1:恐怖体験をする

「ここ、どこだ?」

突然部屋に現れたその男が言葉を発した瞬間、私は口に運ぼうとしていたスプーンをぽとり、床に落とした。
白いマットにカレーの染みが…!
いや、今はそんなことどうでもいい。
一番の問題は、私以外誰も居なかったはずのこの家に、見知らぬ男が立っているということだ。

「ふっ、不審者…!!」

少し離れた場所にある充電中のスマホに手を伸ばそうとしたその瞬間、いつの間にか見知らぬ男との距離は詰められていて、肩をガッシリと掴まれた。

「な、な、なに…!」

何をするつもりなの、と言いたかったその言葉は、震えによってまともに発する事が出来なかった。

「何もしないよ、ここがどこなのか知りたいだけ」

怯えている私に対し、その男はにこやかに言った。
何もしないって…不法侵入している時点で既にしでかしてるんですけど…なんて言ったらダメかな、やっぱ。

「どこなのかって…私の家ですけど…強盗目的とかじゃないんですか?」

恐る恐るそう問いかければ、その男は唖然とした表情になった。
何かおかしいな、と思いつつ、少しずつ余裕が出てきたので男の顔を見てみれば、想像していたよりも若く、そして女の子顔負けの綺麗な顔立ちをしていた。
服装は…変、っていうか、コスプレみたいな、っていうか…その格好じゃ外をうろつかないよね、っていう感じの。

「強盗なんてしないよ」
「じゃあ何でここに?」
「キミが連れてきたんじゃないの?」
「いやいや、そんなバカな」

ほんと、そんなバカな話があってたまるか。
テーブルを見てくれ、この出来立てホカホカのカレーとお茶。
今から食事にしようとしているヤツが、何故見知らぬ男を連れて来ようと思うんだね。

ぐぅ〜、きゅるるるる…

食事の前といえど、今の音は私のお腹の音ではない。

「……」
「……聞こえた?」
「…まあ、バッチリ…おなか、空いてるんです?」
「…それ、不思議なにおいがするね」
「…?」

恥ずかしそうにするその男は、カレーを指さしながら言った。

「カレー……知らないの?」
「かれーっていうの?」

話が通じてない、気がする。
そもそも何でこんな普通に会話しちゃってるんだろうか。
単なる不審者だったら、警察に電話してウチに来て貰って、この人突き出してはいおわり!になるはずなんだけど。
何かされたわけでもないし、雰囲気からして本当に強盗しに来たって感じでもないし…かといってここにいる理由も全くわけがわからないんだけど、なんとなく悪い人じゃないような気がする。

「一口食べてみる?」

その提案は、ほんの気まぐれだ。
カレーを知らないって言ってるこの人がどんな反応をするのだろうか、純粋な好奇心が湧いたのだ。

「なんか悪いね…では、お言葉に甘えて一口…」

ぱくりと口に入れたスプーンは、もちろん予備のものをキッチンから持ってきた。
反応を待っていると、その人はふるふると震え出した。

「う…ウマッ…!こんな美味しいもの、食べた事ないんだけど!!」
「えぇ!?そんな大げさな!カレーだよ?安くて美味しい一般庶民の味方のカレーだよ!?」
「大げさなんかじゃないよ、俺達の国ではこんなものどこにも売ってない!」
「国…って、あなた日本人じゃないの?」
「日本?」

嘘でしょ、日本人じゃなかったの!
こんなにスムーズに日本語通じてるのに!?
っていうか、この人頭大丈夫かな?
警察よりも医者に連れて行ったほうがいいのかな、でもやっぱり見知らぬ人なわけだから医者よりもまず警察?

「俺の国は、秦だよ」
「秦?」
「秦を知らないの?」
「何でそんな当たり前のように…知らないよ、秦なんて国」

中国の歴史の中で聞いたことがあったような気がしたけど…勉強に関しては不真面目だったから、わからん。

「うーん、まあいいや。おねーさんの名前、教えてよ」
「えっ…何で見知らぬ不法侵入者に名前を教えなきゃいけないの…そもそも人に名前を聞く時は自分から、って教わらなかった?」
「それもそうだ、あっはっは」

名前なんて教えてどうすんだ、と本気で思ったのでそう返せば、あっけらかんとした様子で笑っていた。
いちいち調子狂うなあ。
出来れば早く出て行ってほしいんだけどな。
私だっておなか空いてるんだし、そろそろ食事再開したい。まだ一口も食べれてないけど。

「俺は蒙恬だよ。蒙武の息子、蒙恬」

そんな説明の仕方があるか。
誰誰の息子ですなんて言われてもねえ…なんつーか、古風っつーか…。

「そう。じゃあ、はい」
「?」

出口を指さして出てけと促せば、蒙恬と名乗ったその人は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。

「ドアから出て右側が玄関だから。出てって」
「ええ!?ちゃんと名乗ったのに!」
「名乗ったにしても私から見たら不審人物には変わりないし、警察に連絡しないだけでもマシだと思ってよ」

動きそうもないので、ドアを開けてから蒙恬の後ろへと回って背中をぐいぐい押す。

「ちょ、ちょっと待ってよ、この部屋も見たことないものばかりだし、もうちょっと色々話がしたいって思っ」
「はいはい、さよならばいば…い…!?」

部屋の外に足が出た。
そう思った瞬間、蒙恬は目の前から消えた。
消えたということはつまり、私が押していたその物体が無くなったというわけで。
推していた勢いを止めることもできず、廊下の壁へと激突した。

「……すっごい、痛い……」

痛いってことは、これは夢ではない。
夢ではないのに人が突然現れて、そして消えた。

………恐怖体験、ってやつだったのだろうか。

全身に鳥肌が立ち、一瞬にして食欲が失せた。
だめだ、こわい!
お風呂は明日の朝で良いとして、今日はもう寝てしまおう!そうしよう!

急いで片づけて、走ってベッドへと飛び込んだ。

朝起きたら今の出来事、きれいさっぱり忘れてますよーに!

2016.10.25
  
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