アングラ・シンデレラ
▼オフホワイトの視線
「この、裏切り者。」

帰宅してすぐ、フィオラはライブキャスターを引っ掴んでカミツレへコールを鳴らした。
いつもは仕事で忙しいかも、と出来るだけ電話は遠慮しているが、今日は一言文句を言わなければ腹の虫が収まらなかった。
カミツレも、普段はあまり電話が繋がることはないのだが、今日に限ってはどうやらかかってくることが分かっていたようで。
2コールで止んだ呼び出し音の向こうでくつくつと笑う声が聞こえ、フィオラの機嫌は更に落ちた。

『あら、何の事かしら?』
「クダリさんが言ってた。カミツレから連絡来てるって。」
『話早かったでしょ?もともと「紹介する」って約束で、この仕事の話しだしたんじゃない。』
「やるなんて、言ってない。」
『それなら、断ってくれてよかったのよ?「そんなつもりじゃありませんでした、少し冷やかしに来ただけです。」ってね。』

ああ言えばこう言う、とはまさにこの事。
そんな無責任でカミツレの顔に泥を塗るような事が出来ないのを知った上で言っているのだから、本当にたちが悪い。

「ただ話を聞きに行っただけだったから、劇団にも何も言ってないのに。どうするのよ。」
『今の公演が全部終わったら、転職すればいいじゃない。』
「なんか、すごい人欲しがってるみたいで今週の土曜にはもう試験なんだけど。」
『あら。』

流石にそんな性急なことになるとは、思っていなかったらしい。
ライブキャスターの向こう側から、少しだけ焦りを感じた。

『そんな事になってるなんて。知らなかったわ、ごめんなさい。』
「……もういいけど。」

本当に申し訳無さそうな声で謝るカミツレに、フィオラももう責める気持ちは萎んでしまった。

「取り敢えず、約束だから行ってくるけど。」
『ええ。双子によろしくね。』
「受かる前提で話するの、やめてくれる?」
『落ちるつもりで受けにいくなら、断りなさいね。ノボリやクダリ、駅員さんたちも暇じゃないんだから。』

一体誰のせいで、と喉から出かかったものの、カミツレの気持ちは分かっていたのでぐっと飲み込んだ。

「……カミツレの顔に泥を塗る訳にはいかないからね。やるなら、ちゃんとやるよ。」
『ありがとう。』

ここで、やめてもいいのよ、と一言貰えれば楽なのになぁ…と心のなかでぼやきながら、それじゃあと短く残して通話を切った。

「………はあ。」

ごそごそとカバンを漁って、相棒たちのボールを目の前へそっと転がす。
気乗りしないながらも、今日渡された注意事項等の書いた紙を広げて目を通す。

筆記は今更頑張ったって無駄だ。
もうあと何日もない、今の自分ができる範囲で頑張るしかない。
仕事もやってみないとわからないから、今できる事といえばバトルへの戦略を練ること。

今回は相手がバトルトレイン乗りのカズマサなため、ハンデとして何を使うか教えられている。
バトルは、シングル一発勝負。
カズマサが使うのはーーー

「ナットレイ…」

くさ、はがねタイプのナットレイ。
正攻法でいくなら、間違いなく4倍のほのおを狙っていく。
ひとつのボールに手を伸ばしかけたフィオラの脳裏に、今日ジャッジに言われた言葉がよぎった。

『この子は特攻にふれてて少しだけバランスが悪いかなぁ。』

ぴた、と手が止まる。
フワライドは、確かに火力のあるタイプではない。
でも、戦い方ひとつで化けるポケモンだ。
なのに、個体値なんて馬鹿げた話で片付けられ、あまつさえ人のポケモンを突然批判するなんて。

「………」

むける相手は本来ならばジャッジなのだが、もう彼とは金輪際関わりたくなかった。
丁度いい機会だ。

「フワライド。」

呼ぶと、かぱりと少し間抜けな音を出して開いたボールから、フワライドが飛び出す。

「フワワン」
「フワライド、久しぶりだけどバトル、出てくれる?」
「フワワン!」

にこりと笑って頷いてくれるフワライドに、フィオラは薄く笑い返した。

「ありがとう、タイプは不利だけど…頑張ろうね。」
「フワン」

任せておけ、とばかりに胸を張るフワライドに、今度は吹き出すように笑った。
やり取りを見ていたメタモンが出てきて、フワライドにエールを送っている。

「大丈夫、必ず勝つよ。」

その日から土曜日まで、フィオラは毎日公演の前後にカミツレのジムの裏庭を借りて、鈍ってしまったバトルの勘を取り戻していった。






土曜日。
約束していた試験の日だ。

重い腰をあげて、万全の体制を整えたフワライドと共にライモンシティ駅の駅員室へ辿り着く。

「おはようございます。」
「あっ、フィオラさん!」

一番に気がついたのは、ドアのすぐ近くに座っていたカズマサだった。

「おはようございます。今日はここにいらっしゃるんですね。」
「あはは…バトルに出ないといけないから、探しに行く羽目になると困るって先輩たちに言われちゃいまして。」

苦笑いしながら頭をかくカズマサに、同じように苦笑を返す。

「おはよう、時間ぴったりだね。」
「おはようございます、クダリさん。」

取り出した懐中時計を確認しながら、クダリが言った。
ぱちん、と閉めてポケットへ戻しながらつかつかと近寄る。

「取り敢えず、筆記から始めようか。ノボリが急な用事で外してるから。」
「はい。」
「クラウド。」
「はいよ。」

奥の部屋から、クラウドが紙を数枚持って顔を覗かせた。

「わしが付き添いや。こっちおいで。」
「はい。」

失礼します、と二人に頭を下げて小走りでクラウドにかけよった。
軽く説明をうけながら部屋へと消えていった背中を見送りながら、クダリは楽しそうに笑った。

「あんまり愛想はよくないけど、礼儀はしっかりした子だね。」
「女の子と話してた時は、もっとにこやかだったんですけどねぇ…ボスが怖いんじゃないですか?」
「ノボリよりマシだと思ってるけど?」
「……それもそうですね。」





「……………はい、そこまで。」

クラウドが自分の腕時計を確認しながら、試験終了の合図を出す。
全問解き終わり見直しをしていたフィオラは、無意識に詰めていた息を吐いて答案をクラウドへ手渡した。

「お願いします。」
「はいよ。……君、サウスポーなんやな。」

右手首に嵌まった腕時計と答案を代わる代わる見ながら、クラウドは言った。

「え?ああ、はい。…イッシュでは、珍しいですかね。」
「せやなぁ、わしもこっち来てから会ったんは、君が初めてやわ。」
「…鉄道員として働くには、不利なんでしょうか?」
「え?いやいや。関係あらへんよ、ただの世間話やから。道具とかは、ちょっと使いにくいかもしれんけどな。」

左利きとして生きてくる中で、道具が使いにくいのは今に始まったことではない。
別にどうしてもこの仕事に就きたくて来たわけじゃないのに、世間話、と聞いて少しほっとしたのも確かだった。

「さて、ぱっと見筆記は大丈夫そうやな。次行こか。」
「バトル…ですか。」
「おお。こっちや、ついといで。」

クラウドは部屋を出て、バトルトレインの方へ歩き出す。
途中ジャッジの姿を見つけたが、そっとクラウドの影へと隠れてやり過ごした。
もう二度と関わりたくない。

「ここや。」

連れてこられたのは、やはりトレインだった。

「この中で、テストを?」
「ああ。わいらがバトルするんは、基本的にトレインの中やからな。」
「…」
「足元、気をつけてな。カズマサー!ちゃんとおるかー?!」

はあい、と間延びした返事とともに、カズマサがナットレイから視線を移動させた。
カズマサの足元に控えるナットレイは、大切にされているようでピカピカだった。

「あれ、黒ボスは?」
「事故処理ー。残念だけど、見てきてだってさ。僕に一任するって言ってた。」

クダリの言葉からは、カズマサの勝利への確信が見て取れた。
それだけ、信頼を置かれているという事だろう。

「それじゃ、早速始めますか。」
「うん。」
「よろしくおねがいします、フィオラさん!」
「おねがいします。」

ぺこりと頭を下げて、ボールホルダーからフワライドのボールを手に取る。

「僕は、宣言通りナットレイで行きます。頼むね、ナットレイ。」
「ット!!」
「私はこの子で行きます。フィールドを踊れ、フワライド!」

閃光がおさまり、場に現れたフワライド。
気合は十分なようだ。

「フワライドかぁ。」
「タイプ的には、イマイチですな。」
「そうだねぇ、ナットレイが出てくることを知ってた上でのフワライドだから…それだけ自信があるってことかな?」

がたん、とトレインが動き出す。
足場が安定しない場所でのバトルは、あまり体験したことがない。
よろけながら、慌てて手すりに捕まった。
カズマサは、流石というべきか。
普段乗っているだけあって、一歩も最初の位置から動くことなくフィオラに好戦的な笑顔を向けていた。

「そんなフラフラで大丈夫ですか?行きますよ!」
「それじゃ、試験開始!」

審判を務めるクラウドが、フィールドへ向けて手を振り下ろす。
先に動いたのは、カズマサだった。

「ナットレイ!パワーウィップ!」
「定石で攻めるよ、フワライド、みがわり!」

素早さではフワライドの方が上だ。
攻撃が到達する前に、みがわりを発生させた。

ぼふん、と煙を起こして消えたみがわりの奥から、今度はフワライドが仕掛ける。

「フワライド、シャドーボール!」
「フワン!」

白煙から現れたフワライドは、ナットレイへ至近距離でシャドーボールを打ち込んだ。

「ナァ゛ッ!!」
「ナットレイ!」

威力により少し吹き飛んだナットレイだったが、器用にくるりと回転してまたフィールドへ着地した。

「ナットレイ、やどりぎのタネ!」
「フワライド、10万ボルト!」

ふわりと種を避けて、力強い電撃を放つフワライドだったが着地した種は勢いよくフワライドをめがけて伸びていき、足へと絡みついた。
ナットレイも直撃は避けたものの、ダメージが蓄積している。

「いいよ、ナットレイ!ジャイロボール!」
「フワライド、慌てないで!よく見て!」

もぞもぞとやどりぎから抜け出そうと藻掻くフワライドに、フィオラは力強く声をかけた。
はっとしたようにフィオラを見たフワライドは、キリッと表情を切り替える。
動きを封じられたフワライドへ、ナットレイが後続でジャイロボールを繰り出す。
喰らえば、大ダメージになるだろう。

だが、フィオラはぎりぎりまでナットレイをひきつけ、当たる直前に指示を出した。

「さいみんじゅつ!」

外れる可能性も高いさいみんじゅつを、フワライドはゼロ距離で打ち込んだ。
もちろん、避けることもできないまま、ナットレイはジャイロボールがフワライドに届く前にどすん、と大きな音を立ててフィールドへ転がった。

「ナットレイ!」
「フワライド、ゴーストダイブ」

フワライドは、ナットレイのやどりぎを振り払って、渾身のゴーストダイブを叩き込む。
ナットレイは依然として眠ったままだ。

「ナットレイ、起きろナットレイ!」
「これでおしまいにしましょう。フワライド、ゴーストダイブ!」

再びその身に強力な攻撃を受けたナットレイは、ころんと床に転がって目を回した。

「びっくり…カズマサ負けちゃった。」

ぽつりと溢すように言ったクダリの一言に、はっとしたクラウドが宣言を上げる。

「ナットレイ戦闘不能!この勝負、フワライドの勝利!よって勝者、挑戦者フィオラ!」
「ナットレイ!」

慌てて駆け寄るカズマサと同時に、フィオラもトレーナーコートから出ていつもより力なさげにふわふわ揺れるフワライドへと近づいた。

「フワライド、おいで。」
「フワン…」

ぽふ、とフィオラの腕の中へとおさまった大きな風船は、やりきったとばかりに目を閉じた。

「お疲れ様、よく頑張ったね。」

フワライドをボールへ戻しながら、ナットレイへと近づく。

「ナットレイ、大丈夫?」
「ナァー…」

何とか持ち直したらしいナットレイが、ゆるゆると起き上がった。
リュックからいくつかきのみを取り出して、ナットレイに手渡す。

「よければ、どうぞ。」
「ナァー!」
「あ、ありがとうございます。」
「いえ、いいバトルでした。…ナットレイ、大切にされてるんですね。」

ばくばくと勢いよくきのみを食べるナットレイを撫でながら、フィオラは緩く笑った。
カズマサはその光景を見て驚いたように目を丸め、そして困ったように笑った。

「完敗です。バトルトレイン乗りだからって、調子に乗ってたな。」
「そんなことありません。ナットレイは強かった。」

混ざっていたオボンのみのお陰で体力を取り戻したナットレイが上機嫌に踊りだしたのを見て、二人は目を見合わせて笑った。





「…てなわけで、バトルは文句無しの通過だよ。」
『そうですか。見られなかったのが、惜しゅうございます。』

ライブキャスターの向こう側から、普段と特別変わらないノボリの声が聞こえる。

『こちらも、待っている間に採点しておきました。筆記も合格点です。』
「あれ、戻ってきてたの?見に来ればよかったのに。」
『ええ、そうですね。フィールドが移動するトレインでなければ、途中からでも行ったのですが。』
「あっ、そっか。」

気の抜けた会話がなされるのを、少し離れたところでフィオラはぼんやり眺めていた。

「フィオラさん、バトル強いんですね。僕びっくりしました。」

ナットレイにまとわりつかれながら、カズマサが言った。

「いえ…その、色んな地方を回ってた時代もあったので…」
「そっかあ。フワライドも、イッシュの子じゃないんですね。」
「はい。」
「他にも手持ち、いるんですよね?」
「はい。」

ボールホルダーから、小さい状態のボールを手のひらへ並べる。

「今は5体います。皆、それぞれイッシュじゃないところから来た子たちばかりです。」
「へぇ。イッシュでは見ない子もいるのかな?誰連れてるんですか?」
「えっと、「カズマサー!フィオラー!戻るよー!」」

にこにこと接してくれ、かつ大切にされているテッシードを見てフィオラはカズマサには苦手意識をなくしていた。
カズマサが聞くなら、メタモン以外は紹介しようと話し始めたところでクダリからお呼びがかかる。

「ああ、残念…また今度紹介してください!その時には、僕の他の子たちも、紹介しますから。」

にっこり笑うカズマサに、フィオラは肯定を返した。





駅員室へ戻った4人、フィオラを入り口へ残して部屋の奥側へ整列した。
ノボリが茶封筒を持って近づいてくる。

「それでは、先程もお話したとおり合格ということで宜しいですね?」
「異議なーし」
「おめでとう、フィオラさん!」
「同僚になるんやから、さん付けは外すで?」
「あ、はい…」

あれよあれよと言う間に、合格が決まってしまった。
もともと大義名分のための受験だったのに。
今更やっぱりいいです、は通らない。

「(どうしよう…)」
「これを。」

ノボリに手渡された茶封筒を開けてみると、中には数枚の書類とこれからの流れが書いた紙。

「記入する欄がありますので、全て埋めてきてください。書き方は、例が裏側に載っていますので。」
「はい…」
「お仕事は…そうですね、きりがいいので来週の月曜日からで如何でしょう。」

月曜日ーーフィオラの公演は、変則の週3回。
来週は、月水金の夜に予定が入っている。

「…あの、こんな事聞くのも申し訳ないんですが」
「なあに?」
「仕事って、大体何時に終わりますか…?」
「そうだなぁ…インフォメーションの仕事だけで何もなければ、8時から17時の8時間かな。」
「17時…」

公演は、18時からだ。
急いでも、メイクや着替えもしていると間に合わない。
どうにかして間に合わせる方法を考えていると、ノボリが助け舟を出した。

「今月は試験期間ですし、時短にしましょうか。」
「いいんですか?」
「ええ。ただ、実採用になれば先程の時間で入っていただく事になりますが、それでも?」
「はい、助かります。ありがとうございます。」

ぺこりと頭を下げたフィオラに、ノボリは目を細めた。

「では、9時から16時でいかがでしょうか。」
「あ、スタートは、8時で大丈夫です。」
「おや、そうですか?では、8時から16時の7時間にいたしましょう。お昼休憩は、交代で摂ることになりますので13時から1時間になります。」
「わかりました。」

ノボリの説明に頷いたあと、意を決したように深く深呼吸をしてその場にいる4名の先輩へ姿勢を正した。

「皆さんにご迷惑にならないよう、早く仕事を覚えられるよう頑張ります。至らぬ点も多々あると思いますが、どうぞご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、お願いします。」
「かたいなぁ、もっとゆるくていいんだよ?」
「白ボスみたいでは困るけどな…」
「分からないことがあったら、何でも聞いてください!」

あたたかく迎えてくれる4人にほっとした気持ちと、まだ何も連絡を入れていない劇団に何と説明しようか、不安な気持ちが綯い交ぜになった状態で、フィオラは茶封筒を胸に抱いた。
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