嫌いな夏が、好きになる(藤真)


賭けなんて、するんじゃなかった。
そうしたら、今こうしてこんな場所に立つことなんてなかったのに。

しかも、ナイスバディと言えるに程遠い私が、こんな格好をするハメになるなんて。

夏なんて、嫌いだ。


「おー、やっと来たか。待ちくたびれたぞ」

少々嫌味っぽい言葉を投げかけてきたのは、我がバスケ部監督兼部長の藤真健司。
今日は、バスケ部の三年レギュラー+マネージャーである私の6人で、県内にあるプールに遊びに来ているのである。

私は泳げない。
いわゆるカナヅチで、本来ならばプールや海なんて縁がない場所なのに。

それでも、ここにいる理由はただ一つ。
期末テストの点数で、藤真に負けてしまったからである。

どちらが多く勝てるかで競っていたのだが、見事なまでに完敗してしまった。
勉強においては少しは自信あったのに……っていうか、今まで一度もバスケ部の誰にも負けたことなかったのに!!

どうしてこんな時に限って負けてしまったんだ。
過去の自分を恨んだって仕方のないことなんだけど、それでも恨まずにはいられない。

そして賭けの内容というのは、ありきたりな『負けた方は勝った方のいう事をひとつだけ聞く』っていうやつで。
藤真が私に指示したことが、これ。

『今日、一緒にプールに来ること。』

藤真だって、私がカナヅチだっていうことくらい解ってる。
だから、まさかこんな指示が出るとは思ってなかった。
一日パシリとか、それこそありきたりな指示が出るとばかり思っていたのに。

そういえば、前に一度だけ藤真が言っていた言葉を思い出した。

『お前って、苛めるとすっげー楽しい』

あの時の彼の笑顔は忘れられない。
心の底から楽しそうな笑顔だった。
そして、その笑顔を目の当たりにした私は、心の底から『こいつドSだ……!』と思った。

今日は苛め抜かれるんだろうか。
藤真の娯楽のために?

実際のところ、私はこの藤真健司に惚れている。
でも。
マネージャーということもあってか、普通の女の子よりも一番近い位置にいるために周りからの嫉妬の視線も多々受けつつ、少々の嫌がらせも受けてきた。
だから、自分の気持ちは硬い岩の中に押し込めてきたつもりだ。
そうでもしないと、もっと酷い被害を受けそうだったから。

好きな人の役に立ちたいとは思うよ。

だけど、こんなのってあんまりじゃないか。

こんなことで役に立ったって言われても、ちっとも嬉しくないよ……!!

「いつまでも不機嫌そうな顔してんなよ、せっかく来たんだから楽しめばいいじゃねーか」

「……泳げない人がプールに来たって楽しくない」

「まだ言ってんのかよ。しつこい奴だな。花形達ももう向こうで場所取ってるんだぜ、早く行くぞ」

「あ、ちょっと!」

言いながら藤真は、私の荷物を奪ってさっさと歩き出してしまった。
くるりと振り返ったときに見せた背中が、逞しくてドキッとくる。

横暴だ!なんて思いながらも、やっぱり藤真が好きだなぁって実感してしまう。

……いやいや、それよりも、今日のこれからのことを考えると、気分は落ち込む一方だよ。
好きな人の背中を見て萌えてる場合じゃないのよ。

ふぅ、と息を大きく吐き出し、藤真を見失う前に歩き出す。


しばらく進んだところで、他のメンバーが勢ぞろい。
いや、待ち合わせしたときから勢ぞろいだったんだけどさ。
やっぱ水着姿で揃っていると、みんなスポーツマンだし、体引き締まってるし、かっこよさが増すっていうか…………うん、私、凄い人たちのマネージャーやってるなって思っちゃったよ。

何で私なんかがマネージャーなんだろ。
自分で志願したんだけどさ。
私なんかが、マネージャーをやってていいのだろうかっていう意味でね。

皆に対する周りの女性からの視線が凄いんですよ。

「河合、ようやく着替え終わったのか」

「あ、うん、時間かかっちゃってごめん」

「あー?なんか俺の時と態度違くね?」

「べっつにー」

だって、花形の言い方には嫌味なんてこもってないもん。
藤真の言い方には嫌味たっぷりだったもん。

「ひで!ひでででで!!」

プイ、とそっぽ向いたら、藤真に頬をぐに、と引っ張られた。

「なにふんのよ!!」

「ははは!俺様にそんな態度とるからだ!っつーかよ、お前さ、そんな上着着て暑くないのかよ」

藤真の手がぱっと離れ、今度は上着に視線を投げかけられた。

「暑いけど」

「なら脱げば?」

脱っ……!!

なんでサラリと言うか、そんなこと!!

「ああ、もしかして焼けるのが嫌なのか?」

見事私の考えている事を言い当ててくれたのは長谷川くん。

「ご名答!焼けると赤くなって痛いんだもん」

「日焼け止めは塗ったんだろ?」

今度は永野くんが会話に割り込んで。

「うん、一応ね。でも自分じゃ手の届かないところもあるしさ」

「はは、ならオレ塗ってやろうか?」

ちょっとニヤケ顔でそう言ってきたのは高野。

「えー、その顔、ちょっと怪しいー!高野にお願いするなら、花形に頼むー!」

「ひっで!河合、酷くね?オレは清純だぜ!」

「自分でそう言う人は怪しいんです!」

「よし、俺が塗ってやろう」

「え」

塗ってやろう、と言ったのは藤真で。
言った後すぐに私の鞄を漁り、日焼け止めを取り出した。

「藤真!勝手に人の鞄漁んないでよ!」

「まーまー、カタイこと言うなよ。俺らはこれ塗ったら行くから、お前ら先に行ってろ」

「ああ、わかった。じゃ、先に行ってる」

「おー、そんじゃ!」

藤真の言葉に素直に返事をしたのが花形と高野で、永野くんと長谷川くんは頷き、その言葉どおりにさっさと行ってしまった。

な、なんでこうなる……!!

ただでさえ、好きな人の目の前で水着を着るっちゅー行動からして恥ずかしいことこの上ないのに、更に日焼け止めを塗ってもらうだと……!!

もし、ここに同じ学校の女の子がいたら、私、明日から生きていけないよ!
藤真ファンに殺されてしまう……!

「で、どこ塗れてねーの?」

「え、あ、背中」

「ん、背中な。じゃあ、それ脱げ」

「え」

ぶわわわわ!!
私、馬鹿じゃないの!
なんで素直に答えてんだ!

そして、またもやスムーズに『脱げ』って言われて恥ずかしいんですけど……!!

「……お前、何考えてんだよ」

「は!?何ってなに!脱ぐよ!脱ぎますよ!」

馬鹿!藤真の馬鹿!

そんなこと聞くなよ!!
だって、『脱げ』っていうニュアンスは怪しく聞こえるじゃないか……!

そうしてまんまと藤真の口車に乗せられてしまった私は、自ら上着を脱ぐハメになった。

「じゃ、じゃあお願いします……」

「ん」

もうどうにでもなれ!という気持ちで、藤真に対して背を向けた。

「…………」

「…………?」

背中に視線を感じる。

「あの…………藤真?」

「あ?」

「あ?じゃなくて。塗ってくれるんじゃないの?」

「ああ。そうだった。色白いなーと思ってつい。」

そうだった、て、何!つい、って、何!?

「なら早く……ヒィ!!」

言葉の途中で、肩にべちょりと冷たさを感じたので、思わず変な悲鳴があがる。

「ははっ、変な悲鳴出すなよ」

「突然塗るからでしょうが!」

「早くっつったのお前だろーが」

「ぐぅ、」

尤もな事を言われ、口答えの仕様がなかった。

その間にも藤真の手が、私の肩から背中にかけて日焼け止めを伸ばしていく。

男の人に背中とか触られるの、初めてなんですけど……!!
相当恥ずかしいよ、顔真っ赤なんじゃないかしら、私。

「よし、おっけ」

そう考えている間にも、塗り終わったようで。
ほっとしたのもつかの間、笑顔で日焼け止めを渡され、私の頭の上にはクエスチョンマーク。

「何不思議そうな顔してんだよ、俺にも塗れって」

「ええ!」

「ええ!じゃねーよ、まさかもったいないとか思ってんじゃないだろうな」

「いやいやいや、まさかまさか!藤真は焼かないの?」

「ある程度はな。でも、俺も焼き過ぎたくないし」

ええ!と言ってしまったのには別の理由があって。
私、藤真の素肌に触れるの!?
っていう考えが、真っ先に頭を支配したのだ。

適当に言って誤魔化せたから良かったものの、これは相当な拷問である。

私、どんだけドキドキしたらいいの……!

ふいっと背中を向ける藤真。

あああもう、こうなったら、思う存分触ってやれ!
変態?上等だ!

「じゃ、しつれいしまーす」

「ん、早くしろよ」

「はいはい」

私のときはそのまま肩にべしょっと出されたが、一応の礼儀として、自分の手に出してから、藤真の肩に触れる。

ユニフォームにならない限りはTシャツとかで練習するから、露にならない場所だけに、私に緊張は大きい。
どんなに綺麗な顔をしていても、やっぱり体は男の子。

逞しい肩しやがって、ちきしょう。
好きだ、ちきしょう。

「あ、肩だけでいいからな」

「え、なんで?」

「理由はねーけどって、おい!やめろよ!」

「ん?」

「っは、ははは!!ちょ、やめろって!!」

藤真が言う前に、既に私の手は彼の背中へと進んでいた。
ここまで塗っちゃったし、と思いつつ、そのままぺたぺた塗っていると、次第に藤真からは笑い声が。

もしや。

「ははは!あはははは!!くすぐってー!!やめろ!!」

「……ニヤリ」

「!河合、てめー!!」

「った!!」

悪いことを思いついたときの表情の効果音を、口で言ってしまったのがいけなかった。
私がそのまま塗り続けると思ったのだろう、藤真はくるりと振り返り、私の頭をぺちん!!と叩いたのである。

「いったいな!叩くことないじゃんよ!」

「河合がやめろっつってもやめねーからだろ!」

「えー、だって藤真の弱点見つけたのに」

「……ほお。お前、この後覚えておけよ?」

プールに連れてこられたことで不機嫌だった私が、唯一楽しめることを発見した……はず、だったのに。

先ほど私が口にした効果音付きの表情でこちらを見る藤真を見た瞬間、今日一日の私の平穏は、音を立てて崩れ去った。

……ような、気がした。




日焼け止めも無事に……あれを無事に、と言えるのかどうかは置いておくとして。
塗り終わってから、先に行ってしまった薄情者共を追いかけた。

彼らが遊んでいたのはゴムボートのようなスライダーが中央にどん!と設置されている、少し大きめのプール。

今日は天気予報で天気が崩れるようなことを言っていたので、客自体が少なく、そのプールも例外ではなかった。
いつもだったらもっとギチギチに人が埋まるはずだと思うんだけど。
『あのプールは夏休みに行くもんじゃない』なんて、友達が言っていたのを思い出し、泳げるような場所がないなら安心かなーなんて思っていたのに。
今日に限っては泳げる余裕が存分にあるから、私って運が悪いのかな、なんて考えてしまう。

「よっし、俺達も入るぞ!」

「え、いや、でも」

「でも、じゃねーよ!何のためにプールに来たんだよ」

「それは藤真が無理やり……!!」

「はーい、つべこべいわなーい」

どんっ
「ぎゃあ!!」

背中を押され、私はプールに突き落とされた。

一瞬の出来事だったけど、息を止めることに成功した自分を褒めてやりたい!
そうでもしなかったら、思い切り水を飲んでいたところだ。

幸いなことにこのプールは足が付く。
大体は子供向けだから、足が付かないっていうほうがおかしいのだけれど。

「こらー!!なにすんのよ馬鹿藤真!!」

思い切り睨み付けて叫ぶと、藤真は私を指差しながらケタケタ笑っている。
なんてやつだ!

「ちょっとー!あんたたちも何か言ってやってよ、この暴君に!!」

のんびり遊んでいる花形たちに近寄り、そう言ったのだが。

「……まあ、勝負に負けたのはおまえだからな」

苦笑しつつも、そんな一言が返されたのだ。
花形のその言葉に、他のメンバーも引きつった笑いで頷いている。

「薄情者……!」

「仕方ないさ、今日一日は藤真の気の済むようにしてやれよ」

突き放された気分だよ。
なんて薄情なヤツらなんだ……!


ザブーン!!
「ぶわっっぷ!!」

開いた口がふさがらない状態で花形達に抗議の視線を向けていると、後ろから勢い良く水しぶきがかけられた。
思い切りかかったし!焦ったよ!!
後ろを振り向くと、どうやら藤真が飛び込んできたらしく、こちらに向かって進んでくる。

「河合、あっち行くぞ」

そう言って、私の腕をぐいっと引っ張った。

「あ、あっちってどっち!」

「あれ、あのスライダーだ」

「えええ、みんなは!?」

「放っとけ、俺らだけで行くぞ」

「何で……!!それじゃあみんなで来た意味がないじゃないの!!」

必死でそう抵抗したけれど、藤真は聞く耳なんざ持っちゃいなかった。
最後に無駄かもと思いつつ、助けを求める視線を花形達に送ると。

「まあ、それ口実だしな」

高野が何かを言っていたけれど、ザブザブ進む水の音に、それはかき消されてしまって。
私の耳へと届くことはなかった。

唯一つ解ったことは、『こいつら、誰も私を助けてくれる気がない』ということ。

せめて女の子の一人でもいたらなぁ……
藤真のファンの子だっていいよ、この時ばかりは私と藤真の邪魔をして欲しいよ。
普段の嫌がらせは御免被りたいけれど、今日だったら思う存分邪魔をしてくれ……!!

しかし、そう願ったところでそんな都合のいいファンなど現われることなく、私と藤真はスライダーまで到着してしまったのである。

「ほら、これ登って」

「ええええ無理!」

「無理じゃねーよ、後ろから押してやるから」

「押すって!!馬鹿!変態!!なに考えてんのよ!!」

スライダーのボートの横に、小さなハシゴが設置されているんだけど。
それを登りつつ後ろから押してもらうなんて、そんなの押す場所はお尻くらいしかないんだけど……!!

ぎゃんぎゃん捲くし立てる私の台詞を、耳を押さえながら煩そうにしている藤真は、はぁ、とため息をついた。

「俺ってそんなに信用ねーのかよ。まあ、いいけど。じゃあ先に行くから」

よっと、という声をあげて、あっさりと登ってしまった藤真。
さっきまでの自分が馬鹿みたいだ。

っていうか、先に行かれちゃったらそれこそ私、登れないんですけど……!

「ホラ」

「え」

「早く」

「え、あ、う、うん」

このまま花形達のところに戻ってしまおうか、なんて考えていると、藤真が上から手を差し伸べてくれた。

日差しが藤真を背中から照らしていて、まさに王子様……!!

一瞬でそんな事を思ってしまった私は重症だ。
照れを交えながらも、藤真の手を取り、上へと引き上げて貰うことに。

「よっ!!」

「ぎゃ、わ!わわ!!」

引き上げた勢いが良すぎて、私はそのまま突っ伏した状態。
それも、藤真の上に。

「ごごごごめん!!」

慌てて謝りながらバッと体を離す。

「あ、おい!馬鹿!!」

すると、今度はその勢いで私の体は後ろに傾き。
登ってきた場所はハシゴで、ボートの端。

つまり、後ろには水面しかない。


ザッパーーーン!!


「が、がぼっ!!ごぼぼぼ!!」


〜〜〜〜〜〜なんで、こうなんのっ!!

思い切り背中からプールに落ちた私は、今度こそ水を飲み込んでしまった。
その上、鼻からも侵入してきた。

痛いなんてもんじゃない。

凄く痛い。

泣きそうだ、ほんと。
いや、もう半泣きだ。

「馬鹿だな、大丈夫かよ」

「うっ……だ、大丈夫じゃない……」

「全く、ほんとに少しも泳げねーのな。仕方ねえな……」

「ぅわっ!!」

「じっとしてないとまた落ちるぞ」

下を向きながら、水を飲んでしまった気持ち悪さを感じていた喉を押さえつつも藤真に返事をしていたら。

急に、体がふわりと浮いた。

水の中だったから、余計にゆっくりと感じたその仕草に、ときめかずにはいられなかった。

水を飲んでしまった気持ち悪さも、鼻の痛さも忘れてしまうほどに。


藤真が、お姫様抱っこで私を抱え、プールの端まで移動して。
さっきみたいに、藤真が先にプールからあがり、私に手を差し伸べて引っ張ってくれて。

近くのベンチに促され、そこに座る。

「あ……の、有難う」

「いいよ別に。半分は俺のせいでああなったわけだしな」

あ、一応は自分のせいだっていう認識はあるんだね。
半分だけだけど。

「ちょっとここで休もうぜ」

「……うん」

普段の藤真からは感じられない優しさに、胸の鼓動が高鳴っていく。
さっきのお姫様抱っこといい、その前の不慮の事故ながらも抱きついてしまった出来事といい。

片想いで好きな人とこんな経験、滅多にできるもんじゃないよ?

今日は、やっぱり幸せな日なのかもしんない。
酷い目に遭ったっていう自覚はあるんだけど、それでも許せちゃうんだもん。
幸せの比率のほうが多いんだもん。

「んじゃ、もうちょっと経ったら今度はアレな」

笑顔で藤真が指を差したのは、波のプールだった。
機械で海のような波が作られている、あれ。
しかも、あれは大人専用って書いてある。

ちょっとまってくれ。
この状況で、笑顔でそんなことを言い放つ貴方は鬼ですか。

カナヅチの女を捕まえて、しかも溺れかけた女を捕まえて、アレですか。



幸せな日?

とんでもない。


今日、私の命は持ち帰ることが出来るだろうか。

……不安でしかない。

「ふ、藤真さん、やっぱり私には無理です……!」

「なに情けない声出してんだよ。大丈夫だ、俺がついてるだろ!」

傍から見たらカッコイイ台詞にキュンと来るのかもしれない。
けれど、今の私にはそんなこと言われてもキュンと来るどころか、マジでカンベンしてくれ、なのである。

「だってあんな波に揺られて無事でいられるはずがない!」

「バカ、あれを見ろ!あんな小さい子供だって、親に連れられてキャッキャキャッキャやってんだぞ」

「あの子供は楽しんでやってるからいいんだ、私は楽しくないんだ!」

「はいはい、楽しくないのはわかったから、行くぞ」

なにがどうなって理解してもらえたのか、こっちがわからない。
だから楽しくないって言ってんじゃん、頼むから私の手を引っ張るな!
ていうかあそこの親も大人専用って書いてあるんだから、子供を一緒に入れんな!!

そんな願いも届かず、藤真は私の手をぐいぐい引っ張って、既に腰のところまで波が来ている状態だ。

「ああああ、怖い〜……」

「ははは!……つーか、可愛すぎるわ」

「え?」

「あ?何も言ってねーぞ」

可愛すぎとか聞こえた気がするんだけど……気のせいか。
私を苛めて楽しんでいる藤真が、私に対して可愛いという形容詞に当てはめること自体ないだろう。

私が一生懸命後ろに体重をかけて抵抗しているにも関わらず、少しも動じることなく、藤真の手は力強く私を引っ張り続ける。
さすが現役バスケ部キャプテン。

そうこうしているうちに、顔にまで波がかかるようになってきた。

「ふふふふ藤真!か、顔に!波が!がぼっ!」

飲んだ!今、口開いた瞬間ちょっと水飲んじゃったよ!!

「うおっ、オマエちゃんと浮かんでろよ!」

「無理だって、いって、ん、じゃん!」

「ったく、しょーがねーなー」

そう言ってニヤリと笑った藤真は、掴んでいた手をさらにぐいっと引っ張り、自分自身に近づけ、そしてもう片方の手を背中に当てた。

「よっ、と!」

「う、うわ!ええええ!ちょちょちょちょっと!何してんの!」

「何って、世間一般で言うお姫様抱っこだろ?さっきもやってやったじゃねーか」

「そんなのわかってるよ!そうじゃなくて、何でお姫様抱っこされてんの!私が!藤真に!」

「うるせーなー、河合があっぷあっぷ言ってるからじゃねーか、ここで溺れられても困るんだよ」

困るなら最初から連れてくんな!
そう言いたかったけれど、言えなかった。
だって言葉とは裏腹に、またもや藤真にお姫様抱っこされてしまうとか凄い嬉しいんだもん……!

ここに来なかったら絶対に有り得なかったことだよね。
幸せすぎる。

でも、幸せすぎると同時に恥ずかしすぎる……!

さっきは気持ち悪いのもあって、それどころじゃなかったっていう部分もあったんだけどさ、冷静に考えるとさ。

よりによって水着だよ?
男性の水着とか、上半身裸なんだよ!?
そんな状態で、お姫様抱っこという密着状況……私、鼻血出るかも。



『それでは今から、大波タイムです。お子様連れのお客様は、一旦ここから離れてくださいねー!』

は?
今なんつった?

幸せ気分をどん底に突き落としそうな、スピーカーから響いた監視員の声。

「おお、きたきた!待ってたぜー!」

「え?何?大波タイムって?」

「これよりももっとすげー波が来るってことだろ、楽しみだなー!」

「ま、マジ……で!?それじゃ藤真が抱っこしててくれても波の中にザブンじゃん!」

「大丈夫だって、死ぬことはねーから」

「し、死ぬとか……!うわ!きた!!」

藤真と会話をしていると、監視員の予告どおりにプールの一番奥から、もの凄い高さの波がやってきた。
マジで高い、本当に高い。
たかがプールでなんでこんなに高い波とか設定するんだ!
危険極まりないだろう……!!

迫り来る波に、ぎゅっと目を瞑り、大きく息を吸って、息をピタッと止める。
ザザザザ!という音が聞こえたと思ったら、その次の瞬間、私と藤真は思い切り波に飲まれた。

本物の海ではないから、波は一瞬の出来事で、藤真がプールの床を蹴り、水面に顔を出す。

「ぷはー!すげー!マジすげー!」

「ああああああああ怖かった……!」

「大丈夫だったろー、あんなの怖くないって」

「藤真はああいうのが好きだから怖くないんでしょうよ!私は怖いんだ、あ、ほら!またきた!」

「ほんとしょーがねーな。怖くない方法教えてやっから、しっかり目ぇ瞑ってな」

「怖くない方法?そんなのあるの?」

「あるある、オラ、早くしないと波が来るぜ」

「おわ、わ、わかった!」

怖くない方法があるならもっと早く教えて欲しかった。
そうしたら、私だって藤真が楽しいって思うように、一緒に波のプールを楽しめたかもしれないじゃないか!

とりあえず、少しでも怖くなくなるんなら!
そう思って藤真の言うとおりにぎゅっと目を瞑った。
言われなくたって目を瞑るのはやってたけど、さっき以上に強く。

すると、波が来る直前と思われるその時、私の唇に暖かいものが触れた。
ビックリして目を開いたら、その瞬間に、ザッパーン!と波に飲まれて。

本来だったらビックリしすぎて口を開き、水を飲んでしまうところだったけど、それは大丈夫だった。
何故なら、水中にいる間はずっと、藤真によって塞がれていたからである。

言わずとも知れた、私の唇が。


水面に顔を出すのとほぼ同時に、ようやく離れた藤真の唇から零れた一言。

「な、怖くなかっただろ?」

確かに怖くはなかったよ。
というよりも、驚きすぎて怖いって感じることを忘れていたって言ったほうが正しいのかな。

それよりも、私が聞きたいのはそういうことじゃなくて。

「な、なんでキス……」

「そんなん、好きだからに決まってんだろーが」

「す!?」

「あ、また波来るぜ!」

なんでコイツはそういう爆弾発言をサラリと言う……!
しかも、私が思いっきり動揺してるのに、平然とした顔で『また波が』とか言うし!

私はどういうリアクションをとればいいんだ!
私だって藤真が好きだけど、これって真面目に答えちゃっていいもんなの??
どうなの?
誰か教えて!

ドキドキしながらも、再びの波。
そして、再び触れる、藤真の唇。


おのれ、一度ならず二度までも……!


いや、嬉しいよ!
嬉しいけど、なんかもうめちゃくちゃだよ!!
私はどうしたらいいんだー!!



その後も、ちゃんとした質疑応答が出来るわけもなく、波が来るたびに藤真にキスされた。

ようやく大波タイムが終わると、全身の力が抜けたような気分になって。
どうやら5分間だったようだが、5分と言ってもなんだか長すぎた気がする。
終わった事を知った藤真は満足気な表情で、私に向かって戻るぞ、と告げた。


プールから出る間も、相変わらず私と藤真の手は繋がれたまま。

けれど、それは波のプールに入るときみたいに無理やりな感じのものではなく、普通に恋人同士が繋ぐような、それ。


「あのさ、さっきのアレ、嘘じゃねーかんな」

なんて声をかけていいのか分からず、心の中であれこれ考えていたら。
藤真の背中越しにそんな言葉が聞こえた。

「河合のこと、本当に好きだから」

さっきまで私を苛めて楽しんでいた時の藤真とは、なんかちょっと違う。
ふざけた雰囲気を感じられない。

その真面目な空気に、私の顔に熱が集まる。
藤真はどんな顔をしているんだろう。
前に回りこんで藤真の顔を見てみたかったけど、多分藤真も照れたような顔をしてるんじゃないかな。

だって、後ろから見える耳が赤くなってる。

さすがの藤真も、あれだけキスしたら恥ずかしいんだろうか。
ああ、やばい。
思い出したら私自身が物凄く恥ずかしくなってきた。
だって、この藤真とさ……

何回も、だよ。

何回もキスしちゃったんだよ。


嘘みたい。




……ん?


ちょっと待て、自分。
嘘みたい、なんて考えてる場合じゃなくない?

そうだよ、そんな何回もキスされて『好きでもなんでもねえ』とか言われたほうがおかしくないか?

「おい、なんとか言えよ」

振り向かないまま、言葉を投げかけられて。
嬉しさ反面、自分で気づいたことにちょっとムカッときたので思ったことをそのまま言ってやることにした。

「あんなにキスされて好きじゃないとか言われたら、アンタのことぶっとばしてると思うよ」

「あ?」

言った途端に藤真の足がピタリと止まり、そして拍子抜けした顔で私を見る。
私も我ながら凄いこと言っちゃったなって思ったけど、もう後には引けない……!

「何よ」

「何よ、じゃねーよ。それって返事になってなくねえ?」

「返事……なんて言わなくても私の態度で普通はわかるでしょうが!それよりも、気づいたことを言わなきゃ気がすまないと思ったの!」

大体、キスを拒まない時点で好きっていう気持ちを分かって欲しいものだ。
俺様なくせに、こういうのは鈍いんだろうか。

「なんっつーか……ほんっとお前ってそういうヤツだよな!はは!」

「何がおかしい!」

「おかしいんじゃねえよ、だから好きんなったっつってんだ、わかれ!」

「わかるわけないじゃんそんなの!!」

「バカか!鈍すぎるだろ!」

「鈍いのは藤真のほうでしょー!?」

「河合のほうが鈍いだろ!それより付き合うのか付き合わねーのかどっちだ、ハッキリしろよ!」

「えええ!なんでそこで私が怒られるの、おかしくない??付き合ってとか言われてないし!」

「じゃあ今言う、俺と付き合え!これでいいか!」

「そういう問題でもないと思うけど!でも付き合うに決まってんでしょ、私だって好きだって言ってんだから!」

「なら最初からそうやって言えばよかったじゃねえか!」

「なにー!?」

「なんだよ!」

みんなのところへ戻るまで言い合いは続き。
結局私と藤真はこの流れで付き合うことになったんだけど。

今までと関係は……そんなに、変わらない気がする。


とりあえず、ひとつだけ解ったことは、今日はやっぱり幸せな一日だった、ということだった。

藤真のおかげで、嫌いだった夏が、ほんの少しだけ好きになれたかもしれない。







「なあー、あいつらすげえ喧嘩してるけど、うまくいったのかな」

「話してる内容は惚気だから大丈夫なんじゃないのか?」

「変にラブラブになって帰ってきたほうが気まずいだろ」

「……それもそうだな」
嫌いな夏が、好きになる(藤真)

next→


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -