ため息で消えたキャンドル






恥ずかしいような、嬉しいような訳がわからない感情が俺に襲いかかる

その熱に耐えるようにぐぬぬと奥歯を噛み締めた


…鹿野さんが何も言ってこないのは、俺に気づいていないからか。
それとも笑いを堪えているからか。


どちらかわからないが、どっちにしろ鹿野さんを見ることはちょっと今キツい。



その結果。


緊張しまくったせいか、うまく食事することができなかった。


奥の席で良かったとそのときばかりは本当に思う。

フォークとナイフの扱いには慣れているが、緊張しすぎてなにかと物を溢してしまってその度に鹿野さんに笑われた。それに顔が熱くなるのは仕方がない。

鹿野さんは驚いたことに完璧といっていいほど綺麗な食べ方で。
姿勢もよく、フォークを口に運んでいくその姿は気品があった


なんだよ、いつも、あぐらかいて適当にご飯食べてたじゃん。
行儀悪かったじゃんか。



俺は今改めて思った。
この人、普通じゃないと。




こんな美形で、おまけにこんなところに何回も来れるなんてかなりの金持ちしかできない。そしてこの完璧なテーブルマナー



…でも俺、ただの隣人なだけだし
聞いて良いこととダメなことがあるだろうか、踏み出せないでいる。



ジ、と鹿野さんを見ていたら「なに」と聞かれた。

見慣れない綺麗な黒目とぶつかって、慌てて目を逸らす



「聞きたいことあるなら、聞くけど」

「多すぎて、時間が足りません」

「そんなに俺の事気になるわけ?」

「…………お隣さんですし」


俺の答えに「そうか」と笑う鹿野さん
…気になるものは気になるんだよ。


そしてついには鹿野というこの名字にも疑問を抱くようになっていた


どこかで、聞いたことある気がする、と。



「鹿野さんって、俺に以前会ったことあります?」


ここのホテルのクラークをしてるのだから、もし来てるなら会ったことがあるはずだ


「…あるな。」

「うそっ」

「嘘じゃねーよ」


えぇえ、まじかよ…

全然わかんない。こんな美形、絶対一度見たら忘れない。はず。

じっくり見ようとしたら手で阻まれた



「お前は俺の事知らないと思うぞ。」

「…え?そうなんですか?」


じゃあなんで、鹿野さんは俺を知ってるんだ


「ここに来たとき、大抵は俺の秘書がチェックインとかの手続きしてたから」


秘書。


新たな真実にまた固まる
秘書がつく仕事って、なに。


「鹿野さん、普通の人じゃないんですか…?」


俺は今までてっきり、ニートか、フリーターなのかと。
俺と同じ種類の、普通の世間一般の仕事をしてる人なのかと思っていた。


のに。



「……ああ、そうだな。」



俺の言葉に苦笑しながら相づちを打つ鹿野さん

その声に顔をあげてみたら、ひどく切なそうな顔をした鹿野さんがいた



その顔にとても驚く

さっきまであんなに優しく笑ってたのに、どうして、そんな顔をしてるんだろう


そのとき俺は、鹿野さんの素顔を知ったときとか、金持ちだって知ったこと以上に、この予想外の表情に一番驚いた。


けれど、

この驚きよりもさらに上を越える事をボソッと呟く。


あのな、と少し緊張してる声で。





「俺、今週中にあの部屋からいなくなるから。」




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