妖と蜻蛉の過去


然程広くもない部屋の中。
彼は多少扱い辛そうにしながらも、空を切る音をさせながら槍を構えた。
切っ先は、間違いなく私へ向いている。

「…刃を交える前に、少しだけ伺いたい事があります。」
「………」

私の言葉には、返事はこなかった。
だが、すぐさまとびかかってこない所を見ると、聞くつもりはあるようだ。
私はそのまま続けた。

「貴方は、どうして政府に居たんですか。」

返事は、ない。

「ここで、生活するつもりはありませんか。」

無言。

「…私のいる本丸では、不満ですか。」

目は泳いだものの、答えはない。

困ったものだ、と小さく溜息をついて皇を撫でる。
意図を感じ取ったのか、すぐさま太刀へ姿を変えて私の手へ収まった。

「正直、解せないというのが私の今の本音です。」
「…」
「他の刀剣たちは、私を見るなり大半が憎悪に塗れた目を向けて刃を抜きました。でも、貴方は違う。」
「…」
「……何故、わざわざ私から逃げたりするんです。貴方の力があれば、私をあの一瞬で殺すことだって簡単だったはずなのに。」

粧裕の言葉に、蜻蛉切の槍先が少し降りる。

「……自分からも、貴女に尋ねたい事がある。」
「何でしょうか。」
「貴女が、政府の“実験施設”に居たというのは本当ですか。」

全く予想だにしていなかった問いに、皇へと添えていた手が揺れる。
蜻蛉切は、そのまま続けた。

「桐箱に入れられている間、政府の男たちの話が聞こえていました。自分を貴女へ受け渡したあの男が、貴女を知っているようでした。」
「……」
「『施設の話を出せば、貴女は絶対に断わらない。』そう言っていました。」

今度は、粧裕が口を閉ざす番だった。

「どうなのです。」
「…では、交換といきましょうか。」

小さく溜息をついた粧裕は、蜻蛉切へ交換条件を出すことにした。

「私の事を、少しだけお話しましょう。その代り、貴方がそこまで私を避ける理由を教えてください。」
「…」
「私は、ここの刀剣たちの過去の事を自分から暴きにいくことはしません。それぞれが、皆違う過去を辿ってきているのを知っているから。」
「…つまり?」
「貴方が先に話すなら、私も実験施設の事をお話ししましょう。」

蜻蛉切は、少し躊躇してから槍を振って切っ先を粧裕から外した。


――――――――――――――――――――――

一本の槍として深い眠りについていた自分を起こしたのは、人の子だった。
ああ、自分にもとうとうこうして身体を授かるときが来たのかと、自分の手を眺めて不思議に感じていた。

近寄ってきた私の主になるらしい彼が差し出した手に、自分もふいに握手を返そうとした時だった。
ほんの少し触れた所から、ぼたぼたと血が流れだした。

驚いたのは、相手も同じだった。

切れたのは、彼の手だった。
本当に、触れるか触れないか程度の事だったのだ。
それなのに、自分は我が主となるお方を傷つけた。

自分は、何も分からないまま、ただ慌てふためいた。
血を止めなければと思いながらも、自分が触れればまた新たな傷が出来るかもしれない。
そう、思った。

唯一の救いは、彼がとてもお優しい方だったという事だ。
深く切り付けた傷は、かなり酷かったはずだ。
それなのに、彼は笑って自分を許してくださった。

彼が言うには、“蜻蛉切”という刀には稀にあることなのだそうだ。
元々この切れ味が名前の由来にすらなっているのだから、仕方がないと。
刀剣同士だと特になにも起こらないのだが、

彼は触れる事すらままならない自分を、それでも大切にしてくださった。
それだけで、自分はその本丸に居る意味を見いだせていた。



だが、それも長くは続かなかった。

査定にやってきた政府の男が、主に手を出して来たのだ。
話の内容は自分には分からなかったが、主に頼まれた資料を持って戻った時には
彼は政府の男に首を絞められ、既に息絶えていた。

何があったのかは、わからない。
だが、既に力が抜けきっていた主の姿を見た瞬間、自分は依代を抜いていた。

近侍に置いてくださっていたため、主の部屋に依代を置かせていただいていた。
素早く槍を構え、相手へ馬乗りになった。
殺してやる、と、確かにそう思った。

だが、槍が刺さる前に、男は自分が触れた首元から鮮血を噴いた。
勿論そのまま男は息絶え、自分はただただ血濡れのまま主の亡骸を抱いていた。

皮肉にも、冷たくなった彼の体は、それ以上傷が増えることはなかった。



数日が経ち、男が戻ってこないことにやっと気が付いたらしい政府の役人たちが我々の本丸を訪れた。
自分は捕まり、政府管轄の施設へ繋がれた。

毎日代わる代わるやってくる人間たちは、皆無事では済まなかった。
最初は暴れ、反抗もしていたが、ある時触れるものを皆傷つけるのだという事を悟ってからは、ただただ暗い部屋へ座って過ぎる時を長く感じる日々が続いた。


とある日に、やってきた男がいた。
自分は、いつもと同じようにただじっとその場へ座り込んでいた。

奴は、それまでの者のように力に言葉を乗せるような事はしなかった。
そのかわり、奴の言葉は自分の心をえぐり続けた。

「そういえば。」

至極久しぶりに耳へ入ってきた声に、おもむろに視線を上げた。
虚ろな自分の目と交わった視線に、奴はにんまりと笑みを浮かべた。

「お前は、あの本丸の審神者にこう言われたそうだな。『蜻蛉切という刀は、切れ味が良すぎるために、触れると傷を負う事がある』と。」
「……」
「私は政府に就いて“刀剣男士”というものを研究し、数え切れないほどの個体と接してきた。勿論、蜻蛉切にも。」

聞いてはならぬと、自分の中で警鐘が鳴るのを感じていたが
それでも、耳は勝手に音を拾う。

「私は、今まで触れただけで切れる刀剣男士なぞ見た事がないね。」
「…」
「依代ならばまだしも、人型を取るお前たちがその存在だけで人を殺めるほどの力がある訳がないだろう。」

自分は、目を見張って相手を凝視した。

そんなはずはない。
だって、主はそうおっしゃったのだ。
間違いなく、笑ってそう言って自分を許してくださった。

自分の心内が見えているかのように、その男は更に笑みを濃くして一言残して去って行った。



「お前の主様は、お優しい方だったのだな。」



ばたん、と部屋に響く、重い扉が閉まる音。
ややあってから、やっと自分は相手の言葉を理解した。

自分は、異端だったのだ。

なのに、主様はそれを悟られまいと、嘘をつかれた。
―――自分が、知ってしまっては傷つくことを感じておられたからだ。


音の無い真っ暗な部屋の中に、ぱたりと水滴が落ちる音が響いた。
どうして、感じ取って差し上げられなかったのか。

男は毎日やってきては、自分の知らなかった過去を語った。

主を殺したあやつがうちへ来た理由は、“普通”ではない自分を見にやってきていた事。
あの日、主は男に、自分を政府へ差し出すことを命じられていた事。
主はそれに拒否し、襲われた事。

―――そのまま、殺されてしまった事。


自分は、あんなに自分を大切にしてくださった主が、命を落とす理由にされてしまっていたのだ。
男の言葉は、自分を強く責めたてた。



死んでしまった主を思って、人型を捨ててからどれほど経った時だろうか。
自分は、薄れた意識の中で大きな桐箱へと移された。

厳重に政府の者どもが封を施し、そのままとある部屋へと運ばれた。

そこで自分を受け取ったのが、今目の前に対峙する彼女だった。

――――――――――――――――――――――――

「…これが、自分があの政府管轄へ入れられるまでの経緯です。」
「……」
「正直、自分はあの方のもと以外ならば何処に居ても同じなのです。政府でも、この本丸だったとしても。」

ちいさくついた溜息を合図に、蜻蛉切は粧裕を見つめた。

「さあ、貴女の番です。お聞かせ頂けますか。」
「…」
「何故、審神者である貴女が、政府の実験施設にいたのです。」

粧裕が目線を下へ逸らすと、太刀の姿から皇が狐へ戻る。
くるりと首へ蜷局を巻いて、心配するように粧裕を見上げた。

「大丈夫だよ。」
「きゅう、」
「私から言いだしたことですからね。お話しましょう。」


少しずつ明るみへ出てくる粧裕の過去。
新しく語られるであろうそれに、粧裕は目を閉じて皇を撫でた。


  
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