不意に声が聞きたくなった。

苦手な数学の予習をしていたら、数学好きな彼のことを思い出してしまい、勉強は手につかなくなった。受験生にとっては由々しき事態である。唯一好きと言えた英語にシフトチェンジしようかと思ったが、一度考えたら止まらないのが中学生。それに加えて片想い真っ只中の私。数字が散りばめられたものを見ると思い出してしまうのは、仕方のないことであろう。

彼が大好きな数学。数学の嫌いな私。私が大好きな彼。不毛な三角関係を思い浮かべて、思わず苦笑いを浮かべた。


いつも時計代わりほどにしか使っていない携帯を握りしめ、外へと繰り出した私は玄関に座り込んだ。幸いか、外灯がすぐそばにあるため暗くはない。携帯を開いてみると、初期設定のままの青空をバックに鳥が羽ばたいている待ち受けには、23:17という文字が表示されていた。非常識、そうかもしれない。でも彼は起きているであろうし、何より声が聞きたくて堪らない。一度もかけた事がない彼の番号を前にして、キーホルダーも何も付いていないつまらない携帯に力を込めてしまう。届け、この思い。阿呆みたいな願いを小さい電波塔にこめて、彼へとつながる番号をタッチした。

だけど悲しきかな、何回かのコール音の後に留守番電話サービスの音声が聞こえてきた。無念、なんてものではない。もう寝たのだろうか、と考えてみるもすべては後の祭りである。

タイミングが悪すぎて、中に戻ろうかという気持ちも消え失せた。どうせ戻っても、勉強が進むわけでもない。不貞腐れて寝てしまうだろうと簡単に予測がついた。空を見上げてみるも、星なんてひとつも見えなかった。明日は雨かなあ、そんなことをぼんやりと考えていたら耳覚えのない、だが心待にしていた気がする。そう思わせる音が抱き締めるようにして持っていた携帯から鳴り響いた。ピリリリリと鳴るこれは、まさしく電話の音で。あっ、と思ったときにはもう何コールか過ぎていて、早く出ろと何かわからないものに急かされたように電話を取った。


「はっ、はい。もしもし」

『……名前さん?』


ああ、やっぱり。
名前を呼んだその声は、私が聞きたかった声そのもので。なぜかはわからないけれど、不思議と安心感のする、彼の声だった。


『名前さんですよね、さっき電話かけてきたの』

「うん、私」

『こんな時間に、何かありました?』


なんでって、それは。あなたの声が突然聞きたくなったからで。今聞けてものすごくほっとしてる……なんて言えるはずもなく、彼のように言葉が達者でない私はうっと言葉を詰まらせた。えっ、えっと…… 気持ちそのままに言葉を発してみたら、返ってきたのは意地悪い言葉の数々。それを電話に置き換えるだけで、少々かわいがる気持ちになってしまった。可愛いなあ、そう思えたのも一瞬で、黙り混んだ私につけこむかのように言葉を降らせてきた彼は、やはり意地が悪い。


「数学をしてただけ!だから、」

『ふうん?わからないところでもありましたか?』

「……そう、そういうことよ」


そうならそうと早く言ってください。
それに続けて教えてあげますよ、と言ってくれたのだが、生憎私は外にいる。実際わからないところはあったので、明日教えてもらうと言うことで了承を得た。

他には何か? と聞いてくる彼を珍しく優しく感じた。いや、こう言ってしまうとあれだけど、案外優しいときはある。ただ、意地悪なことが多いだけで。割合的に意地悪く感じてしまうのは仕方ないことだ。そう、そうなの。とひとり納得して、私の名前と少々の雑言を織り混ぜていた彼に、最近あったことや気になっている店などの話をしてみた。話始めたのはもちろん、彼との電話を終わらせたくなかったからである。基本話していたのは私だけど、たまに彼も相槌以外を返してくれたりして、私はそれがたまらなく嬉しくて。

ついつい話は長引いて、ふと時計を見てみると23:51の表示。なんということだ、数字を信じるともう30分は話していることになる。私はそれぐらい外にいたのか。女子中学生、危うし。何にも遭遇しなくて良かった。バカみたいな考えは取り払って、今の時間を話しに取り上げてみると案の定というかなんというか。まあ、先ほどのように意地悪い言葉が返ってきたわけだ。一緒になって話してくれたくせに、ちょっとだけど。と軽く拗ねてみるも、彼には届かない。


『そんなに話したかったんですか?僕と』


これまた、意地が悪いとしか言い表せない。いつもなら何バカなことを、とか言って話を切り替えるところだけど。だけど、今日だけは素直になってみようか。いつにもまして気分が上がっている私はバカなことを思いついて、実行してみるのだった。


「数学でわからない問題があったっていうのも、嘘かもね」



なんて言ってみたりしちゃって。勝てるわけ、ありゃしない。今ならそう思えるけれどこのときはどうかしていたのだろう。そうして予想通り、私は彼に言い負かされるのである。


『ふうん、そうなんですか。僕は最初から、そのつもりでしたけどね』


じゃあ、また明日。


一方的に告げて切れた携帯は、通話時間37分19秒と、律儀に表示をしていたが、そんなもの目に留まるわけがなく。青白い画面に表示されている、降矢竜持という4文字の愛おしい名前を指でなぞった。

今日もまた、眠れない夜を迎えるのであろう。

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