「…っと」
初めて来るマンション。表札には何も書いていないけれど言われていた部屋番号の前にいる。緑豊かでいいなあ、この辺り。
勤務先が決まり、先生になるんだという実感がようやく湧いてきた。楽しみだな。不安もあるけど、諦めなくてよかったと笑えるように頑張りたい。
この辺から充分通える。バスですぐだ。もう自転車でもいいかななんて思っている。車、欲しいなあ。
俺は一呼吸おいて目の前のボタンをゆっくり押す。小さくピンポーン、と聞こえた。巣山にも届いていることだろう。
「いらっしゃい」
ドアが開き、巣山が出てくる。さっき電話で話したばかりなのに、すごく久しぶりだった。実際会うのは久々だし。
「お邪魔します」
巣山のテリトリーへ足を踏み入れる。
「うわ、美味しい匂い」
「昼食まだ?」
「まだ!!」
一時だしさっと食べてから行こうかな、とも思ったけど会いたい気持ちの方がずいぶんと勝っていた。しかし料理の匂いを嗅いでしまうと解けたように腹が音を鳴らした。
「はは、俺もまだだから飯食お」
「…っうん!!」
巣山はサンマの煮付けと肉じゃがを出してくれた。昨日の夜作って温めておいたらしい。うまい。本当にうまい。
「巣山って料理上手だよねえ」
「そうか?」
「うん。本当にサンマ美味しい。ちょうどいい」
「よかった」
巣山の笑顔見ると幸せになれるってジンクスがあるかのように、いつも俺の気持ちをさらっていく。何度も諦めた想いだったからか、余計に嬉しい。
「嫁に貰いたいくらい」
つい軽口が出てしまい、変なことを口走ってしまったと焦って巣山を見たら箸を置いて真剣な顔をしていた。
「おいでよ」
「え?」
「嫁に、おいで」
ごくり、とじゃがいもを飲み込んだ。
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