二度目の最終戦
長いようで短かった1日の締めくくりがやってくる。
泣いても笑っても、次の試合が最後だ。
「山吹。」
「ん?」
ぐっと腕を伸ばしながら、隣から聞こえた自分を呼ぶ声に反応を返す。
自分よりも背が小さい紅の表情はうかがえないが、普段よりもぴりっとした空気を感じた。
「勝つわよ、いいわね。」
「分かってるよ。」
浅く長い息を吐いて、視線を光が漏れるコートへ移す。
懐かしく感じるほど久しい緊張感に、湊は耳へ触れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
流石に最終、決勝戦にもなると会場の盛り上がりも一入だった。
きっと中には、“幻”を知る者もいるだろう。
反対側の入り口からやってきた相手チームと共に、センターラインへと並んだ。
「この間ぶりね。」
湊へ声をかけてきたのは、相手のキャプテン。
6年前と全く同じ布陣だ。
「この間は、風邪ひかなかった?大分濡れたでしょう?」
「…」
「私に勝てなかったし、尻尾を巻いて逃げ出すかと思ってた。」
「口だけは達者ですね。」
視線は合わせず、相手の足元を見つめながら返事を返した。
湊の返答に、ふふっと笑う声がする。
「本当、6年前と変わらないわね。退屈な試合にならなければいいけど。」
「そう見えるなら、あなたのその無駄に主張する目はお飾りってことですね。」
「スポーツマンなのに化粧ケバいってどーゆー事?ありえないんだけど。」
「若、やめなさい。山吹も。」
挑発するように隣から言った若草を宥め、湊を諫めた紅の言葉を最後に
試合開始のブザーが鳴った。
ボールは、寸でのところで相手に取られ、5人の間をつながっていく。
素早くゴール下へ戻った桔梗が、すかさずブロックへ入った。
開始数秒の段階で行われる攻防に、観客席は大いに沸いた。
黄瀬たちも声を上げて湊たちへエールを送る。
「鈍ってるわけじゃ、ないみたいね。」
「そっちこそ。簡単に終わっちゃったら面白くないなって話してたところだったのよ。」
つく効果音は違えど、笑みを浮かべて言葉を交わすキャプテンたちに
他の4人も一触即発ムードだ。
「……負けない。」
負けられないのだ、と。
心の中で一度訂正して、湊は姿勢を落とした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
バスケットボールという競技に、一発逆転はありえない。
だが、点差が行き来しやすい競技でもある。
だからこそ、大坪率いる第2チームのように3桁スコアを当たり前とするようなチームもあるのだ。
つまり、だ。
何が言いたいかというと、目の前で繰り広げられる試合は極めて異例だということだ。
「…すげえよ。」
「ありえねえ、こんな、試合。」
感嘆と驚きを混ぜた声で呟いた笠松と日向の言葉を合図にするように、第2Q終了のブザーが鳴り響く。
両チームとも、運動量は並ではなく。
ぐっと汗を拭いながら水分補給のためベンチへ戻っていく。
スコアボードは、依然として動きはない。
「桔梗の鉄壁のガードは固いな。一定のラインから奥へ入りこませない隙のなさがうかがえる。」
「他の奴らもすげぇよ。言っちまえば、桔梗無しの4人で攻めこんでるんだからな。」
観客も手に汗握る試合運び。
思わず乗り出した体と膝へ置かれた手にも力が入る。
「…アツシ?」
「ん〜?」
氷室がぽそりと彼を呼ぶ。
一番気にしていた紫原だが、案外彼は冷静だった。
他のメンバーが声を張り上げて応援や檄を飛ばす中、彼はじっと視線だけで試合を追っていた。
「応援、しなくてもいいのか…?桔梗先輩のこと、気にしてただろ?」
「ん〜…まあ、別に。」
ぽりぽりと首の後ろを掻いて、小さく溜息をつく。
「どうしたんだい、朝はあんなに桔梗先輩にべったりだったのに。」
「…ここまで何試合か見てきて、逆に拍子抜けだし。」
「え?」
くあ、と小さく欠伸まで漏らした紫原は、更に眠そうに語尾を伸ばした。
「桔梗ちんが失点することは、今のままならありえないし。」
「…」
「おいおい、そんなに信じ切ってていいのかよ。足元掬われっかもしんねーぞ。」
一段上から降ってきた青峰の言葉に、紫原はめんどくさそうに溜息をついた。
「あのねぇ、これでもいちおー3年間イージスを守ってきたの。わかる〜?」
「アツシ…」
「守りに関しては、うちのやつらが負けるわけねーし。それは、桔梗ちんも一緒だし。」
自信満々に言い切る紫原に、氷室をはじめ、陽泉のメンバーは目を丸めた。
紫原から聞く、思いもよらない母校への想いにも、桔梗への信頼にも。
「ふーん、そんなもんなのか。」
「ちょっと!大ちゃんももっと紺先輩応援してよ!」
「してるだろ…うっせーな。」
「そんなんじゃ、紺先輩に届きませんよ…!」
「…良、言うようになったじゃねーか。」
両側から責めたてられる言葉にぶつくさ言いながら、青峰は視線をコートへ戻した。
ベンチでは、湊と紅が何やら話をしている。
「第2Q終わって点差がゼロのままの試合なんて、見た事ねーよ…」
「でも、それもここまでね。」
リコが真剣な表情でコートのふたりを見下ろした。
「どういう事だ?」
「見てなさい。」
木吉の言葉に、にんまりとした笑顔を浮かべる。
「湊が目、覆ったわ。点差が動くわよ。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
第3Qが始まると、湊はすぐに瞬きを繰り返した。
応援席からでは判別はつかないが、洗礼されたボールコースが乱れ始めたので
湊が声を変えて相手を翻弄しているのであろう事が窺える。
「紅!!」
声を戻した湊が、紅からのパスを受ける。
カットもない、絶好の3Pコースだ。
軽く跳んだ湊の手を離れたボールは、何にも邪魔されることなくゴールをくぐった。
会場が、初の得点に大きく沸く。
「ッしゃー!!」
「リコの宣言通りだな。」
「当たり前よ。」
ふふん、と得意気に笑うリコの表情が、コートで着地した湊にかぶる。
「ナイッシュ、山吹。」
「ありがとうございます、紺先輩。」
軽くハイタッチを交わして、足をディフェンスへ戻した。
湊の得点から、試合は大きく鈴ヶ丘チームへ揺れた。
先ほどまでの苦戦感が嘘のように、点差が開いていく。
力でねじ伏せる紺のダンクに、紅の完璧なまでの采配、若草のパス回し、そして湊の森山を彷彿とさせる無回転の3Pシュート。
攻め込まれても、イージスを受け継ぐ桔梗の鉄壁のガードが立ちふさがる。
湊たちは、完全に“幻”のチーム感を取り戻していた。
「本当、調子いいな。」
「(俺)たちとやった時とは、別人みたいだ。」
「あの時は連戦だったしな。それに今回は練習期間もきっちりあった。違って当然だ。」
多少ぶすくれた早川を宥める様に言った中村は、珍しく小さく笑みを浮かべていた。
「…」
「森山センパイ?」
黄瀬が、やけに静かな森山を見下ろす。
湊が勝っているにも関わらず、森山の表情は暗い。
「どうしたんスか、勝ってるんスよ!」
「…ああ。」
「……本当、どうしちゃったんスか。」
困ったように眉を下げる黄瀬を一瞥して、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「このまま、何もなければいいけどな。」
「どういう事っスか?」
「忘れたのか。何で、湊たちが一度目の試合で“勝てなかった”のか。」
森山の言葉に、少し考えた後黄瀬は表情をこわばらせた。
6年前の試合の時、湊が暴走するほどのプレーを見せた相手が、このまま引き下がるとは到底思えなかった。
「やめろ、森山。」
不安が募っていく黄瀬の肩を優しく叩く小堀が、いつもの笑顔を乗せて言った。
「むやみに不安を煽ることない。」
「…悪い。」
「黄瀬も。湊を信じてやれよ。」
「小堀センパイ…」
「あいつも、6年前のままじゃない。俺たちも、それぞれ知らない“空白の1年間”がある。その間に、あいつはあいつなりの進化を続けてるはずだ。」
小堀たち3年生が卒業してから湊が大学へ入学するまでの1年間、
そして、湊が大学へ入ってから黄瀬が入ってくるまでの1年間。
それぞれ時は違えど、空白の時間が出来る。
その時間が育てた湊の事を、小堀は信じていた。
「それに、ほら見てみろ。」
「?」
小堀が視線を投げた先には、残りの海常メンバー3人。
「ずっと一緒にいる早川や中村、それに部では一番長く湊を見てる笠松があれだけ平然としてるんだ。少なくとも、まだ大丈夫だ。」
「…まだ、なんスね。」
「ははは。」
黄瀬が少し拍子抜けした様子で小堀をじとりと見つめる。
森山も、小堀の言葉に少しだけ気持ちが軽くなった。
小堀は、言葉を選ぶのが上手だ。
さっきの言葉だって、謂わば理想論。
ちゃんとした裏付けや証拠は何一つない。
だが、それでも小堀の言葉は相手に大きな影響を及ぼす。
黄瀬には安心感を、森山には、心のゆとりを取り戻させた。
「よーっし、しっかり応援するッス!湊さ―――ん!!頑張ってくださー――い!!」
「そうそう、その意気だ。」
にっこり笑う小堀と、黄瀬を挟んで目が合う。
今度は少し違った、緩く目を細めるように笑われた森山は、大きく息をついて笑い返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
点差が更に開いた第3Q後半戦。
ボールを構えた湊に、相手のキャプテンがブロックに入った。
明らかに覆いかぶさるように手を伸ばした相手を避けて、湊は咄嗟に瞬きを繰り返す。
キュ、と軽いスキール音を立てて地面を離れた体は、やや後ろへ傾きながらシュートを放った。
ゴールを報せるブザーが鳴り、ふたりはそのままそれぞれ着地した。
ぎろりと睨み付けながら体勢を戻した湊に、相手は余裕の笑顔を投げつけた。
「危なかったわ、ごめんなさい。」
「…わざとらしい。」
吐き捨てる様に言った湊に、彼女はただ気味が悪いほどの完璧な笑顔を張り付けた。
その瞬間から、やっと相手チームのスコアボードが動き始めた。
運動量の激しいバスケットでは、小さな“違反”は見つかりにくい。
ファウルになるかならないかのギリギリを攻めてくる相手に、湊たちは翻弄されていた。
完璧だった桔梗の防御も、ブロックへ飛んだ時にぶつかられ、起動を崩した。
「……」
「山吹。」
どんどん顔に余裕がなくなってくる湊の肩を叩いて、紅が声をかける。
「しっかりしなさい。相手は間違いなく、あんたがキレて向かって来るのを狙ってる。」
「…わかってる。」
ぼそりと零された言葉は、いつもの彼女の声からは数段低く。
頭では分かっていても、イライラを募らせている事は明白だった。
ビー、とブザーが鳴って、試合が再開される。
ボールを奪い、ドリブルをしながら相手陣地へ攻め込む若草の前へ、相手が回り込んだ。
咄嗟にパスを出した若草へ、カット際に相手の手が当たった。
「若!」
「青6番!プッシング!」
しりもちをついてこけた若草に、その日初めてファウルを取る声が響く。
「大丈夫、若…」
「いたた、はい。平気です。」
「あーあ、ダメじゃない気をつけないと。」
ぶつかった相手と別の選手が、若と彼女を起こしにいった湊の前へやってきてわざとらしく言った。
「やるなら、ファウルは取られないようにやらないと。」
ぽそりと自分たちにだけ聞こえるように言われた言葉に、思わず湊の手に力が籠る。
「山吹先輩。」
そっと手を添えられ、優しく声をかけられた。
「私なら大丈夫です。」
「若…」
「ね。」
笑顔を作って立ち上がった若草は、余裕そうにズボンを掃う。
湊が深い溜息をついて、追うように立ち上がる。
「無茶はしないでよ。」
「それ、そっくりそのままお返しします。」
ふたりの表情を見た相手のキャプテンは、少し面白くなさそうに顔を歪めた。
「…これじゃ、楽しくないわ。」
少し何かを考えるそぶりを見せ、キャプテンは湊のブロックをしていた選手と場所を入れ替えた。
露骨に嫌そうな顔を向けられ、先ほどまでとは打って変わって笑顔を見せる。
「そんな顔しないでよ。」
「…」
ビー、とまたブザーが鳴る。
ボールが他のメンバーの間を行き来する。
近くにいるのは出来るだけ避けたいが、そうも言っていられない。
自分も攻めに行こうと足を大きく前へ出した、その時。
「ねえ、その足。不調なの?」
思わず視線を相手に投げた湊は、にんまりと歪む口元を視界に捉えてから
大きな音を立ててコートへ倒れこんだ。
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