「どうぞ」
ふらふらで倒れそうな電車の中。やっぱ寝坊しても朝食は食べてくるんだった。そんなこと考えながら必死につり革に掴まり揺られる。揺られたらまた気持ち悪くなってきた。やばい。
「…え」
そんな時に目の前から聞こえた声。定まらない視界にぼんやりストライプのワイシャツを捉える前に俺の体は地に着いていた。
「大丈夫ですか?」
腰を支えられ、半ば引っ張られるように座らされた。力強い腕にすべてを委ねてしまいたくなった。
「どこの駅で降りるんですか」
「…えっと」
会社の最寄りを伝える。彼は低い声でああ、と頷いて体を起こした。
「次の次なんで、頑張ってください」
頑張ってください、だなんて、朝の貴重な座席を譲ってくださった方に言ってもらえる言葉じゃない。俺は泣きそうになった。
「これどうぞ」
駅に着くと、また彼に支えられるように電車を降りた。なんだこの人。いい人すぎでないか。
「何も食べてないんでしょう。ほぼ駆け込みでしたもんね」
「う」
「はい」
「…申し訳ないです」
具合もだいぶ良くなり、ベンチに座っている間に彼が売店で食料と飲み物を買ってきてくれた。ありがたく頂く。
「もう大丈夫ですか?」
「はい、本当に本当にありがとうございました。本当に申し訳ないです」
情けない声で何度も礼を言い、頭を下げる。
「よかった。気にしないでください。電車来るんで…これで」
「え」
そうだよここは俺の会社の最寄りであって、この人の最寄りな保証はなかった。え、ほんと迷惑かけた。
「あ、あの!!」
ここで初めて顔を見た。
がっちりした体型と、それに似合う程よく日焼けした肌。そして凛とした顔立ちで、坊主頭。
「っ」
行動も姿も、すべてに、心を奪われた。やばい。
「あ、の」
「はい、どうしました?」
「これ!!」
素早く名刺を出して、押し付ける。
「こんなによくしてもらってそのままなんてわけにはいきません。お願いですからここに連絡くださいお願いいたします」
「…はあ」
捲し立てるようにぺらぺら言葉を並べた。断る暇を与えずに「あ、電車が来ましたね本当にありがとうございましたそれでは連絡待っています」とまた捲し立てて逃げるように立ち去る。ああ、俺はただの馬鹿だ。そんなん知っていたけど。
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