■ 7:堪えきれない想いが溢れて、この世界を埋めてゆく

しとしと、しとしと。

ふと、目が覚めて。
窓の外から聞こえる音に、目を向けた。

……雨、か。

目覚まし時計に手を伸ばそうとして、思わず手が強張った。
そういえば、昨日は佐原……いや、香弥と一緒に寝たんだっけ。

まだ気持ち良さそうに寝てる。
なんか夢でも見てんのかなあ。

こんな幸せそうな顔してどんな夢見てんだか。
俺とのデートの夢を見てたりして。

……そこまで考えたら自意識過剰か。
別に香弥は俺の事が好きなわけでもないし、とりあえずデートというものが経験できればいいんだから、願いが叶うっていう意味で幸せそうな顔してんのかもな。


香弥の寝顔に笑みをこぼし、その上から改めて目覚まし時計に手を伸ばす。
時刻は8時。

電車に乗って行くとして、準備にも多少なりとも時間がかかるからもうそろそろ起きてないとマズイよな。

すやすやと寝息を立てている香弥の肩を揺さぶろうとして、自分の手は見事なまでに素通りしてしまった。
ああ、そうか。

こいつ、幽霊なんだった。

つまり、体を揺らして起こすのは無理、と。

「……香弥」

「…………」

「香弥、起きろ香弥」

「…………んー……」

「…………んー、て、おま……」

なんつー声を出しやがる、コイツは。
思わず赤面しちまったじゃねーか。

呼びかけだけで起こすっつーのは難しいな、ちくしょう。

「起きねーとデズミーランド行けねえぞー」

「…………ん、あーい……」

テーマパークの名前を口にしたとたん、うっすらと目が開いた。
現金なヤツだな、全く。
うっすら開いたと思ったら、それは即座に全開になった。
目を見開いた、っていう表現が正しい。

「……!!!!ふ、ふ、ふじ……!!」

「違う」

「…………健司、お、おはよ……」

「うい、おはよー。起きたんなら準備するぜ」

「は、はいっ」

優しく微笑んでやると、香弥はガバッと起き上がってベッドの上に正座をしていた。
やっぱ面白いな、反応が。
俺の事名前で呼ぶときも顔が真っ赤で、微笑んだ後の反応も顔が真っ赤で。

とにかく、可愛いと思った。

そう思っている俺の顔も、少しくらいは赤くなってしまっていると思う。
そんな姿を香弥には見られたくなくて、ベッドに背を向けた。

「着替えるから後ろ向いてろよ」

「う、うん」

引き出しから適当な服……いやいや、一応デートなのでデートらしい服を引っ張り出して。
素直に後ろを向いているであろう香弥を信じて、俺はそのまま着替え始めた。
別に見られても減るもんじゃねーし、俺としては気にしないけど……こいつ、純情だしなあ。

そういや、香弥ってずっと制服だよな。
デートなんだし、制服以外は着れないもんだろーか。
幽霊ってやっぱ着替えは無理なんかな。

そんな事を考えつつ、着替えが終了し。
そして後ろを振り向くと。


「…………いつの間に?」

「え、ええっと、わかんない、けど……健司とデートするならこんな服がいいな、って思ってたらいつの間にか……」

ベッドの上で正座しているはずの香弥の服が、ちゃんとしたそれらしい服に変わっていたからビックリだ。

「お前さ、幽霊っつーより魔法使いみたいだな」

「そんな大層なもんじゃないって。私もビックリだよほんと」

そう言ってる香弥の顔は本気で焦りの色が見えていて。
まあ、幽霊自体ありえねー事だと思ってるし、きっとなんでもアリなんだろう。

どうせ俺以外には見えないんだから困ることなんてない。

「じゃあ、顔洗ったり軽くメシ食ったりしてくっから、ちょっと待っててくれるか?」

「うん」

肯定はしたものの、表情は寂しそうで後ろ髪を引かれそうだった。
すぐ戻ってくるから、と一言付け足せば、香弥は無理やり笑顔を作っていた。

なんだよ、これから楽しいデートをしようっつーのにそんな顔すんなよ。
それにしても、折角のデートなのに雨降ってるのも残念だよな。
雨でも動いているアトラクションってなんだろな。

頭に浮かぶ言葉はたくさんあったのに、香弥の無理やりな笑顔を見ていたらその全てが喉の奥へと引っ込んでしまった。

もしかしたら、あいつはこのデートが終わったら自分が消えてしまうとか思っているんじゃないだろうか。

普通だったら、未練がなくなればこの世からはさよならしてしまうんだろう。

俺も、なんとなくそうじゃないかって思って……いる。


…………なんか、そう考えると出かけるのが嫌になってくるな。


今日という一日をめいいっぱい楽しませてやりたいっていう気持ちはある。
だけど、その後は?

今日が終わったら香弥はどうなってしまう?


本当に、消えて……しまうんだろうか。


嫌、だ。

俺はそんなの嫌だ。

こんな状況にならなければ、俺たちはこんな風に話すことなんてなかったのかもしれない。
けれど、実際にこんな状況になってしまって。
香弥は俺の目の前にいるわけであって。
今まで接点のなかった香弥の事が少しずつ分かっていく度、嬉しくなって。


胸の辺りが、こう、じんわりと……


昨日から誤魔化そうとしている俺の気持ちは、理解していたけれど気付きたくはなかった。



俺、佐原香弥の事が好きだ。


たった一日で、好きになってしまった。



好きになるのに時間なんてかからないと誰かが言ってたっけな。
ホントにそいつの言うとおりだ。



けどさ。


好きになった



だからと言ってどうする?

どうしたいんだ、俺は。


準備に時間をかけて、食事もゆっくり時間をかけて。
今日は雨だし、面倒だからまた今度にしようって。

部屋に戻ってそう伝えれば、香弥はきっと素直に返事をするだろう。

そうすれば、あいつの未練はまだ残るわけで、


…………こんな、俺だけの勝手な気持ちで香弥を振り回すわけには




いかない、んだよなあ……。



それに……きっと、俺がどうこう思ったってどうにもできる問題なんかじゃない。
そんな、軽いものでもない。

気持ちがどんどん沈んでいく。
まるで底なし沼にハマっていくようだ。

俺、お前と出会わなければ良かった?

お前が見えなければ良かった?


……違うな、違う。


俺はお前と出会えて良かったよ。


お前が見えるのが、俺で良かったよ。


唯一の人物が、俺で。





「健兄?ボーっとしてどうしたの?」

「うおっ、いやいやなんでもねえよ!」

居間に入る一歩手前で立ち止まっていた俺の後ろから、美加子がやってきた。
美加子の声に驚いた、というよりも、いつの間にか深く考え込んでしまっていた自分自身に呆れた。
部屋では香弥が待っているというのに。
すぐ戻るっつったのにな。

「なんで私服なの?学校は?」

「今日は、ちょっとな。サボリっつーわけでもねえから心配すんな」

ふーん、なんて変な顔をしている美加子。
昨日香弥が選んだ服をちゃんと着て、いつもより可愛らしい雰囲気だ。
いいよな、普通のデートが出来る奴は。

……おっと、いかん。
卑屈に考えるのはヤメだ、ヤメ!!

「とりあえずこれ、貰ってくな」

「あ、うん。私は残ったもの貰うねー」

母親が作り置きをしておいたサンドイッチをひとつ手に取り、食べながら洗面所へと移動。
最後の一口を飲み込み、そのまま歯を磨いて髪の毛を整えて。

部屋に戻ると、出て行った時のまま、香弥はベッドの上で正座をしていた。

「おまっ、ずっとその体勢でいたのか!?」

「うん、なんか、こうやって待っているのって楽しいなあって思って」

そんな些細なことで楽しめるなんて、お前くらいのもんだよきっと。
そんなお前だから……、今までに見たことのない反応を示してくれるお前だから、俺はたった一日で好きになってしまったんだろうけど。

出来ることなら、そのまま頭をくしゃくしゃに撫でてやりたかった。
だが、それは叶うことではない。

「俺は準備できたから、香弥さえ良ければもう家出るか?」

「んー……」

「ん?どうした、何かあんのか?」

「ごめん、ちょっと名残惜しいとか思っちゃった。でも、大丈夫!行こう、健司!」


ようやく自然と呼ばれた名前に、ドキッとした。

好きな女から名前を呼ばれるのって、こんなにも嬉しいことだったのか。

初めて知った。


「じゃあ行くか」

「うん!」


見た目は普通の恋人っぽく。
しかし、第三者から見たら俺が一人で歩いているようにしか見えない。


繋ぐことの出来ない右手が、とても、もどかしかった。

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