▼ 政府と干渉と管狐
私は、ここへきてたくさんの事を学んだ。
まだ日にちは浅いけど、ここに住まう“人成らざる者”たちに“兄弟”の本来の在り方を教わった。
何の繋がりもない相手を想う気持ちも、大切なものへ向ける気持ちも。
それを、今の自分が持っているかと言われればそれは疑問が残るし
兄を嫌いで何よりも憎むべき相手である事も間違いない。
こればかりは、もうどうしようもないと思っている。
でも、余所者である突然現れた妖を名乗る私を、大なり小なりここへ置いてくれる気持ちを持ってくれる彼等の望むことはできるだけ叶えていきたい。
それが、私ができる“対価”だと思うから。
―――それが、たとえ自分自身と天秤にかけられても、私は迷いはしないだろう。
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「え?」
厨で夕飯の用意をする光忠の隣で、粧裕は今剣と五虎退に強請られて林檎を剥いていた。
そこで、たまたま二人が家族――三条と、粟田口の面々の話をしていたのだ。
光忠も楽しそうに、鶴丸や大倶利伽羅を話題に出していた。
それを笑顔で聞きながら兎を量産していた粧裕に、ふいに投げかけられた言葉。
困惑を返すには、十分な問いだった。
思わず聞き返した粧裕に、今剣は繰り返した。
「だから、粧裕は、あやかしのくにがこいしくなったりしないのですか。」
「ちょ、今剣くん、」
「いいですよ、光忠。」
気をつかって話を止めに入った光忠に笑顔を向けて、また手を動かし始めた。
「そうですねぇ…」
「粧裕がきらいなのは、あにぎみなのでしょう?」
「ええ、まあ。」
「なら、ははうえやちちうえ、ともたちもいたのでしょう。」
「…ええ。」
「もういちど、あいにいきたいとはおもわないのですか?」
光忠が困ったようにおろおろしている。
止めに入った方がいいとは思うけれど、本人に構わないと言われてしまえばどうすることもできない。
五虎退は粧裕の事をあまりよく知らないため、ただ少し首を傾げて話の続きを待っている。
「ここへきたばかりのころは、よくいっていましたよね。『もうもどりたくたって、もどれないのに。』って。」
「…よく、聞いていますね。」
「え、」
「ただの独り言ですよ。」
目を見開いた光忠に笑顔をまた向けて、剥き終えた林檎を二人の前へ出す。
ことりと置かれたそれに、五虎退が目を輝かせた。
「うさぎです…!」
「どうぞ。」
「ありがとう、ございます…」
幸せそうに林檎を頬張る五虎退に緩く笑みを浮かべてから、今剣へ向き直った。
「確かに、戻りたい気持ちもありますよ。」
「なら、いちじきたく、というせいどがあると、まえのあるじさまがいっていました。きかんをきめて、もといたところへもどることもできると。」
「それに関しては、前に言った通りですよ。」
にこり、と笑顔を絶やさないままに、彼女は他人事のように述べた。
「『帰りたくても、帰れない』んです。」
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獅子王と厚に呼ばれ、厨を出ていった粧裕の後ろ姿を見送る三人。
「…どういうこと、なんでしょうね。」
「……分からないけれど、あまり、その、話題には出さない方がいいんじゃないかな。」
「どうしてです?」
首を傾げる今剣に、光忠は困ったように眉を下げた。
「誰にだって、聞かれたくないことはあると思うんだ。」
「わかりますよ、ぼくにだってあります。」
「なら、」
「でも、ぼくはもしそれをきかれたら、おこるなりさけるなりするとおもいます。」
「たしかに、そうだけど、」
「粧裕は、おこりも、さけもしなかった。いつもとかわらないえがおで、こたえてくれました。」
「…」
確かに、今剣のいう事は正しいと思う。
自分にだって、踏み込まれたくない場所はある。
もしも無遠慮に踏み荒らされれば、きっと激昂するだろう。
「五虎退、手合わせの時間だぞー、お、いいモン食ってんじゃねーか。」
ひょいと顔を覗かせたのは、戦装束の薬研だった。
五虎退は慌てて食べかけの林檎を口へ突っ込んで立ち上がる。
「あれ、今日当たってたのって二人だっけ?」
「いや、三日月の旦那と鶴丸の旦那なら今道場で絶賛手合わせ中だ。」
「じしゅれん、というやつですか?」
「ああ。五虎退が、はやく粧裕に勝てるようになりたいんだと。」
「へぇ。」
「…僕は、諦めてませんから。」
小さな声ではあったが、強く言い切った五虎退は恥ずかしそうに一礼を残して薬研を連れて出ていった。
「五虎退くん、変わったねぇ。」
「ええ。むかしは、しょうじきいくさにはむいていませんでしたからね。」
「強くあろうとするのは、いい事だよ。」
「ぼくも、そうおもいます。」
ふふ、と笑い合った二人の間、ちょうど林檎の皿の置いてあった隣に突如煙が巻く。
「「?!」」
咄嗟に距離を取った光忠と、約束通り抜きはしないものの依代を構える今剣。
煙が晴れて、現れたのはこんのすけだった。
「……管狐?」
「なんのごようですか。」
粧裕はここにはいませんよ、と今剣が続けると、こんのすけは特に驚くでもなくただ淡々と続けた。
「ええ、今日はあの方に用があったわけではありませんから。」
「なら、何を…?」
「刀剣の皆さまに、定期的にアンケートを取っているのです。それの、お願いに。」
「アンケート?」
こんのすけが言うには、過去の事を加味しての制度らしい。
特にこの本丸は、過去に何度も問題を繰り返してきた曰く付の難物件だ。
「また同じことを繰り返さぬためにも、粧裕様がここでどのような位置づけにあるのかを調べる必要があります。」
「…特には、何もないよ。」
「そうです、粧裕はぼくらをたいせつにしてくれます。」
「本丸の中では、本心は答え辛いでしょう。政府管轄の建屋へ移動します。」
「待ってくれ。」
こんのすけの言葉に、光忠の声が低く唸る。
「それは、僕らが嘘をついていると思われてるってことかな。」
「そうではありません。ただ、本丸内は紛いなりにも“審神者の地”。本人の力の届く場所で聞いた言葉は、信用には値しません。」
「…どこへ連れて行ったって、僕らの答えは変わらないよ。」
「粧裕は、ぼくらをたいせつにしてくれる。ここのだれにきいても、ひとしいこたえがかえってくるとおもいますけど。」
「決まりは、決まりですので。」
きっぱりと言い切ったこんのすけの目が、怪しく光る。
目を見開いた二人が眩しい発光に視界を閉じた後、光がおさまった厨には誰も残らなかった。
ゆっくりと目を開いた二人は、見た事のない部屋へと移されていた。
光忠は今剣を懐へ抱きながら、体勢を整える。
「ようこそ、燭台切光忠、今剣。」
呼ばれた名に目を向けると、そこにはスーツを着こなした男が立っていた。
「…僕らに、何の用だい。」
「おや、あの狐から聞いていないのか。」
「ききました、あんけーと、でしょう。」
「なんだ、分かっているじゃないか。」
飄々と言う男に、二人は嫌悪感を丸出しにして鋭い視線を投げつけた。
「ぼくらは、ちゃんとこたえました。」
「彼女は僕らを大切にしてくれる。過去にあったことも、昔の僕らも全部ひっくるめてね。」
「ほう、どうやら本当によくやっているようだ。」
にこり、と笑顔を浮かべる男。
胡散臭い、と更に嫌悪感は増していく。
「あの問題物件をやつに充てたのは、正解だったようだ。」
「…」
「君たちには、感謝しているんだよ。」
男はぎしりと音を立てて立ち上がり、小さな包みを手に、二人へ一歩、また一歩と近づいてくる。
光忠は今剣をぎゅっと抱きしめ、腰へ手をかざす。
依代を呼び、かちゃりと柄に手をかけると、男は刀に指を向けて一言言った。
『抜けぬ。』
少し抜けかけていた刀は、がちゃん、と派手な音を立ててまた鞘へ戻る。
驚いて抜こうと力を籠めても、刀はびくともしない。
「しょくだいきり?!」
「…これ、」
「君は見た事があるんじゃないか?」
にこりと笑う男に、光忠は記憶を辿った。
間違いない、これは、自分たちがあの本丸へ戻ってくることになった時に、粧裕が使っていた“言霊”だ。
「…政府の人間は、皆審神者としての力は持っていないと聞いていたんだけれど。」
「そうだね、大抵はそうだ。」
警戒心を向け続ける二人に男はとうとうゼロ距離まで近寄り、それぞれの肩へ両手をあてた。
「でも、私は厳密に言えば“政府の人間”ではないからね。」
部屋の中は、再びまばゆい光に包まれた。
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獅子王と厚の引率もあって、珍しくうまく行った畑仕事から戻ってきた粧裕は上機嫌で収穫した野菜たちを籠に入れて歩いていた。
井戸へ行って土を落とし、野菜を籠に入れて本丸内を流れる川へ足を向ける。
途中で出会った宗三が荷物を半分持ってくれるというので、二人で話をしながら歩く。
「今日の晩御飯は何にしましょうね。」
「そうですねぇ、久しぶりに貴女の作る和食も恋しくなってきた頃ですけど。」
「どうしたんです、珍しい。」
「気分の問題ですよ。燭台切が戻ってきてから、やけに洋食が多くて。」
「でも、歌仙が作るのは専ら和食じゃないですか。」
「歌仙の作る料理は、味が濃いです。」
「…歌仙が悲しみますよ。」
「別に悪いとは言いませんよ、僕にあわないだけで。」
「……」
いつもと変わらない宗三との会話。
池と川の狭間、庭の主である獅子王に許可をもらって、そこへ野菜たちを浸した。
夏も半ば、じりじりと痛いほどの日差しも、ここの水は物ともしない。
どうなっているのかは分からなかったが、三日月曰く『獅子の力だろうな。』だそうだ。
「よし、と。」
「那須がひとつ流れてってますよ。」
「何で拾ってくれないんですか。」
「裾が濡れます。」
「もう…」
ほらほら、と急かされるがままに川を小走りで下りだす。
ちょうど川の傍を散歩していた長谷部に声をかけて、どんぶらこと流れていった那須を回収してもらう。
「ありがとうございます。」
「気をつけろ。」
「はは、はい。」
あきれたようにつかれた溜息に苦笑いを返す。
至極、日常的で平穏だった。
それを壊したのは、蜻蛉切の切羽詰まった声だった。
「お逃げください!!!!!粧裕殿!!!!!!!!」
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