右目と朱と過去の主


昼食も済み、いつものように粧裕は燭台切と並びながら片付けをしていた。
ちらりと自分よりも数段背の高い彼を、彼の右側から盗み見る。
彼等は皆容姿が整っているけれど、光忠は自分が気を使っているだけあって他の面々とは幾ばくか違うものを感じていた。

視線を手元へ戻して、つい先ほどの話を思い出す。



『光忠の右目…眼帯の下を、見た事があるか。』



大倶利伽羅の言葉が、どこか自分を試しているように聞こえたのだ。
自分からの問いに応えながら、それに見合う“対価”を欲しがっている。
それはきっと彼の言うもうひとりの飴色も含まれているのだろうけれど、それだけだとは到底思えなかった。

“貞”を探し出すのを手伝えというのであれば、光忠の話は出さなくてもよかったはずだ。
彼は他人との関わりを避けるために、むやみやたらと話を漏らしたりはしない。
特に、粧裕に対してはそうだった。

何もしらない自分と付喪神たちとの境界線を、そうやって引いているのだと思っていた。
だが、どうやらそこには隠された彼の真意があったようだ。


彼が他人の話を嫌うのは、そこから漏れてしまうかもしれない“仲間たち”の過去を語りたくなかったから。


彼にとって、“仲間”と呼んで一番に出てくるのは伊達の家に仕えていたという三振であろう。
もう一振も、粧裕には分からないがきっと数には入っている。

とどのつまり、大倶利伽羅が口に出すのを避けていたのは―――



「どうしたの。」
「え、」

思考の海から粧裕を引き上げたのは、渦中の当人。
粧裕が何かに考えを飛ばしているのを確信しており、どこか有無を言わせない雰囲気を漂わせる光忠は、手を動かしながら声だけで粧裕を問い詰めた。

「…どう、とは」
「何かまた考えてる事があるんでしょう?」

少しおかしそうに言いながら、光忠は最後の皿を粧裕へと手渡した。

「あててみようか。」
「え」
「話の出所は、次郎さんと倶利伽羅だ。そして、その話は僕にかかわる事だった。」
「…!」

ほんの少しだけ見開いた目を、彼は見過ごさなかった。

「あたりだね。」
「…」
「それから、…そうだなぁ。きっと君は、倶利伽羅に連れられて本丸の裏の草むらへ行ったんだ。そこで、背の高い植物を見た。」
「…どうして、知っているんです。」

粧裕の問いに、得意げに笑って薬缶に水を張る。

「倶利伽羅に連れられて出ていった後、ごはんの用意があったから厨に来てたんだ。でも、丁度那須が切れちゃってさ。ひとつもらえないかと思って表の畑に行ったんだ。」
「…」
「でも、そこに居たのは粟田口の短刀くんたちだったから「違います。」」

未だネタばらしを続ける光忠へ、粧裕は口をはさんだ。
光忠は薬缶を火にかけてから、いつも厨組がお茶をしているテーブルへと腰を下ろした。

「私が尋ねたのは、そこじゃない。」
「どういうことかな。」
「…どうして、向日葵の事を知っているんです。」

大倶利伽羅は、花の事を知っているのは“貞”と自分だけだと言った。
更には、向日葵の事は光忠と鶴丸には知られてはならない、とも。
なのに、光忠は自分が今まで居た場所をぴたりと言い当てたのだ。
不思議に思うのも、当たり前だった。

「僕は顕現してから長いけど、ずっと厨を任されているんだよ。」
「…」
「さっきも言ったけど、帽子を持って出かけていくところなんて痴れてる。たまに今日みたいに野菜を貰いに行ったりするけど、倶利伽羅が内番以外で出ていった日に畑で会った事はないよ。」

つまり、だから光忠は倶利伽羅が他の場所で畑仕事をしているのを知っている、ということだろうか。

「…本当に、それだけですか。」
「そうだなぁ…他にあるとすれば、……匂い、かな。」
「におい…?」
「そ。」

机上の缶を開けて、においを嗅ぐ。

「僕は右目を塞ぐ代わりに他の五感は皆よりも鋭く出来ているみたいでね。」
「何の、においがするんです。」
「碧い緑のにおいと…ほんの少しだけ混ざる、甘い匂いかな。」
「…?」

先ほど連れて行かれた時に通った道には、甘いものなんてあっただろうか。
粧裕が記憶を辿ると、答えに行きつく前にばらされてしまった。

「蒲公英の、においだよ。」
「…蒲公英?」
「うん。この本丸の裏あたりって、一部だけ日当たりがすごくいいところがあるんだ。そこに、蒲公英が群生してるんだよ。」
「そのような場所…ありませんでしたが。」
「もうこんなに暑くなっちゃ、全部綿毛になって飛んじゃってるよ。日も、春の時期しか当たらないんだ。夏になると周りの緑が生い茂ったり、日が傾いたりして暗くなっちゃうから。」
「光忠は、本当にこの本丸の事をよく知っているのですね。」
「………まあね。影響されてか、探索は好きなんだ。」

意味深に笑う光忠は、先ほど火にかけたばかりの薬缶を見遣ってからにこりと笑った。

「おやつの時間まではまだ大分あるし…どうだい?僕と、昔話でも。」



××××××××××××


この本丸には本当に沢山の男士がいるけれど、その中でも結構古株な方なんだ。
でも、顕現したての頃は…ここの皆が苦手だった。

他の本丸の男士たちがどうかは分からないけれど、此処の皆は必要以上の接触を避けてた。
勿論、今までの審神者の影響が大きいと思うけれど。

大事なものはとても大事だけれど、いらないものは片っ端から切り捨てていく。
ここの皆は、そういう生き方をしてる。
今も、少なからずね。

僕にも大事なものはあったけど、正直戸惑ったよ。
僕は不器用だからね。…何を切り離して生きて行けばいいのか、わからなかった。

仲間が増えたり減ったりを繰り返していくうちに、皆の関係はどんどん歪んでいった。
明るい声も聞こえなくなっていったし、長く一緒にいるのに、あまりにも呼ばないものだから咄嗟に名前が出なくなったりしてね。

中でも、僕は歌仙くんが一等苦手だった。
今でこそ一緒に厨に立つし、よく話もするけれどね。

彼には、とても大事にしていた審神者がいてね。
でも、彼女は突然消えてしまった。

その後にやってくる審神者たちには一切付き従わずに、歌仙くんはずっと一人で彼女を探し続けた。
気に入らなければ、切り捨てることだって厭わなかった。
勿論、それは他の皆が止めたけれどね。
三日月さんの事もあった後だったし、また揉め事を増やしたくなかったんだろう。

そんな彼が、唯一夢見たものがあった。
―――向日葵だよ。


例の審神者がとても好きだったんだ。
僕や太郎さんたちの眼も、美しい金色だって褒めてくれてたんだけど、彼女は本丸の外へ僕らを絶対に出さなかったから、本物は見れずじまいだった。
それでもずっと、彼は向日葵を追い求めた。

向日葵は、いなくなった彼女の象徴のようなものだったから。

歌仙くんは、日に日におかしくなって行った。
彼女はもう見つからない。
歌仙くんは、心のどこかで分かっていたのかもしれないね。

僕や他の金目の男士と目を合わせるや否や、とびかかってくる勢いだったよ。
彼は、自分の藤色をとても嫌がっていたからね。

そんな中、事件は起きた。



次郎くんから聞いたかな。
僕が、面倒を見ていた審神者の話。
ああ、そうそう。その、小さな彼のことだよ。

小さな彼は、歌仙くんを嗤っていた。

『棄てられたのに、まだ気が付かないのかな。本当、おめでたい奴。』

彼からよく聞く言葉だった。
彼は、歌仙くんが向日葵を探しているのをよく知っていた。
いつも飄々としていた歌仙くんが唯一取り乱すのが向日葵関連の時だったから、彼にとってはいい玩具だったんだろうね。
とある日、僕に用事があってやってきた歌仙くんに、彼はにんまり嗤いながら沢山の花を投げつけた。

『…なんの真似だ。』
『お前、いつまで向日葵なんか追い求めてるんだよ?』
『…』
『金の花ならいくらでもあるだろ。蒲公英、マリーゴールド、アブラナやアマランダだってそうだ。カタバミなんか、雑草だぞ。』

彼は勿論、歌仙くんが黄色い花に想いを馳せてるんじゃないことくらい分かってた。
“向日葵”じゃなきゃ、意味なんてなかったんだ。

“向日葵の君”は、花自体が好きだった。
中でも向日葵は一等だったけどね。

それを思い出してか、歌仙くんは膝をついて散らばった花へ優しく手を差し伸べた。
でも、その花を触った途端目を見開いた。

歌仙くんの反応を見た彼は、とても楽しそうに大きな声で嗤ったよ。

『あはははは!それは全部ニセモノだよ!よくできているだろう?いまどきのカガクの力はそんな事だってできるんだ!』

作り物のそれを震える手で撫でる歌仙くんに、彼は追い打ちをかけた。

『お前が探している審神者だって、所詮は“ツクリモノ”だ!政府がよこした、時間稼ぎでしかないんだよ!』
『…』
『審神者が急に消えた?そんな訳ないだろ!此処は、お前は棄てられたんだ!』

ぐしゃりと小さな足で踏みつけられた造花たちに、歌仙くんは目を血走らせた。
もう、彼も我慢の限界だった。

その場で、彼は刀を抜いた。
慌てて審神者にあたる前に受けたけど、もう止められなかった。

『どけ…燭台切。』
『やめてよ、歌仙くん…!三日月さんの事、忘れたの!?』

必死に止めたけど、歌仙くんの瞳には小さな審神者しか映っていなかった。

“殺してやる”

彼の瞳は、言葉以上に強くそれを映していたよ。

まさか抜刀されると思っていなかったらしい小さな彼は、腰を抜かしながら逃げ出した。
さっきまで僕が使ってた、果物用のナイフを握ってね。

僕は歌仙くんを無理やり気絶させて、慌てて後を追った。
追いつくと、彼はもう半狂乱だったよ。

『離せ!!』
『しっかりしてよ、彼だって本気じゃない…!』
『うるさいうるさいうるさい!!!花が何だ、馬鹿らしい…!』

僕を見上げた彼は、僕の目を見た瞬間ぴたりと暴れるのをやめた。

『……そうだ、この色が悪いんだ。』
『主…?』
『この、金の目が…!』

彼は、ナイフを握りなおしてから僕を振り払ってまた走り出した。
僕を狙わなかったのは、きっと自分の唯一の味方だと思ったからだろうね。
別に僕は彼を特別好きでも嫌いでもなかったけど、揉め事を起こしたくなかったから。

そこからは、次郎くんに聞いたんじゃないかな。



××××××××××××


「…」
「お茶でもいれようか。」

ちょうど沸いた湯でお茶を淹れながら、光忠は続けた。

「歌仙くんはね、そうやってずっと彼女を待ってるんだ。」
「…」
「ああ、そうだ。僕の眼の話だったよね。」

ことりと粧裕の前へカップを置きながら、彼は一服入れてつづけた。

「僕の眼はね、その小さな彼に抉られた時に“色”を失ったんだ。」
「色…?」

そっと後頭部に手を回して眼帯を外した彼は、少しだけ戸惑いを見せた後粧裕の方へゆっくりと向き直った。

「…その、目」
「金色じゃ、ないでしょ。」

どす黒く歪んだ朱色は、寂しそうに粧裕から逸れた。

「元は、同じ色だったんだよ。でも…あれから戻らなくなっちゃった。」
「…」
「審神者の力を吸った刃物が刺さったんだ。こうなっても可笑しくないといえば、それまでなんだけど…」
「手入れでは…戻らなかったんですか。」

粧裕の問いに、光忠は緩く頭を振った。

「残念ながらね。変わったことが大好きな政府の奴らが来て見て行ったりもしたけど、ただ見世物になっただけだったよ。」
「…」
「僕の右目は、“バグ”として扱われた。おかしいよね、審神者のせいで、こうなったのに。」
「光忠…」
「あいつらは言ってた。僕のこの右目には、恨みが籠ってるって。小さな彼が歌仙くんへ込めていたそれだったのか、僕が彼に対して持っているものなのかは、分からないけど…いつ、どうなってもおかしくないって言ってたかな。」

一期くんみたいに、と続けた光忠は、粧裕の視線から逃げるように眼帯へと手を伸ばした。
粧裕はそれを追って、光忠の手を握った。

「…粧裕?」
「光忠は…私のこの色をどう思いますか。」
「…その、黄蘗色の事?」
「そうです。」

少し考えた後、眼帯から手を離してそっと粧裕の髪を触る。

「綺麗だと、想うよ。太陽の光を反射して。」
「…」
「粧裕?」

答えを間違ったかと心配そうな表情を浮かべる光忠に、粧裕は返した。

「…私のこの色も、本来の色ではありません。」
「え、」
「私たちは、元は銀狐。どちらかといえば、今剣と似た色をしているんです。」
「でも、」
「私だけが、この色です。…キメラになった時、歪んでしまった。」

貴方と一緒です、小さくつぶやいた粧裕に、光忠は大きな焦りを感じていた。
自分の話は、彼女を間接的にでも追い詰めたのではないかと。
だが、それも杞憂だった。

「貴方に、お貸ししましょう。」
「え?」

手袋を外した左手で、光忠の右目を優しく覆う。
じんわりと温かくなったかと思うと、小さな手は離れていった。

「私の銀色は、きっと貴方には似合わない。」
「…どういう、?」
「もしそれが前の審神者のものであると仮定するのであれば、上書きしてしまえばいいだけの事。それを形容したのが、その眼です。」

辺りを見回して、壁にかけてあったおたまを光忠へと向けた。
反射して映る像は綺麗には見えないけれど、色を判別するくらいなら十分だった。

「…この、目、」
「政府の者たちが言う“恨み”が、光忠本人の者であるならば、乗り越えていけばいい。その手助けを、微力ながら私も担う事ができたらと思っただけです。」

驚きを隠しもせずに右目を触る光忠。
先ほどまでの澱んだ色は綺麗に消えて、つい先ほど褒めたばかりの彼女の色がそのまま移っていた。

「…お嫌いでしたら、戻します。」
「……ううん、すごく、綺麗だ…。」

じわりと滲んだ右目は、薄い膜を張ってきらきらと輝く。
零れないうちに力強く涙をぬぐった光忠は、いつもと変わらない笑顔を返した。

「ありがとう、粧裕。大事に、するよ。」
「当たり前です。光忠の眼なんですから。」

おたまを戻しに立った粧裕を追いながら、不思議そうに右目を撫でる。

「でも、すごいね。皆色々してくれたのに、変わらなかったんだよ。」
「そうなんですか。」
「うちには、病気とか災厄とかを祓ってくれる刀もいたからね。」
「どこの方でしょう。」

世間話的に出した話題だったが、思わぬところで繋がるものだ。


「三条の石切丸さんとかかな。」


突然出て来た名前に、ぴたりと手を止める。
その違和感に気が付かないまま、光忠はつづけた。

「三池の大典太くんとかも、頑張ってくれたんだけどね。やっぱり変わらなくて。」
「…光忠、石切丸、というのは。」
「え?ああ、ほら。三日月さんとか、今剣くんとかと同じ刀派の刀だよ。兄弟、っていうのかな。」

事も無げに紹介を続けていた光忠だったが、ふと何かを思い出したように目を伏せた。



「ああ、でもあの時は丁度小狐丸くんの事があったばかりだったし…それでかもしれないけど。」



探していた糸が、どこかで繋がろうとしていた。


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