俺たちの交換日記 | ナノ

6年のブランク

「ねえ、考えてくれた?」
「しつこい、紅。」

げんなりした顔でお馴染みのカフェに居座る2人。
先日は寮の前だったというのもあって諦めて帰って行ったが、紅は諦める気は全くなかったようだ。

「おねがいよ。」
「私以外の誰かを入れればいい。これだけ大きな学校なら経験者は山ほどいるだろうし、女バスだってあるじゃない。」
「この学校、男バスが異様に強いからアレだけど、女バスはクズだからね。完全同好会ってか、最早飲みサー状態だから。」
「…」
「それに、私たちだってあの時の5人以外で組む気はないの。」

じっと頬杖をついて見上げてくる紅に、湊は顔をしかめた。

「何で今更この話し始めたのか、聞いてもいい?」
「?」
「理由はあるでしょう?この間言わなかったのは、桃…さつきがいたから。」

体重を預けた背もたれが、ぎしりと音を立てる。

「…この間ね―――…」

紅が語る“理由”に、湊は目を見開いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

1日の練習を終えて、最後のモップ掛けに1人残った湊。
ぽつりと広い体育館の真ん中へ佇み、目を閉じる。

6年前、鈴ヶ丘のメンバーと一緒にコートへ出ていた頃は確かに、バスケが楽しかった。
敗北は一度もなかった。
女子バスケの世界じゃ、最強だったと思っている。
それを裏付けるのが、あの幻の1年だったとも。

「……」

楽しかった記憶も、辿っていけば最後にはあの忌まわしき最終戦へ辿り着くわけで。
自分の選手としての記憶は、紺の泣き顔や紅の顰め面で終わっている。
良い記憶とは、とても言えない。

「湊。」

呼ばれた名前に振り返ると、リコが立っていた。

「…何。」
「紅から聞いた。…鈴ヶ丘チームへ戻るの?」

尋ねられ、そっと顔をそむける。

「まだ、決めてない。」
「余計なお世話かもしれないけど、今のあんたを選手に戻すのは反対よ。」
「…なんで。」
「気付いてないの?今のアンタの顔、6年前と同じよ。」

リコの言葉に、ぴくりと肩が跳ねる。

「海常へ行ってやっと見なくなったと思ってたのに、またそんな顔するようになるくらいなら、私は止める。」
「……」
「宮地さんが秀徳へ誘うのを蹴ってまで海常へ行ったのは、」
「もういい。」

遮った言葉は、静かに、だけど強く反響した。

「自分のことは、一番自分がよく分かってる。」
「…」
「6年前の事を、繰り返す気はない。でも、このまま放っておくこともできない。」
「湊…」
「少し、考える。戸締りするから、出て。」
「…今日夜から雨予報だったわ。気をつけなさいよ。」

モップを戻して戸締りを初めた湊に、リコは溜息をついて先に寮へ戻った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

しっかりと施錠を終えた湊は、少し遠回りをしながら寮への道のりを歩いていた。
いつもは通らない道に、自分の足音が響く。
ポケットに手を突っ込んでゆっくりと足を進めていると、少し向こうの街灯の下に人影が見えた。
ふいに目を向けて、湊は目を見開いて立ち止まった。
人影は湊に気が付くと、にっこりと笑顔を向けて話しかけて来た。

「お久しぶりです、鈴ヶ丘の7番さん。」
「……」

一歩ずつ着実に近寄ってくる相手に、無意識に足が後ずさる。
ぎゅっと口を真一文字に結んで、睨み付ける。

「その顔、変わらないなぁ。」

ふふ、と笑う彼女はそっと自分の左頬を触る。

「6年前のあの時と、変わらない。」
「紅の所へも行ったらしいな、どういうつもりだ。」

ぎろりと睨み付けると、相手は笑顔を崩さずになおも間合いを詰めてくる。

「今更、私たちとリベンジマッチでもしようっての?」
「あはは、面白い事いうね。私たちは別に負けたわけじゃない。」

するりと右腕を撫でられ、ぞわりと鳥肌が立つ。

「貴女が、無理やり終わらせたんじゃない。」
「ッ」

6年前に見た表情と、全く変わらない。
自分の前に立つ彼女は、間違いなく、6年前のあのチームのキャプテンだ。

「ねえ、少しだけ相手してくれない?」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

森山は、寮の滞在板の前に立っていた。
もういい時間なので、大抵の札が「在寮」になっている。
裏返っているのは、先ほど買い物に出た小堀と水戸部、それから

「…ねえ、リコちゃん。」
「はい?」

ソファに座ってテレビを見るリコへ声をかける。

「湊、知らない?」
「え…?」
「さっき、体育館見に行ってたよね?でも、一緒に帰ってこなかったから。」
「まだ、戻ってないんですか?」
「札は、外出中になってるけど…」
「俺ずっと今日ここにいるけど、湊は見てないぞ。」

本を読んでいた笠松が眼鏡をはずしながら言う。

「…どうしたんだろう。」
「迎えに行くか、もう遅いし。」
「そうだな。」

笠松と森山は札をひっくり返して寮を出た。
いつも通る道は分かっているので、まっすぐ体育館へ向かう。

「…あれ?」
「電気、点いてねえな。」

ドアノブを回すも、ドアは開かなかった。

「施錠も、されてる。」
「帰ったのか?」
「でも、来るまでにあいつに会わなかったじゃん。」
「…違う道で帰ったのか?」

2人で別の道を歩いて戻ったが、最終的に湊には会わないまま寮についてしまった。
扉を開いて湊の所在を聞くが、まだ戻っていないらしい。

「どうしたんだろう…」
「電話してみたらどうだ?」
「したわ。」

リコが指さす先には、既に何件か留守電の入った携帯。
マリンブルーのケースのついたそれは、持ち主に置いて行かれたようだ。

「湊…」

分厚い雲が広がる空を窓から見上げ、所在の掴めない恋人を想った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

明日の夕飯の買い物に出た俺と水戸部は、近くのスーパーに来ていた。
そんなに沢山買い込むつもりもなかったから散歩がてら出て来たけど、こんな雨になるならやっぱり不精せずに森山に車出してもらえばよかった。

「ごめんな、水戸部大丈夫か?」

想像以上の荷物を2人で持ちながら、片手には傘をさす。
水戸部は少し困った表情をしながらも笑ってひとつ頷いた。

「笠松たちにまた遅いって怒られちゃうかな〜…」
「!」

水戸部が急にあわあわし始めて、俺の腕を引いた。

「え?」

どうしたのか聞いても、無口な彼とのコミュニケーションは容易ではない。
水戸部もいつもならもっと分かりやすく表情に出したりもするのだが、テンパっていてそれどころじゃなさそうだ。

「どうした水戸部、落ち着け。」
「っ」

手を引かれるがままにやってきたのは、すぐ近くにある公園。
さっきの道からはちょうどストバスのコートが見えていたはずだ。

「…?」

コートの手前で俺の手を離した水戸部は、慌ててそこへ走り寄って行く。
訳が分からないままについていくと、土砂降りのコートのゴール下に広がる金糸。

「ッ湊!?」

荷物も傘も放って走り寄る。
倒れていたのは、間違いなく湊だった。
すぐ横に膝をついて覗き込むが、雨で張り付いた前髪が邪魔をして表情はイマイチ読めない。

「湊、大丈夫か!?どうしたんだ!!」

少しだけ乱れた呼吸のまま俺の声にほんの少しの反応を返した後、ギリ、と歯を食いしばった。
力なく投げ出されていた手を、ぎゅっと握りしめて。

「とりあえず帰ろう、きっと皆心配してる。」

水戸部が荷物と傘を拾ってくれて、俺は湊の手を引いて寮への道を少し足早に戻り始めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

森山さんと笠松さんが湊を探しに出てから30分ほどして、あの子は帰ってきた。
買い物に出ていた2人に手を引かれて、頭のてっぺんから足の先までぐっしょり濡れた状態で。
何故か小堀さんもちょっと濡れていて、海常組は大騒ぎだった。
5人が1階へ集まってきて、小堀さんは湊を風呂場へ突っ込んだ。
自分も軽くシャワーを浴びて戻ってきた彼に、笠松さんたちは尋ねた。

「何があったんだ。」
「分からない。俺たちも買い物の帰りに通った公園のストバスで拾っただけだから。」
「拾った…?」
「水戸部が気が付いて近寄って行ったときには、もう雨に思い切り濡れて倒れてた。」
「倒れてた!?」

黄瀬くんが慌てたように立ち上がるけど、それを中村くんが制した。

「落ち着け、黄瀬。」
「何でそんな冷静なんスか!!湊さんの目、見たでしょ!!」
「ああ。」
「俺、忘れもしないッス!3年前に鈴ヶ丘の1件があった時と同じ目だったッス!」
「黄瀬。」
「っ」

こういう時の早川くんの静かな声は、抜群の効果を持つ。
黄瀬くんもぐっと言葉を抑えて、もう一度ソファへ座りなおした。

「スンマセン…」
「いーこだな。」

にっと笑って黄瀬くんを撫でる早川くんに、黄瀬くんも冷静さを少し取り戻したようだった。

「でも、本当に何があったんだろう。」
「さっきも言ったが、俺たちも分からない。湊だけが、知ってることだな。」

溜息交じりに言った時、丁度お風呂から戻ってきた湊がドアを開けた。

「湊さん!」
「湊」

黄瀬くんがよっていって、中村くんと早川くんも立ち上がった。
がばりと抱き着いた黄瀬くんを宥めるあの子の表情は、いつもと変わらなかった。
中村くんが優しく髪を拭く中で、早川くんと話をしていた。

「湊、遅かったな。」
「すみません。」

笠松さんの声に、湊は素直に謝罪した。

「何があった?」
「え?」
「俺と森山で、一度お前を探しに体育館まで行った。体育館は閉まってたし、道すがらお前とも会わなかった。」
「…」
「どこにいた?」

聞かれ、湊はふいに吹き抜けから上を見上げた。
今話が聞こえる場所にいるのが私と海常の6人だけなのを確認すると、浅く溜息をついて言った。

「キャプテンに、会いました。」
「は…?」
「紅か?」

早川くんの問いに、ゆるく首を横に振る。

「6年前の、あの試合をした相手校のキャプテンです。」

私たちは目を見開いた。

「何で、今更。」
「詳しい話は分かりませんが、再戦の申し込みに来たみたいでした。」
「え、」
「紅が私に会いに来たときの話も、それでした。あいつらと、もう一度試合をするために私がいると。」
「…湊さんは、どうするんスか。」

黄瀬くんの言葉に、湊は一度瞬きをして言った。

「鈴ヶ丘のチームへ戻る。」

力強い言葉に、3年生たちが顔をしかめた。

「俺は反対だ。」
「俺も。」
「わざわざ今更トラウマひっくり返す必要もないと思うけど。」

森山さんの言葉に、湊はまた緩く首を振った。

「あの時うやむやにしたのは、私です。白黒きちんとつけに行かなきゃいけない。」
「…でも」
「すみません。こればかりは、曲げる気はありません。」

決意に満ちた目に、森山さんも溜息をついた。
話を聞いていた黄瀬くんが、ぎゅう、と更に腕を強めて抱き着きながら弱弱しく尋ねる。

「ここを、辞めるって事っスか…?」

半分泣きそうな彼に、湊は小さく笑った。

「そんな訳ないでしょ。それとこれとは別だし、私はあいつらとの再戦を最後に鈴ヶ丘のチームは抜けます。多分、他のメンバーたちもそのつもりでいるでしょうし。」
「……そ、スか。」

安堵をめいっぱい浮かべながら笑った黄瀬くんを、湊がわしわし撫でた。
そのまま部屋へ戻って行った湊を見送ってから、小堀さんが口を開いた。

「森山、いいのか。」
「ああなったら、もう聞かないって。小堀だって分かってるだろ。」
「まあ、そうだけど。」
「湊が決めたなら、俺はもう何も言わないよ。勿論、危なくなれば止めるけど。」

言葉とは裏腹に心配そうな表情で湊の部屋を見上げる森山さんに、私はそっと救急箱を持って立ち上がった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ばふり、とベッドへ倒れこんで目を瞑る。
まさか6年も経ってもう一度試合をすることになるなんて思ってもみなかった。
また、公式戦に選手として出るなんて。

ゆっくり目をあけると、同時に部屋のドアが開いた。

「リコ?」

ぱたり、とドアを閉めて私の足元へ座った。

「どうしたの。」
「私の目が誤魔化せると思わないでよ。右足、出して。」

やっぱり気が付いてたか。
溜息をついて履いていた靴下を脱いだ。
少しだけ青くなっている足首に、リコがぎゅっと眉間に皺を寄せた。

「また、何かされたの。」
「少しね。引っかけられただけだよ。」
「…まったく。」

スプレーと湿布をして、包帯をぐるぐるにまかれた。
ご丁寧にサポーターまでされて。

「…これじゃ、皆が心配する。」
「仕方ないでしょ。とりあえず今日は包帯から下は取らないこと。いいわね。明日また様子みて考えるわ。」
「…」
「返事。」
「はい」
「よろしい。」

リコには勝てる気がしない。

「…湊。」
「ん?」
「あんたが決めたなら、私は何も言わないけど…心配だけはかけないでよ。」
「善処する。」
「それから、無茶はしない事。これは約束して。」
「ん、わかった。」

ゆるく笑って、リコを見下ろす。

「“無敗”の称号、取り戻してくる。」
「ええ。」

リコの笑顔に、少しささくれ立っていた心が落ち着いた。

prev / next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -