俺たちの交換日記 | ナノ

海常への入りぐち

「湊!!」
「湊さん!!」

観客席から湊を呼ぶ声は、ファウルを取るブザーにかき消された。
コートの中でも、喧騒が広がる。

「山吹!!」
「山吹先輩っ!」

いつもならすぐに体勢を立て直す湊が、上体は起こしたものの立ち上がらない。
そもそも、並外れた体幹の持ち主である湊が足をかけられただけで
派手に倒れこむ事自体が異常だった。

4人が近寄っていっても、湊は顔を上げることすらしない。
何かに耐えるように床へつかれた手は小さく震えている。
息を詰めるような呼吸音が聞こえ、紅が慌てて傍へしゃがみ込んだ。

「山吹、」
「……」

右手が、サポーターに触れる。
紅が目を見開いて湊を見ると、視線に気が付いて手をまたそこから外した。

「…あんた、何ともないって、」
「……」
「嘘だったの、」

サポーターへ触れかけた紅の手を、湊が力任せにはらい落とす。
鋭い視線を投げかける彼女には、試合によるものではない汗が浮かぶ。

「嘘じゃない。」
「だって、」
「本当なの。」

ぎゅっと足首を握った湊が、押し出すように震えた声で返事をした。

「本当に…なんともなかった。多少、違和感があっただけで。」
「山吹…」
「ごめんなさい!大丈夫!?」

相手のキャプテンが慌てた様子で近寄ってくる。
審判へ背を向けた途端、表情が一変する。

「ふふ、なーんて。」
「あんた…!」
「あれだけ無敗だなんだって持て囃されてた“幻”も形無しね。」

にんまり笑う相手に若が噛みつこうとするが、紅が止めた。

「やめなさい、若。」
「だって…!」
「山吹、立てる?」

手を貸そうと体勢を整える紅を見ながら、相手は更に楽しそうに言葉を繋げた。

「面白い話、してあげましょうか。」

ぴくり

湊の肩が揺れる。

「聞いたわよ。お兄さんたちの誘いも蹴って、わざわざ特別枠推薦取ってまで海常へ行ったんでしょ?」
「…」

どこから仕入れてきたのか、進められる湊の昔話。
鈴ヶ丘の4人にも話したことのなかった、湊が海常へ入ることになった経緯。

「文武両道を掲げる海常の特待生。そう簡単に取れるものじゃないわよね。しかも、3年間維持し続けるなんて。」
「…特待生?」
「教えてあげるわ、特別にね。」

ふふ、と得意げに笑った彼女は、あたかも自分事のように話し始めた。

「海常の特待枠には、2つカテゴリーがあるの。優待生と、特待生。
 優待生は、学費やら入学料やら、要は学校に通うのにかかるお金ね。それが半額免除になるの。特待生は、それが全額免除になるかわりにそれに見合う成果が必要なのよ。」
「…たしかに、海常の制度は聞いたことがある。レベルが高いせいか、特待生が出ない年もあるって。」
「その通り。」

にんまり笑う相手に、湊はただぎゅっとサポーターを握った。

「その子は、その数少ない海常の特待生だったの。」
「……だから?」
「それは、山吹先輩の努力の結果でしょ。あんたがそれを知って何になるの。」
「焦らないでよ。話はここからよ。」

鈴ヶ丘4人の反応が楽しくて仕方がないようだ。
もったいぶるように言葉をためて、続ける。

「貴女たちも、気にはなってたんじゃない?その子が、どうして大好きなオニイサマたちの誘いを断ってまで海常へ入ったのか。」
「…」

たしかに、彼女らの中でも何度か話題にあがったことだった。
強豪と呼ばれる海常へ入ったことは別段問題ではなかったが、わざわざ兄たちの熱烈な誘いを反故にしてまで一体そこに何があったのか。
その話を出す度に、湊は耳についたハニーイエローのイヤリングに触れるだけで
今まで答えを出すことは一度もなかった。

「結果から言うとね。その子は海常が良かった訳じゃないの。逆よ。」
「逆…?」
「『秀徳じゃなければ、それでよかった』の。」

暴かれていく、湊の過去。
湊は黙って降ってくる言葉を受け止めた。

「お兄さんたちの後を追いたくなかったからじゃない。答えはもっと、単純明快。」
「…どういう、」
「秀徳を、私が受けるっていう噂を聞いたから。…違う?」

にっこり笑顔を浮かべる相手に、紅は目を見開いた。

「山吹…?」
「まあ、結果的には別の所を受けたから秀徳には行かなかったんだけど。でも、当たりでしょ?」

返事を返さない湊に、更に解説は続く。

「怖くなったでしょ、6年前のあの日。無敗だった自分たちが脅かされたこと、知らない間に体が動いてたこと、…何より、」

言葉を切って、ちらりと紅を見遣る。

「大切にしてたお仲間へ、自分が手をあげたことが。」
「ッ!!」

冷静だった紅が、立ち上がろうと足へ力をかけた時だった。
今度は湊が紅の手を掴んで引き留めた。

「山吹!!」
「紅、おちついて。」

ひどく単調な湊の声に、紅も少し平静を取り戻す。
湊は体勢を整えて、膝を立ててサポーターへ手をかけた。

「確かに、私は兄さんたちの言葉を遮って海常へ行った。選んだ理由も、実家から出られて、いざという時には簡単に帰れる距離だったから。」
「…」
「更に付け加えるなら、言うように、あんたが秀徳を受けるかもしれないっていう噂も知ってた。」

べりべりと、マジックテープが剥がれる音がする。

「でも、秀徳を受けなかったのはあんたから逃げたからじゃない。」

するりと足首から抜き取られたサポーターは、ベンチへ向けて投げ捨てられた。

「秀徳で、兄さんたちの後を追うようではずっと私は変われない。」
「…」
「いつまでも、あんたの口車にまんまと乗せられて暴走した私のまま。」

ゆっくりと立ち上がって、つま先を数度鳴らす。
足首を確認するようにぐるりと一度回してから、ぐっと汗をユニフォームで拭った。

「私は、海常で沢山の事を教わった。
 他人の声に耳を傾ける事、周りを見る余裕、―――何よりも、チームワークの大切さを。」

応援席の一角へ顔を向けた湊は、心配そうに自分を見下ろす海常の面々に緩く笑顔を向けた。

「ここで負けたら、それを教えてくれた6人へ恩を仇で返すことになる。」
「山吹…」

崩れて落ちてきた髪を退けるようにはらうと、ふわりとなびくハニーイエローの奥に、澄んだブルーが光る。

「この青は、あの人がくれた私の“自信”。これがある間は、私は絶対に負けられない。」

面白くなさそうに顔を歪める相手に向かって、今度は湊がにやりと怪しい笑みを向ける。

「残念だけど、“幻”の宮地湊はここでおしまい。







 ここからは―――、“青の精鋭”を背負う、宮地湊よ。」

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