兄とまだ見ぬ弟へ


第一印象は、真っ直ぐな奴だと思った。
皆に笑顔を向け、話を親身に聞き、凍った心を融かしていく。
そんな風に見えた。

でも、本当にそうなんだろうか。

ふらふら本丸内を散歩していると、偶に他のやつらと話をしているところに遭遇する。
他の奴らの話を聞いてやっているのはよく見るけど、とある日にふと気が付いた。

あいつが、自分の話をしているのを聞いたことがない。

話したくないのか、ただ単にそういう機会がないのか。
一度も話をしたことがない俺には、判断が付かなかった。

…まあ、今の俺は声を失って久しいから、言葉を交わす手段がない。
加州みたいに甘えにいくような器用さもない。
二代目や国広がよく面倒を見てくれて、別段不自由はないけど。



少し離れた所からあいつを眺めるだけの日々を送っていた。

その不思議な均衡が崩れた日があった。
一期一振が帰ってきた日だ。

朝、ばたばたと煩い廊下を走る音で目が覚めれば、先にしっかり用意を終えていた国広が障子戸に透けて見えた走り去る影をじっと見ていた。

「……」
「ああ、おはよう兼さん。」

何かあったのか、と目で訴えると国広は微妙な表情でまた外へ目を向けた。

「一期さんが、戻ってきたらしい。」
「!」

俺たちは、一期が堕ちた瞬間を薬研たちと一緒に見ている。
たまたま、あの時の出陣メンバーが俺たちと薬研、厚、乱と…失った、五虎退だったから。
今いる五虎退は、事件の後鍛刀された何振目かの五虎退だ。

「………」
「…僕?僕は行かないよ。」
「……」
「…そうだね、きちんと、戻ってきてくれてたらいいけど。」


国広は何も言わなくても俺の気持ちを汲んでくれる。
こいつとだけは、声のない会話が成立する。
視線を伏せた国広は、俺の身支度を手伝ったあと部屋を適当に掃除して出ていった。
どうやら、朝餉の用意があるらしい。

国広は行かないと言っていたが、どうしても俺は気になった。
一期が本当に戻ってきたのかというのもそうだが、一度堕ちた付喪神を引き戻すことが本当に可能なのか知りたかった。

何となく悪い事をしている気分になって、国広に見つからないようにそっと部屋を出て一期の居るらしい手入れ部屋へ向かった。

部屋へ近づくと、きっちり閉じた襖の傍に太郎さんが立って居た。

「…?」
「…ああ、和泉守殿。おはようございます。」

とりあえず、ぺこりと会釈を返す。
太郎さんは重苦しい空気を纏ったまま、手を震えるほどぎゅっと固く握りしめていた。
どうしたのかと顔を向けるも、相手は国広じゃない。
俺の視線から逃げるように、太郎さんはそこを去って行った。

そのすぐあとだ。
あいつの声が聞こえて来たのは。



「話を聞いて、改めて実感しました。私は兄という生き物が、吐き気がするほど嫌いです。」




俺は、思わず目を見開いた。

途中からで、話の脈絡はあんまりつかめなかったけど、あいつの言葉は一期を責めたてた。
何も知らないくせに、一期がどれだけ心を痛めていたか、知らないくせに。

頭に血が上った俺は、殴りこんでやろうと襖に手をかけた。
でも、次に聞こえた声に、腕から力が抜けた。

「…大切にしてあげてください。あの子たちに、替えは効かないんです。」

一期が、息をのむ音が聞こえた。
俺も、一緒だった。

あいつは、むやみやたらに言葉を投げつけたわけじゃなかった。

失った兄弟も、今ここに残っている奴らも、平等に大切にしてほしいと。
どうか、その中で優劣をつけないで欲しいと。

あいつの声は、そう強く言っていた。

かかっていただけだった手を襖から離して、一歩下がる。
俺は、こいつが益々分からなくなった。
考え事は苦手だが、色々考えてみた。
でも、こいつの中を覗くためにはあまりにも俺じゃ遠すぎる。

俺は、こいつの事を何も知らねえから。

廊下の向こう側からばたばたと近づいてくる足音に意識を引き戻され、俺は慌ててその場を離れた。

なんで逃げたのか、俺にもわかんなかった。

―――――――――――――――――――――――――


しっかり完治するまでは外すなとのお達しをうけ、外れないように長谷部の言葉を媒体に言霊までかけさせられた。
…自分でやったやつだと、外れるからだそうだ。
そんなことしなくたって、外さないのに。

「、ん?」

ぐい、と後ろから肩を引かれて思わず振り返ると、居たのは大倶利伽羅だった。
首を傾げると朝光忠がやったのと同じようにそっと眼帯を撫でられた。

「…倶利伽羅?」
「……見えているのか。」
「え、ああ、はい。問題ありません。傷が塞がるまではとしているだけで、眼球には問題ありませんよ。」
「そうか。」

ふ、と息をついて、彼はあとは何も言わずに去って行った。
彼は、言葉が少ない分よくわかる。

同じ主の元にいたからか、光忠と大倶利伽羅と鶴丸は、どことなく似ている。
特に光忠と大倶利伽羅は、さっきみたいに言動がかぶることも少なくない。

「ふふ、」

思わず笑えてしまって、目を撫でてから仕事をするために部屋へ向かった。




「…」

自室の戸をあけると、部屋の真ん中に黒と赤の塊が小さくなって縮こまっていた。

「…清光?」

一応と声をかけると、彼はばっと顔をあげて涙でぐしゃぐしゃの状態のまま私へ抱き着いてきた。
抱いていたらしい紙束と墨壺、筆が畳に転がる。
慌てて抱き留めたけど、ずるずると重さに負けて座りこんだ。

「清光、どうしたんです。」

片手で頭を撫でながら反対の手で転がったそれらを集めると、ぐすぐすと泣きながら左手は私を抱いて、右手は手さぐりで筆を探した。
渡してやると、器用に墨壺をあけて紙束を開いた。
…やけに順応してるな、いや、いい事なんだけど。

彼は見ないままに字を連ねた。
勿論、歪みまくってしまった字は、ぎりぎり読めるほどのものだった。

『もどってこないかとおもった』
「まさか。目を少し怪我したくらいですよ。」
『血まみれで、ほんとうに、しんぞう止まるかと思った』
「私からしたら朝一ぶっ倒れた貴方の方が心配ですよ…」

あやすように背中を撫でてやると、少ししてから筆をおいて顔をあげた。

「大丈夫ですよ。」
「…」
「眼帯は少しの間しているかもしれませんが、別段問題ありません。」
「……」
「ほら、光忠もしてるでしょう?ちょっと非日常なだけですよ。」

彼を落ち着かせるために言った言葉は、どうやら選び間違えたようだ。
さっきまでしおらしかったのに、光忠の名前が出た途端不満そうな表情でむくれてしまった。

あれよあれよという間に私は彼を後ろから抱くように座らされ、彼はむくれた表情のまま一心不乱で私の手に自分と同じ色の爪紅を塗りたくっていた。


――――――――――――――――――――――――――

几帳面に塗られた朱い爪に少しの違和感とくすぐったさを覚えながら、
いつもと同じ様に戦績の欄が空欄のままの報告書を書き上げた。
この本丸は特殊だから、今の所これでも目を瞑られているようだ。

誰と何をしたかを箇条書きにする。
今日は、一期様や他のお三方が戻ってきた事を報告に出す。

勿論、何があったのかまでは書かない。
そんな事をしたら、堕ちた一期様に何かしら罰が下されるかもしれないし、彼を庇っていた弟たちも唯では済まないだろうから。

・一期一振、薬研、厚、乱藤四郎を保護。
・体調が芳しくない模様。様子を見る。

「…本当、書くことないな。」

仕方なく、余白を埋めるために書くことを探しに外へ出た。



筆と報告書を持って歩いていると、清光と件の短刀三人が縁側で何やら話をしている。
どうやら、清光の墨壺に興味を持っているらしく、しげしげと色とりどりな文字が並ぶ紙束を頭をくっつけて覗き込んでいる。

清光は私が一番最初に言った言葉をこれからも継続するつもりのようで、筆と墨壺を渡してまたコレクションを増やしているらしい。
ふふ、と笑って私も自分の報告書を開いた。

・加州清光の声も依然戻らず。
・ただ、他の刀剣達との関係はおおよそ良好の様子

「仲良くやってます…っと」

書き加えて墨壺を閉じると、こつ、と私の手元に何かが転がってきた。

「……どんぐり?」

思わず日にかざして見ていると、どんぐりを通した向こう側にいつぞやの様に立っている彼の姿を見つけた。

「…?」

ぴん、と親指で撥ねたそれを再度私の方へ投げてから、顎で向かう先をさしてから歩き出した。
投げられるものが石じゃなくなったことと、当たらなくなったことに喜んでもよいものなのだろうか。

報告書を手に、私は彼の後を追った。


――――――――――――――――――――――

ゆっくりな追いかけっこを少し続けると、この本丸の端に位置する場所の縁側に座る姿を見つけた。

「…?」

首を傾げて少し距離のある和泉守様を見ると、彼は太郎様を指さした後戻って行ってしまった。
仕方なく、私はぼんやり外を見る太郎様の方へ歩き出した。

「…太郎様?」
「っ」

彼にしては珍しく、びくりと肩を揺らして私を振り返った。

「…粧裕、」
「どうしたんです、こんなところに一人で。」
「……」
「そろそろ小夜や今剣が遊び相手を探して歩き回っている頃ではないですか。」

小さい物が苦手だと言いながらも、彼はふたりにとても人気だ。
表情の変化は少し分かりにくいけれど、面倒見はとてもいい。
いつも岩融とふたり捕まっているのを見かけていた。

「…貴女は、」
「はい。」
「………いえ、何でもありません。」

言葉を切った彼は、ふい、と顔を背けてしまった。
困ったな、と思いながらも先を促した。

「途中で止められると、気になります。」
「…」
「ね。」

首を傾げると、彼はぽつりとこぼした。

「…貴女は、ここの刀たちについて、どの程度知っているのです。」
「?」
「貴女があったことのない者たちも、貴女の持つ刀帳には載って居たでしょう。」

刀帳、ああ、最初にこんのすけが何やら言っていたな。

「紫の表紙のあれのことですか。」
「…私は、見た事がないので、なんとも。」
「確かに、貴方達の事が載っているものがあると伺いました。でも、開いていません。」

太郎様は、訝し気に首を傾げた。

「どうしてです。私たちを扱うつもりなら、情報はあったほうがいいでしょう。」
「でも、私は“はじめまして”を、大切にしたいので。」
「…」
「どんな刀なのかとか、誰が使っていたのかとか、刀剣同士の間柄だとか。前情報を入れてしまっては、変な固定概念が出来てしまいます。」
「……」
「私は、貴方達の事を知るなら、貴方達の言葉がいい。」

彼は少しだけ目を見開いてから、眉間に皺を寄せた。

「…先ほど、一期殿との話を少し聞いてしまいました。」
「ええ、いらっしゃったのは知っています。」
「…すみません。」
「構いませんよ、貴方を外へ出したのも、一期様が話がし辛いかと思っただけなので。」

それで?と話を戻すと、彼は口を少しもごつかせてからつづけた。

「貴女には、兄がいると。」
「ええ。」
「…それに、“兄”という生き物が、心底嫌いだと。」
「ええ。」

きっぱりと肯定すると、彼は少し傷ついたように目線を泳がせた。
ああ、何となく言いたいことが分かった。

「……その、」
「太郎様。」

遮るように名前を呼ぶと、彼は遠慮がちに視線を合わせた。

「私は、確かに兄という生き物が嫌いです。」
「…」
「でも、それは私が、兄という存在の嫌な部分しか見てこなかったからです。」

小さく小首を傾げた彼に、ゆるく微笑んで続ける。

「私はここへきて、歌仙に兄弟刀も多く居ると聞きました。小夜たち三兄弟や、三日月と今剣なんかが、いい例ですね。」
「はあ、」
「三日月が気まぐれに兄と呼び、今剣を大切にする姿や、小夜と宗三が必死になって江雪を探す様を見てきました。正直、私には理解し難かった。」
「…」
「私にとって、兄は、殺意の向かう先でしかなかったから。」

ざあ、と吹いた風が、私と彼の髪を大きく揺らした。

「今回の一期様の事も、色々言いましたが。彼がとても弟たちを大切にしているのは分かっています。もし破壊されたのがあの三人だったとしても、結果は同じだったであろうことも。」
「粧裕…」
「ここへきて、気が付きました。“兄”という生き物全てが害悪なものでは無い事、弟の事を、何よりも大切にしている方もいる事。貴方たちが、今までの審神者殿と、私を区別するのと同じですね。」

にこりと笑うと、彼は唖然とした表情を向けた。

「分かっていても、長年積み重なってきた思いは、簡単には消えませんでした。兄という存在は、私にとって邪魔で無秩序で暴力的な存在でしかない。」
「…」
「でも、貴方達が私の手を取ってくれるように、私も少し、歩み寄ってみようとは思いました。」
「!」
「“例外”というものも、時には必要ですよね。」

笑って言うと、彼は私の手を遠慮がちに握った。

「…ごめんなさい。察してあげられなくて。」
「え…」
「弟君が、いらっしゃるのですよね。」

私の言葉に、彼はまた目を見開いた。
どうして、と小さくつぶやかれた言葉に思わず噴き出した。

「彼らを見て、弟が恋しくなったのではないですか?」
「…」
「私に話をしようにも、あんな事を聞いてしまっては言いだし辛くなってしまった。」
「……」
「だから、先に兄の話を出したんでしょう?万が一にも、貴方の弟君に私の思いの矛先が向かないように。」

ぎゅう、と手を握る力が強くなる。

「優しい方ですね。」
「……それだけでは、ありません。」
「?」

今度は私が首を傾げる番だった。

「…確かに、そう思いました。でも、もっと心の深くに、別の気持ちがあったことも確かです。」
「と、言うと?」
「…私は、……貴女に、嫌われたくなかった。」

思わずきょとんと目を丸めると、彼は視線は下を向いたままつづけた。

「最初の出会いも、あんな風でした。三日月が言うように、私の本能が貴女を遠ざけたのなら、逆もまた然り。貴女に、拒絶される日も、来るかもしれない。漠然と、そう思いました。」
「…」
「最初は、それでもいいと思っていました。私も、他の者達と同じ。審神者という存在が反吐が出るほど嫌いです。」

御神刀様から反吐なんて言葉が出るとは。
変な所で驚きながらも、話を聞いていた。

「ですが、共に過ごし、他の彼等と過ごす貴女を見て、……“例外”があってもいい、そう思ったんです。」

さっきの自分の言葉を返され、私は更に目を見開いた。

「…貴女と私の弟は似ている。」
「見た目がですか?」
「いえ。あの子は私と同じ黒髪で、背も私ほどではないですが、大きいですよ。」
「大太刀、ですか?」
「ええ。」

ふ、と緩んだ彼の表情につられ、私も小さく微笑む。

「では、何が?」
「…さあ、何でしょうね。」
「うわ、そういう風に言いますか。」
「会ってみれば、すぐに分かりますよ。」

ぎゅ、と握られた手を私も握り返した。
少し暑いくらいの日差しの中に吹く風に会話を邪魔されながら、私は彼と彼の大切な弟との昔話を聞いたのだ。


  
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