白虎と狐と妖と


「……うん、もうこっちはよさそうだね。」
「まったく…どこか怪我をしていないと気が済まないのか君は。」

久しぶりに日の光を浴びた右目を瞬かせていると、安心したように息をつく光忠と呆れた歌仙の声が聞こえてくる。
やっとお許しをいただいて取れた眼帯の代わりに巻かれた右手を見遣る。
部屋の外の縁側では、蜻蛉切様がこちらを困ったようにそわそわしながら見ている。
安心させるようにへらりと笑って手をあげると、ごつりと拳骨が降ってくる。

「いたい…」
「君の中には、反省という言葉はないようだね。」
「そんなことありませんよ…光忠、ありがとうございます。」
「ううん。」

救急箱を片付けた光忠と共に立ち上がると、首元からふわりと皇が抜けていく。

「皇?」
「ああ、構いませんよ。行先は分かってますから。」
「?」

首を傾げる光忠と歌仙に、にこりとまた笑顔を向ける。


××××××××××××

「…」

国広を置いて、庭をふらりと散歩していると必ず寄ってくる奴らがいる。
白い虎たちは、飼い主の元を離れて俺の所へやってくる。
足元をちょろちょろと歩き回るそいつらに、仕方なく歩みをとめて適当な木の傍へ腰を下ろす。

待ってましたとばかりに膝の上へ乗ってくるそいつらを一撫でしてから、視線を上げる。
夏がすぐそばまでやってきていてじりじりと焼けるような日差しの中、すこし向こう側からふわりと近寄ってくる影。

それは、俺の回りを一周してから虎たちとじゃれ始めた。

(…また、お前か。)

虎はいつも俺が一人でいると寄ってきて、その虎たちにこの不思議な狐は寄ってくる。
そして、一頻り遊ぶと気が済んだように目を閉じて昼寝を始めるのだ。

(困ったやつらだな。)
「お隣、よろしいですか。」

狐と虎に気を取られていて、急に振ってきた声に顔を上げる。

(あんた…)
「いつも、皇がお世話になっているようで。」
(…)

奴は返事を待たずに俺の隣へ腰を下ろし、ぱたぱたと寄ってきた一匹の虎を撫でながら俺に話しかけて来た。

「今日はおひとりなのですね。」
「…」
「国広様は、いつものお手伝いですかね。」

にこにこと笑顔を絶やさずに、返事が返ってこない俺に話し続ける相手に多少居心地は悪くなって。
直ぐ近くにあった棒切れを持って、地面を一度手で均してからがりがりと削っていく。

「(俺にどんだけ話しかけても、返事はしてやれねえぞ。)」
「あら、声だけが返事ではありませんよ。」

それだって、貴方からの返事ではありませんか、と地面に書かれた文字を指さして言う。
少し考えてから、また地面を均した。

「(あんたは、此処に居た奴らに何をしたんだ。)」
「何、とは?」
「(俺もそうだが、他の奴らだって審神者が嫌いな奴らばかりだ。審神者のせいで、大切なものを失った奴らだって多い。)」
「貴方の様に?」

確信的に述べられたそれに、俺は目を見開いて相手を見遣った。

「なんで、でしょうか。」
「…」
「すみません、貴方の相棒に聞いてしまいました。」

くにひろ、と鳴らない喉から息が漏れる。
なんで、あいつが。

「どうして、その話を私にしてくださったのかは分かりません。でも、彼はこうも言っていました。『兼さんが声を失ったのは、自分のせい』だと。」

ひゅ、と鳴る喉。
国広は、今まで別にそんな風には、

「あの方は、ずっと貴方の傍で声の代わりをしているんですよ。そして、言い方は悪いですが、一振り目の罪滅ぼしをしようとしている。」
「……」
「献身的な、相棒ですね。」

真顔のまま俺を見遣るそいつに、俺は向けられている感情が何なのか分からなかった。
俺は、国広を、

「やめてください。」

聞こえた高い声に、俺たちは同じように顔を向けた。
いつもの困ったようなおどおどした声色からは想像もつかないほど、凛とした筋の通った声だった。

大人しく寝ていた虎たちが一斉に目を覚まし、ぱたぱたと走っていく。
くしゃりと頭を撫でて、五虎退は俺たちに向き直った。

「その言葉は、和泉守さんも国広さんも、馬鹿にしているように聞こえます。」
「…そうですか。」

肯定でも、否定でもない。
謝罪でも、激昂でも。

淡々と述べられた一言に、五虎退はぎゅっと眉を寄せて虎たちの額を撫でた。
ぶわりと吹いた風が小さな旋風を残して消えると、先ほどまでいた小さな虎たちは一頭の大きな白虎に変わっていた。

「いち兄の事、僕は感謝、しているんです。」
「…」
「でも、僕は、おふたりの事も兄弟たちと同じくらい大事にしているんです。」

多少つっかえつっかえではあるが、五虎退は強い眼差しをそのままに奴を見ている。

「僕の前の“僕”を、お二人は悼んでくれた。前の“僕”の記憶はないけれど、でも、分かります。」
「…」
「和泉守さんの声も、国広さんの“そういう”努力も、元を辿れば僕のせいでもあるんです。もし、貴女の言葉がおふたりを責めるためのものであるならば、僕にも向けられて然るべきものです。」

空気を察したように、虎がぐるるる、と喉を鳴らし始める。
奴は一度小さく息をつくと、ゆるりと立ち上がった。
虎と一緒に目を覚ました狐は、虎に向けられた目にぶわりと炎を纏って大きな三又の狐に姿を変えた。

「おやめ、皇。」

優しく鼻先を撫でられ、狐は奴のすぐ傍へぴったりとついた。

「私は、別に馬鹿にするつもりも、責めるつもりもありません。誰かを悼むことができるのも、誰かを想う事ができるのも、素敵な事だと思うので。」
「……」
「どちらも、私には理解し難いことですが。」

最後の言葉に、五虎退は珍しく視線をキツくして虎から手を離した。
払われるように手を離れた虎は、獰猛な牙を丸出しにして、俺たちの方へとびかかってきた。

体勢を整えて咄嗟に依代を抜こうと手を伸ばすと、先に奴がそれを拾って柄をぐっと握った。
呟かれた言葉は白虎と狐の雄叫びでかき消されたが、自分の手が一瞬言う事を聞かなくなった。
驚いて手を見るも、すぐにその違和感は消えた。

「皇!!!」

大声で呼ぶと、狐は奴の目の前へ出て大きく口を開け、炎を吐いた。

「な…ッ」

炎はすぐに勢いを無くして、ただの威嚇程度だったことを知った。
ぱち、と火花を散らす音をさせて消えた火の向こうでは、五虎退がぺたりと尻餅をついている。

(五虎退…!)

俺は取られた依代を忘れて、五虎退へと走り寄った。
肩へ触れると、五虎退はいつもの怯えたような表情で俺を見上げたあと、悔しそうにくしゃりと顔を歪めた。

「和泉、さ、」

ぼろぼろこぼれてくる涙に、俺も困り果てて取りあえず五虎退を抱き寄せた。
次第に嗚咽は大きくなっていって、うあああん、と庭中に響き渡るほどの大声になっていった。

どうしたらいいか分からないが、離れるわけにもいかなくて。
ぎゅっと俺の装飾を握って離れない五虎退の手を摩っていると、向こうから騒ぎを聞きつけた一期や乱たちが走ってきた。

「五虎退?!」
「五虎退!!」

驚いたように呼ぶ声に、五虎退は俺の元を離れて一番にたどり着いた薬研に抱き着いた。

「何があったのです、一体…」

困惑の声を隠し切れない一期に、奴はあっけらかんと言い放った。

「少し、苛めてしまいました。」
「は、」
「あまりにも真っ直ぐで、自分の力を知らない愚かさだったので。」

にこりと笑うこいつに、一期は目を見開いたあと小さく溜息をついてから、ぎろりと視線をキツくした。
つかつかと寄ってきた一期は、奴の前で足をとめて間髪を入れずに右手を振り上げた。

「いち兄!?」

驚きの声をあげる乱たちの声も聞かないまま、一期は奴の左頬を思い切りぶった。
ばちん、と激しい音がして奴の頬は真っ赤に染まっていく。

「うちの大切な弟を、苛めないでいただきたい。」
「…ははっ」

俯いていて表情は見えないが、奴は間違いなく笑った。
一期はそれを見て、薬研たちを少しだけ振り返る。

「薬研、乱、五虎退を連れて本丸へ戻りなさい。」
「だ、だが…」
「早く。」

何が何やら分かっていないらしいふたりは、五虎退を連れて言われるがままに本丸へと戻って行った。
唖然とする俺と、視線をキツくした一期、依然俯いたままの奴が残される。

戻って行った三人の影がきっちり見えなくなってから、一期は表情を崩して今度は大きく溜息をついた。

「……これで、よろしかったですか。」
(は…)

苦い顔で言った一期に、奴はいつものへらりとした笑顔を浮かべて顔を上げた。

「ええ。」
「…まったく。」
「拳じゃなかった所が、一期様のやさしさですね。」
「殴ったりなんかしたら、如何なる理由があろうと私がこの本丸に居られなくなりますからね…」

完全に、俺は話に置いて行かれていた。
奴は、それを分かったうえで一期に言った。

「ありがとうございます、私の言った事、聞いていただいて。」
「当たり前です。あの子たちは、私の何よりも大切なものですから。」

一期の言葉に、やっと意味を理解した。


『…大切にしてあげてください。あの子たちに、替えは効かないんです。』


あの時の言葉を、一期は平手で守ったんだ。
何かが、ひとつずつ繋がっていく音がした。

××××××××××××


夜になった。
毎日一番げんなりしながら迎える風呂の時間をささっと終えて、私は最初借りてから何だかんだ借りっぱなしにしている歌仙の着流しを着て縁側を歩いていた。
外は、蛍が光っているのが見える。

「獅子の献身的な手入れのお蔭、かな。」

私の言葉に、首元の皇がきゅう、と一つ鳴いた。
笑ってゆるく撫でると、頭上でちいさくかたりと音がして、振り返ると同時に闇にぼんやり浮かぶ銀髪が降ってきた。

だん、と音を立てて私を押し倒して馬乗りになったのは、昼間に話をした短刀様。

「……どうして、逃げないんです。」
「首を狙いに来た方の言葉とは思えませんね。」

ぎらりと光る刀が、私の首を紙一重の所で狙っている。
柄を握る手に力が籠ったのが分かった。

「逃げるまでも、ないと、いう事ですか。」
「まさか。」

皇がじっとすぐ傍でこちらを見下ろしている。
大丈夫だと手を小さく振ると、分かっているとばかりにくるりと一度円を描くように飛んだ。

「殺すつもりで来たのでしょう?躊躇せずに、このまま首を刎ねればよいのでは?」
「………怖く、ないんですか。」
「生憎、“生”にしがみつこうとは思わない性質なので。」

にこりと笑うと、彼は途端に困ったように表情を崩して刀を引いた。

「…僕にも、貴女みたいに、度胸があったら、」
「度胸?」

首をかしげると、彼は肩を落とした。

「前の“僕”の事分からないって言いましたけど、でも、なんとなく分かるです。」
「と、言うと?」
「“僕”が折れたのは、僕に度胸がなかったから。追い詰められた“僕”は、昼の時みたいに腰が抜けて立てなくなって。それで相手の攻撃を受けて折れたんだと、思います。」

先ほどまで鋭い目を向けていた相手だとは、到底思えない。
ただの、小さな子供のようだ。

「…私のは、度胸とは違いますよ。」
「え…?」
「私は、ただ死に対する心積もりが出来ているだけ。度胸とは、物事を恐れない心、気後れしない精神力を指す言葉です。」
「…」
「それに、今の貴方がダメだとは思えません。」

私の言葉に、彼は意味が分からないとばかりに首を傾げた。

「得体の知れないものに向かっていくのも、また強さ。それに、“恐怖”をちゃんと知っていなければ、いざという時に戻ってこれないかもしれない。」
「それ、は、」
「私は、ここの刀剣達にいくつか約束をさせています。」
「やくそく…?」

反芻する彼に、私は笑った。

「一つ、刀剣間での依代の抜き合いを禁ず。
 一つ、私を主と呼ぶことを禁ず。
 ここに、ひとつ付け足しておくことにしましょう。」






「一つ、此処へ必ず戻る事。」





目を見開く彼に、私は促した。

「貴方も、約束してください。私が、ここに居る限り。」
「それ、は…」
「出来ないなら、刀ごと封をします。」

半ば脅しのように言うと、彼は刀を鞘へもどして小さくつぶやくように言った。

「……努力、します。」
「嘘をつけないところも、貴方の美点ですね。」

自信がないから、確約ができない。
至極真面目な人だ。

「さ、もう今日はお休みください。一期様が探しておられるのでは?」
「……はい。」

私の上から退いた彼は、縁側の端で私の視界から消える直前にくるりと振り返って綺麗に頭をさげた。

「兄たちを、ありがとう、ございました…」

小さな声は、不安定ながら確実に私に届いた。
私の返答を待たずに行ってしまった彼を見送ると、ふわりと皇が戻ってきた。

「…やっぱり、皇の読みは適格だね。」
「きゅう」

当たり前だ、とばかりに一鳴きした皇を撫でて、私も自室へ戻ることにした。


  
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