山羊座の彼




夜、塾の仕事から帰ると、約束してあった通り机の上に宿題とプリント類とかが置いてあった。


連絡帳もあった。きっと昨日の続き。

家を出かけてから考えるのをやめていた人物が、嫌でも思い出される。



冬彦の担任だから、避け続ける訳にもいかないけれど…

静かな部屋の中、自らのトクトクと鳴る小さな心音だけを聴きながら文字を追う


『宿題、きちんと提出されてました。これからもよろしくお願いします 雨森』


彼がこれを書いていた時は、まだ俺だということをわからなかっただろうな

俺もわからなかった。
いや、もしかしたら、とは考えていたけれど

誰がこんな未来になると予想できたか。





最悪な事に、寝る寸前まで彼の面影が消えてくれなかった。

夢の中ではないのに、彼の、俺の名前を呼ぶ声がまとわりついて離れずにいる。唇の動きも、呼吸のタイミングまで。怖いくらいに。


…おかげで今日は寝不足。



「千鶴ちゃん!朝だよ!」


冬彦の声にぼんやりと意識が浮上した。


あさ、

朝か…



「うーん…」

「珍しいね僕に起こされるなんて」


まだ寝てる?と聞かれたけど、起きるよ、と返事をして無理やり布団を蹴飛ばしてて起き上がった

冬彦学校行ったら二度寝しようと決め込んで。


「だいじょうぶ?」

「昨日眠れなかった」


まじでねむい
瞼が重い

冬彦が沸かしてくれたお湯でコーヒーを淹れながら何度も瞬きをする

こんなんで影響されちゃうなんて、自分が不甲斐ないよ本当。



「昨日なんかあったの?保護者会?で。」


いや、まあ、それも大変だったけど。


「違うよ〜、ただ眠れなかっただけ」


冬彦に苦笑を浮かべながら俺もテーブルに座った。
前にはシリアルを食べている冬彦がいる。



「そういえばね、昨日友達が羨ましがってた」

「なにを?」

「千鶴ちゃんを」


キョトンとする俺ににんまり笑う冬彦。
どこか誇らしげなその表情に余計困惑した


俺?



「昨日遊びにきた二人もそうだけど、クラスの友達がね、かっこよくて優しいお兄ちゃんが羨ましいって!」


え、


「それは…光栄です…?」


普通に嬉しいけど…。
まあ若いからかっこよく見えただけかもしれないし。



「僕は雨森先生より千鶴ちゃんの方がずーっとかっこいいと思うけど、友達は選べないってさ」

「そ、そう…。」


何をしてるんだこの子達は…。
君たち男の子だろ。いや、女の子もいたとしても、小学生だろ。

そもそも、圧倒的にあの先生の方が整った顔をしている。一般的な目から見て。




「千鶴ちゃん先生の事見た?」




この質問に、ドキリとした。
ワンテンポ遅れてから、うん、と頷く



「若い先生だったね。」



30歳。
子供がいてもおかしくない歳だけど。
・・・どうなんだろうか。子供は、出来たのかな。


また、ぼんやりと千史さんの事を考え始めてしまったから、コーヒーを飲んで気を紛らわす。

まるで引力のように意識が吸い寄せられてしまう。


「昨日先生爽やかぶってて面白かったんだよー、いつもはね、もっと怠そうな感じ」

「・・・そうなの?」

「先生絶対35くらいだよね、何も教えてくれないんだ。」



どう思う?と冬彦が聞いてきた。

冬彦の35という数字に思わず笑う。



「35ではないだろ〜。俺とそう変わらないよ」

「そうかなあ。千鶴ちゃんって今何歳だっけ」

「26。」


俺の歳を言うたびに度肝を抜く冬彦だったが、今回も例外ではなかった。
おどけたように目を見開いてヒェッと息を吸う


「びっくりしちゃうよねえ」なんて他人のように言った冬彦。
もう慣れなよ、いい加減。



「千鶴ちゃんは何歳だと思ったの?」

「んー…30かなあ…」



そもそも知ってるし。
12月28日生まれの山羊座。

星座占いで『用心深く、堅実で、現実主義』という結果がでてそんな馬鹿な!と二人で爆笑した。


・・・覚えているのは、俺の記憶力がいいからという事にしておこう。



「30?だったら千鶴ちゃんと4歳差ってこと?」

「そうなるね」

「そんなわけないよ!先生の方がずっとくたびれてる!」



目を見開いてそう訴える冬彦。いやいや、草臥れてるって。おじいちゃんじゃないんだから。
昨日会った時は、むしろ若々しかった。

普段一体どんな授業態度を取っているんだ、千史さんは。




「時々たばこ臭いんだ、先生。あれは絶対ストレスをかかえているね。だからいつもくたびれてるんだよ」


・・・。
まだ煙草やめられてないのか。
昨日はわからなかった。


「タバコ吸ってるからってストレスたまってるってわけではないよ。」


俺はタバコ吸わないからわからないけど。
でもほかに理由があるかって言われたら答えられない。


高校生の時、千史さんに冬彦と同じ質問をしてみたが応えてくれなかった。
ただ、お前は吸うなとだけ。



「…先生のリラックス時間かもね」

これじゃストレスたまってるのと一緒か。


「タバコ吸うとリラックスできるの?」

「んー、わからない、俺吸わないし。…もちろん冬彦もすっちゃだめだよ。」

「くさいからぜったい吸わない」



そう言った冬彦に思わず笑った。


俺と同じだ。
たばこは煙いし、くさいし。
匂いまとわりつくし。


・・・でも、千史さんの煙草の残り香は嫌いじゃなかった。






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続きます。

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