政府と“彼女”と伊達刀


「粧裕様」
「…お願いだから、そう呼ぶのはやめてください。」

長谷部様をこちらへ巻き込んで、更に数日。
主とは決して呼ばないけれど、彼は私を敬称をつけて呼んだ。

「お願いしますから、普通に粧裕と、」
「しかし、貴女は仮にも今は俺の持ち主です。」
「…ならば、その持ち主が呼び捨てで構わないと言っているんですからそうしてください。話し方も、他の方たちのように砕けたもので構いません。」
「宗三や江雪は、貴女に敬語で話すでしょう。」
「…彼らは、もとよりそうだと伺っています。でも、貴方は違うでしょう。初対面の時も、屋根の上で話をした時も、他の刀に対してだって明らかに言葉遣いが違う。」

ほとほと困り果てた私に、とうとう見兼ねた小夜様が口を挟んできた。

「その本人が望んでるんだよ、へし切は粧裕に対して嫌がらせをしたいの?」
「そんな訳あるか。長谷部と呼べと言ってるだろう。」
「なら、粧裕と呼べばいい。…それから。」

今度は、隣へ座っていた私を見上げた。

「僕らにも、様ってつけるのやめてよ。」
「え、」
「僕らだって望んでない。」
「…」

そういわれてしまっては、先のやり取りの後ではもう返す言葉もない。

「わかり、ました。」
「なら、いい。長谷部も、わかったね。」
「…ああ。」

私たちの返事に満足したようで、ひとつ小さく頷くとひょいと庭へ降り立った。

「歌仙の手伝いをしてくるよ。きっと今頃風呂掃除に行っているはずだから。」
「はい。」

ぱたぱたと軽い音を鳴らしながら去っていく背中を二人で見送って。
ふいにかち合った視線に、私はへらりと笑った。

「いたみわけ、ですね。長谷部?」
「…そう、だな。」

彼も、小さく笑みを返してくれた。

「お、話はついたか?」
「岩融」

どうやらお見通しだったらしい彼は、肩に今剣を乗せた状態で戻ってきた。
今日はふたりで畑へ行っていたらしく、頭にはお揃いの麦わら帽子が乗っかっている。

「粧裕も、いこじですね。べつになまえでよべばいいのに。」
「礼儀ですよ、れ・い・ぎ。」

懐から手拭を出して、岩融に手渡す。
彼はどかりと縁側に腰を下ろし、長い溜息をついた。

「しかし、今日は暑いな。じりじりする。」
「そうですね。まだ春先だと思っていましたが、夏も近いのかもしれませんね。」

さて、と腰をあげる。

「どこへ行く?」
「獅子王が洗濯を取り込んでくれていると思うので、それを手伝いに。」
「ならば、これを。」

彼は自分の頭から取った帽子を私の頭へかぶせた。
思わず首を竦めると、帽子越しにがしがしと頭を撫でられた。

「倒れるなよ。」
「平気ですよ。」
「粧裕。」

更に呼ばれた名前に顔をそちらへむけると、歌仙が小さな盆を持ってやってきた。

「獅子王のところへ行くならば、これを一緒に持って行ってくれないか。」
「?」
「きっとまたそのまま庭をいじりにいくだろうから、その前に水分補給をと思ってね。三日月も一緒にいるだろうから、よろしくね。」

みっつのグラスが乗ったそれを受け取って、私は洗濯場へと歩き出した。

―――――――――――――――――――――

ばさ、と音を立ててシーツを取り込んでいく。
いい天気が続くので、乾くのも早い。
お天道様の匂いがするそれをぎゅっと抱いてから、縁側へと持っていく。

「じっちゃん、見てるなら手伝ってくれよ。」
「俺は畳むので忙しくてな。」
「三日月、畳むならしっかり角をあわせて畳んでください。」
「あなや。」

俺が取り込んだものをじっちゃんが畳んで、それをまた江雪がきっちりと畳み直す。
言ってしまえば二度手間だけど、俺は笑ってそれを見ていた。

「獅子、」

呼ばれた名前に、ぱっと振り返る。
やってきたのは、麦わら帽子をかぶった粧裕だった。

「江雪、も、一緒だったんですね。」
「え、ああ、はい。」
「粧裕はどうしてここに?」
「獅子を手伝いに行くと言ったら、歌仙にお茶を持っていくように頼まれまして。三日月も一緒にいるだろうからと。」

さんにんとも、同じような表情をしてるんだろう。
呆けた俺たちに、粧裕は居心地悪そうに視線を泳がせた。

「…すみません。やっぱり、戻します。」
「え、」
「小夜が、呼び方を改めろというもので…」

すみません、と再度謝る彼女に俺は慌てて止めた。

「ち、ちがう!嫌だったわけじゃない!」
「そうです、些か、急だったもので。」
「驚いただけさ。そう呼べばいい。」

俺たちが口ぐちに返すと、彼女は少しほっとした様子で笑った。

「ちょうどみっつありますから、どうぞ。」
「ああ、いただこう。獅子や、休憩にしよう。」
「ん。そうすっか。」

じっちゃんの隣へ腰を下ろして、粧裕からコップを受け取った。
じっちゃんにも渡してから、最後のひとつを江雪へ差し出した。

「はい。」
「…これは、貴女のために用意したものではないのですか。」
「私、さっきまで厨の所にいたので先にいただいてきました。気にしないでください。」

手をひっこめる様子もない粧裕に、江雪は少し戸惑ってからそれを受け取った。

「残りは私がしますから平気ですよ。獅子はこの後、また庭へ行くんでしょう?」
「ああ。」
「俺も共に行こう。大分手入れの行き届いているところも増えたからな。」
「では、私もお手伝いにいきましょうか。」
「ああ、ありがとな!」

盆を俺の隣へ置いて洗濯の方へ歩いて行った粧裕を見送っていると、ぼふりと彼女の前へこんのすけが現れた。
ここからじゃ何を話しているのかは聞き取れなかったけど、こんのすけは粧裕に封筒をひとつ渡して姿を消した。

彼女は入っていた紙を広げて中を確認した後、無表情でそれを懐へと仕舞った。

――――――――――――――――――――――――


「少し、出てきます。」
「え?」

昼餉の際に粧裕から放たれた言葉に、思わず聞きなおしてしまった。

「でかけるって、どこへ?」
「政府に、呼ばれているんです。夜には戻りますので、大丈夫ですよ。」

今剣を笑顔で見下ろしながら言う彼女に、僕は溜息交じりに言った。

「やけに急だね。」
「先ほどこんのすけが使いにやってきました。」
「なら、誰か共に行った方がよいのでは。」
「俺が付こうか。」

獅子王が名乗りを上げたけれど、彼女はそれをとめた。

「今回は、その刀剣所持の許しを貰いに行くのだそうです。定例会があるので、政府へは定期的に足を運ばねばならないのですが、そこへ貴方たちを連れていくには、それ相応の対応が必要らしくて。」
「なら、今日は俺たちは一緒にはいけないってことか。」
「すみません。」

しゅんとした獅子王に、彼女は苦笑いを向けた。

「さて、そろそろ出ないと。ご馳走様でした。」
「ああ、置いていってくれて構わないよ。片付けはしておくから。」
「いえ、それくらいは「審神者様」」

背後から聞こえた声に、僕らは揃って顔を向けた。
ちょこんと座っているこんのすけが、彼女を急かす。

「門を開きます。お早く。」
「…」
「粧裕」
「…では、すみませんがお願いしますね。皇、おいで。」

机の上で自分用に用意された食事をあわてて食べ終え、皇は粧裕の傍へ戻って行った。
ぱたり、と襖が閉まった音がして、彼女の影が去っていく。

「…」
「歌仙?どうしたの、難しい顔して。」
「ん、いやなんでも。」

彼女がこんのすけを見た瞬間、心が何かに襲われたような気がした。
何かは分からないし、この感情を何と呼ぶのかも生憎僕には分からない。

「…何もなければいいが。」

小さく溜息をついて、彼女が残して行った食器を片付けにかかった。

―――――――――――――――――――――――

こんのすけが開いた門を通ると、その先には大きな橋がかかっていた。
何かあっても自分に任せろと息巻く皇を撫でて、私は奥へと向かった。

橋の向こうは開けた大通りが通っていて、少し先に本拠であろう建物が見えた。
すれ違うのは、皆どこぞの本丸の審神者なのだろう。
皆誰かしら刀剣男士を連れていて、私が知らない刀も沢山いた。

「(あ、江雪…)」

ちょうど通りかかった女性が連れていた江雪は、私たちと一緒にいる彼と同じで、でも少し違った。

「…あんなに、柔らかく笑えるもんなんだなぁ。」

彼の笑顔は、まだ見た事がない。
もしかしたら、兄弟たちの間では見せているのかもしれないけれど私は知らない。

「歌仙に、小夜、あ、獅子に三日月…」

きょろきょろしながら歩いていると、ふいに誰かとぶつかった。
少しよろけた程度で、倒れることはなかったけれど。

相手は、若い男性だった。
私を見下ろした後、一人で歩いているのをみて馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんだ、新人かよ。」
「…」
「どこの審神者かしらねーけど、ぼーっとしてんじゃねえぞ。おら、邪魔だ。」

どん、と肩を押して私を退け、また馬鹿にするように私を見て去って行った。
行先は、同じのようだけれど。
ああいうのもいるものなのだな、と思うくらいで他には何とも感じなかったけれど
皇は怒ったようにぴいぴいと鳴いた。

「大丈夫だよ。これだけ人がいれば、ああいうのもいる。」

優しく撫でて落ち着かせてから、私はまた本拠へと歩き出した。


――――――――――――――――――――――――

入り口で受付に名前と本丸にそれぞれつけられている通し番号を伝える。
検索をかけたようで、出て来たうちにぎょっとした顔を向けられたけれど、私は小さく笑みを返すにとどめた。

「どこへ行けばいいでしょうか。」
「あ、ああ、すみません。千五百七十二号室へ向かってください。」

詳しい行き方を聞いてぺこりと小さく礼と共に頭を下げた。
言われた通りに道を進んだ、はずだ。

「……いきどまり。」

歌仙に知れたら、また怒られるだろう。
私はまた迷子になった。

「こまったな。」

とりあえず来た道を戻ってみようと振り返ると、ちょうど近くの部屋から出て来た女性と目が合った。

「あ、」

反射で声を出してしまったけど、特に用事はない。
申し訳ないとおもいながら、軽く会釈して通り過ぎようと思った時だった。

「もしかして、迷子さんかしら。」
「、」

向こうから話しかけて来た。

「…ええ、お恥ずかしながら。」
「ふふ、ここは広いものね。何号室へ行かれるの?」
「千五百七十二号室へ。」
「ああ、なら通りがひとつ向こうね。角一つ分戻ってから、そこを左へ。突き当りが、千五百七十二号室よ。」
「…どうも。」

小さく頭をさげると、彼女はにこにこと笑顔を浮かべた。

「いいのよ、私も新人のころはよく迷って怒られていたから。」
「…」
「初期刀がやけに世話焼きでね。方向音痴な癖に一人でふらふらするから、余計怒られてたわ。」
「…はあ、」

くすくすと頬に手をあてて困ったように笑う彼女に、私は生返事を返した。
首を傾げていると、ふ、と笑みを緩めて言った。

「あの、本丸にいるんでしょう。」
「…え、」

あの、とはどういうことだ。

「…何か、うちの事を知ってるんですか。」
「……いえ、あそこは有名だから。」

ああ、確かにさっきの受付の女性も顔を引き攣らせていたな。
なるほどと納得した。

「…それで、貴女に聞きたいことが「弐○弐八伍号 本丸審神者!どこだ!」」

彼女の声を遮って、後ろから黒服の男性がどかどかとやってきた。
ああ、探しているのは私か。

「はい、ここに。」
「貴様初日から遅刻とはいい度胸だな…!!」
「少し、迷ってしまいまして。」
「怒らないで差し上げてください。彼女を引き留めたのは私です。」

助け舟を出してくれた彼女を見た黒服の男は、急に顔色を悪くした。
背筋をぴんと伸ばし、慌てて謝罪を述べた。

「こ、これは…!大変失礼いたしました…!!貴女様がお見えだとは…」
「いえ、ごめんなさいね。つい長話を。」
「…別に」

素っ気なくなってしまった返しに、彼女は苦笑って会釈を残して去って行った。

「…あの人を、ご存知なのですか。」
「……ああ、お前は新人だからな。知らなくても無理はない、か。」

彼女の背中が見えなくなってから、彼は深く溜息をついた。

「あの方は、現在最強と謳われる本丸の審神者殿だ。」
「…最強、」
「なんでも、はやくに近侍を手放してからというもの、後釜には誰もつけずにああやっておひとりで出歩いているのだとか。」
「危険ではないのですか。」
「あの方は人一倍霊力が強いお方だ。多少の事では大事には至るまい。…それよりも、お前がいつまで経っても来ないから上がお怒りだ。心して入れ。」

呆れたとばかりに溜息をつかれながら開けられた部屋へ、足を踏み入れた。





「遅れてしまい、申し訳ありません。」

完全に上っ面だけの謝罪を述べ、言われるがままに書類に記入をしていく。
中身も適当に目を通し、なんとなく頭に入れる。

「これで最後です。」
「…うむ、よろしい。」

自分の名前を書きすぎて、手が腱鞘炎になりそうだ。
ふー、と浅く長い溜息をつくと、書類を確認し終えた初老の男性が私を見た。

「…どうだね、あの本丸は。」
「……別段変わりなく。仲良くやっております。」
「そうか。」

私の返答を聞いた彼は、にんまりと嫌な笑みを浮かべて扉の外へ声をかけた。
がちゃりと開いたドアの向こうにいたのは、ここへくるあいだにぶつかった、あの男性だった。

「あ、」
「…んだ、お前だったのか。」

大きく舌打ちをされ、私が少し目を細めると彼は片手に持っていた物を無造作に私へ投げつけた。
何なのだろうかと見送っていたけれど、途中でそれが刀だという事がわかり、慌てて手を伸ばす。
落ちるぎりぎりで抱き留め、無事を確認する。

「それ、あんたにやるよ。」
「…は、」

ほっとしたのもつかの間、男は私の腕の中にある三振りの刀を指さして言った。

「ちょっと前に遠征に出た連中から、やけに練度の高い本丸があるって聞いて向かったんだけど審神者はいねーわ、荒れ果ててるわで正直がっかりだったぜ。」
「…何を、」
「確かに練度は高かったから適当に見繕って持って帰ってきたけど、そいつらじゃ話になんねーわ。全く使いモンにならねえ。」

げんなりとばかりに頭を掻きながら、溜息交じりに続けた。

「顕現した瞬間、主である俺に向かって刀抜き出しやがるし、練度が練度だから俺の本丸の奴ら総出でやっとこさ抑えつけたけどさ。刀解しようにも暴れるし、連結も下手にやりゃあ受けた方がダメになっちまう。」
「…この方たちを、うちから、盗んでいったということですか。」
「人聞きの悪いこと言うなよ、ちょっとばかし借りただけだろ。」

はん、と小さく笑って、床へ膝をついた状態の私をニヒルな笑みで見下ろした。

「借りたもんは、きっちり返す主義なんでな。そいつらも、もういらねえ。」
「…なんて、こと」
「言う事きかねえ刀なんて、あったって意味ねえしな。」

けらけらと笑いつづける男に、私はゆっくりと立ち上がった。
落とさないように気を付けて刀を左手へ抱きなおし、つかつかと歩み寄る。

「んだよ、何か文句でもあんのかよ。」
「失礼。」

一言述べて、私は思い切り右手で相手の頬を殴り飛ばした。
がしゃん、と後ろにあった机を巻き込んで、男は派手に地面へ倒れこんだ。

「…ッてめ」
『抜けぬ。』

とん、と彼の腰へさしてあった刀へ指を置いて、言霊をくべる。
怒り心頭とばかりに真っ赤になっていた男は、頼みの綱の刀が抜けない事を知ると途端に顔を青くした。

「な、なんで…!」
「人間ごときに、私が負けるはずなかろう。」

今度はこちらが見下ろして、彼を睨み付ける。

「『うちのもの』が世話になったようだな。」
「な、あ、」
「二度と私の前へ現れるな。…もしその時がきたらば、私は間違いなくお前の首を落とす。」

どん、と相手の肩を踏んで、体重をかける。

「っぐ、」
「少しでも永らえたいならば、私のいう事をよく聞くことだ。」

今度はこちらから見下した笑みを返して、私は三振りの刀と共に部屋を後にした。

―――――――――――――――――――――――――

夜も、そこそこに更けて来た。
いつもより遅くまで皆で待っていたが、粧裕は帰ってこなかった。
遅くなればなるほど不安そうにする小夜や今剣を他の刀に預け、俺はひとり彼女の帰りを待っていた。

「…長谷部?」

きし、と小さく鳴った廊下の先に、彼女は立っていた。

「やっと戻ったか。」
「すみません、少し野暮用で。」

俺の隣へそっと腰を下ろした彼女の手に、手袋の外れた素手で触れる。
ぴくりと小さく跳ねたそれは、小さな吐息とともに大人しくなった。

「風呂上りにそんな格好でいては、湯冷めしますよ。いくら夏が近いとはいえ、まだ夜は冷えます。」
「平気だ。」

ふと彼女の腕の中を見ると、やけに大事そうに風呂敷に包まれたものが。

「…なんだ、それは?」
「ああ。」

しゅるりと解かれたそれの中には、見覚えのある三振りの刀が収まっていた。

「光忠、大倶利伽羅に鶴丸じゃないか。伊達の三振りが、何故お前の手に、」
「彼らを迎えに行ってきたんです。」

彼女は丁寧に、月の光が降り注ぐ縁側へそれらを並べた。

「明日から、また人数が増えます。歌仙には、言っておかないと朝ごはんが争奪戦になりますね。」
「…歌仙なら、まだ起きていると思うが。」
「わかりました。少し見てきます。」

彼女の背を見送ってから、結果的に俺に預けられることになったそいつらを見遣る。

「…お前たちは、彼女にどう接するのだろうな。」

ぽつりとつぶやき、そっと鞘を撫でる。

「……よく戻った。」

ふ、と小さく笑みを送ると、内一振りがかたりと音をたてた。


  
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