俺たちの交換日記 | ナノ

初めて向けられる声

とある日の夕方。
ここ、男士バスケ部の寮に過去最大とも思える寒波が押し寄せていた。
この際、間違ってほしくないのは、『台風』や『波乱』ではなく、『大寒波』だということだ。

勿論、大寒波の中心はあの二人。
方や、高校時代よりも(海常メンバーの涙ぐましい努力の甲斐あって)幾分か丸くなった宮地家の末っ子。
方や、彼女と付き合ってからアイデンティティですらあった女好きを封印してきた健気な苦労人。

寒波の始まりは、これまたとある男の一言からだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「なあ、森山ぁ?」
「ん?ぐえっ」

練習を終えて寮へ戻る途中。
勿論湊はいつものようにリコと桃井に手伝われながら後片付け中だ。
メンバーは、男のみ。

厳しい練習を終えて伸びをしながら歩く森山に、諏佐を連れた今吉が声をかけた。
がっしりと肩を組んで体重をかけられ、慌てて踏ん張った森山は怪訝そうな表情で今吉を見下ろした。
少し後ろに見えた諏佐のげんなりとした表情から、あまりいい予感はしなかった。

「……なんだよ。」
「何や、冷たいなぁ。」
「いや、お前諏佐の表情見ろよ。にこやかに話聞く気にはなれねぇぞ。」
「ははっ、諏佐お前顔に出すぎやろウケル。」

小馬鹿にする言葉にも、長年の付き合いで彼は慣れてしまっているようで。
溜息に、何故か森山への謝罪が小さく乗せられた。
嫌な予感は、どんどん深くなっていく。

「まぁ、ええわ。本題入ろか。なあ、森山?」
「…聞きたくないけど、何だ。」
「お前の“初体験”って、どないやった?」
「そういう質問頼むから最低でも宮地兄弟の居ないとこでお願いできますか!!!!」
「お前湊抱いたのか!!!」
「明け透けすぎだろ!!」
「手離せ兄貴、俺はそのテの話は聞きたくねえ。」
「ウルセエ兄の務めだ。」
「それが兄の務めなら、俺はあいつの兄じゃなくていい。」
「兄やないなら別に聞いても平気やな。」
「今吉さん聞いてました?」
「まあまあ、兄貴たちの思いは後でまとめて聞くわ。…で?」

ずい、と前へ出られて目に見えて挙動不審になりだした森山に、今吉の独特の笑顔はどんどんと深くなっていく。

「おーおー、初心やのぉ。ワシらもうピチピチ高校生ちゃうねんで?あんなことやそんなことあったって構へんやろ?」
「おい森山答えろ返答次第では唯じゃおかねえ。」
「兄貴、湊だってガキじゃねえんだから…」
「何でお前はそんなに冷静なんだよ!!」
「俺は一刻も早くここから立ち去りてえんだよ!!」
「おい煩いでー、答え聞かれへんやんけ。」

にまにまと笑う今吉が、再度森山を見遣る。
視線を只管彷徨わせていた森山だったが、今吉相手に逃げ切れないと悟ったのか、大きな溜息をついて小さく返した。

「………………ねぇよ。」
「……は?」
「え、ちょ、森山さん?」
「嘘やろ…?」
「うるっさいな!!ねぇよ一度も!!これでいいか!!」

ヤケクソ気味に言い放った森山に、4人は同じ表情をむけた。

「マジかよ…」
「おま、ねぇわ…」
「好きな女が近くにおって、ヤりたならへんのか。」
「何だこの敗北感。」

お前らが言えって言ったんだろが、とぶつくさ零しながら、4人の間を掻い潜って止まっていた足を前へ進めた。
慌てて後ろを4人が追う。

「何でや、あんだけ近くにおって。」
「腐っても寮だぞ。んな事出来るわけないだろ。」
「いや、でもヤろうと思えばいくらでも機会はあるだろ。」
「宮地、お前はどうしたいの。」

げんなりと溜息をつきながら、歩く速度を上げた。

森山だって、人並みにそういう欲はある。
伏し目がちでデータを纏めていたり、学校のレポートをしていたりするのを見ればどきっとするし、ふいに目が合ってにこりと笑顔を向けられれば、正直跳ねる心臓と共にムラッとすることだってある。
夜にリビングで並んで座ってうとうとと頭を肩へ預けられ、安心しきった表情で目をとじる彼女に、これまたムラッと来た事だって数え切れない。

だが、ヘタレた彼はそんな大それたことはできなかったし、何よりもその安心感を壊したくはなかった。
自分たちにしか向けられないあの笑顔を、失いたくはない。


「あかんあかん!!!」
「ッ…くりした…んだよ」
「もう付き合うて丸3年やろ!?」
「そう、だけど…」
「湊ちゃんが待っとったらどないすんねん!!」
「湊を痴女みたいに言うな!!」
「待ってる訳ないだろ…」

自分で言っていて若干悲しくはなるが、あの、大人びてはいるものの何処か抜けている彼女がそんな考えを持っているとは到底思えない。
だが、今吉の主張は違っていた。

「アホやな、そういう子ほど言われへんくてモダモダしてたりするもんなんや!」
「は、あ…」
「つーわけで!!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


今吉、宮地、諏佐、森山の4人は、某レンタルビデオショップの成人向けコーナーにいた。
裕也は寮に帰るなり、部屋へ籠ってしまった。

「ええか!イザという時に何も出来ませんでした、では男の面目丸つぶれや!」
「はあ…」
「本でもええけど、今のご時世動いた方がええやろ。」
「お前が言うと生々しいな…」
「まぁまぁ、諏佐かてこういうの、嫌いやないやろ。」
「そりゃあ、まあ。」
「何だろう、そういうとこ諏佐から桐皇臭を感じる。」
「いいから早く選べよ。」

やけに堂々とした宮地に居心地が悪くなりながら、しぶしぶ目線を棚に向ける。
出来れば早く帰りたい森山は、オススメと書かれた棚へ手を伸ばした。

「じゃあ、これ…」

全く内容までは見なかったが、パッケージに映っているのは美人系の明るい髪色の女性。
長い綺麗な髪を乱しながら悩ましい表情を向けるそれは、確かにそういう考えを刺激される。
適当に取ったつもりではいたが、どこかやはり湊を連想してしまう見た目に心の中で土下座した。
さっさと帰ろうとブースを出ようとする森山に、今吉は喝を入れた。

「アカ―――――ン!!!」
「ウルセエ!!」
「大声だすなよ、今吉。」
「何でダメなんだよ俺は早く帰りたいんだよ!!」

喚く森山の手からDVDを抜き去りながら、今吉はこれ見よがしに溜息をついてみせる。

「あのなぁ、分かるで?見た目的に湊ちゃんに寄るのも分かる。でもな、それはオアズケや。」
「…なん、で。」
「本番なった時に変な記憶が邪魔したらいややろ。」

ほれ、と代わりに渡されたそれには、背の小さめな黒髪ボブの女性。
俗物的な言葉を使うなら、『ロリ巨乳』なんて呼ばれるであろうそのDVDに、森山を含む3人はドン引きの視線を向けた。

「お前…こういうの好きなの。」
「いや、別に俺お前の好みにどうこう言うつもりはないけどな?」
「流石の俺も、同級生のロリコン趣味は知りたくなかったわ。」
「なかなかな言い分やな、自分ら。」

ごほん、とひとつ咳払いをしてから、ええか、と続ける。

「ふわっとしたウェーブのかかった真っ黒な短い髪!女の子らしいちっちゃい体!かわいい表情!どれもあの子にはない物やろ!」
「「湊は可愛いわ!!」」
「お前らのシスコンとバカップル加減はどうでもええんや!!」
「まあ…確かに顔はかわいいとは思うけど、表情とか、連想するのは美人型の湊だな。」

一人冷静に返す諏佐に、今吉は満足そうに頷く。

「とりあえずそれで肩慣らしや!」
「…てか、今更だけど別に俺困ってねえし。」
「でも、ホンモノのAVとか見た事ないんやろ?」

モノは経験やで、と言われ、仕方なくそれをレンタルすることにした。
そうでもしなければ帰れそうにもなかったし、と誰にするでもない言い訳をしながら、他にもいくつか見たかった映画のDVDを借りて寮へ帰宅した。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


次の日、ランニングへ出ようとする森山へ感想を聞く今吉だったが、終ぞ森山が口を割る事はなかった。
実際は、結局映画の方を熱心に見ていて全く手すらつけていないのだが、それを馬鹿正直に言えばまたヘタレだなんだと揶揄われるに決まっている。
森山はイヤフォンをしっかりと填めこんで寮を出た。




いつものランニングコースを走り終えた森山は、DVDの事なんてすっかりと忘れ去っていた。
走るのを緩めながら歩いていると、ちょうど寮の換気のために窓を開けてまわる湊に出会う。

「湊!」

ぱあ、と効果音でも付きそうな勢いで呼びながら近寄っていくと、それに気が付いた湊が笑顔を向ける。

「おはようございます、由孝さん。」
「おはよ、今日も早いな。」
「由孝さんも、珍しいですね。今日はランニングですか?」
「ああ、偶にはと思ってな。」

湊の笑顔は、森山に安心と凪いだ心をもたらしてくれる。
そんな彼女が、森山は大好きだった。

少し話をしていると、向こうの方から森山を呼ぶ笠松の声。
それじゃあ、と話を切り上げて離れた時。
思い出したように、湊が森山を呼び止めた。

「洗濯!昨日取りに来なかったでしょ!どうします?!戻しておけばいいですか!?」
「あ、ベッドの上あたりにでも適当に置いといてくれ!悪い!」

ぱたぱたと去っていく森山に苦笑いながら、湊はテーブルの上に置いたままになっていた森山の着替えを持って階段を上がっていく。


氷河期までの、カウントダウンが始まった。



主が居ないと分かっていても、小さくノックをしてから部屋へ入る。
いつものようにベッドの上へと山が崩れないようにそっと洗濯を置いて、部屋を出ようと踵を返したときだった。
床に無造作に置かれたレンタルビデオの袋を発見し、溜息をつく。

「まったく…また床に物を置いたままにして…」

DVDやCDなんてものは、踏んでしまったらすぐに壊れてしまう。
とりあえず机の上へあげておくか、と持ち上げた瞬間だった。
カタン、と音をたてて中身が床へばら撒かれてしまった。

「ああ、やっちゃった…あ、これこの間言ってた洋画だ…」

私も後で借りようかな、とひとつずつパッケージを確認していく湊。
いくつもあったDVDケースも、あと一つ。

最後のそれを拾ってパッケージを確認した瞬間、湊は目を見開いて固まった。

俗に言うAVを、初めて手に取った湊はその存在に関してはとても寛容だった。
まあ、そういうのを見ることだってあるだろう、と。
きっと、森山が最初に取ったDVDであったなら、思っていただろう。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


その日、湊は練習に参加しなかった。
たまたま寮でやる仕事があって、リビングでPCに向かっていたのだ。

「湊ー。」
「ん、」

リコの声に顔を上げると、ぺらりと1つの封筒を手渡される。

「…?」
「あんたに。開けてみれば?」

促されるままに封を切ると、中には淡い色のマーブルが描かれた便箋。
整った綺麗な字で、湊への手紙が書かれていた。
ざっと目を通したところで、別段見せても構わないものだと判断し、そのままリコへと手渡す。
同じようにそれを読んだリコは、目を見開いて湊を見遣った。

「どういうこと?」
「私に聞かれても…」
「私、聞いてないわよ。」
「私だって聞いてないよ、きっとリコを先に通すと突っぱねられると思ったから、わざわざ手紙書いてきたんでしょ。」
「…どうするの?」

むすっとした表情で手紙を封筒へ仕舞ったリコが尋ねる。
湊は苦笑いながらそれを受け取った。

「どうしようね、流石にここを空けるわけにはいかないしなぁ。」
「あんたが居なくなると煩い連中がいるでしょ、主に海常とお兄さんたちが。」
「はは、」

ただただ、乾いた笑いが漏れた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


夕方。
戻ってきたメンバーたちは、湊に違和感を感じていた。

明らかに機嫌が悪く、リコと桃井以外にはあたりが強い。
湊をよく知る兄たちや海常の面々が色々と例をあげてみるものの、どれが真因かは分からず。
結局擦り付け合った末、森山が貧乏くじを引くことになった。

「……なあ、」
「…」
「………湊〜…?」
「なんでしょう。」

冷たく低い声に、森山は既に白旗を上げたくなった。
そっと後ろを振り返るも、笠松や小堀、宮地たちはただただ無責任に視線と手振りで背中を押すだけだ。
森山は溜息をついて、再度湊へ向き直った。

「なあ、何でそんな機嫌悪いんだよ。」
「別に、悪くありません。」
「すぐ分かる嘘はやめろよ。」
「別に。」
「…お前の不機嫌オーラにビビってる奴もいるんだぞ。」
「…」
「……分かんなきゃ、何もできないだろ。」

言ってみろよ、と促す森山に、湊は深い溜息に単語を乗せた。

「黒髪。」
「…は?」

急に投げつけられた言葉は、全く理解できなくて。
首を傾げる森山に、湊は更に続けた。

「小さくて、かわいい感じの人でしたね。私、ああいうのが好みだなんて知らなかったです。」
「ちょ、何の話して、」

何のことか分からないと狼狽える森山よりも先に気が付いた宮地が、小さくつぶやく。

「…まずい。」
「は?」
「何がッスか?」

中村と黄瀬が首を傾げる中、出て行こうとした宮地よりも先に湊ががたりと音を立てて椅子から立ち上がった。

「湊…?」
「現物がないと、分かんないですかね。」

自分が使っていたPCの影になっていた所から、DVDの入っていた袋を取り出して森山へ押し付ける。
やっぱりか、と溜息をつく宮地とは裏腹に、森山はやっとこさ全てを思い出し、顔を真っ青に染めた。

「ちょ、ま、まさか、おま、」
「残念ですね、仮にも彼女が、ド派手な金髪の、長身で。」
「ち、ちが、」
「かわいくもないし?ああ、あの子からすれば、貧相な体ですものねスミマセン。」

PCを閉じて荷物を纏め始めた湊に焦った森山は、がっしりと手を掴んで言った。

「違う!あれは、今吉が…!!」
「…今吉さんのだって言いたいんですか。」
「そ、そう…!」
「馬鹿、森山!下手に誤魔化そうとすんな!!」

宮地の声に目を丸めた森山だったが、そんなものよりも目の前から向けられたぎろりと鋭い視線に肩が跳ねる。

「嘘つくなら、それ相応の用意をしてからの方がいいですよ。」
「え、」

ずいと眼前へと突きつけられたのは、2枚の細い紙。

「何か、分かりますよね?」
「ディ、DVD借りた時の…借用書…」
「その通りです。」

湊は探偵さながらに証拠を連ねていく。

「借用書には、借りる際に必要な会員カードの番号が出てきます。
 他にも沢山借りてた、由孝さんが見たいって言ってたアクションSFの映画DVDにも、同じ番号のレシートが挟まってました。
 今吉さんはSFは苦手だと言っていたので、あれは由孝さんがご自分で借りたものですね。」
「あ、」
「番号が揃うということは、つまり借主が同じ人間であるという事です。」
「で、でも、その番号が俺のだって証拠はないだろ!」
「やめとけ森山!!」

宮地の止める声も空しく、湊は持っていた紙の前後を入れ替えた。

「こっちは、そのDVDのレシートです。
 DVDを借りた時間も、ばっちりここに印字してあります。」
「…」
「昨日の練習が終わった後ですね。昨日私が帰宅した時間がちょうどこの時間の20分ほど前でした。偶々紅と電話していたので、間違いありません。一緒に戻ってきていたリコとさつきも知っています。必要でしたら履歴、出しますけど。」

既に森山の負けは決定していたが、湊は更に捲し立てた。

「帰ってきて札を裏返した時、寮にいなかったのは今吉さんと諏佐さん、清兄と由孝さんの4人だけでした。
 諏佐さんはDVDを借りることはしないって言ってたし、清兄はいつも面倒だからって裕くんのカードで借りて来ます。」
「………」
「どうです?まだ、足掻きます?」

嘘に上乗せする嘘は苦しくなっていきますけど、と湊は持っていたレシートと借用書を森山の持つDVDの袋へと戻した。

何も言い返せない森山に、湊は冷たく言い放った。

「かわいくて小さい女の子らしい子がいいなら、私じゃない他の彼女を探したらどうです?」

決別にも聞こえるその言葉に目を見開いて湊を見る森山だったが、湊はそのまま自分の荷物を持って部屋へ戻って行ってしまった。

ばたん、と閉まったドアの音が自棄に大きく響いた。

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