6年前と変わったこと
「湊!!」
応援席から呼ばれ、顔をそちらへ向ける。
柵から乗り出して自分を見下ろす森山に、へらりと余裕の笑顔を返す。
「大丈夫ですよ。」
「でも…!」
「由孝さん。」
静かに呼ばれた名前に、ぐ、と言葉を詰まらせる。
「信じてください。」
「湊…」
「ね。」
小首を傾げて、湊はコートへと視界を戻した。
だが、じっと見ていられないのは森山や海常勢だけではなかった。
「あの子…っ」
「リコ、座れ。」
「でも!!」
「リコ。」
今にも飛び出していきそうなリコを、木吉が引き留める。
立ち上がったリコを下から見上げる木吉の目は、穏やかだが強い。
「ッこのままあの子の足がダメになったらどうするの?!」
「あいつはそれでもいいって言ったんだろ。」
「…っ鉄平!!!」
珍しく声を荒げるリコに小さく溜息をついて、木吉は続けた。
「あいつは、今日の事を“最終戦”だって言ってた。あのチームで出る、最後の公式戦だって。」
「…」
「あいつにとって、鈴ヶ丘は唯一でかけがえのない場所なはずだ。」
「でも、」
「俺も、よくわかる。」
ぽつりとこぼれた言葉に、リコが目を見開く。
「俺も、高校時代に自分の足を賭けてあの1年コートに立ってた。日向や伊月たちと出られるのは最後かもしれないって、思ったからだ。」
「鉄平…」
「結果的には戻ってこれたけど、もしかしたらあれが本当に最後だったかもしれない。心配してくれるやつがいるのは、すごいありがたい事だけどさ。」
木吉は、リコを静かにまた見上げた。
「本当に、それが今のあいつが望んでることなのか?」
一度同じような事を経験している者の言葉は重いもの。
リコは、言葉を無くしてぐっと口を閉ざした。
迷いが見えるリコに、木吉は表情を崩した。
「ま、なんだ。兄貴たちが黙ってんだしさ。俺たちはこのまま観戦といこうぜ。」
「鉄平…」
「な。」
リコの視線が、今度は清志の方へと揺らぐ。
交わる視線に、溜息交じりに言う。
「座れ、相田。」
「…宮地さん」
「あいつは、俺たち3兄弟の中で一番物分りはいいが、一番頑固だ。こうなったら折れねえよ。」
続き、始まるぞと繋がった言葉に、やっと元の席へ腰を下ろした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて、と。」
ぐ、と伸びをしてスコアボードと残りの試合時間を確認する。
第3Qは、残り30秒。
点差は、鈴ヶ丘が30点近いビハインドを追っている。
「山吹。」
「ん、そろそろ行ける。」
にやりと笑って、紺へと声をかける。
「紺先輩、代わってください。」
「いけるの?」
「はい。」
湊が深く頷いたのを見て、紺も肯定を返した。
ぱん、と響く音をたててハイタッチを交わす。
「残り30秒、私がもらってもいい?」
「…10分で追いつけるんでしょうね。」
「当たり前でしょ。」
「……わかったわ。皆も、いい?」
残り3人も顔を見合わせて、にっと笑って頷いた。
ビー、と試合再開のブザーが鳴って、ボールは鈴ヶ丘から。
紅が湊へとボールを渡した。
片手で受け取ったそれを、数度ドリブルしてから軽やかに床を蹴る。
相手がブロックへ入ってくるのを、どんどん一人で越えていく。
他のメンバーが横へつくと、一度パスを出してまたボールを戻させた。
確実に点が取れたはずなのに、そうはしない。
必死に追って来る相手を翻弄するように、軽いステップで右へ左へと動き回る。
大きく跳ねて離れるボールなのに、湊がそれを取りこぼすことはない。
相手の脇をすり抜け、不利な場所からでも確実にゴール下を目指す。
ちらりとスコアボードを確認し、残りが3秒を切った所でボールを渡す。
受け取った紅は、それをゴールの上をめがけて投げつけるように手を離した。
ゴール下から大きく跳んだ湊は、間際でボールを右手で受け取ってそのまま盛大なゴールを決めた。
軋むゴールと大きく響くダンク音を追うように、第3Q終了のブザーが鳴り響く。
点差は、一歩縮まった。
「っと、」
「流石です!山吹先輩!」
きらきらした目を向ける若草に、軽く着地した湊は笑顔を向けた。
「遅くなっちゃってごめんね。」
「本当ですよー、暖気長すぎ!」
「はは。」
笑顔を浮かべる鈴ヶ丘の面々に、相手チームのキャプテンは顔を顰めた。
「…なん、で、」
「?」
「…っ、何で、あんた…」
「『そんなに動けるの』でしょうか。」
小さく笑う湊に、相手は更に表情を歪める。
若草たちの背を押してベンチへ戻してから、一対一で対峙する。
「6年前は、私も子供でした。実力もきちんと出し切れないまま、うやむやに終わっちゃって。」
「…」
「でも、今回は違います。」
そっと耳へ触れて、瞬きをひとつ。
「今日こそは、本気で行かせてもらいます。」
「…」
「この試合が、私の最終戦。足が痛いだなんて子供みたいな事、言ってられませんから。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最終Qが、始まる。
湊をPFへ入れた5人は、今までよりも更に攻めの姿勢が強くなった。
Cの桔梗も、ゴール下を開けてでも前へ出てくる。
お蔭で点も入れられるようになったが、それ以上に追い上げが早い。
ガシャン、と毎度半ばパフォーマンスのようなダンクを決める湊に、会場は大きく沸いた。
「何で…!」
もう既に長い時間試合に出っぱなしなのだ。
体力の消耗も激しいはず。
それなのに、全く勢いの衰えない湊に、相手のペースが乱れてくる。
「若!」
「はーい。」
湊に気を取られていると、外にいる若草が3Pを決める。
気が付けば、点差は大きく縮まっていた。
相手のイライラも、無くなっていく点差と共に増していく。
「さて、と。」
響くドリブルとスキール音。
ちょうどセンターラインの真ん中で対峙した湊と相手のキャプテン。
「そろそろ試合も終わってしまいそうですけど、どうです?勝てそうですか?」
「この…ッ」
「“6年前のまま”でしたっけ。前回がうやむやになったから再戦になりましたけど、変わらないなら6年前も私たちの勝ちでしたね。」
余裕の表情でボールを守りながら言う湊に、相手がぎろりと鋭い視線を向けるも、
ふいに逸らした視線の先に残り時間を捉えて、今度は笑みを浮かべた。
「それは、どうかしらね。」
「?」
「タイムリミットよ。点差は2点。貴女がお得意のダンクを2回も決める時間はないわ。」
相手の言葉に、湊もちらりと視線を移す。
残りは5秒。
「私たちの勝ちよ!!」
勝利を確信して高らかに宣言した相手に、湊は依然として笑顔を崩さない。
「お忘れでしょうか。」
ドリブルから右手へとボールを持ちなおし、ぐっと大きく後ろへ引く。
たん、と地面を蹴って跳んだ湊はそのまま力任せにゴールへ向けてボールを放つ。
唖然とする相手を視界の端に捉えながら、湊は冷静だった。
長いブザーが鳴り響き、試合終了を告げる。
会場にいる全ての人間の視線が、宙を浮くボールへと注がれた。
高くループしたそれは、そのまま吸い込まれるようにゴールを通った。
わあっと今日一番の盛り上がりを見せる会場にしっかり着地して、信じられないとばかりに目を見開く彼女を見下ろして言った。
「私は、SGです。」
「う、そ…」
「やっぱり、貴女の目は飾り物だったみたいですね。」
センターラインを少し超えた所からのシュート。
勿論、入るのは3点だ。
最後の最後に逆転を許し、何も聞こえていないかのように固まる彼女に、湊は一言言い放った。
「私たちの、勝ちです。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
長かった1日が終わった。
4戦をきっちり勝ち上がった鈴ヶ丘の面々は、遂に因縁の対決を制して優勝を勝ち取った。
あの後一度コート整備が入ってから、表彰式へと移った。
…移ったのだが。
「あれ、」
「湊さんは…?」
表彰式に出席したのは、4人だけ。
湊の姿は何処にもない。
きょろりと辺りを見回すメンバーに、桃井はそっと席を立った。
最終戦が始まる前に話をしたベンチに、湊はいた。
動き回ってよれてしまったテーピングを四苦八苦しながら取っていると、こつりと目の前へスニーカーが映り込む。
「ああ、さつき。」
「…お疲れさまです、湊さん。」
「……ありがとう。」
少しだけ困ったように言う湊に、桃井はその場へしゃがみ込んでポケットを漁った。
「さつき?」
「足、巻きなおします。自分じゃやりにくいでしょう?」
持参していたらしいそれを慣れた手つきで几帳面に巻いていく。
がっちりと固定された事を確認すると、そのまま隣に置かれていたサポーターを付けていく。
「あ、いいよ。それは自分で、」
「すみませんでした。」
突然向けられた謝罪に、湊は首をかしげた。
「何で、謝られているのかな。」
「…さっき話を聞きに来たとき、湊さんを信じるって、即答できなかったから。」
目に見えてしょげてしまっている桃井に、湊は溜息交じりに少しだけ笑って頭を撫でた。
「湊さん…」
「いいよ、別に。私だって言ったでしょ、『さつきの思うようにしたらいい。』って。」
「…」
サポーターへ手を添えたまま黙ってしまった桃井を撫でながら、更に続ける。
「答えは、聞かないでおくね。」
「え…?」
「私は、さつきが友達より私を取ったとも、私よりも友達をとったとも思いたくない。」
「…それって、ムジュンしてません?」
「いいんだよ、どうせ私の自己満足なんだから。」
「湊さん!!!」
響いた声に2人で顔をそちらへむけると、海常の面々が向かって来る。
走ってきた黄瀬が、興奮冷めやらぬ様子で湊を見下ろした。
「すっげーカッコよかったッス!!おめでとうございます!!」
「ありがとう、涼太くん。」
「先行くなよ、黄瀬!」
「大丈夫か、湊。」
「はい、平気です。」
笑顔を向ければ、少し安心したように笑う小堀。
「ほら、笠松。」
「…お前なあ。無茶しすぎだ。」
「あはは」
「あーあー、お説教は後だろ。先に、な。」
小堀が遮った言葉に、笠松はぐっと出そうとしたお説教を一度飲み込んで溜息にして吐き出した。
「…お疲れ。」
「はい。」
「おめでとう。快勝、とはいかなかったけど良い試合だった。」
「ありがとうございます。」
笠松へ返した後、ちらりと視線を桃井へ戻す。
「…さつきは?」
「え?」
「さつきからは、ないの?」
ん?と、小首をかしげて行われる催促に、ぽかんとしたあと吹き出すように笑った。
「あはは、湊さん、何かきーちゃんみたい。」
「ええ、そうかな。」
一頻り笑った後、何もかも吹っ切れたように綺麗に笑顔を浮かべて言った。
「おめでとうございます、湊さん!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、あの後疲労やらなんやらで満足に歩けなくなった湊は、森山の運転する車に乗せられて帰ることになった。
会場から車までの間は、お姫様抱っこをしてやるという森山と嫌がる湊の押し問答の末、結局岡村が片手に抱き上げて運ぶことになった。
元々車で来た海常メンバーは、森山に気をつかって他の面々と一緒に電車で帰る事にしたらしい。
つまり、帰宅路はふたりきり。
「…」
「……」
ちらりと助手席から、運転席の森山を盗み見る。
右手は窓枠へ肘をついて、左手だけでハンドルを握っている。
基本的に森山は安全運転だ。
ハンドルを握る事が、乗せている者の命を預かっているのだという思いがしっかりしみ込んでいるらしい。
だから、彼が人を乗せている時にハンドルから手を離すことはない。
―――よっぽど、イライラしている時でなければ。
無言の続く状況を打破しようと、細い声で名前を呼んでみる。
「……由孝さん、」
「…なに。」
いつもよりも更に低い声で返ってきた小さな返事に、湊は困ったように視線を落とした。
自分の足元が見え、サポーターが目に入った。
「その、怒ってます…?」
「相手にそれを確認するのは、怒りを煽るだけだぞ。」
取り付く島もない、とはまさにこのこと。
気をつかってくれた他の海常のメンバーには申し訳ないが、どうして一緒に帰ってくれなかったのかと心の中で文句を垂れる。
「……足。」
「え?」
ぽつりと零された言葉を拾いきれなくて、聞き返す。
首を傾げると、森山は深く溜息をついてからハンドルを両手で握りなおした。
「足、大丈夫なんだな。」
「え、ああ。はい。」
「本当に?」
「…若干、いたいです、けど。」
もごもごと零された言葉に、森山はやっと小さく笑みを見せた。
「そうそう、素直が一番だ。」
「由孝さん…」
「お前が倒れた時、本当にどうしようかと思った。」
視線を森山へ戻すと、更に続けた。
「横で、木吉が言ってた。『足を捨ててでも、出たい試合がある』って。」
「木吉くん…」
「あいつの言葉は重かったし、覚悟が見えた。お前も、きっと同じ気持ちでコートに立ってるんだろうなって。」
「…」
「正直、悔しかったし妬いたよ。お前の気持ちを汲んで見守ってやれる木吉にも、何も言わずに黙って冷静に見てられるお前の兄貴たちにも。」
ぎゅっとハンドルを握る手に力が籠るのが分かった。
「俺は、そんなに冷静ではいられなかった。湊が怪我したらどうしようとか、相手に何かされたらとか。そんな事ばっか考えてた。」
「…」
「木吉の言葉や後輩たちが居た手前だったから耐えれたけど。きっとあれ以上に何かあってたら、俺は試合をぶち壊してでもお前をあのコートから引きずり出してた。」
「由孝さん…」
「俺にとっては、正直あんなファウルの飛び交う試合に勝つことよりも、お前が戻ってくることの方がずっと大切だ。」
言い切ってから少し後悔したように視線を泳がせ、小さく溜息をつく。
「…ごめん、かっこわる。」
「…」
「お前が大切にしてた試合だって分かってんだ。勝った事を、もっと喜んでやらなくちゃならない事も。」
ごめんな、と再度謝ったところで丁度寮へと到着した。
フットブレーキを踏んで、車のエンジンを切る。
まだ電車組は到着していないようだ。
運転席から降りた森山は車のキーを指へ引っかけて湊を下ろすために助手席側のドアを開けた。
「由孝さん。」
「な、」
何、と返そうとした森山の襟元を引っ掴んで引き寄せた湊は、そのまま体を寄せてキスをする。
離された手と顔に目を丸めていると、ふ、と緩く微笑んだ湊がいた。
「ありがとうございます。」
「湊…」
「私の事を案じてくれるのも、思った事を素直にぶつけてくれるのも嬉しいです。」
へら、と自分に向けられる笑顔に、森山も色々なものを諦めたように溜息をついて笑った。
「本当、お前には勝てねーわ。」
「由孝さん、私まだ聞いてませんよ。」
「はいはい。」
湊の背中から手を回して肩を抱き、左腕で両足を抱える。
屈んだ時にそのまま今度は森山から湊にキスをして、横抱きのまま湊を車から降ろした。
「おめでとう、湊。すげーカッコよかった。」
「ありがとうございます。」
「『惚れそうだわ、マジで。』」
至極愛おしそうな表情で言われた言葉に一瞬考えた湊だったが、すぐに心当たりを思い出して小さく笑った。
「惚れてもいいんですよ?」
「ああ、すげー惚れてる。」
「あはは」
今度は耳に光るマリンブルーのピアスにキスをして。
電車組が帰ってくる前にと、寮の玄関へと歩き始めた。
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