※色々注意



「えー、中には知っている者もいるだろうが、昨日の六時頃、隣のクラスの女子生徒が何者かに襲われて大怪我をした。今は病院にて意識不明の重体だ」

担任である初老教師の口から淡々と語られた悲報に、教室の喧騒が輪をかけて大きくなった。帰りのホームルーム、やっと鉛筆を握ることから解放された生徒たちが明日の休日にむけて浮き足立っていた矢先の事件である。事を知らぬほとんどの生徒は興奮したように、だがそれでいて心配したような顔ぶりで「誰だ、誰だ」と周りに問いただした。

「おいこら静かに。とにかく、お前たちも気をつけて下校するように。なるべく人通りの多い道を歩くようにしろよー」

変に間延びした声で一通りの注意を促して、担任の教師はさっさと配布物を配ることにいそしみはじめた。そんな関心の薄い教師の姿を見つめながら、円堂は我知らずほっと息を吐き出していた。何に安心したのか。肩の力を抜いた円堂の隣、ヒロトはモゴモゴと口を右に左にと忙しなく動かし続けている。あの悲報の最中、我関せずといった風に鞄から取り出した飴を味わっているらしい。優雅に黄色い飴玉を転がしながら、その双眸だけはちらちらと円堂を盗み見る行為を繰り返している。円堂は気付いていないのか何も言ない。そうしてヒロトが円堂を盗み見ることを止めた頃、本日のホームルームが終わりを告げた。



「円堂くん、一緒に帰ろう」
「ああ、」

肩を並べて廊下を歩きながら、ヒロトは今頃になって先程の話題を掘り返してきた。

「ねえ、あの怪我した女子生徒って円堂くんと同じ委員の子だよね?」

やけに嬉しそうに話すヒロトに、円堂はどこが苦しそうに頷いた。だがヒロトは気にも留めない様子で続ける。

「円堂くん、あの子にこの前の委員会議でひどいこと言われたって言ってたし、内心もう会わなくていいかもって、ちょっとは嬉しく思ってるんじゃない?」

ニコニコ。悪意のない笑顔で言われた言葉に、円堂は一瞬顔を強ばらせた。しかしすぐにその顔は弛緩する。そうして教室にいた時のように、ほっと息をひとつ吐いた。

「…うん、まあ、若干」

蚊のなくような声でそう言って、それきり円堂は何も言わなくなった。けれどどこか嬉しそうに見える円堂にヒロトはますます笑みを深くした。ニコニコニコ。そのまま、誰の目から見ても上機嫌なヒロトは、嬉々として鞄から飴玉の入った袋を取り出した。

「円堂くん、飴、いる?」
「いや、今はいいや。にしても、飴好きなのな。さっきも食ってたろ。それに昨日の昼休みだって」

階段を下りながらも飴玉の包みを広げてみせるヒロトに円堂が呆れたように言った。どうやら先程のホームルームのヒロトの視線にちゃんと気付いていたらしい。しかしヒロトは特に気にもせず嬉しそうに黄色い飴玉を口に放り込んだ。

「また黄色だし」
「だって2つしか味がないんだよ。もうひとつの赤いのは不味くて食べれたもんじゃないからね」

ふーん、と関心があるのかないのか分からない生返事を返した円堂の脳裏にぼんやりと、昨日の昼休みに赤い飴玉を舐めることなく噛み砕いて食べるヒロトの姿が何気なしに蘇った。そういや昨日以外にも、たまーに赤いの食ってたっけ。ヒロトは決まっていつも赤い飴玉だけは噛み砕いて食べていたからよく覚えていたらしい。嫌なら食べなきゃいいものを。まあどうでもいいけれど。

コロコロと飴玉が歯に当たる音を響かせながらヒロトが靴を履き替える。それに倣ってパカリと靴箱を開けた円堂の背に、聞き覚えのある声がかけられた。振り返った先にいたのは同じクラスの女子生徒。

「どうしたんだ?」

円堂がにこりと人当たりのよさを自負する笑顔で問いかければ、彼女もにこりと同じ笑顔を返し、それからすぐに申し訳のなさそうな顔をした。

「あのね、さっき先生から言われたんだけど、クラスの代表者は明日学校に来なきゃいけないらしいの。でも私は用事で行けないから、かわりに円堂くんが行ってくれないかな?代表者は一人が出れば大丈夫らしいし」

いっきにまくしたてたかと思えば、女子生徒は大きな瞳をうるつかせてみせた。随分なステレオタイプである。内心毒づきながらも、円堂は快く引き受けることにした。
人懐っこい笑顔でいいよ、と円堂が言えば、途端に女子生徒は破顔して、使い古されたありきたりな礼を残し校門の方へとその短いスカートをはためかせながら走り去ってしまった。彼女の向かう先にいる男子生徒は言わずもがなな相手であろう。どうせ明日の休日も、あの男と一緒に「用事」をこなすに違いない。アイスクリームでも食べさせあってろリアル充実野郎共。

心の掃き溜めにこれでもかと言うほどの毒を吐きながら、円堂は靴紐をきつくしばって立ち上がる。ちょうどヒロトが黄色い飴玉を噛み砕いたところだった。ガリ、ガリリ、と不快な音をたてながら黄色い飴玉を咀嚼するヒロトに、円堂は右手を突き出した。わけが分からず不思議な顔をするヒロトに、円堂は一言「飴、」とだけ言った。

「ああ、飴が欲しいってこと?赤と黄色、どっちがいい?」

ヒロトが不味いと称した赤い飴玉ときれいな色の黄色い飴玉、そのどちらがいいかと問う。そんなもの誰だって答えは決まりきっているだろうに。円堂の脳裏で先程の女子生徒が男子生徒と手を繋いで仲睦まじく帰って行く。冷水を浴びせられたような気がして、堪らなく吐き気がした。

「…赤、赤がいい」

円堂の言葉にヒロトは少し驚いた顔をした。まずいけどいいの?、ヒロトが何かを探るような目をして聞くが、円堂は何も言わずにヒロトの手から赤い飴玉を取り上げて、その封を解いた。そうして、迷いなく飴玉を口にする。ガリガリと円堂がせわしなく飴を噛む。円堂くん、いつもは舌でコロコロ転がして舐めるのに。無意識のうちにヒロトは唇を舐めていた。心臓がいやに速いみたい、そうヒロトが自覚したときには、右手が円堂に掴まれていた。飴を砕き続けたまま、円堂がヒロトの腕を引いてその耳元に囁く。
「なあ、キスして」

甘い匂いと共に耳へと吹き込まれた囁きに、ヒロトは慌てて口元を抑えた。心臓が飛び出るのを我慢したのだろう。ヒロトの額に汗が玉となって浮き出た。緊張でも興奮でもない。次にヒロトが手を離したとき、その口元は厭らしく狐を描いていた。そうして嬉しそうに目を細めて、ヒロトが更に円堂に顔を寄せた。ひとつの赤い飴玉を二人で半分こ。円堂の頭の中、見知った顔がみっつ醒めることのない眠りについたところだった。


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まだ校内ですよ、お二人さん



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