■ 9:どうか、最期の声を聴かせて

「あー、楽しかった!」

「お前のあのビビリ具合の方が楽しかったよ」

「酷いよね、健司は。人が驚いているのに隣で大爆笑してるんだもん」

「いやいや、まさかあんなに驚くとは思わねーだろ、普通!」

「残念でした、普通じゃないもんね!」

「は、それってどういう……」

意味だよ。

聞こうとして、やめた。

質問の意味なんて、特になかったんだ。
でも、香弥の表情の変化が分かってしまったから。
だから、俺はその言葉を飲み込んだ。


今さっきまで歩いてきたオバケ屋敷の建物の外に出てみると、空は夕焼けで綺麗な赤色が広がっていた。

「雨、止んだんだねー」

「……そうだな、ここに入るまでは降ってたのにな」

「……綺麗な空……、こんな綺麗な空、初めて見たよ!」

俺の前に立ち、くるりと振り向いて。
両手いっぱいに広げて、無邪気な笑顔を見せた。

「俺と一緒に見れて良かっただろ?」

「うん、良かったよ!本当に!」

うん。
俺も、香弥と一緒に見れて良かった。

日常で訪れる綺麗な夕焼けだって、ここまで気にして見ることなんて今までにあっただろうか。
きっと、香弥が『こんな綺麗な空、初めて見た』なんて言わなければ、俺は夕焼けの本当の綺麗さに気付かなかったかもしれない。
香弥と一緒に見ることが出来たからこそ、心から夕焼けが綺麗だって思えたんだ。

「ね、パレードやるかな?」

「雨が止んだからな、やるんじゃねーかな」

「何時に始まるの?」

「えーと……」

俺の腕時計と案内の紙を、二人で一緒になって覗き込む。
今の時刻は17時の5分前。

「今が17時ちょい前だから……もうすぐ始まるぜ、ホラここ、17時からって書いてある」

「ほんとだ!じゃあ、向こうで一緒に見よう!」

早く早く、と急かす香弥の右手は、俺の左手に触れていた。
いや、実際に触れているわけではないのだが、手を繋ごうとしてくれているのが嬉しくて。

そのまま繋ぐ振りをして、香弥の横に並んで歩く。


ちょっと歩くと人だかりが出来ていて、その様子からパレードが行われるということが分かった。

「よかったー、パレード見れるね!」

「ああ、この辺でいいか?」

「ん、いいよ」

園内のところどころに設置されてあるベンチに腰掛けた。
人だかりからは少し離れているが、パレードが見えないわけでもなく、これくらいが丁度いい。


間もなくして、盛大な音楽がスピーカーから流れ出した。
香弥を見ると、ワクワク感を隠せないようにそわそわしている。

余程楽しみなんだろうな。

しばらく観察していると、香弥が俺の視線に気付いたようで、目がバッチリと合った。

「……へへ」

特に言葉を交わすわけでもないが、小さく笑った香弥の頭が、俺の方に傾いて。
恋人同士が寄り添う。
そんな感じ。


こんな時、肩を抱いてやることが出来たらいいのに。

肩を抱いて、香弥の綺麗な髪を弄りながら、ゆっくりと進んでいくパレードを眺めて。

当たり前のように出来ることが、普通に出来ないっていうのはなんてもどかしいんだろう。


この一日で何度そんな事を思ったことか。


手を繋いで、香弥の暖かさを感じて。

手のひらから伝わる緊張感とか

抱きしめたときの柔らかさとか

照れながら微笑んだ時の頬の熱とか


香弥を、この手で感じることが出来たらいいのに。



そんな事を考えている間にも、煌びやかな装飾品を纏った行列が過ぎてゆく。



「健司」



突然呼ばれた名前に、ハッとした。

「香弥、なん、で……」

さっきまでしっかりと見えていたはずの香弥の体が、ぼんやりと薄くなっている。

淡い光に包まれたその体は、今にも消えてしまいそうだった。

「健司、あのね…………、ありがとう。本当に、楽しかった」


何だよ、何言ってんだよ。

意……味、わかんねえ。

楽しかった、って、なんで過去形にするんだよ。

まだ、パレード、途中なんだけど。

パレードが終わっても、閉園まではまだまだ時間があるし。

最後まで、時間の許される限り一緒にいようって思ってるのに。


「一日だけでも、健司の彼女になれて、嬉しかった」


だから、まだ一日終わってないんだって。


まだ話したいことがいっぱいあるんだ。


聞きたい事だってある。


一緒に笑いたいことだって、きっと、まだまだたくさん出てくる。





だからさ、頼むからさ、




お願い、だから。




「……そんな悲しそうに笑うなよ」



そう言ったら、香弥の顔がくしゃくしゃに歪んで。

目から、一筋の涙が流れた。


「…………本当は、消えたく、ない、よ」



震える唇から零れ出た言葉は、しっかりと俺の耳に届いて。


触れられないと分かっていても、俺は香弥の体を抱きしめずにはいられなかった。

……けれど。

悲しいかな、やっぱり俺の体が香弥を通り抜けてしまうのが現実で。

何のギャグ漫画なのか、俺は勢い余ってそのままベンチの手すりに額をぶつけてしまった。

「…………け、健司……?」


情けねえな、何やってんだよ。

みっともねえ。


好きな女の前で、少しもカッコつけられないとか、そんなんアリかよ。

次第に痛みを感じ始めた額が、ジンジンする。



「……あの、大丈夫?」



大丈夫なもんか。

お前が消えてしまいそうだっていうこんな時に、大丈夫なわけあるか。


「大丈夫、じゃ……ねえよ……」

顔を上げることが出来ない俺は、香弥がどんな表情をしているなんてわからない。

どうせ消えてしまうのならば、香弥の姿をしっかりとこの目に焼き付けておきたい。
けれど、この顔で、こんな顔を、香弥に見せられるわけが……っ


「……泣かないで、」

「……泣いてねえよ」

「……健司」

「泣いて、ねえっ」


本当に、みっともねえ。

カッコつけるどころじゃなく、情けなくてダサくて。
こんな姿を見せたかったわけじゃないのに。


それでも、俺の目から流れる涙は、止まるということを知らないかのように次々と溢れてくる。



「顔、あげて……お願い。……最後に、健司の顔をちゃんと見たいの」


最後、とか、言うなよ。


「〜〜〜っ、」

けれど、その言葉を聞いたらいつまでも下を向いているわけにもいかなくて。
俺は額を押さえながら、ゆっくりと顔を上げた。


「……はは、おでこ、赤くなってるよ」

「誰のせいだと思ってんだよ」

鼻声交じりで必死にジロリと睨むと、ごめんね、と言って謝った香弥は、お決まりの作り笑顔を見せた。

俺は、そんな言葉が聞きたいわけじゃないし、そんな顔が見たいわけじゃない。


「俺……俺さ、もっと早く香弥と出会っていれば良かったよ。いや、出会ってはいたんだけど……ちゃんと話しかけておけば良かった。そしたら、もっと早くこうやって話すことも出来たし、一緒に遊びに行ったり、俺の家に来てもらったり、逆にお前の家に行ったり。そんでさ、バスケの試合とかも応援に来てもらってさ。そしたらどんなヤツからの声援よりもお前の声で一番頑張れる気がする、とか言ってみたりさ」

最早自分でも何を言っているのかがわからなくなってきた。
ただ、こうやってつらつらと言葉を並べたって、香弥を重くさせているだけのようにしか思えない。
だったら好き勝手に話すなよって、そんなのわかってる。
だけど、どうにかしてこの場を繋ぎとめたくて、俺は必死で。


とにかく、香弥の、ちゃんと笑った顔が見たくて。



「…………なあ、香弥」

「……ん?」

「俺、さ。……どうかしてるって思われても構わないんだけどさ」

「……うん」

「俺、香弥のことが好きだ。きっと、俺の人生の中でこんなにも好きになるヤツなんていないっていうくらい、香弥のことが好きだよ。」


真っ直ぐ目を見て伝えた言葉に、香弥は一瞬目を丸くさせた。


「香弥は、……」


聞いてもどうすることもできないけれど、それでも。

それでも、俺はどうしても聞きたかった。

それが、俺とお前を繋ぎとめる唯一のもののような気がしたから。


だから、香弥。




どうか……どうか、最後の声を聴かせて。





「私も、健司のこと、だいすき!」





そう言って微笑んだ香弥。

さっきの作り笑いとは違う、心からの笑顔。



香弥の頬を、両手で包み込むようにして。


そして、どちらからともなく近寄った距離は、短くなって。




目を閉じて、唇が触れたかなんてわからないはずなのに




一瞬だけ、きっと、触れたその瞬間だけ







優しい、暖かさを感じた。










ゆっくりと目を開くと、香弥の姿は、もうどこにも見ることができなかった。



残ったのは、頭に浮かぶ、香弥の。




──笑顔の残像。

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