小学六年生という一年間は特別なものだ。名前はそう考える。子どもたちの人生最後の"児童"である年、六年間を過ごした学校を卒業する年、大人への変化に戸惑いや喜びを感じるようになる年。様々な"初めて"と様々な"最後"が折り重なり、六年生という一年間を紡ぎ上げる。
 書店で平積みにされていた小説を、タイトルや作家名すらよく見ずに購入してきた名前は、最初の数ページを読んだところで衝撃を受けて動けなくなり、思考は三年前に担任を受け持った六年三組の教室へと飛んだ。

 三年前の六年三組には特殊な児童がいた。出席番号二十七番、降矢竜持。始業式の日に竜持と対峙したとき、職員会議にたびたび名前を出すほどの生徒らしいふてぶてしさに勝ち気な表情、大柄な体と、何一つ小学生らしさを見つけられず、正直、自信をなくした。
 初日だけではなく、その後一週間、どう接するべきかと頭を悩ませて過ごしていると、竜持は担任の不自然さを察したのだろう。理科室から実験道具を持ち出すために一人になった名前を追いかけて来て、こう言った。

「名前さん、僕に遠慮してますよね」

 名前はぎくりとし、無人の理科室にはしばし沈黙が訪れた。教室奥では内臓を露出させた子どもの人体模型が鋼鉄の笑顔を顔面に貼り付けており、自分のクラスの児童一人に畏怖を覚え、職務に綻びを生じさせている大人を嘲笑っているかのようだった。
 名前は意を決し、ビーカーを握り締めて竜持に顔を向けた。なるべく先生らしい笑顔を作る。

「そんなことないよ。それより竜持くん、先生って呼びなさい」

 返ってくるのは拒絶だとばかり思っていたが、予想に反して、竜持はニィっと顔を綻ばせただけで何も言わず、理科室から出て行った。呆気にとられる担任なんて無視だし、わかったとも嫌だとも言わない竜持が何を考えているのかわからないし、名前は更に戸惑いを感じた。しかし、小学生らしさがないとばかり思っていた竜持の、顔全体を使った子どもらしい笑顔に、認識を改めるきっかけを貰った。

 その後、授業中の指名だとか、総合学習のグループ作りだとか、体育の授業のチーム決めだとかに気を遣うことがなくなった。鳥の囀りが耳に心地良い春が終わり、プールのために座学に耐える夏が来る頃には、新しいクラスにも慣れた児童たちがそれぞれに居場所を見つけ、六年三組という一つの塊が完成してきた。

 夏休み明けの学年会議で六年二組でのいじめ問題が話題に上ったが、一月後には解決したらしく、大きな問題にならずに済んだ。各クラスの担任は"かがやきノート"の実施を促す説明を受け、担任との交換日記というような名目で全児童に一冊のノートを配った。一週間に一度提出している日記とは趣旨が違うこと、自分を取り巻く悩みや不安、先生への要望があれば遠慮なく書くこと、ノートの中身を友達と共有しないこと、書いても書かなくても毎週火曜日に全員が提出することなどの注意や約束を一枚のプリントに纏めて配布し、それはスタートした。
 最初は散々だった。ページを開かれた痕跡すらないノートが十冊以上あり、給食が美味しくないだの、特定のクラスメイトを名指しして隣の席になりたくないだの、音楽の歌のテストを受けたくないだのの不平不満がわんさか提出された。それでも精一杯真摯に向き合い、放課後に居残って赤ペンで返事を書き続け、四週間も経つと、一文字も書かずに提出する児童は名前のクラスからいなくなった。内容にも変化があり、もう一度修学旅行に行きたいとか、体育の授業でドッヂボールをやりたいとか、お母さんと喧嘩をしたとか、少し踏み込んだことまで書かれてくるようになった。

 そんな中で、最後まで白紙提出だった降矢竜持のノートに起きた変化には度肝を抜かれた。四週目、竜持のノートには、最初のページいっぱいに数字がぎっしり書き込まれていたのだ。一行目から順に、大きな数から小さな数へと並んでいくという規則性があり、一行目の最初の数字はノートの横幅いっぱいの巨大数で、最後の行の最後の数字は一。後ろから見ると、一、一、二、三、五、八…と並び、見覚えのある数列を連想させた。かの有名なフィボナッチ数列である。しかし、向きが逆だ。竜持の数列は末尾が小さい数だが、本物は一から始まり、徐々に大きな数へとのぼっていく。
 一晩悩んだ末、翌日に出勤してすぐ、竜持のノートの余白に一言、「逆流する数列は何を意味するの?」と素直に書いた。

 その週には六年四組との合同で体育の授業が行われ、名前は初めて、降矢兄弟が全員揃う授業に居合わせることとなった。竜持の兄弟である虎太と凰壮は揃って六年四組に割り振られている。
 授業中、背後から膝カックンをかまされ、振り向けば竜持と同じ顔が二つ並んでいたという出来事は、なかなかに強烈だった。体操着の名札を確認して、実行犯である虎太に「びっくりするじゃない」と文句を言えば、隣で値踏みするような視線を投げていた凰壮が唇の左端だけを持ち上げて言った。

「なんだ。どんな奴かと思えば、別に普通じゃん」
「…ええと、何が?」
「なんでもねぇよ」

 短く言って会話を切ったのは虎太だ。更に名前の背後から「うちの担任にちょっかいかけないでくれます?」と続く。前にも後ろにも同じ顔、という状況は、恐らく今後二度と訪れないだろうと確信した。それほど驚くべき光景だった。

 翌週、竜持のノートにはページの真ん中に「7」と書かれていた。なので、何も考えずに数字の前に赤ペンで「ラッキー」と付け加え、「ラッキー7」にしてみた。
 その翌週は、隣のページの真ん中に「70」ときた。桁が増えてしまった。かがやきノートをただの落書き帳にされている、というような考えが脳裏を掠めるたび、名前はどうにか気持ちを無にした。相手が子どもだからと言って、その真意を勝手に決めつけてはいけない。「70」の横には「ごめんね。数学語はよくわからないんだ。よかったら日本語訳も付けてください」と書き、クラス全員の分と合わせて返却した。

 ノートに書かれたことは、担任も含めて口外厳禁となっている。だから児童たちは何を書いて提出しても素知らぬ顔をして生活しているし、名前もそうした。内容について直接話した方がいいと思われる児童に関しては、一人でいるところに声をかけたりして、内緒話の場を作った。
 しかし竜持に関しては、どう対処することもできなかった。まず、書かれている内容の意味がわからない。これが一番大きい問題だった。そして次に、隙を見せない。だから、一人になった隙にノートの内容について直接訪ねてみようにも、まず捕まえられない。やっとのことで捕まえても、上手いようにはぐらかされてしまい、ノートの内容に触れられることを頑なに拒否された。

 そうして手をこまねいているうちに、強烈な湿気と暑さは遠退き、校庭の隅の吹き溜まりに落ち葉が山盛りになる季節が来て、やがて、こまねいていた手も悴むような気候になった。
 そういえば職員会議で降矢という名字を聞かなくなったなとか、相変わらず竜持のかがやきノートだけ意味不明だなとか、クラス全員が仲良く出来ているのも六年生という特別な年だからかなとか、他にも色々と名前の中に渦巻く感情があり、それらを寸断するかのようなタイミングで訪れた冬休みが明け、最初の火曜日、竜持のかがやきノートに初めて、言語が書かれた。と言っても、「ゼータ関数ζ(s)の自明でない零点sの解は、実部Re(s)が0<Re(s)<1の範囲において1/2である事を証明せよ」といった具合いだったので、相変わらず意味不明である。
 名前はひとまず、証明問題をそっくりそのままインターネットで検索した。すると出てきたのはリーマン予想の文字で、ここで漸く、懸賞金がかかった数学の未解決問題をふっかけられたという現実に気付いた。しかし、読み取れる意図はあった。九月から始まったかがやきノートも四ヶ月目である。だから、"証明せよ"と書かれているからと言って、この問題の答えを求められているわけではないことくらいなら、わかるのだ。
 では、竜持は何を伝えたくて、まるで独白でもするかのように、延々と数学語を書き続けるのか。数学者の父を持つ降矢兄弟なので、竜持の数学語は父親に関係があり、父親との関係や問題を示唆しているのではないか、という予想も立ててみたが、いまいちピンと来なかった。三者面談にも授業参観にも父親が出向く家庭だ。親子関係が不仲であれば、たった十二年しか生きていない竜持が専門的な数式を覚えるに至るまで、父親の専門である数学に意識を向けて努力なんてするだろうか。想像し難い。
 考えに考え、結局、未解決問題の下にこう書いた。「何か、解決できない問題でも抱えているの?」当然だが、それについて竜持からの返事はない。それどころか、翌週から竜持のかがやきノートは無記入に戻ってしまった。

 対応に失敗したのだろうか。そう悶々とし、無記入が三週続いてしまった日、とにかくもう少し考えてみようと決め、手帳の余白に竜持が書いた全ての数列、数、公式、それから最後の未解決問題を書き写した。 しかし、いくら考えても竜持の意図は読み取れなかった。中学入試が終わり、二月になってもなお、竜持のノートだけは無記入だった。それでも、教室にいる竜持に変化は見受けられない。友達と笑ったり、授業中に名前を茶化しにかかったり、給食をおかわりしたり、四組の前の廊下で兄弟と一緒に談笑していたり、休み時間もひたすらにシャープペンシルを動かしていたり、かと思えば一目散に校庭へと降りて行ってサッカーをしたり、とにかく普通だった。変わったことと言えば、前年度までは職員会議の常連だったくせに、今年度はまだ一度も名前が上がっていない、ということくらい。

 とにかく、平穏だった。春に始まり初春に終わるまで、平坦ではなかったけれども、沈み込んで陥没するような期間は一切なかった。だから何も疑うことなく、素敵な一年だったなと過去を完結させ、思い出の宝箱にしまい込んですっかり忘れていた。

 そう、数分前までは。

 名前は意識を現実に戻し、使い終わった手帳が詰め込んである小振りな段ボール箱を引っ張り出してきた。高校二年生の頃に初めて手帳を買い、それ以来ずっと、スケジュールは固より日常のちょっとした出来事を書き留め、一年間を形として残すようにしている。その中から三年前の一冊を選び取り、パラパラと捲った。
 冊子後半のノート部分に、それはまだ残っている。逆流するフィボナッチ数列、7、70、サインとコサインが並んだ数式…と延々と書き写した竜持のかがやきノートの中身だ。その中の「7」が、買ってきた文庫本の中に登場していた。

"1〜10の範囲に倍数も約数も存在しない、孤独な数字。"

 一体、数学者でも数学オタクでも天才でもない一般人の誰が、たかだか一桁の数字一つに特別な意味を見出すだろう。
 名前は動悸が激しくなっていくのを感じながら急いでノートパソコンを立ち上げ、検索エンジンに噛り付いた。机には、どう足掻いても"過去"以外の存在にはなりえない手帳が一冊に、ボールペン、まっさらなコピー用紙を数枚。わからない問題は、大学院生の妹に"大至急"の見出しをつけてメールした。

 全てを解き明かすのに一週間がかかった。決定打となったのは、六年生最後の火曜日に書かれた「5」という数字だった。その前の週に提出されたページには「13」とだけ書かれていて、これが「5」を紐解く鍵になった。
 「5」はギリシャ数学で、「13」はヘブライ語で、"愛の数字"だという。
 メモで埋め尽くされたコピー用紙を前に、ああ、とため息を吐いた。一ページ目から一切の理解を必要としなかった竜持の独白は、告白だったのだ。

 徐々に小さな数へとすぼまっていくフィボナッチ数列は、行き場がなくなっていく気持ち。
 孤独な数字である「7」は、たった十二歳の少年が持っている家、学校、所属しているサッカーチームという、せいぜいそれくらいの狭い世界での孤立を示す。きっと誰にも知られずに気持ちを抱えていたに違いない。それでも兄弟には隠しきれていなかったようだが。
 「70」は約数をどんなに足しても70にならない最小の不思議数だ。噛み合うことのない数字が示す噛み合わない歯車は、おそらく、竜持のものと名前のもの。
 サインとコサインが並んだ数式は妹に計算してもらい、無限に続くループのリサージュ曲線になる有名な式だということが判明した。これは、ループしたまま届かない気持ち。

 そして、どれだけ見当違いな返事を書かれ、理解できないと言われようと頑なに数学語ばかり書き続けたのは、きっと、思いを伝えたところで進展するとは思えなかったから。
 未解決問題のリーマン予想は今のところ証明不可能。つまり、叶わないことは最初からわかっていた、と。

 全ての数学語に付けた日本語訳を何度も読み直し、カレンダーを見た。あれから三年。卒業式を終え、寂しげな表情で「一年間ありがとうございました」と告げた竜持の気持ちを今更どうこうできるわけがないし、当時知ったとしても、先生らしい笑顔で「ありがとう、生徒に好かれる先生になるのが夢だったの」とかわすことしかできなかっただろう。

 泣きそうだった。こんなに素敵なラブレターをもらったことはない。ありがとうを伝えることはできないかもしれないが、十二歳の少年からの素敵な贈り物に気付けただけでも幸福だと、手帳を箱の中に戻した。思い起こされた特別な一年間を、再び思い出の宝箱にしまうように、そっと。
 そして祈る。今の君が、どうかどうかしあわせでありますように、と。

(20130427)
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