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疑問も心配事も一切なくなって、一週間。
相当気が抜けていたのか、普段の自分では絶対にやらないようなことをやらかしてしまった。
体育館の片付けも終わり、部屋でくつろいでいたときのこと。
クラスメイトの彩ちゃんからメールがあり、画面を開いて内容を読んだ私は口にくわえていたアイスをぼとりと床に落として。
《宿題、終わった?明日の朝、答えあわせさせてね!アタシは今必死でやってるとこ!》
しゅ、宿題……だと……!
思い出して、頭から血の気が引いた。
その宿題とは学校で一番恐れられている先生の授業の宿題で、プリントをやってこいというものだったんだけれども。
そんなものが出ているなんてすっかり忘れてた。
やばい、マジでヤバい。
今からでも急いでやらなきゃ……!
そう思って鞄からごそごそとプリントを探すも。
な、ない!
もしかして学校に忘れてきたのかも……そう思った瞬間、さらに血の気が引いた。
が、学校に取りに行かなきゃ。
みんなの前でこっぴどく怒られるのは嫌だ。
しかしこんな時間……現在は21時で、夜の学校なんてひとりじゃ怖すぎる。
彩ちゃん、一緒に来てくれないかなあ。
よし、早速メールを…………
彩ちゃんにメールしようとしてぴたりと手が止まる。
《アタシは今必死でやってるとこ》って、書いてあった。
つまりは彩ちゃんは今宿題中なわけで、それを邪魔するわけにもいくまい。
となると、他の誰か……、きっとみんな部活で疲れているに違いない。
最悪だ。
私一人で行くしかないのか。
仕方なしに上着を手に取り、家を出た。
自転車にまたがり学校を目指すこと20分。
目の前にそびえたつ校舎は、どこかのホラー映画に出てきそうな雰囲気をまとっている。
ただでさえ夜の学校までの道程を自転車でかっとばすのも怖かったのに。
一人でこの中に入らなきゃいけないのかと思うと、怖くて、前に進めないんだけど。
そもそも鍵って開いてるんだろうか。
学校って普通は夜の警備員さんみたいな人がいるよね。
その人がいてくれたらいいんだけど。
どうしようか。
校門の前で悩んでいると、突然肩に手がポン、と置かれた。
「ぎゃああああああっ、んぐ!!」
「しー!!俺です、亜子さん!」
思わず叫んでしまったその口を塞がれ、その手を辿ってみるとそこにいたのは花道だった。
その後ろには若干眠そうな水戸くんも。
「は、はへ!ははみひ!ひほふん!!」
「どーもこんばんは。花道、離してやんないと亜子さん可哀想だぜ」
「あ、ああ!すっスミマセン亜子さん!」
水戸くんが花道に離すように促すと、真っ赤な顔でしどろもどろになりながら手を離す花道。
「いやいや、叫んじゃってごめん。まさか花道たち、っていうか人がいるとは思わなかったから……」
偶然にしてもこんなところで誰かに会うなんて思ってなかったし。
しかも突然肩を叩かれたら誰だってビックリするよ。
未だに心臓バクバクいってるけど。
近所迷惑になるからと思って、私の口は塞がれたんだろうけど。
「ところで、こんな時間にこんなところで何してんスか?」
「え?えーと…………そういう水戸くん達こそ、どうしてこんなところに?」
「あー、それは花道が「違うんです!宿題忘れて取りにきたなんて、そんな理由ではないんですよ!」
水戸くんが説明しようとした言葉を遮った花道。
それを聞いた水戸くん、苦笑している。
花道って本当に分かりやすいなあ。
要するに、花道も私と同じ理由でここに来たっていうわけだ。
仲間がいると思ったら安心しちゃった。
「そっか、花道も宿題取りにきたんだね」
「イエ、ですから…………『も』?」
「うん、私も宿題忘れちゃって。あの先生怖いから、今日中に取りに来なきゃって思ったの」
「…………!そ、そうですか!実はこの天才、亜子さんが忘れただろうと思って一緒に行って差し上げようかなー、なんて!なは!なはなは!」
「はあ、よく言うぜ。亜子さん、良かったら俺、そっちに付き合いましょうか?」
「え、いいの?」
「コラ!よーへー!俺の付き合いはどうした、俺の!」
「花道は一人でも平気そうじゃねーか。天才なんだろ?」
「むっ……それとこれとは話が別のような……」
私に付いてきてくれるという水戸くんに対し、納得がいかない様子の花道。
きっと花道といえども夜の学校が怖いんだろうな。
でもそれを口にすると彼は強がっちゃって取り返しもつかなそうだし。
「あ、あの、良かったら二人とも一緒についてきてくれると嬉しいなー、なんて」
そんな妥協案を提案してみると、みるみるうちに花道の顔が明るくなる。
パァ、という効果音が聞えてくるようだ。
それに対し、水戸くんは小さな声で『流石ですね』と呟いた。
花道の扱い方はだんだんと覚えてきたしね。
取扱説明書とか作れそうな気がするよ、今なら。
でも、まだまだ長年の付き合いのある水戸くんには敵わないと思うんだけど。
水戸くんは接待上手かな。
「亜子さんのためなら、この桜木!どこまでもついていきます!」
「はは……じゃあ、よろしくおねがいします」
「じゃ、早いとこ行きますか」
校門を通り過ぎ、校舎に入ろうとして正面玄関の扉に手を掛けると無用心なことに鍵はかかっていなかった。
現在見回り中なのかもしれないな。
そうだとしたら、見つかったら非常に面倒なことになる。
本当は素直に理由を話してから中に入りたかったけれど、この二人にそんな考えは一切ないようだ。
三人で周囲に注意を向けながら、校舎をゆっくりと進んでいく。
本来だったら一人でここを歩いていたのかもしれないと思うと、背筋がひんやりとした。
二人が一緒にいてくれることで凄く心強くは思うんだけどそれでもやっぱり怖いものは怖いし。
一人じゃなくて良かった、と、心底思う。
「亜子さん、大丈夫すか?さっきから体が縮こまってるけど……」
苦笑しながら水戸くんが私にそう言った。
「夜の学校ってどうしてこんな雰囲気なんだろうね」
「怖かったら手でも腕でも貸しますよ!」
頼もしくそう言うのは花道。
さっきまで自分も怖いと思っていたんじゃなかったっけ?
校舎に入った花道は、さっきまでとは裏腹に堂々としていて。
怖いと思っているのは私だけなのかと思ってしまう。
そう思ったら口から自然に言葉が出ていた。
「手でも腕でも貸して欲しい」
離れて歩くよりくっついて歩くほうが絶対怖くないし。
人の体温って安心するって言うじゃない、それと一緒。
「じゃ、どうぞ」
「どどどど、どうぞ!」
紳士的に手を差し伸べてくれたのは水戸くんのほうで、どもりながらも腕をぐいっと向けてくれたのは花道のほう。
二人の対照的な仕草が面白くて、ちょっと笑ってしまう。
「ありがとう、遠慮なく」
言葉通り遠慮なく水戸くんの手と私の手を、そして花道の腕に自分の腕を絡ませてもらった。
うん、だいぶ安心できるようになった。
花道がガチガチになった様子が笑えて、水戸くんと目を合わせて小さく笑った。
花道も頼もしいけど、水戸くんはやっぱり大人な雰囲気があって安心できるんだよね。
言葉にしたら花道が怒りそうだから言わないけどさ。
まず先に花道たちの教室に行って、花道が忘れたプリントをゲット。
その次に私の教室に行って、私が忘れたプリントをゲット。
と、ここまで順調だったのだけれども。
「うお、警備員がこっち近づいてくるぜ!」
「えっ!」
「何!!」
水戸くんが言ったと同時に、警備員が照らす懐中電灯の光がチラチラと見えて。
私達は近くにあった教室に駆け込んで、その場をやりすごすことにした……ん、だけど。
教室に引っ張りこんでくれたは良い。
でも、この体勢は凄く恥ずかしいです、水戸くん。
革靴の足音がカツ、カツ、と聞えているので、警備員は現在この教室の真横を通っている最中。
それに加え、教室の中を懐中電灯で照らしているので、廊下側の壁にべったり張り付いていなければならない。
それはわかってるんだけど、私、水戸くんに庇われるようにして抱きかかえられてるっていうか……うん、そんな感じ。
身動き取れない上に、これではおちおち息も出来ない。
お願い、早く通り過ぎて警備員さん!
心の中で強く祈ったけれど、そんな祈りは届くことがなかった。
何故ならば。
「あーーっ!!洋平、てめー!!亜子さんに何してやがる!!」
突然、花道が叫んだからである。
「わっ、馬鹿!花道!」
「誰かいるのか!?」
「うわわわやばい!!」
叫び声に気づいた警備員が教室へと侵入してきた。
つかまったら宿題どころじゃない、逃げなきゃ!
私たちは急いで反対側のドアから出て、校舎から出ようと階段を駆け下りる。
「馬鹿!お前があんな大きな声出すからみつかったじゃねーか!」
「馬鹿とはなんだ!洋平が亜子さんを、だ、だ、抱きしめてたりするから悪い!」
「ぎゃあ!!そんな恥ずかしい事言うな花道!」
「あの場合は仕方ねーだろ、狭かったんだから!」
「それでも他に方法があっただろーが!」
「コラ!!お前ら、待たんか!!」
見つかってしまった以上静かにしてても仕方ないと思ったのか、ぎゃいぎゃい騒ぎながら逃げる二人。
せめて静かに逃げればまだ隠れる場所もあっただろうに……。
心の中で嘆きながら、無事に校舎を出ることに成功した私達。
帰ってすぐ宿題もやらなきゃいけないし……花道と水戸くんは言い合いを続けていたけれど、明日のためにも私はそそくさと帰らせてもらうことにした。
水戸くんに抱きしめられちゃったのは思い出すと顔が赤くなってしまう。
怖い思いもしたけど、なんだかんだ二人と一緒で楽しかったし。
宿題忘れてよかったかなぁ……なんて
なんて……
…………
……いいわけあるもんか、この後宿題やんなきゃいけないんだ。
帰ってやらなきゃいけないことを思い返すと、よかったなんて思えなかった。
やっぱり宿題は忘れるもんじゃない。
今度からしっかり確認しよう。
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