鶴丸と万屋


彼に対して、小さな違和感を覚えたのは数日前。

書庫で本を探していた小夜と今剣に、「“くれよん”とは何なのか」と尋ねられた。
人間の使う道具にはあまり敏くないけれど、「絵を描く道具だ」と返した覚えがある。

どうやら、書庫には人間界の本が沢山並んでいるようで。
歌仙が懐かしいと言いながら、私では読めない蚯蚓が這ったような字が並ぶそれを山の様に積んで読んでいた。
その中に、俗に言う“児童書”というものも紛れ込んでいたようで、そこに出て来たそうだ。

私の答えに更に好奇心をそそられたふたりは、「“くれよん”が欲しい」と強請ってきた。
私ではしてあげられることは少ないし、それくらいはと本丸を出る事を決めたのだ。

こんのすけから聞いた最初の話では、門をくぐった向こう側に万屋という、何でも置いて揃う便利な店があるということだった。
探索も兼ねて、と出かける用意をして門へ向かう途中。
他に何か欲しいものはないかどうかを皆に聞いてから行こうと思い直した。

皆の所を回って頼まれ物を覚書し、最後に厨へ辿り着いた。

江雪と三日月が趣味で作った暖簾をくぐると、丁度昼餉の片付けをしている光忠と歌仙、鶴丸に出会った。

「珍しい、こんなところに鶴丸がいるなんて。」
「三日月が茶を淹れてくれるというんでな。茶菓子を失敬しに来たら捕まってしまった。」
「勝手に持って行こうとするからだよ。」

ぴしゃりと言い切られ、バツが悪そうに下手くそな笑みを浮かべた。
私もつられて少し笑ってから、三人へ目的を告げた。

「何か欲しいものはありませんか?」
「欲しい物?」
「万屋へ出かけようと思っていて。個人的なものでも、厨のものでも構いませんよ。」

私の問いに、歌仙と光忠は顔を見合わせて考え込んだ。
それぞれ棚の中を一頻り覗いてから、それじゃあ、と続ける。

「お醤油と、砂糖をお願いしてもいいかな。それから、料理酒も。」
「わかりました。一番大きなものでいいですか?」
「うん。」
「あ、待って僕も行くよ。」

歌仙に最後の皿を渡して、手拭で濡れた手を拭いた。
流石にひとりでは持ちきれないかもと思っていたので、素直にお願いすることにした。

「鶴丸は?」
「…え、」
「欲しいものはありませんか?」

再度問うと、彼はゆるく首を横に振った。

「いや、ありがとう。大丈夫だ。」
「なら、一緒に出掛けてみませんか。外には貴方の好きな驚きが沢山あると思いますよ。」
「荷物持ちは光忠がいれば事足りるだろう。俺は三日月の所へ戻るとするよ。」
「…そう、ですか。」

目当てだったはずの茶菓子も持たず、手ぶらで彼は出ていった。
どうしたのだろうかと首を傾げていると、光忠が顔を覗き込んできた。

「わ、」
「行こうか。」
「あ、ああ、はい。」

私はどもりながらも返事をして、門までの間に捕まえた畑帰りの大倶利伽羅を無理やり連れて外へ出た。

――――――――――――――――――――――――――――

万屋は、思ったよりも広かった。
所詮はひとつの建物。
迷う事はないだろうと思っていたけれど、人も多いし何よりも敷地がいやに広い。
おまけに来るのは審神者たちなのだろう、皆ほぼ誰かしら刀剣を連れていて圧迫感は果てしない。

「…」
「人が多いね。はぐれないようにしないと。」
「……帰る。」
「そうしましょうか。」
「諦めが良すぎるよ、ふたりとも。」

くるりと一緒に回れ右した大倶利伽羅と私を引っ掴んで、光忠はずんずん中へ入って行った。
仕方なく懐から覚書を出して、頼まれた物を探していく。

半刻ほどかけてやっとこさ全て揃えて、会計を終えた。

うんざりした表情で外にいる、と一言告げて出ていった大倶利伽羅に苦笑いながら、持ってきた買い物袋に全て荷物を詰める。
ちょうどみっつになったので、ひとつを自分で持って、ふたつは光忠に任せた。

人をかき分けて外へ店を出ると、通りには何人かの大倶利伽羅が同じように眉間に皺を寄せて立っていた。

「…わあ。」
「ふふ、どこの大倶利伽羅も同じなのですね。」
「まあ、うん、本質は、一緒だからね。」

言葉を少し詰まらせた光忠と一緒に辺りを見回す。
いくつも並ぶ同じ顔を見比べ、光忠の燕尾を少し引いて合図をしてから歩き出した。
少し離れた所の軒先に、日差しを少し避ける様に立っていた彼の所へ辿り着くと、彼はゆっくり目をあけた。

「ごめんなさい、お待たせしました。」
「…遅かったな。」
「うまく物が入らなくてね。」

大倶利伽羅は、光忠からひとつ袋を受け取るともう片方の手で私の持っていた荷物を取り上げた。

「え、」

自分で持つ、と言う前に彼はさっき光忠から受け取った荷物を私へ持たせて帰路を歩き出していた。
残された私たちは、二、三度瞬きをしてから顔を見合わせて。
小さく笑い合ってから彼を速足で追いかけた。



「そういえば、光忠と大倶利伽羅は同じ方の所に居たんですよね。」
「ああ、そうだよ。」
「…少しの間だがな。」

帰り道に何の気なしに出した話題。
光忠はそれを拾って、嬉しそうに昔の話をしてくれた。

まだ幼かった大倶利伽羅の話、昔の主殿の話、そして、伊達に居た頃の鶴丸の話を。

「鶴さんは、本丸にいる刀の中でも結構古い刀だからね。僕もよく面倒を見てもらっていたよ。」
「へえ。」
「あのころから悪戯好きではあったけれど、もう少しマシだったかなあ。ね、倶利伽羅。」
「…似たようなもんだ。昔も今も、迷惑極まりない。」
「はは。」

楽しく彼らの昔話を聞いていたけれど、そこでふと出てくる前の鶴丸を思い出した。

「でも、意外でした。」
「何がだ。」
「光忠へ声をかけたとき、鶴丸も一緒にと言ったんですけど、断られてしまって。」

私の言葉に、大倶利伽羅が少しだけ表情を変えた。

「驚きの好きな彼なら、喜んでホイホイついてくると思っていたんですけれど。」
「…」

私の頭上で目を見合わせたふたり。
大倶利伽羅は目線を逸らして黙ってしまい、光忠も考え込むように少しだけ俯いた。

「何か、あったんですかね。」

私の言葉に、光忠が少し間をあけて口を開いた。

「……あのね、鶴さんは、」
「おい、やめろ。」
「でも、」

光忠を叱るように声を少し荒げた大倶利伽羅が、言葉を遮った。
腑に落ちないように小さく反論を返す光忠に、私は慌てて言った。

「別に、無理に聞こうとは思いませんから。」
「違うんだ、」
「光忠!」
「でも!」
「本当に、いいんです。」

私が言うと、光忠は歯がゆそうに顔を顰めた。

「私が言った“なにか”は、別に昔の事を指しているわけではありませんから。」
「…」
「外へ出る以上の驚きが、あそこにはあったのかなと思っただけです。」

足を止めてしまった光忠へ笑って、道をまた戻り始めた。

――――――――――――――――――――――――――――



夕餉も食べ終え、風呂も入り終わった。
あとは皆好き好き時間を過ごして寝るだけ、という時分。

庭の中心に位置する所にある溜池から流れる小川のほとりを、俺はひとり涼みながら歩いていた。
さっきまで大倶利伽羅としていた話を思い出しながら、目線を落とす。
小さく風に揺られる水面に写る月夜を見ていると、どこからか笛の音が聞こえて来た。

今剣あたりかとも思ったが、それにしては少し拙い。
誘われるように音源を探して辿ってみると、ちょうどそれは小川が終わる所に座っていた。

「きみだったのか。」
「あら、鶴丸。」

笛を吹くのをやめて、俺の方を向いてにこりを笑みを浮かべる彼女。
おいで、と小さくされる手招きに応じて、隣の岩へ腰を下ろした。

「笛が吹けたのか。」
「これでも、多趣味なんです。今日買い物に出た先で安く手に入ったんですけど…私の持っていたものと少し勝手が違って。うまく行きませんね。」

苦笑いを浮かべる彼女の手からそれを取って、一周くるりと回して見る。

「君の手には、少し大きすぎるんじゃないか。」
「え?」
「このテの横笛は、大きさもいくつかある。今剣は一番小さいのを持っていたと思ったが…これだともっと手が大きくないと穴がきちんと塞げないだろ。」
「そうなのですか。」

残念です、と少し肩を落とした彼女に、俺は小さく笑った。

「なに、また君の手に合うものを探しに行ったらいいさ。」
「…その時は、一緒に来て見繕ってくれますか。」

彼女の言葉に、俺は目を見開いた。
まさか、そう来るとは思っていなかったからだ。

「…驚いた。俺を連れて行こうってのか。」
「駄目ですか。」
「俺じゃ、…」

咄嗟に出そうになった言い訳を、ぐっと飲み込む。
言葉を切って、手の中の笛を見下ろした。

「…鶴丸?」

首を傾げた彼女に、心が揺れた。
話すべきか、はぐらかすべきか。
迷った俺の気持ちを押したのは、出先の話を自棄に饒舌にしてくれた奴の言葉だった。

「……この間、歌仙がしていた話を覚えているか。」
「?」
「…ここの刀は、皆何かを抱えている。正規の方法ではない道を経て、ここへ流れ着いたものも少なくない。」
「…」
「かく言う俺も、その一人だ。」

彼女は、黙って俺の話を聞いていた。
できるだけ、視界の中に彼女をいれないようにしながら、話をつづけた。

「昔、俺はここじゃない別の本丸に呼ばれた。刀の数も練度も戦績も申し分ない、強い部隊を率いる本丸だった。」
「…」
「だが、そこの審神者は俗に言う“難民”ってやつだった。その本丸には唯一、“鶴丸国永”が欠けていた。」

手の中の笛をぎゅっと握って、目を閉じる。

「顕現した時は、大層喜ばれたもんさ。長い事待たれていたようだったからな。」
「…」
「嬉しかった。綺麗に扱ってもらって、大切にされて。そこの刀たちとの生活も、しあわせだった。」

無意識に小さくなってしまった声を戻すように深呼吸をひとつして、話を続ける。

「ある日、そこの審神者は俺を連れて万屋へ出た。奇しくも、昼の君と同じ言葉を、その時俺は受け取った。」

ちらりと彼女を見遣ると、驚いたように目を見開いていた。
ほんの少し笑みを向けて、また記憶をたどる。

「『外にはお前の好きな驚きが山ほどあるんだぞ。』…あいつの言葉に、俺は期待に胸を膨らませて共に本丸を出た。…それから二度と、そこに戻る事はなかったけど。」
「…どういう、ことです。」

やっと聞こえた彼女の言葉は、俺を伺うようにぽつりとこぼされた。

「その日はやけに人が多くてな。途中で審神者とはぐれてしまったんだ。でも、まあ出てくれば分かるだろうと万屋の前へ出ていた出店を冷やかしていた。」
「…」
「少しして、あいつは店から出て来た。声をかけようかと思ったが、ふいに少し驚かせてやりたくなった。俺がいなくなったら、あいつはどうするだろう、と。」

ああ、動悸がする。
この話を人にするのは、あいつら二人に話して以来だ。

「出店の前で少し離れたあいつを見ていた。俺の思惑通り焦ったようにあたりを見回しているのを見て、愉快だった。気が済むまでそれを眺めて、さてそろそろ出て行ってやるかと思った時だった。…俺じゃない、“鶴丸国永”があいつに声をかけてきた。」
「、」

先が読めたようで、彼女は更に目を見開いて悲痛そうな顔をした。
別にお前がそんな顔をしなくても、と他人事のように少し笑えた。

「その“俺”は、どうやら特定の審神者を持っていたわけじゃなかったようだった。どういう経緯でそこにいたのか俺には分からないが、審神者はそいつを見てほっとしたように表情を緩めて、連れだって本丸へ戻って行った。」
「そん、な」
「あいつが大切にしていたのは、“俺”じゃない。“鶴丸国永”だったんだ。俺はやっとその時気が付いた。」

また視線を笛へ戻し、自嘲気味な笑みが浮かんだ。

「俺たち刀剣は、審神者と一緒じゃないと門をくぐれない。俺は置いて行かれた時点で、主を無くした。」
「…」
「何日かして形を留めておけなくなった俺を、政府のやつらが回収に来た。政府の施設でまたこの姿を取り戻したけど、あまりにも無反応な俺を持て余したんだろうな。奴らは俺を、既に審神者の居なかった此処へ棄てた。」

全てを話し終え、最後に彼女と視線を交わらせた。

「これが、俺の此処へきた経緯。俺の抱えるものだ。」
「…」
「大倶利伽羅に、君が俺を気にしてくれていると聞いたからな。別に、君を嫌いだとか何かあったとかで共に出なかった訳じゃないんだ。」
「…どうして、私に話す気になったんですか。」

彼女の言葉に、俺は首を傾げた。
彼女は一呼吸置いて、笛を握っていた片手を取った。

「手、震えてます。」
「え、」

言われてやっと気が付いた。
確かに、小刻みに震えている。
支えが片方なくなった横笛が、余計にそれを報せていた。

「心は、何よりも繊細にできている器官です。その体を動かし、人となりを作る物。貴方はさっきの話を、心の一番奥底へ沢山鍵をかけて仕舞いこんでいたんじゃないんですか。」
「…」
「なのに、どうして。無理に自分で鍵をあけてまで、外へ出そうと思ったんです。」

ぎゅ、と手を握ってくれる彼女に、少しずつ震えが収まってくる。
小さくまた深呼吸をして、言葉を吐き出した。

「…大倶利伽羅が、言っていた。」
「?」
「昼間、沢山いる“大倶利伽羅”の中から、迷うことなく自分を探し当てたと。」

手を握り返して、続ける。

「まだ出会って日が浅いのに。…驚いたし、何より、羨ましかった。」
「…」
「あの時、俺は、気付いてもらえなかったのに。」

眉間に皺を寄せると、彼女は手を離して俺の前へ立った。
つられるように顔を上げると、彼女は緩く俺の頭を抱いた。

「っ」
「私は、間違いません。」
「きみ、」
「貴方は、ひとりだけ。この本丸の“鶴丸国永”は、あなただけです。どんなに沢山並べられても絶対に違(たが)うことはありません。」
「…」
「陳腐で、ありきたりな言葉かもしれませんが、嘘偽りは一切ありませんよ。」
「…粧裕、」
「貴方は、鶴丸国永。私の大切な、唯一の鶴丸。」

優しく降ってくる声に、ぐ、と喉の奥が鳴った。
目を閉じて再度深呼吸をして、一度だけ力いっぱい彼女を抱きしめ返した。

―――――――――――――――――――――――――――――


ありがとう、と私を離した鶴丸はいつもと同じように笑ってくれた。
少しだけ赤い目じりは見なかったことにした。
哀しい顔や儚い笑顔は、うちの鶴丸には似合わない。

離れると、彼はお礼にと一曲笛を奏でてくれた。
私の手では間に合わなかったそれも、彼は簡単に吹きこなして見せた。

「…鶴丸、そういう事も出来るんですね。」
「悪戯だけが俺の個性じゃないさ。」
「なんとなく、そういう自覚はあったんですね。」

溜息まじりに笑うと、彼もふわりと笑みを浮かべた。

「それは、鶴丸に差し上げますね。」
「え、いいのか。」
「私ではちょっと合わないようですし。また、聞かせてください。」
「…」
「そのかわり、今度私の笛を探しに行くときは一緒に見にきてもらいますよ。」

私の言葉に彼は目を見開いてから、ふっと吹き出すように笑った。

「ああ、君にぴったりの物を見繕うさ。」
「お願いします。」
「君も練習しろよ。俺ひとりの音じゃ、些か寂しい。」
「では、頑張らないとですね。」

立ち上がって差し出された手を、私は迷わず取った。


  
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