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奥さん達からの質問攻撃にどうにか返事をしていると、声をかけられた



今日一日で、散々聞いた声の主に。




「雨水さん、少しお話があるんですがいいですか?」



「…雨森、先生」



言葉にならない緊張が俺の身体を駆け巡る


まさか、また直接声をかけられるとは思っていなかったから今度こそ動揺を見せてしまった
じわじわと熱くなる身体、泳ぐ目


きっと、彼は俺のすべてを見据えているに違いない




「雨水さんがどうかしたんですか?」



保護者の一人が彼に尋ねた。



「大したことはないです。ただお聞きしたいことがあって。」



すんなりとそう返事をして俺に目を向ける彼
保護者の前だから俺が下手に断ることも出来ない状況



『この教室使うから、出てって貰っていいですか?』という雰囲気をじわじわ醸し出す千史さん。その雰囲気を感じ取ったのか奥様方も続々と帰っていく。


・・・俺、この人と1対1で話さなきゃいけないの?


やっぱり、どこか怖いと思う自分がいた。





「とりあえず、座ったら?」





他に誰もいなくなった教室で、彼が俺に椅子を奨めてきた
昔と同じ、砕けた口調。

それに小さく首を振る



ただ一刻も早くこの場所から逃げたくて、口を開いた



「話って、なんですか」


「…随分とそっけないな。久しぶりの再会なのに。」




彼は困ったように笑って、扉を閉めた。

完全に、俺と彼だけの空間



やめてよ。
俺と貴方はもう、終わっているのに、

関係ないのに、これ以上俺の心を乱そうとしないで。




「千鶴、あまり変わってねえな」

「…雨森先生も」



彼を千史さんと呼ぶのは嫌だった。
だから、付き合う前に使っていた呼び方を使う。

俺の一言に「そう?」って聞く彼。
気を張っている俺と違って、千史さんは昔と変わらない飄々とした態度を取っていた。


やっぱりあの授業中の態度はまじめなふりをしていただけだったのかもしれない。
・・・昔と何も変わらないじゃないか。



「まさかこんな形で会えると思ってなかった。いつの間に子供作ったの?」


「さっきの話聞いてなかったんですか!」



ついついツッコんでしまったことにハッとする。
千史さんは、そんな俺をニヤニヤしながら見ていた。

くっ…


なんだか恥ずかしくて唇を噛む



「冗談だよ、お前が16の時生まれた弟だろ。」



・・・覚えてたのか。

確かに10年前の授業の時、俺が彼に話した。
その時、先生は『まじかよ、いろんな意味でショックだな』って爆笑したんだっけ。

その子が今、あなたの生徒になってるなんて。




「名字一緒だからまさかとは思ったけど、千鶴の弟だったんだな」


「そんな話をしたかったんですか?」


「いや?」



つんけんしてる俺にも、彼は優しい表情を浮かべたまま

まるで俺が子供みたいじゃないか。



「せっかく会えたんだし、お前に教えてやろうと思ったんだ。」


「・・・」


雰囲気が、変わったと思った。



少しずつ俺に近づいてくる千史さん




なに、
どうしたの、千史さん




俺より背が高い千史さんを見上げる




「俺がこの5年、お前をどれだけ探したか知ってる?」



俺が下がれば、一歩近づいてくる彼
千史さんが言っている内容も理解できなかった。


俺を探した?
なんで。


ドキドキとうるさくなっていく心臓
なんで心臓が暴れているのか自分でもわからない




「お前一方的に俺に別れるつって出てっただろ」

「…それは」


その通りだった。
あの夢でも出てくる記憶。



別れを告げた後、すぐにでも忘れたくて彼からの連絡を全部途絶えた。
メールも電話も全部着信拒否にしたし、携帯自体ふるかったから機種変もして電話番号も変えた。


丁度大学を卒業するころだったし、しばらく実家で暮らしてアパートに帰らなかったし。
就職先も土壇場で変えて、バイトしていた塾の正社員になって本部校へ。



つまり、千史さんの前から俺は全力で消えたわけで。




「一方的では、ないです」





そもそもそうすることが、一番良かったんだ。





「はあ?俺の返事も聞かないで消えただろうが」



背中がドンッと壁にぶつかった
千史さんが俺の逃げ場を完全に防いで、俺に迫る




「・・・それが一番だと思ったんです、ご家族にとっても。」



俺の話に、千史さんは一気に顔をしかめた
たぶん『家族』というワードに反応したんだろう。


そして、一言、



「子供の発想だな。」と苛立ちを含んだ声で言った。




子供の発想?




「俺は今26で、今でもその考えが正しかったと思ってます。」



千史さんの身体を押し返しながら、その場から離れる

あの俺の決心を子供の発想というなんて。


精いっぱい彼を睨んだけど、彼は笑うだけだった。



「へえ、じゃあ今でも5年前の事を思い出すのか」

「っ…。」



図星だった。

けれどそれを表情には出すまいと、顔を逸らす



「そういう貴方はどうなんですか。」

「もちろん。・・・だから、」



お前に会えて最高にうれしいと、彼は俺の顔に手を添えながら言った

無理矢理彼と合わせられる目


やっぱり、どんなに虚勢を張ったところで彼の目を見ると息が止まりそうになる




「俺は、・・・嬉しくないです」



彼の手を払いながら、俺は言った。


二度と、繰り返すまいと思った。

あんな苦しい思いをするのも、彼に迷惑をかけるのも。



だから、俺はこれ以上彼に近づいちゃいけない。


一度またあふれ出したら、たぶん、今度こそ止まらないから。




「…昔はもっと素直で可愛かったのに」


彼が不満げにそう言った。

うるさい。
もう苦しみたくないんだ。



「お話は以上ですか?雨森先生」



時間を確認してから、千史さんを見上げる

何を考えてるのか、俺をじっと見ている千史さん

・・・なに。


すると、授業の時のような笑顔を俺に見せてきた



「昔みたいに名前で呼んでもいいんですよ、雨水さん」

「弟の先生にそんな事出来ないです。」



教師面の彼に少し苛つく
俺も彼の真似をして微笑んで見せた。


そんな俺に「それは残念」と言う千史さん



・・・それは本当に思っている事なのか?




「・・・それじゃ失礼します」





千史さんの言ったことには何も反応せずに、ただ教室から出る




俺が扉を締め切る前に、千史さんは俺に言った


「またな、千鶴」




・・・また、なんて。

絶対嫌だ。







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