施設と血と風


「そもそもの前提として、私が人間では無い事をご承知おきください。」

前置きをしてから、粧裕は記憶をたどった。

「私は、妖の國に生まれました。母は、純血の羽衣狐です。」
「羽衣、狐…?」
「えと、まあ、なんていうか、ざっくり言えば火の妖怪です。昔話なんかで出てくるでしょう、“火鼠の裘”なんて。あれ、鼠なんて言ってるけど、本来は羽衣狐の事を指すんです。」

何日か前に今剣に読んでやった絵本を思い出しながら、話を進めていく。

「私は、生まれつき力が強かったらしいです。できるだけ火の傍へ寄らないようにと、母には強く言われていました。」

粧裕はそっと目をとじて、まだ幼かった自分を思った。

――――――――――――――――――――――――――――

小さい頃、私は毎日封をされて生活していた。
自分では分からなかったけれど、周りの妖怪に良くないものだったらしく、
背中や胸のところに封のした紙を貼られた。
大きくなってくるとそれでも足りなくなって、直に文字を書かれた覚えもある。

でも、それ以外は別段他の普通の妖たちと変わらなかったし、友達もいた。

何度目かは覚えていないけれど、あれは私の誕生日だった。
友達と遊んで家へ帰ると、いつもは笑顔で出迎えてくれる母が険しい顔で私を呼んだ。

座りなさい、と言われてそれに従うと、長い沈黙の後で母は言った。



『貴女を、とある場所へ出すことになったの。』



最初は意味が分からなかったけれど、聞いてみるとどうやら何等かの取引があったようで
私はそれの“条件”にされたようだった。
辛くなかったといえば嘘になるけれど、私は自分を大事にしてくれた母や、狐の一族の皆が大好きだった。
その人たちがきっと悩みに悩んだ末に出した結論だったのだろうから、それに反論する気はなかった。

私は、その場で頷いた。

次の日には、すぐに引き渡し先へ出ることになった。

母は別れ際に、頬を手で包んで私の額へ口づけた。
ごめんなさい、という言葉と共に。





私が連れていかれた先は、真っ白い大きな建物だった。
今まで住んできた妖の國は、どこか昔の人間世界を思い出させるような場所だったため
規則的に四角を積み重ねたようなその建物に、最初はとても驚いた。

案内されたのは、同じく真っ白な部屋だった。
部屋の真ん中には、大きな絡繰りが置いてあった。
それが何なのか尋ねても返事はなく、そのまま力ずくでその絡繰りへ繋がれた。

沢山騒いだけれど、急にぶつりと意識が途切れて体の力が抜けた。
どのくらい経ってからかは私には分からないけれど、次に起きた時には
母譲りの黄金色の尻尾と耳はなくなっていた。

髪も、絡繰りに映り込んだ自分の目も、怖いくらいに真っ黒に染まっていた。

何が起こったのか分からなくて、すぐ傍にいた人に縋り付いた。
自分がどうなったのかを知りたくて相手の腕をぎゅっと握ると、そこから急に映像が自分の頭の中へ流れ込んできた。

それは、私が意識を失ってからの記憶のようで、たくさんのボタンを押す手とぐったりして動かない自分が見えた。

慌てて手を離すと、相手はにやりと笑った。

『なるほど、成功のようだ。』

―――――――――――――――――――――――――――

「私は、実験台として売られたようでした。」

あっけらかんと言う彼女に、自分は何も返せなかった。
聞いておいて何だが、あまりにも彼女の話は淡々としていたのだ。

「売られた先が貴方の言う実験施設で、私はそこで違う力を手に入れてしまった。」
「違う、力…」
「触れた相手の記憶や、心の内側を探る力です。」

彼女は自分の手をぼんやり眺めて言った。

「純血なら、触れなくても視ることが出来るらしいですけど、私は混合種で半端者ですからね。直接触れた相手でなければ視えません。」
「…だから、そのように衣を着込んでおられるのですか。」
「ええ。」

あっさりと肯定し、更に続ける。

「これの厄介な所は、私が使いこなせないばかりに、気を抜いていると“逆流”することがある所です。」
「…貴女の記憶や心内が、相手に知れてしまうという事ですか。」
「話が早くて助かります。」

にこりと笑った彼女は、ただの世間話のように先を繋げた。

「ずっと気を張っていればいい話ではあるんですけどね。それも、まあ不可能ですから。こうして触れないようにしているんです。」
「…」
「更にお教えしておくと、私が“視る”ためには相手の声が必要です。」
「声…?」
「正確には、“相手が自分を呼ぶ”声です。」

どういう意味なのか、自分にはさっぱり分からなかった。
眉を寄せる自分を見て、彼女は視線をうろつかせた。

「人の心や記憶には、扉がついているんです。」
「扉、ですか。」
「大体三つほどに分かれていて、ひとつめは名前や性別、生まれ、なんかですかね。別段知られてもまあ、困らないものと言いますか。」
「はあ、」
「ふたつめは、俗に言う“思い出”です。楽しかった事や、最近あったこと。聞けば答えられる事、でしょうか。」
「…三つめは。」
「察しは、ついているのではないですか?」

彼女は、ゆるく微笑んだ。

「三つめは“過去”。その中でも、他人にどうしても知られたく無い事ですね。」
「…」
「私が相手の心や記憶を辿るときは、その扉をこじ開けていくんです。勿論、許可があれば簡単に視ることもできますが、大抵の人は三つめの扉の許可を出すことはありません。当たり前といえば、当たり前ですけどね。」

蜷局を巻いた細長い狐を優しい手つきで撫で、目を伏せる。

「扉は深くなるにつれて、私も相手もリスクが伴います。失敗すれば、それ相応の罰則がつきます。」

そっと目をあけて一息ついて、自分の方へ視線を向けた。

「…少し、話しすぎました。要は実験施設にいたのは、私が政府の実験台だったからという事です。」
「……何故、妖である貴女が、人間の政府にいたのです。」
「さあ?私はただ、連れられていっただけですから。」

自分も不思議そうに首をかしげる彼女は、あくまでも第三者目線だった。
母親から離された事に関する悲哀や憎悪も、手に入れてしまった力に対する驚嘆や困惑も何も感じ取れなかった。

「ここにいる刀たちは、皆過去に何かしらを背負って生きていると聞いています。それは、歴史的に名を馳せる元の主たちではなく、付喪神として顕現してから審神者との間に起こった事だと。」
「…」
「彼等が言うには、この本丸での蜻蛉切の顕現は初めてだそうです。皆、貴方に興味を持っていましたし、話がしてみたいと言っていましたよ。」
「……自分は、」

優しく微笑む彼女から、無意識に槍を遠ざける。
元より、彼女に本気で刃を向ける気はなかったからだ。
相手が歩み寄ってくる分、近づくのが怖くなる。

―――常勝の槍が、聞いて呆れる。

「無理強いをするつもりはありません。」
「は、」
「ここ以外に行きたい処があるのなら、そこへ行かれる事をお勧めします。無理にこの本丸に残る事はない。」
「…しかし、」
「『ここじゃない処がいい』なら政府へ送り返しますし、行きたい処が明確に決まっているのなら、そこへお送りしましょう。」
「…そんなことが、出来るのですか。」
「まあ、やり方は諸々探さねばなりませんけど。でも、不可能ではないと思います。」

どうします、と再度委ねられた決断に、自分は視線を泳がせた。

「…自分には、行くところはありません。政府に戻っても、また同じように他の本丸へ押し付けられる事になるだけです。」
「では、「しかし、」」

彼女の言葉に逆説をかぶせるが、先の言葉は自分で紡ぐには辛すぎた。

「……」
「…蜻蛉切様。」

呼ばれた名に顔をあげると、先ほどまで一定の距離を保っていた彼女がすぐ目の前に近寄ってきた。
慌てて足を引くものの、部屋の端はすぐそこで。
壁にあたった背中に気を取られている隙に、彼女は自分の依代に触れた。

ざくり、と肉の切れる音が聞こえた気がする。

ぼたぼたと溢れて止まない血は、記憶の中の主を呼び起こさせた。

「な…!!」
「…やっぱり、切れるものは切れる、か…」

ふむ、とやけに冷静に未だ自分を掴む手を観察する彼女に、さっと血の気が引く。

「お、お止めください!!」
「どうして。」
「どうして、って…このままでは手が…!!」

槍を慌てて引くものの、彼女は握りこんだまま離さない。

「ッお離しください!!」
「これくらい平気ですよ、施設に比べたらどうってことない。」

彼女の言葉に、思わず息が詰まった。
それを読んでいたかのように、内心激しく狼狽える自分を小さく微笑んで見上げた。

「血が出たから、何だっていうんです。」
「…」
「貴方の主様だって、血が出たところで貴方に近づくことをやめなかったでしょう。」
「それ、は…」

彼女は、笑顔で自分を見たままにそっと手を離した。

「手が切れたって、死ぬわけじゃありません。ちょびっと痛いだけです。」
「……極論で、素直な感想ですね。」
「貴方との意思疎通のために必要なのであれば、別にこれくらい構いませんよ。」

流れるまま止まらない赤を見ていると、過去の主を思い出した。




『蜻蛉切。僕は、君と仲良くしたいよ。』
『主、殿…』
『切れるから何だって言うんだ。切れ味がいいのは、刀にとっては誉れだろう?ああ、厳密には君は槍だけど。』
『…』
『僕は、どんな君でも気にしない。他の“蜻蛉切”を欲しいとは思わない。』









「『蜻蛉切は、君だ。』」








ふいにぶれて聞こえた声に、目を見張る。
彼女を見つめていると首を傾げられたが、最初に自分が彼女から逃げた理由が
やっと自分でも理解できた。

「…は、」
「?」

思わず漏れた小さな笑いと共に、諦めと希望を吐き出した。

「どうしました?」
「……いえ、何でも。」

伏せていた目をゆっくりと開けて、自分より何周りも小さい彼女を見下ろす。
自分の目を見て、彼女も同じようにゆるく微笑んだ。

「答えは、決まりましたか?」
「ええ。」
「では、お聞きしましょう。」

心は、決まっていた。
もう二度と、同じ間違いは繰り返さない。

「帰りにおやつを買って帰ってきたんです。饅頭とくずきり、どっちが好きですか?」

本来あるべき問いを無視して次の問いかけを投げる彼女に、思わず我慢が効かなくなって噴き出した。

「くずきり、ですかね。」
「じゃあ、私がお饅頭をいただくことにしましょう。」

さあ、とかけられた声とともに、爽やかな風の吹く縁側へと誘われる。
自分の長い後ろ髪がなびくのを視界の端に捉えながら、先に出ていった彼女の背を追った。

背格好は違っても、どこかあのお方を思い出す。
取ることは許されないと思っていたこの凶器にもなりえる体に、また手を差し伸べていただいた。

自分のこの異端な体躯を“個性”とし、意思疎通の手段としてくださった。


「(…主殿、自分は、また此処で生きても、いいのでしょうか。)」


心内で唱えた疑問に、一際大きな風が吹く。
追い風となって大きく背を押したそれは、風切音をさせて自分を追い抜いて行った。

「蜻蛉切様?」
「……よろしく、お願いいたします。あ」

主、と続くはずだった言葉は彼女の手によって遮られ。
思わず瞬きを繰り返す自分に、彼女は笑顔で自分の名を教えてくださった。


  
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