか。フィオラの卒業公演、しっかりやり遂げよう。」
「……ありがとう、ございます。」
優しく言う団長に、フィオラはメタモンを抱いて深く頭を下げた。
誰にも見られることなく、涙はメタモンに吸い込まれていった。
次の日、フィオラは大忙しだった。
制服を合わせにサブウェイに行ったり、必要なものをホドモエまで買いに行ったり。
カミツレにも結果を報告して、劇団のことも伝えた。
『そう…なんだか、申し訳ないわ。』
「今更何言ってるの。わかってたじゃない。」
『そう、なんだけど。』
気まずそうに沈黙の続くカミツレに、フィオラは溜息をついた。
「…万が一試験期間で首切られたら、責任持ってジムで雇ってよね。」
「ええ、でも大丈夫よフィオラなら。」
フィオラの軽口に、カミツレはようやく少しだけ重い空気を緩めた。
「それに、劇団は辞めたわけじゃないよ。」
『えっ、両立は厳しいんじゃないの?』
「表に立つのはちょっとね。でも、仕事終わってからなら裏方の事はできるから。」
『貴女本当にあの劇団が好きなのね。』
「ん、まあね。」
話し合いの末、フィオラは手伝いとして劇団に席をおいてもらえることになった。
給料もいらない、本当にただの手伝いとして扱ってもらえればいいと言ったが、そこは団長が断固として譲らなかった。
そのため、ダブルワークも禁止されていないらしいサブウェイと、無理のない範囲でという約束で劇団を続けることになったのだ。
『まあ、そういう事だから。明日早いし、悪いけど今日はこの辺で。』
「分かったわ、またね。」
『うん、また。』
ぴ、と無機質な音をたてて切れたライブキャスターを眺めながら、カミツレは眉を寄せた。
「…無理しなきゃいいけど。」
約束の月曜日。
時間ぴったりに言われたとおり駅員室へと辿り着いたフィオラは、クラウドの姿を見つけて声をかけた。
「おはようございます。」
「おお、おはよう。今日もぴったりやな。」
時計を確認して、立ち上がる。
「そいじゃ、これ。」
「?」
渡された紙袋には、キレイに畳まれた制服が入っていた。
「男モンですまんな。フィオラが入るまで、長いこと男所帯やったから、女性用のスカートのやつが今無いんや。取り寄せするから、取り敢えずこれで我慢しといて。」
「いえ、私もこれで大丈夫です。」
がさりと服を出して、ざっくり大きさだけ確認する。
「わざわざ試験期間の私のために用意して頂くのも申し訳ないですし、仕事をするのにもスラックスの方が気楽ですから。」
「そうか?まあ、そうボスには伝えとくわ。ほな、着替えて一発目の仕事行こか。」
「はい。」
「今女性更衣室ないから、すまんが今日はこの部屋使って。」
案内されたのは、駅員室の隣の小さな物置部屋。
慌てて掃除されたらしく、少しあらの残るそこに無理矢理感漂うロッカーが歪に設置されていた。
「急やったから、間に合わんくてな…またちゃんと掃除するから。」
「自分でやりますから、大丈夫です。あるのは、文房具とかの備品だけですか?」
「ああ、ここはそうやな。特別機密とかそういうのはここには無いで。」
「なら、適当に片付けてしまっていいですか?分かりやすいように置いておくので。」
「いやいや、備品は移動さすって。流石に女子更衣室は入られへんわ。」
「私しかいないなら、私が着替えてない間は入っても別に構いませんから。」
「……黒ボスが何ていうかなぁ。」
苦笑いしながら頭をかくクラウドは、取り敢えず着替え、と声をかけて部屋を出ていった。
改めて出してみると、モスグリーンがよく映える制服だ。
帽子もついていたので、取り敢えずくくった長い髪は、まとめてその中で詰め込んだ。
「おまたせしました。」
「おお、よお似合てるわ。」
「ありがとうございます。」
ぺこりと頭をさげると、クラウドは満足そうに頷いた。
「インフォメーションの仕事の前に、初仕事や。悪いんやけど、3番ホームに掃除に行ったまま戻って来んカズマサを迎えに行ってくれるか…」
これ、この駅の構内図やから、と渡された小さく畳まれた紙を受け取って、フィオラは駅員としての初仕事へと歩き出した。
「3番…3番……」
地図を広げて3番ホームを探していると、ボールがぱかりと開いてメタモンが飛び出した。
肩に着地したメタモンは、すぐにヒトモシの姿にへんしんし、一緒に地図を眺めだした。
「珍しいね、こんなに人がいるところに自分から出てくるなんて。」
「モシッ」
劇団では一緒に舞台に立つこともあったが、必ずへんしんした姿でしか人前には出てこない。
許しているのは、劇団の団長だけだ。
あとの劇団のメンバーは、メタモンなのは知っているが元の姿では絶対に出ていかないし、カミツレにも同様だった。
必ず人のいないところにしか、メタモンの姿では出てこないのに、こんな往来では本当に珍しい。
駅員室から出たばかりのところなので、まだ関係者以外立ち入り禁止の区画。
一応辺りを確認するが他に人もおらず、唯一いたクラウドも駅員室の中へ戻っていった後だったため、幸い人影はなかった。
しっかりしている性格なので、そこもきちんと見計らって出てきたのだろう。
「ヒトモシ気に入ったの?」
「モシッ!」
いいから早く、と言いたげに地図の3の字を小さな手で指し示す。
まあ、大きなポケモンに化けられるよりは、一緒に居やすいか、とヒトモシを肩に乗せた状態でカズマサを探しに歩き出した。