こんのすけと妖


ぎゅっと瞑っていた目を、そろりとあける。
顔の前でへ出していた手をびくびくしながら下ろすと、そこは自分の知っている景色ではなかった。
さっきまでは、間違いなく自分の家――屋敷の一室で兄と話をしていたはずだ。
今自分がいる場所は、屋敷は屋敷でも風貌が大分違った。

開かれた襖の向こうに見えるのは、きっちりと手入れの行き届いた庭。
大きなため池から流れる川はとても澄んでいて、時折ゆるやかな日差しを浴びてきらきらと魚が光るのが見える。

「一体…」
『ここは、刀剣の集う本丸でございます。』

聞こえた声に背を振り返ると、ちょこんと小さな狐が座っている。

「…あなたは?」
『私はこんのすけ。貴女様のお目付け役として、ここに宛がわれているものです。』
「ここは、何処なの?」
『先ほども申し上げた通り、ここは刀剣たちの集う本丸でございます。』
「刀剣、って?」
『こちらへ。』

首を傾げると、狐――こんのすけは、足元をすり抜けて廊下へ出ていった。
仕方なく後を追うと、一つの部屋の前で足を止めた。

『ここへ。』

促されるがままに襖を開く。
ぶわり、と漂う土煙や砂埃。
どうやら、長い間放置されていたらしい。

「(…さっき居た部屋もそこそこ汚かったけど、ここはもっとひどいわ。)」
『これが、刀剣でございます。』

ブーツを脱ぐのはやめておき、そのまま土足で畳を歩いていく。
こんのすけの前へしゃがみ込むと、一本の刀が無造作にころがされていた。
そっと柄の部分に触れると、じゃり、と擦れる音。
この刀も、部屋と同じか、もしくは何かしらの事情によりそれ以上放置されたようだ。

「…ひどい。日本刀は、扱いが難しいのにこんなに乱暴に捨て置かれるなんて。」
『名を、呼んでやってください。』
「名…?」
『貴女なら、できるはずです。』

表情の読めない狐だが、言われた言葉に少しだけ目を見開いた。

「…あなたは、私の事を知っているの?」
『……黙秘いたします。さ、お早く。』

答えるつもりはないらしい。
今は何も聞かないでおこうと、目線をそっと刀へ向ける。
綺麗な、玉のついた鈍色の鞘に触れて、目を閉じる。

「―――あなたは、とても素直で綺麗な刀ね。“歌仙”。」

名を呼んだ瞬間、ぶわりと当たりに風が巻き起こり、桜の花弁が舞う。
視界を確保するように両手を振って刀を見遣ると、刀の隣に今までいなかったはずの男性の姿があった。

「…え?」
『やはり、私の目に狂いはありませんでした。貴女を、今この瞬間をもって審神者と認めます。』
「さ、にわ…?」
『現在、歴史の改変戦争が起こっているのは、ご存知ですか?」
「え、ええ…でも、それは私にはあまり関係のない話で、」

とりあえず、倒れたままの彼をそのままにしておくことも出来ず。
だが、この荒れ果てた建物から綺麗な布団を探すのはまず無理な話。
仕方なく自分の外羽織を脱いで彼にかけ、首布を折ってそっと頭の下へ入れておいた。
埃だらけのところへ直接寝かせておくよりはずっとマシだろう。
なんとなくゆるりと彼の藤色の髪を撫でると、こんのすけが続けた。

『それは、私も重々承知。しかし、そんなことは言っていられないのが現状です。』
「…?」
『歴史を変えようとするものから、それを守る。戦うのは、彼のように刀に憑いた付喪神たちです。』
「神…?!」

思わず、撫でていた手袋をしたままの手を離す。
罰当たりなことをしてしまったかもしれない。

『その神たちを、この世界へ呼び起こす者が必要です。それが、審神者―貴女です。』
「呼ぶって、あなたは私が何なのか知っててここへ呼んだんじゃないの?」
『勿論です。』
「なら、いう間でもないでしょう。私と彼らの共存はご法度のはずよ。」
『貴女をここへ連れてくる際に、貴女のお父上といくつかの契約をしてまいりました。』
「…父と?」

思わず聞き返すと、こんのすけは淡々と続けた。

『一つ、粧裕殿を本丸へ移住させることへ同意する。
 一つ、掟からの無期限除外を容認する。
 一つ、霊力の制御装置付きで、自分の目の届かぬ場所での能力の使用を許可する。』

こんのすけの言葉に、私は少しだけ目を見開いて自分の今の立場を理解した。

「……父は、私をあの世界から切り離したのね。」
『そういうことになります。』

父が、何と引き換えに私をここへやったのかは分からない。
ただ一つしっかりと分かることは、私はもう、あの屋敷へ戻る事は出来ないという事だた。

「…ここで、私は一体なにを?」

こんのすけは、一つずつ丁寧に説明を重ねていった。
彼ら――刀剣男士たちの事、彼らの手入れや強化、出陣、遠征のこと。
かいつまんで必要そうなところを頭へ入れていくと、一通り話した所でこんのすけは一呼吸置いて言った。

『世界には他にも本丸がいくつもあり、そこの審神者や刀剣男士たちも同じように戦っています。ですが、ここは少し特殊な本丸です。』
「どういうこと?」
『本当ならば、初期刀を一振り選んでいただき、後は出陣や鍛刀で仲間となる刀剣たちを集めていくのですが、ここは違います。』
「…?」

ちらりと私の後ろに未だ倒れている彼を見てから、私へ目線を戻した。

『ここには、既に大半の刀たちが揃っています。しかし、彼らは諸々の事情で元の主のもとを離れざるを得なくなった刀たちです。』
「…棄てられた、ってこと?」
『棄てられたものも、主が先に死んでしまったものも、それ以外の理由があるものもいます。』

つまりは、ここは特殊なやつらが集う、特殊な本丸というわけだ。
―――私を含めて。

『彼らは、一癖も二癖もある者ばかりです。今まで何人もの審神者殿をここへお招きしましたが、一月と保たずに音を上げてここを去りました。』
「……」
『貴女で何人目かは覚えてはおりませんが、数えるのを諦める程度の回数であったことはお伝えしておきます。』

眉間に皺を寄せた私に、こんのすけはゆるく頭を垂れた。

『とりあえずは、お伝えしなければならない事項は以上です。ここで生活することに関しては、彼が教えてくれるでしょう。』

それでは、と消えたこんのすけの声を追って振り返ると、さっきまで閉じられていた目が緩く開かれ、美しいエメラルドグリーンの瞳が私を鈍く映しこんでいた。



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