呪いと邂逅


眩しい朝日を、目の前に差し出した手で遮りながら真っ青な空を見上げた。
雲ひとつないいい天気だ。

「江雪さん!」
「ん、はい。」

少し下の方からかけられた声に、視線をそちらへずらす。
視線が交わるとほぼ同時に突きつけられた人差し指に、思わず首を傾げる。

「………なんでしょう?」
「むむむ…」
「……?」

険しい顔でこちらを睨んでいる乱殿を、ただただ見つめ返す。
ややあってから、ぷは、と溜め込んでいた息を大きく吐き出すのと同時に手を下ろされた。

「やっぱり、簡単にはいかないかぁ…」
「…なんですか?」
「ふふ、籠めればいいという訳でもありませんよ。」

向こうからやってきた粧裕が、笑って私を呼んだ。

「『江雪』。」
「…なんでしょう。」

応えると、くい、と手が引かれる気配がした。
何かと視線をそちらへ向けると、私の手首に覚えのない紐が巻き付いている。

「…これは?」
「“絆”の糸です。」

伸びたそれの反対側は、彼女の指につままれている。
いつだったかに加州殿に頼まれて書いた字の色と、同じ色のそれ。

「なーんーでーーーー!!!」
「そう易々とやられては、私の立つ瀬もないというものですよ。」

紐から手が離れると、それは消えて見えなくなった。
地団太を踏む乱殿に、更に私は首を傾げた。

「…申し訳ありませんが、本当に話が見えません。」
「ああ、すみません。」
「今、粧裕さんに呪いを習ってるの!」
「まじない、ですか…」

鸚鵡返しに言葉を紡ぐと、彼女は袂から一枚の紙を取り出した。
几帳面に折り目を増やすそれは、どんどん形を変えていく。

「簡単なものから、と言っているのですけれどね。」
「でも、粧裕さんもボクならイケルかもって言ったじゃん!」
「まあ、言いましたけど…」
「…そもそも、まじない、というのは一体、」

私の問いに、彼女はちょうど出来上がった折り紙の蝶を摘まんで顔の前へと持っていく。
ふ、と小さく息を吹きかけると、ぴくりと揺れた。
じっと見ていると、すぐにそれは自らぱたぱたと羽を羽ばたかせ、手を離すと本物の蝶のように空を飛ぶ。

「…これは、」
「一番簡単な呪いの一種です。紙や絵、無機質なものに、命を乗せる。要は、式神です。」
「式神…」
「乱、やっぱりこのあたりから始めて行きましょう。」
「えぇぇ…」
「基本は大切ですよ。よく言うでしょう?“基本に忠実に”って。」
「………はあい。」

渋々ながら受け入れた乱殿を連れて、彼女は私に会釈を残してから歩き始めた。
ふわ、と舞った蝶は私の手元へやってきて、そっと差し出した手に止まる。
緩く動いていた羽は少しずつ動きを無くして、ややあってからぱたりと手の中へ倒れた。
それを少しの間眺め、少しだけ遠くなった彼女の背を追いかけた。

××××××××××××

「折れた?」
「うん。」

後を追いかけて来た江雪と、どこかから話を聞きつけて来た短刀たち、それに半連行された面々。
気が付けば、ほぼ全員が集まって一緒に丸机を囲む。

まずは入門編。
呪いを使うには、ある意味“才能”も必要だ。
それを篩にかけようという事。

さっきやったように、思い思いの生物に折った折り紙を動かせるか、というテストだったはず。
書庫から引っ張り出して来た折り紙の本を囲んで、私も付き合いでいくつか折っていたのだけれど。

「できた!」
「…鶴、足はいらないのよ。」
「なんだ、鶴にだって足はあるぞ。」
「蟹股の鶴なんて、雅じゃない…」
「いいじゃないか、普通なんて面白くないだろう?」
「…いち兄、それ、何?」
「…………か、える」
「苦しいぞ、いち兄。」

どうやら、呪い云々の前に手先の器用さに問題がある者も何人かいるみたいで。
そんな中、意外というかなんというか。

「わあ、太郎さん上手…です、」
「そう、でしょうか…」
「すごいすごい!」
「でも、牡丹、椿、これは、梅…?」
「赤い花、ばかりです…」
「動くものじゃないと、呪いに乗りにくいんじゃない?」
「いいのです。」
「え、でも…」
「いいのですよ、これで。」

大きな手に乗るそれらを、優しく見つめる彼。
きょとりと不思議そうな表情を向ける一部の面々に、太郎様は緩く笑顔を向けた。
綺麗に花開くそれらを見ていると、横から「できました」と声。
顔を向けると、ふいに何かが私の目の前を過る。

「え、」
「わあ!すごいすごい!!」
「本当に飛んでます!!」
「まだ何も教えてないのに…」

部屋の中を飛んで、宿主の指の上へそっと止まったそれは、紫色の折り紙で折られた―――

「蜻蛉だ!」
「名前にも、入っていますからね。」
「ふむ。では、それぞれかけてみましょうか。」

首元に納まっていた皇を呼ぶと、机の上へ蜷局を巻いて目を閉じた。
すぐに黄蘗色の体は、元の紙へ戻る。

「え?!」
「皇も、式神なの?」
「そうですよ。まず――」

やり方を軽く説明し、さきほどの蝶のように息を吹きかける。
ぴくりと反応したそれは、すぐに紙特有のかさかさとした音をたてて机の上へたちあがった。

「わあ、すごい!」
「これが、まず一段落。次に――」

指先で優しく触れて、一度指を鳴らす。
音に反応してそれはぽふりと小さく煙を巻いて、またいつもの皇の姿に戻った。

「皇!」
「ここまでできたら、満点です。」
「よーっし!」

皆が思い思いに折ったそれを手に取る。
第一段階が終わっている蜻蛉切様は、ホバリングするそれを横付けして他の面々の様子を見遣る。

一番乗りは、やはり乱だった。

「らくしょー!」
「うん、よくできました。」

肩へ乗った栗鼠を笑顔で眺めている。
他の面々は、と視線を向けると、思っていたよりも出来る者は少ないようだった。

「だめだ。」
「俺っちもだ。やっぱ無理だな。」
「ぼ、僕もだめです…」

他の粟田口の面々は全滅。
一期様は、それ以前の問題だったけれど、それは伏せておく。

「できたぞ。」
「いい感じですね。…あれ、雀?」
「君が気持ち悪いと言うから、作り直したんだろうが。」
「いや…私は普通のなら、それでよかったんですが…」

他で出来たのは、鶴丸だけのようだ。
案外、難しいのかもしれない。

「では、次の段階へ。たぶん、それができれば出来るでしょう。」
「ん。」

三人がそれぞれ目を合わせて指を鳴らす。
やはり読み通り、蜻蛉も栗鼠も雀もぽふりと小さな音を立てて本物と同じ形を取った。

「わああ!」
「乱兄さん、すごいです!!」
「えへへー、このくらいはね!」
「鶴さんも、すげーや!」
「…悪戯の元を増やしてしまった気もするけどね。」

感動をあらわにする短刀たちの隣で、光忠と大倶利伽羅は頭を抱えた。
ふふ、と笑っていると目の前へ蜻蛉がやってきて、じっとこっちを見ている。

「?」
「こ、こら!」

本人が慌ててそれを追って立ち上がるも、蜻蛉はその手を華麗に避けて部屋を出て行ってしまった。

「っ!」
「ああ、平気ですよ。遠くまでは行けないでしょうから。」
「…すみません。」
「いえいえ。」

少し恥ずかしそうにする蜻蛉切様に、他の面々も面白そうに絡んでいた。

××××××××××××

札の書き方を少しだけ教えて、その日はお開きとした。
あまり沢山を教えてしまっては、私自身の立つ瀬もないから。

「きゅう。」
「はは、本当。このままじゃ、負けちゃうね。」

此処へ来てからずっとサボっている呪術の練習もしておかないといけないかなと思い直していた頃。

とある部屋からいくつかの声がする。
誰かが練習をしているのかと覗いてみると、太刀組と太郎様がさきほどと同じように折り紙を折っている。

「あら、まだ練習を続けるんですか?」
「ああ、粧裕。」
「いや、一期がな。流石に折れないのは弟たちに面目が立たないと言ってきてな。」
「つ、鶴丸殿…!!」
「いいじゃないか。ほら、見られるようになったと思わないか?」

差し出されたのは、少しだけ歪な薔薇の花。

「ええ、さきほどの蛙と同じ方の作品だとは、到底思えませんよ。」
「…おやめください。」

恥ずかしそうに少し肩を落とした彼。
鶴丸は愉快そうに笑うと、自分も付き合って折ったのだろう薔薇を持って立ち上がった。

「俺からは、これだ。」

ふ、と息を吹きかけてから教えた通り指を鳴らすと、綺麗な白い薔薇に姿を変える。
一期様のものにも同じようにすると、それは水色の薔薇になった。
他の面々が折った薔薇にも、同じように鶴丸が呪いをかけていく。

獅子は黄色、三日月は青、光忠は紫。

「珍しい色ですね。」
「“誇り”“気品”の花言葉だよ。僕から、粧裕へ。」
「ありがとうございます。」

そっと江雪から差し出されたのは、ダークピンクの薔薇。

「桃、ですか。江雪なら、青い薔薇かと思っていたのですけれど。」
「私も、偶々花言葉の本を見せていただいた所だったので。」
「?」
「“感謝”だね。」

後ろから言葉を足す光忠に目を丸めていると、ほんの少しだけ緩く江雪が微笑んだ。

「……私も、貴方達には感謝してもしきれませんよ。」
「?」
「いえ、何でも。」

ありがとうございます、と笑うと、最後にと太郎様が立ち上がった。
私よりもずっと高い位置から、そっと耳へ何かがかけられる。
かさりと音を鳴らしながら、太郎様がそっとそれに顔を寄せた。

「太郎様?」
『粧裕』

呼ばれた名前に思わず目を見開くと、ぶわりと噎せ返るほどに香る花の匂い。

「…梅……ですか、」
「ええ。」

緩く微笑んだ彼は、そのまま部屋を出て行ってしまった。

「…どう、したんでしょう。」
「梅はね、彼の弟さんが好きだった花なんだ。」
「え?」

光忠の声に、顔を向けると困った風に笑われた。

「何でだろうね、何となく粧裕は次郎さんに似てる気がするんだ。」
「それ、前に太郎様からも言われました。」
「………そっか。」

小さく息をついたあと、いつもと同じ笑顔を浮かべて耳元の梅を緩く撫でられる。

「梅の花言葉は、“忠義”“忠実”。」
「太郎太刀を形にしたような言葉だな。」

鶴丸は笑って、他の面々を連れて去って行った。
部屋にぽつりとのこされた粧裕の手の中の花たちが紙に戻る中、梅だけは風に揺られながらそこに在り続けた。








部屋を出た少し先で、光忠がぱらりと一冊の本を捲った。
とあるページで手を止めて、そこに載る梅の花を緩くなぞる。

「………」

本丸の中でも、粟田口に引けを取らない仲睦まじい兄弟だった。
無口な兄と、社交性の塊のような弟。
弟は兄にとても懐いていたし、兄も何より弟を大切にしていた。

それを引き裂いたのは、間違いなく―――




『あにき、また、どこかでね。』




苦しさを微塵も見せなかった彼の変わらない笑顔は、光忠の脳裏にも強く焼き付いている。
離れていった手を追うように伸ばされた、太郎太刀のそれも。
普段聞くことなどない、彼の咆哮のような名を呼ぶ声も。

「…“澄んだ心”か。」


彼の乗せたその心は、彼女に対してか、それとも、今は亡き弟に対してか。

光忠は本をなぞりながら、目を伏せた。


  
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