研究所と父と兄


翌日。
本当に単身で用意を済ませ、本丸を出ていった彼女の背中を見送った。
私たちにいらぬ心配はかけたくない、といつもと変わらぬ笑顔で手をふった粧裕殿の表情は
振り返り際に明らかに強張っていた。

「……」
「太郎。」
「岩融殿…」

皆が本丸へ戻った後も門から離れない私に、岩融殿が声をかけてきた。

「そのような顔をするな。」
「そのまま、お返ししますが。」
「…粧裕が、心配か。」
「ええ、とても。」

素直に返すと、三白眼を丸めて私の隣へ並んだ。

「珍しいですか、私の返答が。」
「ああ。」

私の問いに、彼も素直に返した。
私が彼へ視線をむけると、反対に岩融殿が門を見遣った。
いつもの豪快な笑顔ではなく、どこか無表情に近い彼に心がざわつく。

「お前は興味や関心といったものを見せないと思っていた。次郎の事があってからは、特にな。」
「…その話は。」
「燭台切が、表情を曇らせるからか。」

核心へ触れてくる彼に、無意識に寄った眉は見逃してほしい。
一度落ち着かせるように深く息を吸う。

「分かっているなら、何故。」
「遅かれ早かれ、次郎が戻ってくれば露呈する事だ。粧裕の前で過去を語るだけの心積もりが、お前に出来ているのかと思ってな。」
「本当に、次郎が戻ってくるとお思いですか。」
「思わないのか。」

質問へ逆説と更なる問いを乗せた岩融に、今度こそ溜息が出た。
亀の甲より年の功とは、良く言ったものだ。
話に聞く彼の最初の主と同じく、真っ直ぐすぎる言葉を投げかけてくる。

「粧裕は“次郎を連れて戻る”と、そう名言した。そうなって然るべきだ。」
「…」
「何を心配することがある?」
「…彼女は、確かに“次郎をつれて戻る”と言った。」
「ならば、「ですが、“無事に戻る”とは言わなかった。」太郎…」

視線を自分の両手へ落とす。
いつになっても、つかみ損ねた次郎の手がすり抜ける。
ぐ、と握りこんだ手へ、岩融殿の大きな手が重なった。

「いつまでも自分を責めるのはやめておけ。」
「岩融殿…」
「俺も、一度今剣を失いかけた時には自分の無力さを祟った。…代償も、大きかった。」

ゆるく肩を撫でる手首で、小さく鈴の音が鳴る。

「だが、それでは前へは進めない。」
「…」
「俺はそれを、今剣や粧裕から教わった。俺は、…奴の屍(かばね)を踏み越えてでも、先へ進む義務がある。」

戻るぞ、と小さく言って踵を返した岩融殿を追って体を返す。

「…『超える屍が“存在しない”だけでも幸と取る』…という事ですか。」

何も言わずにひらりと後ろ手を振った岩融殿に、私は再度門を見遣ってから、後を追った。

××××××××××××


半年やそこらでは記憶は消えてはくれないようで。
久しぶりにくぐった研究所の無機質な門に、私の足は反射的に震えた。

「きゅう、」
「ごめん、ごめんね。分かってる。」

ついてこなくていいと言ったのに首から離れなかった皇を撫でて、笑顔を作る。
努めて、冷静に。
繕う事は得意だと思っていたのに、表情筋がうまく動かない。

「動け、動け…」

深く息を吸い込んで、私は一歩を重く踏み出した。





「やあ、よく来たね。」

言われた通りに研究所を歩いて辿り着いた部屋で、つい昨日会ったばかりの父に対峙する。
傍から見れば優し気で柔和な父の笑顔は、私には恐怖の対象でしかなかった。
返事は返さないままに辺りを視線だけで探る私に、父は更に笑みを深めて立ち上がった。

「“あの子”なら、外へ出しているよ。」
「…」
「『粧裕が帰ってくるなら、僕もいる』と渋っていたんだけれどね。此処では仕事は山積みだ。残念だが、今回は退いてもらったよ。」
「そう、ですか。」

あからさまに安心して表情を緩めた私に、父は首を傾げた。

「小さいころから、お前はアレが駄目だな。仲良くしないか、唯一無二の“兄”だろう?」
「…」
「少なくとも、あの子はお前を気にかけていたけれどな。」
「冗談。」

吐き捨てるように零した言葉に父は呆れたように溜息をついて、話を本題へと移した。

「さあ、早速だが試験へ移ろう。」

私の肩へ触れようとした父の手を、皇が牙をむいて止めさせた。
父は別段気を悪くした風もなく、にこりと笑顔のままだ。

「そこへ。」

指された先には人1人分ほどの四角く区切られた一角。
皇は小さく撫でてから、離れさせた。

「始めるぞ。」

父が何やら大仰な機械の前へ立ち、ボタンを押した瞬間。
足元の四角い記から硝子張りの箱が出てきて、私を囲う。

『な…っ』
「死ぬなよ、彼等との約束が果たせなくなるぞ。」
『何でそれを…ッ!!』

籠る声で父へ尋ねると、返事を待つまでもなく上から大量の水が降ってくる。
すぐに硝子箱の中は液体でいっぱいになり、私の視界も緩んでいく。
皇が慌てたように箱へ体当たりするのが見える。

皇のいるところへ手をあてて力を籠めるものの、箱はびくともせず。
ややあってから体の中の妖力がぐるぐると渦巻くのを感じたと思えば、ぶわりと溢れだす。
翡翠色だった液体が、朱色へ変わっていく。

『これ、は…』
「安心しろ、次郎太刀は打ち直してやる。うまくいく保障はないがな。」

父が硝子の向こう側で、次郎太刀が入っているであろう包みをがしゃりと鳴らした。
人間の形を崩しかけた事を認識したと同時に、私はぶつりと意識を飛ばした。


××××××××××××


粧裕が本丸へ戻ったのは、出て行ってから丸二日経った後だった。
ぎい、と重たい音を立てて開いた門へと刀剣達が向かうと、一番に見えたのは形を戻した皇だった。
赤い目が、思案に揺れている。

「皇!!」

一番に駆け付けた太郎太刀に顔を近づけ、反射的に手を出した彼へ皇は一振の刀を預けた。
渡されたそれを見た太郎太刀は、大きく目を見開いた。

「…じ、ろう、」
「本当に戻ったのか…」
「皇、粧裕は何処だい。」

唖然と刀を覗き込む獅子王を押しのけて、歌仙が尋ねる。
皇は少しだけ躊躇するように身じろいだあと、ほんの少しだけ背に乗る自分の尾を退けた。

三又の尾の端からは、ぐったりと明らかに力の入っていない手だけが伸びている。

「粧裕…!!!」

手を伸ばした太郎へ、皇は がう とひとつ鳴いて甘噛み程度に噛みついた。
怪我をするほどではなかったが、咄嗟に手を引いた太郎に皇もどうしたらいいのか迷っているようだった。

「どうしたんだ、粧裕に何が、」
「能力の消費が激しいな、ずっと本丸に充満していた粧裕の気が消えかかってる。」
「え?!」
「それって、粧裕さんが死ぬ、って事…?」

薬研の言葉に、厚と乱が困惑した声で尋ねる。
聞かれた彼も、この後どうなるかは分からないため明言は避けた。

「どうしたら、」
「とりあえず、部屋へ。皇。」

歌仙が緩く頭を撫でて、部屋へ先導した。




布団を敷いた歌仙に粧裕を下ろすよう促されても、皇はそれを渋った。
どうしたんだ、なんでだと急かす面々を黙らせて、歌仙は依代を抜いた。

「歌仙…?」

布団から畳二枚分あけた場所に、がりがりと切り傷を入れていく。
唖然としてそれを見守る刀剣達を自分の背へ下がらせると、再度皇を見遣る。

「僕らはここからそっちへは入らない。」
「ちょ、歌仙くん!?」
「何言ってんだ歌仙!!」
「皇。」

他の面々の言葉も無視して、歌仙は皇から目を離さなかった。
皇は少し視線を泳がせたあと、自分の背に乗せておくには限界もあると悟ったのか
尾をつかって器用にその体を布団へと寝かせた。

「え…」
「それ、って、」

するりと尾が退いた後に残されたのは、ずっと見て来た粧裕には似ても似つかない姿だった。
綺麗な透き通った色をしていた髪は真っ黒の濡羽色に染まり、服装はしっかり着込まれていた上着がなくなって首元まである袖なしのインナーだけになっていた。
清光が塗った爪も、ひどくもがいた跡があり痛々しく割れている。
むき出しになった腕には羽のようなものが生えていて、肌はところどころ見えるだけだ。

「粧裕…なんだよな?」
「皇があそこまでするんだ、間違いないだろう。」

歌仙が、自分が引いた“國境”を越えようとする者を抑えながら言う。
ぽひゅ、と多少間抜けな音と共に細長い姿へと形を戻した皇に、歌仙は問うた。

「粧裕は、大事ないんだな。」

彼女の上をくるりと一周飛んでから、ほんの少しだけ首を縦に振った。
それを見て肺に溜った息を吐ききった歌仙は、振り返って他の面々に指示を出す。

「とりあえずは、彼女が目を覚ますまで待とう。」
「だが、」
「あの皇の様子からして、今は不用意に近づいて欲しくないんだろう。」

安らかすぎる表情に眉を寄せながらも、歌仙は自室の戸を閉じた。

××××××××××××

目が覚めて一番に見えたのは、けばけばしくも愛しいその体だった。

「…………皇、ごめん、退いて欲しいな。」

妙に息がし辛いと思ったら、お前だったのか。
多少乱暴にがっしりとわし掴んで退ける。
横へ除けると目を覚ましたらしく、ふよ、と飛んで私の目の前をぐるりと回る。

「平気だよ。連れてきてくれてありがとうね。」
「きゅう、」

一鳴きした皇が顔を下へ向けたのを見て、自分もそれを追う。
むき出しの肩から下に、あの人譲りの黒烏の羽。

「……忌々しい。」

腕をひっかくと、羽は数本抜けて布団の上へと散らばった。

「…粧裕?」

軽い音と共に開いた障子戸へ目をあけると、目を見開いた歌仙が立っていた。
手には私の羽織が持たれているので、恐らくそれを届けに来てくれたのだろう。

「…ああ、歌仙。」
「起きて大丈夫なのか、」
「ええ。」
「まだ戻ってから半日しか経ってない。まだ寝ていればいい。」
「いえ、結構です。」

羽織を受け取ろうと手を伸ばすも、ある一定の場所から足を踏み入れない歌仙。
よく見てみると、足元には太刀傷が大きく横一文字に刻まれている。

「…?」
「…皇との約束なんだ。この線を、僕らは越えない。」

視線を皇へ向けると、こくりと小さく頷いた。
ほんとうに、良く出来た子だ。

「私が起きているので、もう平気ですよ。ね、皇。」
「きゅう、」

更に一度頷いた皇を確認して、歌仙はやっとその國境を越えて来た。

「ほら、」
「ありがとうございます。」

歌仙の手からそれを直接受け取ると、直接彼に触れたわけでもないのに私が居ない間の記憶が流れ込む。

「…ッ」
「粧裕…!」
『触るな!!』

反射的に手を伸ばして来た歌仙へ咄嗟に言霊をかけた。
ぴたりと手をとめた彼に、深く深呼吸を繰り返す。

「…ごめんなさい。」
「粧裕…」

頭を振って、それらを脳から追い出す。
ばさりと多少大袈裟に羽織へ手を通して、立ち上がった。

「皆は?」
「あ、ああ…それぞれ内番や鍛錬へ出ているが、」
「太郎様は。」

隣を通り過ぎた私を見て、彼は至極驚いた表情を浮かべた。

「部屋にいるだろうが…、まさか、次郎太刀を顕現するつもりなのか。」
「勿論です。」
「それは駄目だ。」

追い抜いてきて目の前へ立ち塞がる彼に、思わず眉を寄せる。

「何故。」
「君は万全じゃないんだろう、今の姿を見ればわかる。」

指さされた手は、黒い羽と共に鋭い爪を隠しきれていない。
背へ手を回すと、歌仙は更に表情をこわばらせた。

「君は自分を狐だと言った。だが、今の君はどう見たって“そう”じゃない。」
「…」
「君は、一体何なんだ。」

歌仙の言葉に、少しだけ考え込む。
何を、どこまで話すべきなのか。

「…私の兄は、“サトリ”です。他人の記憶や思い出を食べて生きる、哀れな生き物。」
「サトリ…」
「サトリの力は、使い方によっては相手を殺し、自分を殺す。この姿の私へ、不用意に近づかない方がいい。」
「…粧裕は、それでいいのかい。」
「どういう意味です。」
「…僕には、そうは聞こえないな。」

歌仙の声に首を傾げると、一度目を伏せたあと意を決したように強く言い切った。





「僕には、今の君からは『たすけて』ってしか、聞こえない。」





私は目を大きく見開いた後、ぎろりと歌仙を強く睨み付けて部屋を出た。


  
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