兄と弟と妹


次の日。
私は朝日を浴び、心配そうに覗き込む今剣と小夜の視線をひしひしと浴びながら歌仙と長谷部の御説教を聞いていた。

倒れるようにあのまま一夜をあの部屋で過ごした私は、もちろん斬り付けられた分の手当などしていなくて。

朝一に朝食を作りに起きて来た光忠と歌仙が青い彼とその弟たちを見つけて目を丸め、
一晩ついていたらしい鶴丸と太郎様から、昨日の事の一部始終を聞いたそうだ。
優しい彼らは私の様子を見にきてくれて、そこで頭(というか、顔)から血を流して座り込む私を見つけた。

大声で私を呼ぶふたりの声に、他の皆も起きてきた。
私は大丈夫だと笑って着物で傷口を押さえていたのだけれど、やってきた清光は大きく目を見開いてから失神した。
倒れる前にしっかりそれを受け止めた大和守様も顔を顰めていたし、長谷部も唖然としていた。

意外にも、一番取り乱したのは(清光を除けば)江雪だった。

弟たちとやって来て私の状態を見ると、他の皆を押しのける勢いで足早に私の元へやってきた。

「粧裕…!」
「大丈夫、大丈夫ですよ。少し切っただけです。」

怪我をした本人よりもずっと苦しそうに顔を歪める彼に、私は笑顔を向けた。
顔へ伸ばしてきた手を避けるように少し俯くと、思い出したかのように手をとめて
結局私の手を掴んだ。

「……血は、」
「傷自体は深くないんですけどね。ちょっと違う力が働いているようで出血が地味に止まらなくて。」

恐らくは、昨日の彼を纏っていたあの黒い闇だろう。
人の心というものは、時にこういう呪の類を生み出すもの。
ひとりでは止められなかったけれど、今ならどうにかできそうだ。

「…粧裕?」
「もう一度、呼んでもらえますか。」
「?」

不思議そうにしながらも、彼は小さく私の名を呼んだ。
その声へ乗せるように、手に力を入れる。
ぐっと拭うように傷をなぞると、一度鋭い痛みが走ってから血は止まった。

「…これ、は。」
「私の力は、こういう風に使うことも出来るんですよ。」

へら、と笑うと他の皆の止まっていた時間が動き出した。
はっとしたように近寄ってきた歌仙と光忠に手を取られ、あれよあれよという間に井戸まで連行された。

優しく綺麗な水で顔を洗うよう言われて、洗い立ての手拭で傷口の周りを拭かれた。
甲斐甲斐しいな、なんて他人事のように思いながら歌仙の手を手拭越しに感じていると
光忠が一枚羽織を持って戻ってきた。

「洗濯物の中から、適当に拝借してきたよ。」
「ああ、ありがとうございます。」

血が滲みこんで赤黒くなってしまった外羽織を脱いで、光忠に渡されたそれに着替える。
歌仙は先に戻るよ、と一言述べて井戸を後にした。

光忠には笑顔で礼を述べたつもりだったけれど、彼の表情は暗く固いままだった。

「…光忠?」
「……」

手袋のされた手で傷を優しく撫でられ、思わず右目をつむる。

「どうしたんです。」
「……粧裕、見えてる?」
「え?」
「右目。」

じっと私を覗き込む彼の視線は、私の右目を確かにとらえていた。

「ちゃんと、僕らの事、見えてる?わかるよね?」
「光忠…」

彼は、目に見えて狼狽えていた。
江雪と同じように悲し気な表情を浮かべて私を見る様子に、私も彼の眼帯に隠れた右目を見遣った。

「…大丈夫ですよ。」
「本当?」
「ええ、見えてます。」

これは、嘘ではない。
多少ぼやけてはいるけれど、傷が塞がれば問題はないだろう。
私も彼の眼帯を撫でながら、へらりと笑った。

「大丈夫ですよ。」
「…でも、」
「ほら、そんな顔しないで。格好いい光忠は、何処へ行ってしまったんです?」
「……それ、僕が今情けないって言いたいの…」

俯いてこぼれた、はああああ、と地面へ落ちるような重く長い溜息の後、彼は苦笑いながら顔をあげた。

「わかった、君を信じるよ。」
「そうしてください。」
「でも消毒はしないと。薬箱を探してくる。この間買い出しに行った時に揃えたよね?」
「ええ。」

私の手を取って本丸へ引く彼は、さっきまでとは大違いの笑顔を向けて来た。

「さ、戻ろう。歌仙くんと長谷部くんのお説教フルコースが待ってる。」
「…ちょっと待ってください、どういう事です。」
「この間彼らに言われたばかりだったんだろう?気を付けろって。」

確かに、そうだ。
そうだけど。

「長谷部くん、頭痛が止まないって頭押さえてたよ。」
「はは…」
「あんまり心労をかけないであげてほしいな。」
「節度ある行動を心がけているつもりなんですけど…」
「君は一度、“節度”という言葉を学び直した方がいいね。」

若干楽しそうに言う彼に、私は深く溜息をついた。


そして、冒頭へ戻るのだ。






「一体、どういう事かな。」
「…どういう、とは。」
「昨日の夜、何があった。」
「何、って…別に、」
「「何もなかった」は通らないぞ。」

歌仙と長谷部を前に、正座させられて厳しい声を向けられる。
どうしたもんか…

「…鶴や太郎様から聞いてないのですか。」
「聞いたよ。」
「なら、」
「だが、俺たちはお前の口からはきいていない。」
「…それ、私が説明し直す必要あるんですか…」
「あ゛?」
「お話させていただきます。」

歌仙のドスの聞いた声がこれほどまでに威圧感があるとは。
いつもの雅だ風流だと煩い彼は何処へいってしまったのか…

「…ここの地図を作っている最中に、地図上に部屋が足りない事に気が付きました。」
「ああ。」
「他の皆に見てもらって一緒に確認してもらっても、やっぱり大部屋一つ分の空が埋まらなかったんです。」
「…続けろ。」

長谷部の声に、米神へ手を指を当てて記憶をたどる。

「どうしてそこが埋まらないのか気になって、たまたまやってきた江雪に尋ねたんです。そしたら、そこはかつて粟田口と呼ばれる刀派の方達が使っていた部屋だったと。人数が多かったから、確かに私の言うように大部屋だったと聞きました。」
「それで?」
「この間、皆で話をしていた日あたりから、私の周りを何かの気配がうろつくようになりました。何人いるのかまでは分かりませんでしたが、大半は白い虎をつれた子だったと思います。」
「…五虎退か、」
「そのようだね。」
「最初は私も少しは警戒していたんですが、あまりにも何もしてこないので放っておいたんです。でも、江雪の話の中に出て来た粟田口の面々が纏う装束の特徴が、たまたま見えた彼の着ていたものによく似ていたので、確信しました。」
「…それで、君はその部屋を暴きにいったのか。」
「どうせ今日には歌仙へ中間報告に出さなければならなかったので、その前に確認しに行こうと思って。できれば一人で行きたかったんですが、あの銀朱の子が張った人返しの呪符が、私では剥せなかったものですから。」
「太郎太刀を連れていったのか。」
「はい。」

あとのことは、恐らく鶴丸や太郎様に聞いた通りです、と締めくくると二人は顔を見合わせて溜息をついた。

「無謀だろう。もし、鶴丸が通りかからなかったらどうするつもりだったんだ。」
「その時は、その時です。」
「…お前は…」

頭痛の止まらない保護者枠ふたりに苦笑いを返していると、襖に影が映った。

「どうぞ。」

私の声に、歌仙たちも振り返る。
影はびくりとそれぞれ肩を揺らして、わたわたしている。
長谷部に目を向けると、深い溜息のあと追い払われるように手を振られた。

そっと寄って行って、襖のすぐ傍へ屈みこむ。
どうしよう、どう、って…なんて声が聞こえるのが少しおかしくて、こっちから出向くことにした。

ひょい、と頭を覗かせてみると、更にびくりと反応した。

「ばあ。」
「あ…」
「おはようございます。」

にっこり笑うと、黒髪短髪の彼が毒気を抜かれたように肩から力を抜いた。

「…あんた、本当に昨日の奴か?」
「どういう事です?」
「や…その、あまりにも、空気感が違う、から。」
「流石にいつもあれほど気を張っていては疲れてしまいますからね。」

返事もそこそこに、彼の背へ隠れてしまったあの子へ声をかけることにした。

「ご気分、いかがですか?」
「ッ」

銀朱の髪が揺れる肩と共になびく。
そろりと私を振り返ったその子は、色んな感情がないまぜになった目を泳がせた。

「昨日は、手荒な真似をしてすみませんでした。どこか痛いところありませんか?」

刀を握っていた手を確かめる様に取ると、ぐっと顔を顰められた。
目には、涙がうかぶ。

「…んで、」
「はい?」

拾いきれなかった声に顔をあげると、捲し立てる様に言葉をぶつけられた。

「何で?!ぼくら、貴女をころそうとしたんだよ!!」
「そうですね。」
「なんで、そんなに当たり前みたいに、ぼくらによってこれるの…」
「命を狙われることも、刀を向けられることも慣れてしまったもので…」

苦笑いを返すと、大きな目からぼろりと涙がこぼれた。

「ああ、綺麗な目が腫れてしまいますよ。」
「なんだ、粧裕は乱の目が好きか。」

聞こえた声に顔を向けると、すぐ傍へ三日月が座り込んだ。
首を傾げると目を細めながら私を見遣る。

「俺も目には自信があるぞ。三日月の浮かぶ目など、他になかろう。」
「は、はあ…」
「俺ではダメか、妬けてしまうな。」

はっは、と笑いながら目の前の――乱、様の頭を撫でた。

「一期の様子を見て来た。」
「どうでした?」
「鶴や太郎が言うには昨夜は大分魘されておったようだが、今は大人しいものだ。ぐっすりと寝こけておるよ。」
「そうですか…」

ひとまずぶり返す気配はなさそうだ。
ふう、と溜息をつくと何を勘違いしたのか乱様が慌てたように言ってきた。

「待って、お願いいち兄を刀解しないで…!!」
「は、?」
「いち兄は悪くないの…!ぼくらが、ぼくらが弱かったから…っ!」

必死に兄を庇って私に縋り付く姿は、気持ちのよいものではなかった。

「…どうして、です。」
「いち兄がああなっちゃったのは、ぼくらのせいなの!短刀だけで出ていった部隊で、他の弟たちを失って帰ってきたから…!」
「失う…?」
「乱」

思わず単語を返すと、後ろからやってきた鶴丸がそっと乱様を抱いた。

「鶴丸、さん、」
「俺が話しても?」

優しく問うた彼に、乱様は顔を鶴丸の装束へ埋めながら頷いた。
鶴丸は優しく頭を撫でてやりながら、昔話を始めた。

「もう時間にすれば大分前だが、丁度お前がくる一代前の審神者が居た頃だ。そいつは戦績にやたらと固執する奴だった。俺たちは傷を負いながら、一日に何度も時代を渡って戦っていた。」
「…」
「希少価値の高いものはそれでも破壊寸前で手入れを受けていたが、この子たちのような短刀や脇差、打刀たちは替えが効くとばかりに破壊されることもあった。」

鶴丸の話に顔をしかめると、三日月に厚が怯えるからと諭された。
深く深呼吸してから、先を促す。

「一期一振は、粟田口の面々を纏める、謂わば彼らの長兄にあたる。素早さでは短刀たちには勝てないが、刀装の数も統率もあいつの方が高かった。一期は価値としても希少だったし、手入れもされる。あいつは、自分が盾になるために弟たちで結成される隊には必ずついていった。」
「……」
「だが、夜戦ではそうもいかない。俺たち太刀以上は夜目が効かない分ついていったって足手まといになるだけだ。一期は、第一部隊の脱隊を余儀なくされた。」

乱様の嗚咽が酷くなる。
思わず私は口をはさんだ。

「別に、無理に聞こうとは思いません。話さなくてもいいんですよ。」
「それはダメ!」

ばっと顔をあげて叫ぶように言った。

「そしたら、いち兄が悪者になっちゃう、刀解、されて…っ!」
「そんな事しませんよ。わざわざ戻ってきたあの方と貴方達を引きはがすつもりもありません。」
「……でも、」
「乱が聞いてほしいと言っているんだ。理由はどうあれ、最後まで聞いてやってくれ。」「…わかりました。続きを。」

更に先を促すと、乱様はまた顔を伏せてしまい、鶴丸が話をつづけた。

「一期が隊を離れてすぐの出陣で、戻ってきたのは半分だった。」
「乱と厚、それに俺だ。」

顔を上げると、昨晩会ったもうひとりが立っていた。
白衣に眼鏡で昨日とは大分装いが違うけれど、間違いない。

「悪いなじいさん、こっからは俺が話す。」
「…ああ。」
「俺は薬研藤四郎。短刀の中では兄貴分だ。その時の部隊の隊長でもあった。」

話を引き継いだ彼が、私の前へ持ってきた木箱と共にどかりと座った。

「俺は、三人弟を失った。目の前で折れた弟たちに、俺たちは何もしてやれなかった。」
「…」
「戻った俺たちを見た兄貴は、俺たちを大層心配してくれた。重傷だったが手入れ部屋にも入れて貰えなかった俺たちを、兄貴は治らないなりに手厚く看病してくれた。」

だが、と続く逆説に、彼の手に力が籠ったのが分かった。

「それだけじゃ、終わらなかった。」
「…どういう事ですか。」
「その後も夜戦続きでな。出陣するのは俺たち粟田口の面々や他の短刀たちが中心になった。…出陣の度に、誰かを失いながら、俺たちは勝ち進んでいた。」

つまり、全員で戻ってきたことはなかった、ということで。
それだけ彼らは、仲間の死を見て来たということだ。

「俺たちも大分参ってはいたが、兄貴は目に見えて塞ぎこんで行った。何人目だったか忘れたが、弟がまた壊れた時、兄貴はとうとうおかしくなった。」
「…その瞬間、昨日見たあの姿になった、と?」
「ああ。」

こくりとひとつ頷いて、彼はつづけた。

「そんな状態の奴を、本丸に置いておくわけがない。審神者に見つかれば刀解は必至だった。」
「だから、わざわざ術式まで張ってあそこへ隠したというわけですか。」
「乱はそういうのが元々好きだったしな。張れるのも、俺が知る限りこいつだけだ。俺たちもやったが、うまく行かなかった。」

溜息をついて、乱様の頭をぽふぽふと撫でる。

「それから俺たちはあの部屋から出る時間がめっきり減った。乱のアレも完全じゃない。剥がれれば作り直さなくちゃならなかったからな。」
「ずっと…そうしてきたんですか。」
「ああ。」

あっさりと答える彼に、私はまた顔を顰めた。

「気が付いたら、あの審神者も消えていた。何があったのかは知らねえが、あいつの力がなくなって、俺たちは刀に戻った。」
「…」
「次にあんたが来てこの姿を取り戻した時、もしかしたら兄貴も戻ってるかもって思ったが…残念ながらあのザマだ。」

持ってきていた木箱をおもむろに開けて、中を漁り始めた。

「話はこんだけだ。…昨日は、悪かった。」
「…いえ。当然の事だと思います。」
「目、見えてるか。俺っちじゃ出来ることは少ないかもしれねえが、手当くらいはする。」

彼が伸ばした手を、私は反射的に受け止めた。

「…?」
「触らないで。」

咄嗟にでた言葉は、拒絶以外の何物でもなかった。

「…悪い、刃を向けてきた相手が気安く近寄ったのが間違いだった。」
「……そうではありません。元々、人に触れられるのが嫌いなんです。貴方だけではありません。」

色んな気持ちを乗せて息を吐くと、箱の中から塗り薬と白い眼帯を手に立ち上がった。

「これだけ、借りていきます。後で戻しておくので、お気になさらず。」
「おい、」
「お気持ちだけ、有難く受け取っておきます。一期様の容態を見てきますね。」

彼らから逃げる様に、私はそこをあとにした。

―――――――――――――――――――――――


部屋へ入ると、ちょうど彼は目を覚ましたところだったようだ。
ついていた太郎様が、私を振り返る。

「ああ、お説教は済んだのですか。」
「いえ、逃げてきました。」
「また怒られますよ。」
「承知の上です。」

そっと敷かれた布団の傍へ膝をつくと、虚ろな目で青い彼が私を見上げた。

「……あな、た、は、」
「…お初にお目にかかります、でいいでしょうか。」

見下ろした私に、彼は起き上がろうと手をついた。
それを制して、話を続ける。

「そのままで。」
「しか、し、」
「構いません。太郎様、少し席を外していただけますか。」

私の言葉に、彼は何も言わずに部屋を出ていった。
ぱたりと閉まった襖戸を見てから、一期様にまた向き直る。

「昨夜のこと、覚えていらっしゃいますか。」
「……朧気、ながら、」
「今までの事は、どれほど記憶にございますでしょう。」

問いに、彼はどういう意味だという視線を向けて来た。

「貴方が“堕ちた”理由、貴方の弟君たちから伺いました。」
「ッ薬研、乱…っ厚は…!!」
「向こうの部屋で他の方たちと一緒に居ます、問題ありませんよ。後で声をかけて差し上げてください。」

一呼吸おいて、自分の心の中を整理する。
どうしても、言わなければならない事がある。

「私は、現在ここを任されている審神者です。」
「…」
「ですが、ここからの話は私個人の意見として耳に入れていただければと思います。」

静寂を少し挟んで、私は話し始めた。

「私は、兄という生き物がこの世で一番嫌いです。」

目を見開いた彼をそのままに、私はつづけた。

「私の兄は、自由で傍若無人で、気分屋な方でした。私はあの方には勝てなかったから、いいように使われてばかりでした。」
「…」
「あの人の尻拭いをするのも、代わりに罰を受けるのも私で、私が出した成果の誉れを受けるのも、必ずあの人でした。」

できるだけ、感情的にならないように気を付けながら言葉を選ぶ。

「あの人の機嫌を損ねれば、私は気を失うまで痛めつけられ、目が覚めれば傷だらけで折檻部屋へ繋がれていることも少なくありませんでした。」
「……」
「殺してやろうと思った事も、数え切れません。でも私は、謂わば実験体。あの人が居なければ存在する理由すら失ってしまう。」

目を見開いたまま黙っている彼を良い事に、私はただただ言葉を羅列した。

「私がここへ来たのも、そんな時でした。いつものように罵詈雑言を浴びせられ、手を上げられそうになって自分を庇うように頭を抱えて。すぐにやってくるであろう恐怖に耐えるため、目を瞑っていました。」
「…」
「私は、兄から逃げてきたんです。」

数か月前の事だけれど、やけに鮮明に思いだせる。
それだけ、私の心はあの人に囚われているという事だ。
勿論、悪い意味で。

「私にはもう、行く場所がない。だから、ここへ置いていただいているんです。その代償に、私が出来る限り、願いは出来るだけ叶えて差し上げたい。」
「…」
「貴方を堕ちた先から引き戻したのも、貴方の弟君たちがそう望んだからです。」
「乱、薬研、厚…」

こぼれる様に弟の名を呼んだ彼に、私は淡々と言った。

「“弟”である彼らがあれほどまでに大切にするから、どんなに素晴らしい方なのかと思っていました。それほどの、価値がある方なのだと。」
「……」
「先ほど、向こうで貴方達の過去の話を聞いてきました。乱様が、このままでは貴方が悪者になってしまうから、と。」

黙って彼は、私を見上げていた。

「話を聞いて、改めて実感しました。私は兄という生き物が、吐き気がするほど嫌いです。」
「、」
「弟君たちを失って、心がかき乱され辛い思いをしたのは分かります。でも、それはあのお三方も同じなのではないのですか。」

私の言葉に、彼はバツが悪そうに目を泳がせた。

「彼らは目の前で仲間を失い、弟たちを守り切れなかったと毎度亡骸を抱えて戻ってきていたのではないのですか。」
「それ、は、」
「貴方は現実から目を背けて、卑しく誘う闇の手を取った。」
「…」
「至極楽だったでしょうね。全てをかなぐり捨てて、目を閉じ、耳を塞ぐのは。」

激昂し、言い返してくる様子がないのは、彼自身もそういう気持ちが少なからずあるからだ。

「貴方が堕ちるまでに心を痛めた弟たちは多少報われるかもしれませんが、頼る先を失ったあの子たちは、捨てられたも同然です。」
「捨てるなど…!!」
「結果的に、あの子たちは貴方を庇いながら、薄暗い部屋の中で重たい日々を送っていたではありませんか。」

ぐ、と言葉を喉に詰まらせた彼は上げた顔をまた伏せた。

「…大切にしてあげてください。あの子たちに、替えは効かないんです。」
「っ」
「貴方もまた、あの子たちにとって唯一無二の兄であることには、変わりないんですから。」

小さく言った言葉に、彼は目を見開いた。
何かを伝えようと口を開いた時、廊下からいくつかの足音が聞こえて来た。

「いち兄!起きたって本当!?」
「いち兄!」
「気分どうだ?」

三人が入ってきたので、私は彼の隣を空け渡して部屋を出た。
横目で、彼が弟たちを縋り付くように抱きしめているのを見て、小さく溜息をついた。

さて、そろそろ目を消毒して眼帯をしておかないと。
お説教の種が増えてしまう。

私は自室へと歩みを進めた。


  
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