スラムダンク | ナノ

 57

その後、体育館で彩ちゃんの手伝いをしていたものの、あまり集中出来ずにボーッとしている事が多かったように思う。

彩ちゃんはまだ何も聞かないでいてくれているけど、ドリンクを溢しそうになったりボールに躓いたりしている私を見て、不安気な表情になっている。

「アンタ大丈夫?今日は帰った方がいいんじゃないの?」

「うーん……ごめんね、迷惑掛けちゃってるし、そうさせて貰おうかな」

「迷惑だなんて思ってないけど……亜子、アタシ待ってるからね。アンタが話してくれるの」

「うん、何か頭がごちゃごちゃで。整理出来たら話すから。……ありがとう、彩ちゃん」

「水臭いわよ、親友なんだから」

「うん、ありがとう」

苦笑する彩ちゃんに再度お礼を言って、他の皆の邪魔にならないように赤木先輩にだけ挨拶をして帰ることにした。



曇り空だったせいで途中からぽつぽつと雨が降ってきたが、傘なんて持ってきていない。
家よりも近くの体育館に逃げ込もうと、ペダルを漕ぐ力を強めた。

体育館に到着した頃には土砂降りで、私はびしょ濡れになりながらも休館日の体育館に飛び込んで。
その広いスペースのど真ん中に寝転んだ。

「……告白されちゃったなあ」

ぽつりと呟いた言葉は、妙に響いた。

知り合いでも何でもない、今日初めて会話をした人。
秋里さんには悪いけど、やっぱり付き合うことは出来ない。

流川に言われた通り、私が選ぶのはあの人じゃ、ない。

それ以前に、付き合うとかさ。

……今はまだ、駄目だ。

この世界と自分の世界に対する区切りを、自分の中でつけられない限りは誰とも恋愛をしてはいけないって。
自分の心の奥底で、そういう決まりが勝手に出来ちゃっている。

そんなに意識していたわけではなかったけれど、やっぱり元の世界の事が頭の片隅にあって。
ずっとこの世界にいる事が出来る保証が欲しくて。

どうすればその保証になるのかもわからないし、考えてもどうにもならないと思う。

元の世界に戻ってしまうのなら恋愛はしたくないけど、ずっとここに居られるのなら恋愛だってしたいよ。
今は恋愛する気がないというのはそれが原因だ。
好きな人だって作りたいし、付き合ったりもしてみたい。
だけど、好きになって、付き合うことができたとしても、いつか離れ離れになってしまうかもしれないと思うと……怖くて。

もちろん恋愛だけじゃない。
告白されたから恋愛に重点がいってしまうけれど、大好きな親友と、大好きな伯父さんと、伯母さんと。
バスケを通して関わってきたみんなと。

──離れたくない。

離れたくないよ。
ずっと、一緒にいられるかなぁ?

大人になってからは別々の道が待っているのはわかっている。
そうじゃ、なくてさ。

ずっと、同じ世界でいられるかなぁ、って。


考えれば考えるほど、不安になって。
視界がじわりと滲む。

ぽろりと涙が零れた。

気づけば、涙腺を止めることはもう出来なかった。
大量の涙が溢れ出し、どうしたらいいかわからなくなる。

来たばかりの頃は、少しは悩んだりもしたけれど、純粋に楽しかった。
こんな、不安になるなんて思ってなかったなあ……。

……あー……そういや私、びしょ濡れだったわ。
濡れたままで……床、痛んじゃうかな。
でももう動きたくない。
何も考えたくないな。



体育館のど真ん中、ひとりボーッと寝転がる。
聞こえるのは外の雨の音だけ。
いつのまにか雷が遠くでゴロゴロと鳴っていた。

…………前にも、こんなことあったな。

ああ、あれはちょうど私がこの世界に来た日だっけ。
あの日もこんな風に土砂降りで、雷が鳴り響いていて。


その時、ドォォォォン!!と近くに雷が落ちた音がした。
ビリビリと体育館全体が揺れた気がして、動きたくなかったはずなのに、体が勝手に飛び起きた。


「…………!?」


あの時、私がこの世界に来たきっかけっていうのは雷が原因だと予想していた。
それならば、今の雷って結構危ないんじゃ……?
もしかして、元の世界に戻ってしまった!?
そう思って慌てて外に出て周りの景色を確認する。


「…………よかった、見慣れた……景色、だ」


ここ最近のいつもの風景と変わらなかったことに安堵し、力が抜けた。
そしてそのまま意識が遠くなっていくのが、自分でもわかった。






──いつになったら、私はずっとこの世界で生きていけるという確証が持てるのだろうか。
いつになったら、私が元の世界に帰ってしまう日が来るのだろうか。

……いつになったら、素直に行動出来るようになる日が来るのだろうか。

何も考えずにみんなと一緒に過ごした時間は、とても楽しかった。
私にとって大切な時間だ。
それが今は少しずつ崩れそうになっている。

難しいことを考えるのは好きじゃないし、面倒だ。
それでも人生において考えるという行為は必要なこと。

私、誰に相談したらいい?


一人で考え続けるのは、辛い。











目を開けて、真っ先に視界に入ってきたのは薄暗い天井だった。
体を起こそうと思ったのだが、力が入らないうえに何だか暑い。
息苦しくも感じる。
でも額は冷たい。

手だけを動かし、額に触れてみると冷えたタオルが乗っていた。
ここは、どこだ。

カチャリと扉の開く音が聞こえて、部屋の中に入ってきた人物を目で追ってみると、それは予想もしてない人物だった事に驚いた。


「…………神、くん?」

「あ、起きた?凄い熱があるみたいだから、体は起こさないほうがいいよ」


ここ、もしかして神くんの家なのかな。

「部活が早めに終わったから、兄さんの車で体育館に連れてってもらったんだ。そしたら入り口のところで亜子ちゃんが倒れてて。凄い熱だったからあわてて二人で車に乗せて、思わずウチに連れてきちゃった」

救急車を呼ぼうとも思ったんだけどね。
そう言って神くんは額のタオルを新しいものに換えてくれた。

「そうなんだ……なんか迷惑かけちゃってゴメン」

「そんなこと気にしなくていいから。もう目が覚めちゃった?」

「ううん、まだちょっと眠いかも」

「じゃあまたゆっくり寝てたほうがいいよ」

「うん……ありがと」

再び目を閉じて、自然のままに体を任せた。








次に目が覚めた時には、すっかり体は元気になっていた。

ガバッと飛び起き、枕元においてあった体温計を勝手に拝借すると36.5℃の表示。
息苦しさも今は全く感じない。

部屋の様子を確認すると、何度見てもやっぱり自分の部屋ではなかった。
服も、自分の服ではなく、かなり大きい……って事はもしかして神くんの服だったりする!?
うわぁ、うわぁ……!
ヤバい、妙に恥ずかしくなる。

熱が下がったからにはいつまでもここにいるわけにもいくまい。
でも人の家で勝手にうろつくのもどうかと思う。
……どうしよう。
とりあえず、誰かいないかドアの外を覗いてみようかな。

カチャ、と、まるで泥棒のように気を使いながら扉を開けて。
キョロキョロと人影を探していたら、階段から誰かが上ってくる足音が聞こえた。

「ああ、起きたみたいだな」

「神さん!」

神くんのお兄さんだった。

「すみませんでした!ご迷惑をおかけしてしまって……それに、私びしょ濡れだった筈なんですけど、車で運んでもらったって聞いて……!車まで汚しちゃいましたよね?」

「宗一郎にも言われただろうけど、気にしなくていい。あの状態では仕方ないだろう。……まだ顔が赤いようだけど、万全じゃないんだろう?」

「あ、いや、これは……その……服が、ですね」

「ああ……そうか、年頃の女の子だもんな。着替えさせたのは母だから心配しなくていい」

そうか、服が違うってことは着替えさせてくれた人がいるってことだよね。
そこは失念してたわ。

「一応……はい。ありがとうございます。……救急車も呼ばずにいてくださって助かりました」

「熱が下がれば大丈夫だと勝手な判断だったが……まあ、一日経っても下がらなければ病院には連れて行くつもりだった」

だが、あんなところで倒れていたということが引っかかってな、と。
確かに普通だったらおかしな状況だと思う。
そういえば、神さんはメンタル面での不安についてならいつでも相談してくれて構わないって言ってたっけ。
思い切って相談してみようか、最近の出来事とか自分の頭の中のこととか。

「ところで、神くんは?」

「宗一郎なら学校に行ったよ」

「学校……そっか、もう朝か……今日は平日ですもんね」

「行く間際まで蜂谷さんのこと気にかけてたみたいだから、今度会ったらお礼を言っておくといい」

「そうですね、そうします。神さんは今から大学ですか?」

「いや、今日はサボった」

「サボ……!?」

神さんがサボるなんて予想外だ。
だって見るからに真面目そうな人なのに。
でもそれって明らかに私が原因だよね。

「ごめんなさい」

「悪いと思うなら、そんな顔をさせている原因を教えてくれると有難いんだがな」

「……私、そんな酷い顔してます?」

「ああ、この世の終わりを迎えたような顔してる」

自分じゃなんの意識もしてなかったんだけど、どうやら私の顔は相当酷いらしい。

「とりあえず今は母親も出かけてるから、リビングでお茶でも飲みながら話をしよう。悩みがあるんだろう?」

「すみません、ありがとうございます」

「謝らなくていいんだ。言っただろう、何かあったらお互い様だって。情けない話だが、僕とて何かあった場合に頼れるのは蜂谷さんなんだからな」

そうは言っても私が頼られる日なんて来ない気がする。
そりゃあ、頼ってもらえるのであれば喜んで手助けをしたいとは思うが。

……そっか、神さんももしかしたらこういう気持ちなのかもしれない。
やっぱり同じ境遇っていうだけで仲間意識が芽生えるもんなんだなあ。
仲間だったら助けてあげたいって、そう思うもんね。


リビングへ案内してもらい、適当に座れと言われたので近くのソファーに座った。
今度は神さんが紅茶を入れてくれた。
前回とは逆だ。

「とりあえず、自分で話したいように話してみるといい。言いたくないことは無理にとは言わないから」

神さんは神くんより三つ上のお兄さん。
高校生の私達からすれば大学生は立派な大人だ。
そんな大人な彼に聞いてもらえば、何かが解決できるような気がして。
私はありのままを全て話すことにした。


「……元の世界について、か。僕も時々は考えたことはあったけど……最近では自然と考えなくなったな。」

「私もここで生活していくうちに、自然と考えなくなってたんです。でも恋愛感情について考えるたびに元の世界の事が頭をチラついちゃって……」

「本音を言えば、恋愛をしたいんだろう?」

「んー……うん……結果的にはそうなりますね。……くだらなくて申し訳ないです」

「くだらなくなんかないさ。人間において当然の感情だからな。で、元の世界に戻るかもしれないと思ったら怖くて誰も好きになることができない、と」

「好きになることが出来ないというか……好きと思うのを否定してるんだと思います」

「ふむ……」

神さんがカップを置く音が響く。
時計の針が進む音が、妙に気になった。

「でもそれだといつまで経っても不安なんて拭えないんじゃないのか?例えばこのまま二年経過したとする。元の世界に戻る兆候は現れない。そのまま5年、10年経過し、それでも元の世界に戻る兆候が現れない。ずーっとそうだとしたら、いつ不安が消える?」

「ずっと、消えないままです」

「そしたらキミはずっと人を好きと思うことが出来ないままじゃないか」

「そう……ですね」

「僕は大学生だけど、まだそんな大人じゃない。そしてキミは高校生で、まだ人生の半分も生きていない。そんな子にこんな事言えた立場でもないが……そんなんでは人生、損だらけだと思う」

神さんが話を続ける。
私はそれを黙って聞いていた。

この世界に来る前までは、この世界に来るか来ないかなんて考えなかっただろう。
この世界に来るかもしれないと考えながらは生きてこなかっただろう。
今だってそれと同じで、この世界から戻ることなんて考える必要がないんじゃないか。
偶然僕達はここにいるけれど、普通の人生と変わらないんじゃないかって思う。
確かに、この世界は居心地が良くて依存する気持ちもわかる。
でもどうなるかわからない状況でそんなことばかり考えていたら前には進めない。

それに、せっかくここに居るのにそんな事ばかり考えていたら何も楽しめなくなってしまう。
せっかくの皆との時間を無駄にするのか。
無駄にしたいのか?


「……無駄になんてしたくないです、一生後悔します」

「でも今キミがやっているのはそういうことだ」

「……悩んじゃ、いけないんでしょうか」

「そうは言ってない。学生時代なんて悩みを抱えて生きていくものだ。悩みのないヤツなんていない。だが、悩む視点を変えろ、と言っている」

「視点を変える?」

「あとどれくらいここでの時間を過ごしたら、自分の気持ちを割り切ろうかということに」

いつ起こるかわからない出来事に怯えてないで、自分の気持ちを優先的に考えろ、ってこと?

「そんな簡単に割り切れるものじゃ……」

「だから、時間を決めればいいだろう」

「時間?」

「例えばあと二年ここに居ることができたら、自分の気持ちに前向きに生きようとか。どうせ今自分に正直に生きろ、等と言っても無理なのはわかっている。だけど時間が経てば考え方だって変わってくるさ」

「そうでしょうか……」

「人間って意外と薄情だからな、今一生懸命考えている生き方なんて、そのうち忘れる」

「……なんか大人ならではの意見ですね」

「まだまだ大人とは言えないがな」

そう言って神さんは苦笑を見せた。

でも、神さんの言いたいことはなんとなくわかった気がする。
私はいつまでここにいられるかわからなくて。
でも元の世界に戻るという保証もなくて。
いつまでもそんな事を考えていたら、みんなと楽しく過ごせるはずの時間を無駄にするわけで。

神さんの話を頭で整理していくうちに、私の中で考えがまとまってきたようだ。

「この世界って、高校4年制度になったじゃないですか」

「ああ」

「来年の夏にはインターハイが行われますよね」

「そうだな」

「インターハイが終わったら、自分の気持ちに正直に生きてみようかなって思います」

「インターハイを区切りにするということか?」

「はい」

落ち着いて返事をした私を見て、神さんは優しく微笑んでくれた。

「ようやく蜂谷さんらしくなったな」

「私らしい?」

「僕が知ってる蜂谷さんは、前向きで明るい女の子だ」

そんな風に言われるなんて思ってなかったので、思わず顔が熱くなった。

「からかうのはやめてくださいよ!」

「よし、元気も出てきたようだな」

「う、」

「いいんだよ、それで。お互い後悔しないように、この世界を楽しく生きようじゃないか」

「……、はい!ありがとうございました!」



神さんに話を聞いてもらって、そしてアドバイスをもらって。
さっきまでとは雲泥の差と言えるほどに自分の心には青空が晴れ渡っているような気分だった。

「これから学校に行くのか?」

「いえ、制服もないですし……でも、どうしようかな……」

「良かったら家と、それから湘北まで送るが」

「んー、学校はもう休んじゃいます。家までお願いしてもいいですか。帰ろうにも道がわからないので……!」

「はは、了解。たまにはゆっくり休むといい」

「重ね重ねありがとうございます。このお礼はいつか必ず……!!」

「……そうだな、今度僕がメンタルで不安を抱えた時にはよろしくお願いするよ」

「はい、是非!!」


それから、お借りした部屋の布団をきちんと畳んで、袋を借りて洗濯物もまとめて。
神さんは洗濯物は置いていけと言ってくれたけど、それでは自分の気がすまないのでここは折れるわけにはいかなかった。
苦笑しながら袋を渡してくれた神さんには何度目かのお礼を言って。
そして用意してもらった車に乗り込み、家へと送り届けて貰った。
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