2:二度あることはなんとやら

良くわからない恐怖体験から一夜明け、何事もなく無事に朝を迎えたのだけれど。

「…あんまり眠れなかった…」

普段は言わない独り言を吐き、のそりとベッドから起き上がる。
朝になってようやく安心感が訪れたし、何なら今から寝ればすごく良く眠れると思う。
だが悲しいかな、仕事はそんなの待っちゃくれない。
今日も今日とて会社に行かねばならないのだ。

中途半端な時間に寝てしまっていたら起きれなかったかもしれない。
シャワーも浴びなきゃいけなかったし、寝不足は仕方ないとしてこれはこれで良かったかも。

自分自身にそう言い聞かせつつ、ダイニングに向かえば、昨日のカレーの染みを見つけて少し落ち込んだ。
…そんなに高いマットじゃなかったし、またそのうち買えばいいか…。

しかし、昨日のアレは本当に一体なんだったのか。
夜は恐怖心しかなかったから色々考えることを放棄したけれど、こうやって冷静になって考えてみれば恐怖体験に違いはないものの、思い返してみたらそんなに怖いこともなかったかな、なんて。
強いて言うなら突然消えてしまったこと、だろうか。

まあ、人生に一度あるかないかの体験が出来て貴重だったのかな。
前向きに考えればそんな答に落ち着いた。


シャワーを浴び、流石にお腹も空いたので朝ごはんを食べて準備を済ませ、会社へと向かう。
会社は家から30分のところにあるので毎日自転車通勤をしている。
電車代がかからないっていうのは、一人暮らしの私にとっては本当に有り難い。
そもそも近い会社を選んだのは自分なのだけれど。

実家は二県ほど離れた場所にある。
今住んでいる家は、元々は姉夫婦が住んでいたものだった。
義兄さんの転勤によって引越しを余儀なくされ、残ったこの家に私が住み着いているというわけだ。
家そのものは義兄さんの祖父が買い与えたもので、一括払いだったためにローンはない。
最低限の生活費だけ払えばいいので、社会人として未熟な私でも余裕で生きていける。
寧ろ貯金が少しずつ増えているので、とっても助かっている。

本当は売ろうとしていたみたいなんだけど、私が住みたいなーって言ったらアッサリ譲ってくれたモンだから、義兄さんの実家はどれだけ金持ちなんだろうか、とビックリしてしまった。
何かしら交流をしているわけじゃないから、ほとんどが私の知るところではないけれど。
それでもこうやっておこぼれを貰えてるあたり、姉ちゃんの妹で良かったな…なんて、それは流石に失礼な考え方か。


今日こそは夕飯に昨日食べ損ねたカレーを食べよう。
一日寝かした分美味しくなっているはず。
一週間分くらい作り置きしてあるから、残りは冷凍して保存しとけばいっか。

さて、今日も一日頑張ろう。








*****



仕事は毎日定時に終わる。
私の勤めている会社の方針を友人に話せば、物凄く羨ましがっていた。
最近はどこの会社もサービス残業が当たり前だし、確かにこんなに楽でいいのかなとも思うけれど。
そういや海外じゃこれが当たり前なんだよなあ、って思えば、日本人は窮屈なんだな、なんてどうでもいい事を考えながら、帰り道を自転車で走る。

きっと私の人生は楽に生きられるように作られているんだ。

軽い気持ちでこんなことを考えたのがいけなかったのだろうか。
鍵を開けたら家の中から話し声が聞こえて、とても嫌な予感がした。


「…ったい……だ」
「…から、…も…ねえだろ!」
「…ううむ…誰か他に居れば…」
「ん?あ!!政!人!人がいるぞ!!」

こっそりと覗いたダイニングでは、二人の男が言い合いをしていて。
昨日の人に雰囲気が似てるなあ、なんて思っていたら、そのうちの一人にビシィ!!と指を差された。

「うわっ、みつかった!」

とりあえず逃げれば、一人が追いかけてきて。

「オイ、待てって!ちょっ…」
「信!?」

途中で声が途切れ、静かになったので振り返ってみると、廊下に追いかけてくる人影は無かった。
そういえば昨日の人も廊下に出ようとした時に消えたな…。
ほんと、一体何なんだ…恐怖体験は昨日で終わりじゃなかったのか。
そう思いつつダイニングに戻れば、一人がまだ残っていたので体がビクリと飛び跳ねた。

「びっ、びっくり…した…!」
「信は、どこに消えた?」

冷静に問いかけるその人は、昨日の蒙恬とは違って鋭い目つきで睨んでくる。
違う意味でまた怖いんですけど…!

「私にはわからないよ、そんなこと」
「お前が消したのではないのか」
「私にそんな芸当が出来るように見える?」
「フム…いや、見えないな」
「…でしょうね…っていうか、お友達?が消えたのに何でそんなに冷静なの」
「俺の勘が、信は無事だと言っている」
「……さいですか…」

勘って。
どんな勘の持ち主だよ、しらねーよ。

「とりあえずこの廊下に出ようとすれば元の場所に戻れるんだと思うけど」
「何故そうだと言い切れる?」
「昨日の人も同じだったから。……ねえ、生きてる人間、なの?」
「昨日?生きている?…どういう意味だ?」
「えーと…うーん……先に消えちゃった信?って人には悪いけど、ちょっと座ってお話しませんか」
「いいだろう」

適当なところに座れと促せば、その場に胡坐をかいて座り込んだ男。
目つきは鋭いけど、この人も蒙恬並みの綺麗な顔立ちだよね。
何だろう、不審者は綺麗な人が多いのだろうか。
まあ、昨日に引き続きおかしなことが起こっているんだし、不審者なんて言葉では終わらないんだろうなって思ってるけれども。
確実に何かに巻き込まれている……ような、気がする。

誰だよ、私の人生楽に生きられるように作られているんだ。なんて言ったヤツ。


政と名乗ったその男は、落ち着いているように見えるけど実際私よりは若いのだろう。
たぶん蒙恬も。
昨日こそ恐怖心で最初は敬語だったけれど、知らない人だし、タメ口っていうのもどうかなあとは思ったが、今更そんなことは気にすることではないなと割り切ることにした。

「粗茶ですが、どうぞ」
「……」
「ん?どうしたの?」
「茶碗を交換して貰いたい」
「え、こっちのマグカップがいいの?」

柄が気に食わなかったのか。人様の家でなんつー我儘な…。

「まあいいけど。はい、どうぞ」
「すまない」
「いいえ」

交換したにも関わらず、政はお茶に手を付けようとはしなかった。
私は遠慮なく飲むぞ、自分の家だし帰ってきて何も口にしてないんだ、いい加減喉が渇いた。

すると私が飲んだのをじいっと眺めた後、政はようやく自分に宛がわれたお茶を口にした。

「……これは、美味いな」
「……一般庶民でも安く買えるただのお茶だけど…」
「これが、庶民でも手に入るというのか?」
「蒙恬も似たようなこと言ってたな」
「蒙恬だと?蒙恬を知っているのか?」
「昨日、政と同じようにこの部屋に居たんだよ。信みたいに廊下に出ようとして消えた」
「………」

思案顔で、政は黙ってしまった。
どうせ何もできないんだし、早いとこ廊下から帰ってくれないかな。
そんな事を思いながらお茶を啜っていれば、政は突然立ち上がって。

「何となく、わかった。空子…と言ったな。また来る」

そう言い放ち、私の願い通りに廊下のドアの先へと消えていった。

わかったって…何がよ。
っていうか、

「……また来る、って言った?」

開いたままのドアを見つめながら、私の口もしばらくポカンと開いたままだった。

2016.10.25
  
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