「よし、ここにしよう」
そう言って守が立ち止まったのは上品な外装のホテルの前。とてもじゃないが、予約もしていない自分たちが今頃泊まれる部屋など空いているようには思えなかった。
それでも守は「ここがいい」と、まるでこのホテルに泊まるのだと決められているかのような足取りで中に入って行く。慌てて夏未が後を追えば、守がそれを軽く制す。
「俺が受付してくるから、夏未はここで待っててくれ」
「でも、きっともう部屋が…」
「大丈夫、」
守が笑ってフロントに歩いていく。なぜ大丈夫だと言い切れるのか。必ず部屋があるかのような口振り。夏未は少し考えて、はっとした。
(まさか、最初からここに泊まるつもりで予め予約を入れていんじゃ…)
そう考えれば納得もいく。でもだとすれば、なぜ嘘をつくのか。私に気を使わせないため?格好をつけるため?ますます事情が分からなくなり、夏未は受付をする守の背をじっと睨みつけた。
「はい、どうぞ」
やっぱりと言うかなんというか、部屋は“奇跡的”にひとつだけ空いていた。しかも結構いい部屋だ。…とまあそれはこの際いいとして。
「…どうしてベッドが一つしかないのかしら…?」
「さ、さあ…?」
部屋に置かれているのは大きなベッド一つだけ。夏未は今すぐホテルを出たくなった。誤解のないよう言えば、夏未と守はまだ体の関係にまで至っていない。手を繋いだり軽く口付けを交わす程度の、まるで子供のお付き合いをするような二人である。元来こういったことに奥手な二人にとって“部屋にベッドが一つ”という現実はある意味好機であり、ある意味窮地であった。
「その、ま、一晩一緒に寝るだけ、だから…あっ、別に変な意味じゃなくて!!その…」
顔を真っ赤に染め上げて必死に弁解をはかる守をよそに、夏未は背を向けヨロヨロと部屋をでた。後ろから慌てて追いかけてきた守に「少し風に当たってくるわ」と言い残し、そのまま部屋を後にした。
パタンと閉じた扉を見つめ、守は大きく息を吐いた。本当のことを言うと、今回の旅行は前々から計画していたものだった。ホテルだって勿論予約していたし、有名な甘味処や景色のいい所というように、とにかく夏未の喜びそうな所も調べ上げた。それもこれも、すべては今日のため。しかしこれは予想外だった。まさかこんな事態になろうとは、――――これじゃああまりに展開が早すぎるだろう。
守はポケットの膨らみを指でなぞってから、足早に部屋をでた。