歌仙と妖


私と目線をかち合わせた彼は、すぐに目を大きく見開いて近くにあった刀を手さぐりで探した。

「まって、待ってください。」

私が触るのは憚られたけれど、致し方ない。
相手は名だたる名刀の付喪神、抜刀されては今の私では到底太刀打ちできない。
彼よりも早く日本刀を手に取り、ぎゅっと抱き込んだ。
手袋もしているし、私の着物はきっちりと首元まであるものなので素肌には一切触れない。
申し訳ないけれど、こればかりは今だけでいいので許容してほしい。

彼はぎろりと私を睨み付けて、低い唸るような声で言った。

「君は…一体誰なんだ。」
「私は、」

人間の世界では、真名を取られると神隠しに遭うという言い伝えがある。
それを思い出して反応が遅れると、彼は何かをあざ笑うように言い放った。

「…ああ、“外れ籤”を掴まされた審神者、か。」
「え?」
「さっきの管狐に聞いたのだろう。ここは、成らず者たちが集まる場所。何人もの審神者たちがやってきては、手に余り棄てられた場所だ。」
「……」
「君も、何も聞かないまま連れてこられたのだろう。でなければ、こんなところ好き好んでくるような輩はいない。」

鼻で笑いながら俯く彼。
諦めたような言葉とは裏腹に、手はぎゅっと強く握りこまれて小さく震えている。

「…確かに、貴方の言う通りです。」
「……」
「私は、何も知らないままここへ連れてこられました。でも、諸々の事情により、元いた所へ戻る事も出来ません。」
「え…」
「私は、ここ以外に行くところがないんです。」

少しだけ驚いたように目を見張って、彼は私を見た。

「だから、私をここへ置いてください。私にできることは、何でもします。」

抱き込んでいた彼の刀を丁寧にそっと畳へ置いて、頭を下げる。
彼が、先ほどの私と同じように何かを飲み込んだのが分かった。

「君は…一体、」
「…尋ねられているのは、名前でしょうか。」

答えを待たずに自分の名を名乗ろうとした私を、彼は慌てた様子で止めた。

「君は馬鹿なのか!?」
「は、」
「僕たちは付喪神、末端だとはいえ、神の端くれ。真名を取られるという事は、君の命を握られるも同義なんだぞ…ッ!!」

酷く狼狽する彼に、私はやっと意味を理解した。
でも、それは私には無関係だ。

「私の場合は、それは適応されません。」
「…は、」
「真名のやり取りは、元々神に勝ち得る力の無い人間達が作った護身術。私には必要無いものです。」
「どういう、事だい。」

怪訝そうな、得体の知れないものを見る目が向けられる。
それはそうだろう、人成らざる者は彼ら自身、付喪神しか出会ったことがないのだろうから。
私は目線を彼の刀に向けて緩く笑った。

「私は、妖です。」
「妖…?!」
「そう、物の怪、と言った方がしっくりきますかね。」

笑った私に彼は目を丸くした。

「君が…?」
「そうです。」
「…物の怪が、実在するって、言いたいのかい。」
「私が、現にそうですからねぇ。」

彼の目線が、疑念を抱き始める。

「そんな事、信じられない。」
「ご自分も、付喪神という“人成らざる者”であるのに?」
「僕たちはその存在を証明する仲間と後ろ盾がある。」
「私だって、妖は私ひとりではありませんよ。」
逢わせることは、できませんが。
そう続けると彼の疑心を更に煽ってしまったようだった。
いつの間にか彼の手に戻った刀身が抜かれ、ぴたりと首筋へ這わされる。
この建物と同じであまり手入れの行き届いていないそれは、刃こぼれが目立った。
今の彼では、私はおろか生身の人間の首を刎ねることすら不可能だろう。

「僕を嗤うのも、いい加減にしてくれないか。」
「私は至って真面目です。」
「何度も言わせるな、物の怪なんてもの、存在し得ない。」
「物差しは、人それぞれですよ。」

力が入りきらない手で刀を握る彼に、私は目を向けて言い放った。

「付喪神も、人間が信じ、大切にされなければ存在しない。」
「ッ!!」

今までは比較的話が出来ていた彼の目が一瞬で変わった。
大袈裟なほどに大きく振りかぶられた刀は、一直線に私の首を刎ねに来た。


鈍い、金属がうなる音がした。
僕が落とそうとした首へ刀身が辿り着くことはなく。
彼女はゆるりと一度瞬きをして、僕を見上げた。

「貴方たちに、私は殺せませんよ。」

彼女は右手でいとも簡単に僕の刀身を受け取めた。
ぐ、と手に力が籠められて、本体が悲鳴を上げる。

「…ッ」
「別に、信じろとは言いません。物差しは、人それぞれ。何を信じ、何を疑うも人それぞれです。」

また目を伏せた彼女は、刀身を掴んだまま立ち上がった。
慌てて刀を戻そうとしたが、びくともしない。
一体彼女のどこに、そんな力があるというのだろうか。
手袋をした、僕よりも幾ばくか小さい手は、とても優しい手つきで刀を端から端まで撫ぜた。

「“戻”」

ぽつりと呟いた彼女の言葉に呼応するように、刀身がうなる。
何をされたのかと慌てて見遣ると、先ほどまでは見るも無残な姿だった刀身が綺麗に手入れされていた。
こんな状態の自分を見るのは何時ぶりか、僕はただただ唖然とそれを見るしかなかった。
彼女は一度僕を確認してから、一人で部屋を出ていった。
慌てて追おうと足を進めるが、もう長い間捨て置かれた体はいう事を聞いてはくれなかった。
がくりと膝から崩れ落ちた僕がやっと部屋から這い出た時には、当たり前だが彼女の姿はなかった。

「…雅じゃない。」

この言葉も、何時ぶりだろうか。


―――――――――――――――――――――――――――

彼―、歌仙様、だったか。
紫の彼と出会った部屋を出て左へずっと歩いていくと、廊下に小さな短刀が落ちていた。
きっと、他にもこうやって打ち捨てられたように置いておかれた刀がいくつもあるのだろう。
私は少し躊躇したものの、小さく溜息をついて手袋がしっかり嵌まっていることを確認してからそれに触れた。
小さな、少し高めの声が聞こえる。

「…“そう”…?“こう、せつ”?」

一番に聞こえた名前らしき単語を反芻してみるも、どうやら彼の名前ではないらしい。
仕方なく、紫の彼にしたときのように無理やりに心の扉をこじ開ける。

「…こんなやり方でごめんなさい“小夜”。」

ぶわりとあがったつむじ風と共に、小さな人影が現れる。
かくりと倒れこんできた体をそっと抱き留めて覗き込む。
目は何かに怯えるようにぎゅっと固く閉ざされ、無意識だろうか、片手が私の服を強く掴んで離さない。

「…置いていくわけにも、いかないか。」

彼の刀を拾って片手に持つと、小さな体を横抱きにしてまた廊下を歩き始めた。
《そう》《こうせつ》
恐らくは、彼が大切に思う相手の名前なのだろう。
そっと腕の中を覗くも、やはり未だに苦しそうに眉を寄せているばかりだった。

「…《小夜》か。」

ぽつりとつぶやくと、ひゅ、と何かが空を切る音がした。
慌てて顔をあげると、がつん、という音が頭の中にまで響き渡る。
小夜様に当たらないようにぎゅっと抱き込んで数歩後ろへ下がると、ゆらりと少し向こうで揺れる人影。
じっと向こうの出方を伺っていると、揺れるふたつの影の持ち主が確認できた。

「小夜を、離しなさい。」
「今すぐそいつを置いて、ここを去れ。」

桃色の袈裟姿と紫を基調としたカソック姿の彼が、すらりと刀を抜いた。



  
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